135 / 170
〇2章【波乱と温泉】
9節~熱~ 3
しおりを挟む
「せんぱい、せんぱい。男湯のほうって、どんな感じでした?」
歩き出したばかりの廊下で、ももが振り返るように問いかけてきた。
湯上がりで頬が赤く、浴衣の袖口が揺れるたびに、彼女の声まで軽やかに弾む。
相変わらず、話題が尽きない子だとヒロトは小さく笑う。
「どうって……」
「露天風呂! 星いっぱい見れました?」
「あぁ、すごかったな。流れ星も流れたし……」
「えっ!? 流れ星!? ずるい! なんで言ってくれないんですかっ!」
「無茶言うなよ」と呆れ混じりに返すと、ももは嬉しそうにえへへと笑い、そのまま窓の外を覗き込むように見上げた。
「流れ星かぁ……見れないかなぁ」
指先でガラスをそっと押しながら、ほんの少し背伸びして空を探す姿が、子どもみたいで微笑ましい。
湯上がりでしっとりと落ち着いた髪の毛先が、灯りに揺れてきらりと光った。
その横顔を眺めながら歩いていると、自然とヒロトの視界の端に、少し遅れて歩くキリカの姿が入ってきた。
妙に静かで、いつもの勢いも尖りもない。
ただぽうっとしていて、現実と半歩だけずれた場所にいるみたいだった。
ぼんやりとしたその表情に、ヒロトがじっと目を向けていたことにようやく気づいたのか、キリカはぱちりと目を見開き――
「な、なんでいるんですかっ!」
と声を上げた。
「いや、いるのは仕方ないだろ……」
理不尽な怒りをぶつけられる姿に、しおりたちがくすくすと笑う。
「サウナで疲れちゃったんだよねぇ、ふふっ」
しおりがからかうように言うと、キリカの顔がかあっと赤くなる。
「ごめんなさい、明坂せんぱいがサウナ苦手って知らなくてぇ」
「も、もう! 何回言うんですか、それ…!」
わたわたと両袖を揺らして抗議するキリカ。
湯上がりで頬が赤いせいか、その反応がいつもよりいくらか幼く見える。
そのやりとりを眺めながら、ヒロトはふと思った。
キリカと女子たち、そしてももとの距離が――少し縮まっている、と。
仕事では見られない緩さ、女子同士の笑い合う姿。
そこに自然に混ざっている彼女を見ているだけで、今回の決起集会は意味があったのだと、静かに実感する。
だからだろうか。
つい、言葉が口をついた。
「……髪、下ろしてるんだな」
輪から少し外れ、彼女だけに届く声量で言うと、キリカは驚いたように目を見開き、そしてすぐに目を伏せた。
「わ、悪いですか……」
「いや……」
否定の言葉を探しているうちに、目に入る。
肩にかかる黒髪。
湯上がりの柔らかな赤み。
浴衣の薄い襟元から覗く細い首筋。
小柄な体に、少し背伸びしたような和装の雰囲気。
……目に入るたび、なぜか胸の奥がざわついた。
そんな視線の揺れをちひろが察したのか、横から覗き込むようにして言う。
「……ていうか、ヒロトさんも顔、赤くないですか?」
咄嗟に視線を逸らし、頭を掻く。
「あー……バレたか」
ヒロトは苦笑しながら手の甲を頬に当てて熱を逃がす。
「実は……男湯で、サウナバトルしてた」
「サウナバトル……?」
女子たちが、声を揃えてきょとんとする。
「ああ。誰が一番長く入っていられるかってさ。六人くらいだったかな? 誰も引かなくて……地獄だった」
ヒロトが遠い目をして言うと、「うわ~、バカだぁ」とちひろが楽しそうに笑った。
「ほんと、男の人っていつまで経っても『男子』って感じですよね」
しおりもすみれも呆れたように笑う。
「いやぁ、俺、サウナ苦手なの忘れててさぁ……」
「もっとバカじゃないですか! ていうか、明坂ちゃんと一緒っ!」
その声につられて、視線がキリカへ向く。
彼をじっと見つめていたキリカは、バチリと目が合って慌てて逸らした。
「なんだ、お前らもバトルしてたのか?」
「いえっ! バトルしてたのは、私と、明坂せんぱいですっ!」
その視界に割り込むように、ももがキリカに抱きつくようにして駆け寄った。
「ちょ、ちょっと……! 余計なこと、言わなくていいんですよっ」
「ふ~ん……」
ヒロトは、ももからのスキンシップに困っているキリカを見ながら声を漏らした。
浴衣の胸元から覗く、普段見慣れない鎖骨のラインが、湯上がりの赤みと重なって妙に目に残る。
「……な、なんですか」
ももを引っぺがし、ヒロトからの意味深な視線に気付いたキリカは、真っ赤になった顔を浴衣の袖で隠しながら小さな声を返した。
「……いやぁ、明坂もガキみたいなところがあるんだな~、と」
「せ、先輩に言われたくないですっ!」
「あと、後輩とは仲良くしろよ」
その言葉に、キリカは「ぐっ……」と押し黙る。
代わりにももが、満面の笑みでキリカの手を取った。
「だいじょ~ぶです、仲良しですもん! ね~? 明坂せんぱい?」
まっすぐな言葉を向けられ、彼女は戸惑いながらも「そ、そうですね……」と頷いた。
ヒロトは、その様子に満足そうに口角を緩める。
そんな彼らのやりとりを後方から眺めながら――
ただ一人、すみれだけは、「湯上あがりギャップ作戦、成功」と満足そうに頷いていたのであった。
歩き出したばかりの廊下で、ももが振り返るように問いかけてきた。
湯上がりで頬が赤く、浴衣の袖口が揺れるたびに、彼女の声まで軽やかに弾む。
相変わらず、話題が尽きない子だとヒロトは小さく笑う。
「どうって……」
「露天風呂! 星いっぱい見れました?」
「あぁ、すごかったな。流れ星も流れたし……」
「えっ!? 流れ星!? ずるい! なんで言ってくれないんですかっ!」
「無茶言うなよ」と呆れ混じりに返すと、ももは嬉しそうにえへへと笑い、そのまま窓の外を覗き込むように見上げた。
「流れ星かぁ……見れないかなぁ」
指先でガラスをそっと押しながら、ほんの少し背伸びして空を探す姿が、子どもみたいで微笑ましい。
湯上がりでしっとりと落ち着いた髪の毛先が、灯りに揺れてきらりと光った。
その横顔を眺めながら歩いていると、自然とヒロトの視界の端に、少し遅れて歩くキリカの姿が入ってきた。
妙に静かで、いつもの勢いも尖りもない。
ただぽうっとしていて、現実と半歩だけずれた場所にいるみたいだった。
ぼんやりとしたその表情に、ヒロトがじっと目を向けていたことにようやく気づいたのか、キリカはぱちりと目を見開き――
「な、なんでいるんですかっ!」
と声を上げた。
「いや、いるのは仕方ないだろ……」
理不尽な怒りをぶつけられる姿に、しおりたちがくすくすと笑う。
「サウナで疲れちゃったんだよねぇ、ふふっ」
しおりがからかうように言うと、キリカの顔がかあっと赤くなる。
「ごめんなさい、明坂せんぱいがサウナ苦手って知らなくてぇ」
「も、もう! 何回言うんですか、それ…!」
わたわたと両袖を揺らして抗議するキリカ。
湯上がりで頬が赤いせいか、その反応がいつもよりいくらか幼く見える。
そのやりとりを眺めながら、ヒロトはふと思った。
キリカと女子たち、そしてももとの距離が――少し縮まっている、と。
仕事では見られない緩さ、女子同士の笑い合う姿。
そこに自然に混ざっている彼女を見ているだけで、今回の決起集会は意味があったのだと、静かに実感する。
だからだろうか。
つい、言葉が口をついた。
「……髪、下ろしてるんだな」
輪から少し外れ、彼女だけに届く声量で言うと、キリカは驚いたように目を見開き、そしてすぐに目を伏せた。
「わ、悪いですか……」
「いや……」
否定の言葉を探しているうちに、目に入る。
肩にかかる黒髪。
湯上がりの柔らかな赤み。
浴衣の薄い襟元から覗く細い首筋。
小柄な体に、少し背伸びしたような和装の雰囲気。
……目に入るたび、なぜか胸の奥がざわついた。
そんな視線の揺れをちひろが察したのか、横から覗き込むようにして言う。
「……ていうか、ヒロトさんも顔、赤くないですか?」
咄嗟に視線を逸らし、頭を掻く。
「あー……バレたか」
ヒロトは苦笑しながら手の甲を頬に当てて熱を逃がす。
「実は……男湯で、サウナバトルしてた」
「サウナバトル……?」
女子たちが、声を揃えてきょとんとする。
「ああ。誰が一番長く入っていられるかってさ。六人くらいだったかな? 誰も引かなくて……地獄だった」
ヒロトが遠い目をして言うと、「うわ~、バカだぁ」とちひろが楽しそうに笑った。
「ほんと、男の人っていつまで経っても『男子』って感じですよね」
しおりもすみれも呆れたように笑う。
「いやぁ、俺、サウナ苦手なの忘れててさぁ……」
「もっとバカじゃないですか! ていうか、明坂ちゃんと一緒っ!」
その声につられて、視線がキリカへ向く。
彼をじっと見つめていたキリカは、バチリと目が合って慌てて逸らした。
「なんだ、お前らもバトルしてたのか?」
「いえっ! バトルしてたのは、私と、明坂せんぱいですっ!」
その視界に割り込むように、ももがキリカに抱きつくようにして駆け寄った。
「ちょ、ちょっと……! 余計なこと、言わなくていいんですよっ」
「ふ~ん……」
ヒロトは、ももからのスキンシップに困っているキリカを見ながら声を漏らした。
浴衣の胸元から覗く、普段見慣れない鎖骨のラインが、湯上がりの赤みと重なって妙に目に残る。
「……な、なんですか」
ももを引っぺがし、ヒロトからの意味深な視線に気付いたキリカは、真っ赤になった顔を浴衣の袖で隠しながら小さな声を返した。
「……いやぁ、明坂もガキみたいなところがあるんだな~、と」
「せ、先輩に言われたくないですっ!」
「あと、後輩とは仲良くしろよ」
その言葉に、キリカは「ぐっ……」と押し黙る。
代わりにももが、満面の笑みでキリカの手を取った。
「だいじょ~ぶです、仲良しですもん! ね~? 明坂せんぱい?」
まっすぐな言葉を向けられ、彼女は戸惑いながらも「そ、そうですね……」と頷いた。
ヒロトは、その様子に満足そうに口角を緩める。
そんな彼らのやりとりを後方から眺めながら――
ただ一人、すみれだけは、「湯上あがりギャップ作戦、成功」と満足そうに頷いていたのであった。
0
あなたにおすすめの小説
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
小さな恋のトライアングル
葉月 まい
恋愛
OL × 課長 × 保育園児
わちゃわちゃ・ラブラブ・バチバチの三角関係
人づき合いが苦手な真美は ある日近所の保育園から 男の子と手を繋いで現れた課長を見かけ 親子だと勘違いする 小さな男の子、岳を中心に 三人のちょっと不思議で ほんわか温かい 恋の三角関係が始まった
*✻:::✻*✻:::✻* 登場人物 *✻:::✻*✻:::✻*
望月 真美(25歳)… ITソリューション課 OL
五十嵐 潤(29歳)… ITソリューション課 課長
五十嵐 岳(4歳)… 潤の甥
おじさんは予防線にはなりません
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」
それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。
4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。
女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。
「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」
そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。
でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。
さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。
だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。
……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。
羽坂詩乃
24歳、派遣社員
地味で堅実
真面目
一生懸命で応援してあげたくなる感じ
×
池松和佳
38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長
気配り上手でLF部の良心
怒ると怖い
黒ラブ系眼鏡男子
ただし、既婚
×
宗正大河
28歳、アパレル総合商社LF部主任
可愛いのは実は計算?
でももしかして根は真面目?
ミニチュアダックス系男子
選ぶのはもちろん大河?
それとも禁断の恋に手を出すの……?
******
表紙
巴世里様
Twitter@parsley0129
******
毎日20:10更新
甘く残酷な支配に溺れて~上司と部下の秘密な関係~
雛瀬智美
恋愛
入社した会社の直属の上司は、甘く危険な香りを放ち私を誘惑する。
魅惑的で刺激的な彼から一歩逃げても、
すぐに追いつめられてしまう。
出逢った時から、墜ちるのは決まっていたのかもしれない。
大蛇(バジリスク)の猛毒で追いつめる腹黒上司と純真なOLのラブストーリー。
シリアス、少しコメディ。
三島優香(みしまゆうか)
24歳。
過去のトラウマを引きずっていて
恋愛することが怖くなっていた矢先、
課長にぐいぐい追いつめられ、
交際することになる。
香住慧一(かすみけいいち)
33歳。優香の所属する課の課長。
女性よけとして紛い物(フェイク)の指輪を
嵌めている。
眼鏡をかけた優男風の美形(イケメン)。
狙った獲物はゆっくり追いつめて
手に入れたい倒錯的な策略家。腹黒ドS。
三島朔(みしまさく)
30歳。
優香の兄で溺愛している。
慧一と初対面の時、一目でやばさに気づき
交際には反対の立場を取る。
慧一を蛇(バジリスク)と称し忌み嫌う。
生真面目なシスコンでいつも優香を心配している。
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー
i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆
最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡
バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。
数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる