好きの手前と、さよならの向こう

茶ノ畑おーど

文字の大きさ
133 / 170
〇2章【波乱と温泉】

9節~熱~ 1

しおりを挟む
汗が、肌の上を小川みたいに延々と流れ落ちていく。
そのたびに、バスタオルがしっとりと重みを増す。

「……あつい……あつい……」

脱衣所に戻ったキリカは、まるで逃げ込むように扇風機の前へへたり込んだ。
バスタオルを胸元に引き寄せながら、床に膝をつき、扇風機の風を真正面から浴びる。

羞恥心や姿勢を気にする余裕などない。
「隠す」「恥ずかしい」なんて意識は、熱に溶かされてどこかへ飛んでいった。
今の彼女には、人として最低限の尊厳よりも、とにかく一瞬でも早く体温を下げることが至上命題だった。

ごぉ、と音を立てながら回る扇風機の風が、ほてった体を乱暴に撫でる。
キリカの髪は風に煽られ、乾いた草のようにばさばさと舞った。

「何で苦手なのにサウナなんか行くかなぁ、明坂ちゃんは」

しおりが肩にタオルを掛けたまま覗き込み、声を押し殺して笑う。

「だ、だって……」

ひゅうっと息を吐くたび、体の芯に残る熱がじりじりと湯気になって抜けていくようだった。

「水風呂は? 入らなかったの?」

「……あんなの入ったら、心臓が止まります」

扇風機から放たれる強風で、キリカの髪が揺れる。
しおりは、「明坂ちゃんって、意外と考えなしだよね」と笑った。

「私は楽しかったですけど~」

横で、ももが髪の毛をタオルでぽんぽん叩きながら、にこにこと言った。
頬がほんのり赤く、熱気の余韻がまだ残っている。

「サウナから茹でダコみたいな顔した明坂ちゃんが出てきたときはビックリしたなぁ」

ちひろがバスタオルで腕を拭きながら、にやりと笑う。
そのまま無邪気に首を傾げた。

「で、二人でなに話してたの~?」

問いかけがふわりと飛んだ瞬間、キリカは扇風機の風に身を預けたまま、動きを止める。
横顔は変わらないのに、肩のあたりだけ、そっと硬くなった。
わずかな瞬き。サウナにいた時と同じ熱がまだ喉の奥で渦を巻いているようだった。

「えへへ、秘密の話ですっ! ね、明坂せんぱい?」

「え~っ! なになに、意味深っ!」

ももの言葉と、ちひろの反応に、キリカは「……そうですね」と風に揺れる声で返事を返した。

たじろぎながらも、その言葉には少しだけ重さが乗っていた。
熱気の中、ももの言葉の裏にあった想いが、まだ胸の奥をそっと刺している。

初めて知った、彼女の本気。
そして、自分の中の何かを照らされた気がして、どこを見ていいのか分からなかった。

「も~、やってることマジで修学旅行じゃん」

しおりが化粧水を塗りながら笑う。
脱衣所の奥では、浴衣に着替えたすみれがマッサージチェアに沈み込んでいた。

「はぁ~~……極楽……これ、持って帰りたい……」

「自分で買いなさい」

「……会社の椅子を、全部これにするっていうのはどうだろう……」

「肩こり知らずのオフィスってことでバズらせよ」

くだらない会話に、ゆるい笑いが落ちる。
まるで湯気の残り香みたいに、ふわっと場に漂っていく。

「すみれ~、寝ちゃダメだよ。まだ終わりじゃないんだから!」

「そうそう。このあとは、修学旅行じゃ味わえない時間だからね」

そんな様子を眺めながら、キリカもゆっくり立ち上がる。
まだ胸の奥が少し熱い。
それはサウナの熱なのか、言葉にできない感情の余韻なのか。

タオルの隙間を縫う扇風機の風が、ようやく熱を押し流していく。
それでも胸の鼓動だけは、ぽつぽつと熱の名残りを刻んでいた。

「まだ集合までに時間あるなぁ。いっかい部屋に戻ります?」

「うん、それか、またカフェで時間潰してもいいかもね」

「もう飲み始めてる人、いるんじゃない?」

着々と身支度を整えていく三人を横目に、キリカもやっと腰を上げた。
タオルを握る手に、まだじんとくる熱が残っている。
長く息を吐くと、喉の奥がきゅっとつまるように乾いていた。

ふと横を向くと、ももが下着姿で汗を拭っていた。
その視線がカチリと交わる。
彼女も体の火照りが取れない様子で、タオルで額をポンポンと折り重ねるように押さえている。

「あっ、せんぱい! 髪の毛乾かしてあげましょうか?」

「……いや、自分でやりますから」

ぶっきらぼうな言葉が口から出るのに、顔は自然にゆるんだ。
「え~っ」と抗議しながら、ももはキリカの頭にふわっとタオルを乗せる。

少しずつ仲良くなっていく後輩二人を見ながら、しおりたちは顔を見合わせ、嬉しそうに微笑んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

小さな恋のトライアングル

葉月 まい
恋愛
OL × 課長 × 保育園児 わちゃわちゃ・ラブラブ・バチバチの三角関係 人づき合いが苦手な真美は ある日近所の保育園から 男の子と手を繋いで現れた課長を見かけ 親子だと勘違いする 小さな男の子、岳を中心に 三人のちょっと不思議で ほんわか温かい 恋の三角関係が始まった *✻:::✻*✻:::✻* 登場人物 *✻:::✻*✻:::✻* 望月 真美(25歳)… ITソリューション課 OL 五十嵐 潤(29歳)… ITソリューション課 課長 五十嵐 岳(4歳)… 潤の甥

おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」 それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。 4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。 女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。 「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」 そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。 でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。 さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。 だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。 ……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。 羽坂詩乃 24歳、派遣社員 地味で堅実 真面目 一生懸命で応援してあげたくなる感じ × 池松和佳 38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長 気配り上手でLF部の良心 怒ると怖い 黒ラブ系眼鏡男子 ただし、既婚 × 宗正大河 28歳、アパレル総合商社LF部主任 可愛いのは実は計算? でももしかして根は真面目? ミニチュアダックス系男子 選ぶのはもちろん大河? それとも禁断の恋に手を出すの……? ****** 表紙 巴世里様 Twitter@parsley0129 ****** 毎日20:10更新

甘く残酷な支配に溺れて~上司と部下の秘密な関係~

雛瀬智美
恋愛
入社した会社の直属の上司は、甘く危険な香りを放ち私を誘惑する。 魅惑的で刺激的な彼から一歩逃げても、 すぐに追いつめられてしまう。 出逢った時から、墜ちるのは決まっていたのかもしれない。 大蛇(バジリスク)の猛毒で追いつめる腹黒上司と純真なOLのラブストーリー。 シリアス、少しコメディ。 三島優香(みしまゆうか) 24歳。 過去のトラウマを引きずっていて 恋愛することが怖くなっていた矢先、 課長にぐいぐい追いつめられ、 交際することになる。 香住慧一(かすみけいいち) 33歳。優香の所属する課の課長。 女性よけとして紛い物(フェイク)の指輪を 嵌めている。 眼鏡をかけた優男風の美形(イケメン)。 狙った獲物はゆっくり追いつめて 手に入れたい倒錯的な策略家。腹黒ドS。 三島朔(みしまさく) 30歳。 優香の兄で溺愛している。 慧一と初対面の時、一目でやばさに気づき 交際には反対の立場を取る。 慧一を蛇(バジリスク)と称し忌み嫌う。 生真面目なシスコンでいつも優香を心配している。

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...