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009 決意
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猫の国に平穏が訪れた。というわけではない。
フライアによる悪政で出た犠牲者は少なくはない。
更に崩れた国の行政機関を建て直さないことには国の運営もままならない。壊れた王城の改修工事も必要だ。壊したのは主にガイルだが。
そしていつまた帝国が襲ってくるかもわからない状況にペルシャは心が落ち着くことはない。
「あぁ。そうだ。しばらくは常駐の守護者を増やして国防を補った方がいい。……ああ。また詳しいことは本部に戻って俺が直接報告する」
ガイルが守護者の本部情報機関へ連絡を終えたのを確認してペルシャは言葉を紡ぐ。
「エデン、ガイル殿! 今回の一件本当に何から何まで世話になって申し訳ない。そして改めて礼を言わせてくれ」
ありがとう、とペルシャは深く頭を下げた。それに合わせて三銃士たちも急いで頭を下げる。
「頭を上げてくださいペルシャ王。我々守護者としても落ち度はあります。今後しばらくは猫の国を『重要守護国』に認定して質の高い守護隊を置くよう私から掛け合っておきます」
柄にもないガイルをまじまじと見つめる花音。
笑えるだろ、とエデンは小声で花音に耳打ちする。
「いえ、意外でした……。ちゃんとできるんだなって」
その言い方もどうかと思うが。
何とかしろというガイルの視線に気付いたエデンはペルシャに言葉をかける。
「気にしないでくれ。まだこの国は助かったわけじゃないんだ。課題は山積みだ。これからが大変だろうけど、また立て直して見せてくれよ」
エデンはペルシャの肩に手をかける。
「この国は君の夢なんだから」
頭を上げるペルシャ。
その目には涙が滲んでいた。
おいおい泣くなよ。
「人間と獣人の壁がない国、楽しみにしてるよ」
「エデン……かたじけないっ」
これ以上続けると本気で泣きそうだ。
エデンは早々に話を切り上げようと続ける。
「三番隊員もぼちぼち到着する頃だ。後の処理は守護者に任せよう。僕は先に帰るとするよ」
「あ? もう行くのか?」
「久しぶりに本気で能力を使ったからね。疲れたよ」
「本気……? お前まさか色が付くほどマナを練ったのか?」
色……。花音は金色の炎のことだと理解した。
「いやもう血を流しすぎて死ぬとこだったんだ、大目に見てくれよ」
ガイルは一瞬花音に目を向けた。
そして少しの間を置いて。
「ちっ、仕方ねえな」
予感はあった。
守りながらの戦いになれば、『永炎』のマナを濃く使う可能性はあるだろうと。
それ故にガイルは深く詰めなかった。
「あ……あの」
か弱い声が間を割いた。
「ごめんなさい! 私が悪いんです! 私のせいでエデンさんはっ」
花音の言葉を止めるように、大きな掌が花音の頭に覆いかぶさった。
「うるせえよ。何も言うな」
え……。
エデンは微笑んでいた。
「ど、どういうことですか!?」
「ガイルは不器用だからね。君が無事で良かった~、心配してたんだから~! って言ってるんだよ」
「んなこと言ってねぇ! ぶっ殺すぞ!」
エデンは花音の手を取って走り出した。
「やべ、怒った。いくぞ花音」
「えっ、ちょっとエデンさん」
あなたが怒らせたんでしょ!
連れ去られる花音の背に、ペルシャの声が届く。
「ありがとう花音! また国が落ち着いたら是非みんなと遊びに来てくれ! いつでも歓迎しよう!」
花音はペルシャの言葉に全力で手を振って応えた。
まだこの世界のことは全然わからないけど。
怖いこともいっぱいあるだろうけど。
楽しいこともきっとある気がした。
少なくとも、そう思わせてくれる人たちがいる。
花音はある思いを胸に誓った。
次会うときはーー。
帰宅してからは特に変わったことはない。
エデンから家のことについて説明を受け、適当にご飯とお風呂を済ませて花音は部屋に戻った。
疲れていたこともあってすぐに眠りについた。
またあの夢だ。
周りは炎に囲まれていて、私はまた泣いている。
温かいけど、胸がとても痛い。
目の前の誰かを見て、私は何か言っている。
「ごめんなさい……わたしのせいで……」
……! はっきりと聞き取れた。
今まではわからなかったのに。
確かに私が発言した。
それにこのセリフは――。
夢から覚めると同時に花音は目を覚ました。
窓から溢れる朝陽を手で遮る。眩しい。
嫌な目覚めだ。体が怠い。
時計を見ると針は八を指していた。
それにしても、と花音は夢の内容を思い出す。
夢の中で自分が放ったセリフ。
それはエデンの金色の炎に包まれていた時のもの。
偶然だろうか。何か関係があるのだろうか。
何とも言えないが少し気にはなった。
「ん……っしょと」
花音は無理やりに体を起こした。
特にやることもないが、二度寝をする理由もない。
どちらでも良かったが、花音はとりあえず起きる選択肢を取った。
窓から外を覗くと、爽やかに木々が葉を揺らしていた。
「森の中……か」
花音は昨日のエデンとの会話を思い出す。
猫の国から帰った後、少しこの家についての説明を受けた。
ここら一帯はある森の空間を丸ごと切り取っている。
エデンが鍵を渡した者以外は誰も見ることも、たどり着くこともできない特別な空間。
移動はあらかじめマーキングをしている場所に、この空間ごと移転する。
猫の国の近くに行けたのも、エデンが過去にマーキングをしていたからだった。
確かそんな感じのことを言っていた。
難しくて理解に苦しんだけど、だいたいそんな感じだ。
マナがどうこう言っていたけど、正直マナ自体をよくわかっていないからさっぱりだった。
花音は部屋を出て階段をゆっくり降りる。
そこから応接間のソファーでエデンが寝ているのが確認できた。
こんなところで寝てたんだ。
自分の部屋はないのかな。
それとも疲れてそのまま寝ちゃったのかな。
花音はなるべく音を立てないよう意識しながら洗面所へと向かい、顔を洗う。
しかし本当に異世界へきたのかと疑うほど、元の世界と酷似している。
ブラシやドライヤーのような物まである。
おかげで生活スタイルに全く支障はないが、頭が混乱しそうだ。
異世界ってこんなものなんだろうか。
花音は昨日渡された歯ブラシを手に取ろうとして、横に並ぶエデンの歯ブラシが視界に入った。
あれ……。
花音は赤面した。
私、男の人と一つ屋根の下で一緒に寝たの!?
いや、部屋は別々なんだけど、それでも……!
一緒に、という言葉に語弊はあるが、元の世界で男性とのお付き合いが無いに等しかった花音にとってこれは大事件であった。
昨日はそんなこと意識すらしてなかった。
恐らく考える余裕がなかったのだろう。
状況的に仕方ないにしろ、付き合ってないどころか、知り合ってすぐの男性とお泊まりを経験したという事実は花音の頭に強く刻まれた。
だめ! 意識しちゃだめ! そういうことじゃないの、違う、これは違う! そう、これはノーカウント!
いやでも、それを言うなら昨日は抱き合っ……!!
花音は邪念を振り払うように歯磨きに没頭した。
何も考えない。歯磨きに全神経を集中させる。
ふと鏡の中の自分と目が合う。
私……変じゃないよね?
花音は寝癖を直すように手で軽く髪をとかす。
はっ! そんなのいいの! 意識しちゃだめ!
花音は急いで歯磨きを終え、洗面所を出る。
そうだ、コーヒー! コーヒーを飲もう!
花音は昨日エデンにコーヒーの入れ方を教えてもらったことを思い出し、キッチンへと向かう。
食器棚からカップを取り出し、豆を少量入れ、給湯器のボタンを押して出来上がり。実に簡単であった。
花音はソファーで寝ているエデンを覗く。
寝てるかの確認だけ! 意識してるわけじゃないから!
ゆっくり、起こさないように、花音は応接間のソファーを目指して進む。心なしか手が震えてるように見えた。
大丈夫、大丈夫、大丈夫!
花音はコーヒーを運ぶことに意識を集中させた。
その時、玄関のドアベルがひとりでに鳴り響いた。
「きゃっ!!」
しまった! これも昨日説明された。
鍵を持った人がこの空間に立ち入ると知らせるベル。
わかっていたのに!
意識を研ぎ澄ませていた花音は突然のその音で体を敏感に反応させてしまった。その勢いで手に持っていたコーヒーは宙を舞う。
熱々のコーヒーは重力に従って、誘われるようにエデンの顔に。
「おーい、エデンいるかー?」
またドアを蹴飛ばしてガイルが派手に入場する。
「うおおおおおおおおおおおおお!!!」
そんなことも気にならないくらいの叫びが部屋を響き渡る。
「いやー! ごめんなさいー!」
「なんだ、朝から元気だな。何か良いことでもあったか?」
ガイルの登場を他所に、部屋は賑わっていた――。
「テロだ」
エデンはタオルで顔を拭きながら言う。
その隣で花音は手を合わせて何度も謝罪をしていた。
「ははは! お前何かしたんじゃねーの!?」
エデンの災難をガイルは腹を抱えて笑っていた。
「全く身に覚えがない。花音、僕は君に何をした?」
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」
花音は機械のようにこの繰り返しであった。
「ところでガイル、何しにきた? 用が無いなら帰れ」
「いや俺に当たってんじゃねーよ」
ガイルにまで流れ弾がいき、花音はおろおろしていた。
あまりいじめると可哀想なのでここら辺にしよう。
「冗談だよ。それよりみんなの分のコーヒーをまた入れてきてくれ」
はい、と花音は頼りない返事をする。
「で、猫の国は大丈夫なのか?」
花音を見送り、エデンは話を切り出す。
「ああ。しばらくは三番から五番隊の隊員を各数人ずつローテーションで常駐させることになった。些細なことでも報告するように言い聞かせてある。帝国には警告も兼ねて今回の一件を審議するために一番隊が派遣される」
「なるほど……まあいいんじゃないかな」
しかし、とガイル。
「帝国が何を考えているのか全くわからねえ。守護者を敵に回すような行為だぜ? 戦争でも起こすつもりかよ」
確かに。戦争を起こすかどうかはわからないが、いくら獣人国家とは言えそこまで馬鹿ではないだろう。
「あ、あの……」
話を聞いていたのか、コーヒー担当が割って入る。
「ずっと聞きたかったんですけど、帝国? て何なのでしょうか」
口を開こうとするガイルをエデンは手で制して言う。
「この世界には猫の国の他に獣人の国がたくさんある。それら全てを束ねるのが『獣王』と呼ばれる獣人が支配する帝国だ。猫の国もその帝国に属していた」
まあ正確には属さなければいけない、だけど。
獣王は武闘派だ。帝国の誘いを蹴っていればもっと早くに猫の国は滅んでいただろう。
花音は慎重にコーヒーを三人分持ってきて、エデンとガイルに配り、席についた。
「その帝国に属していたのに、どうして猫の国は帝国に攻められなきゃいけなかったんですか?」
ガイルは欠伸をしている。説明は全てエデンに任せるという意志だろうか。
「だね、それがわからないんだよ。帝国に属しているからといって、仲が良い訳ではないんだ。少なくともペルシャの思想は帝国にとって理解し難いものがある。獣王がそれを気に食わなかったのもあるかもしれない」
だからといって、国を落とすまではいかないだろうが。
「まあその事実確認もあって、一番隊が派遣されるみたいだ。君は何も心配することはないよ」
エデンはコーヒーを手に取って口につける。
花音は納得したようなしてないような顔をしていた。
そもそもエデンの話を全く理解してないまである。
ガイルもコーヒーを鷲掴み、一気に口の中へ流し込んだ。
こいつに味わうという感覚は恐らくない。
「あ、あの! それともう一つ……」
花音は意を決したように口を開いた。
「私……、守護者になりたいです!」
エデンとガイルの口から噴水のようにコーヒーが吹き出された。
「え? 私変なこと言いました!?」
なんて恐ろしい女だ。天然か?
意味がわかって言っているのか?
いや、絶対にわかっていない。
「おい女、聞かなかったことにしてやる。もう寝ろ」
「なんでですか! 今起きたばかりです!」
「そ、そうだ、今日のランチ、どこ行こっか?」
「話を逸らさないでくださいよ!」
エデンとガイルの言葉に一歩も引かない花音。
少しの沈黙が生まれた。
「で? 何だっけ。ガーデニングがしたいって? 僕植物はあんまり詳しくないんだけど」
「ガーディアン! 私守護者になりたいんです!」
ガイルの大きなため息が部屋に響き渡った。
「ダメだ、エデン。この女マジで言ってるぜ」
ガイルの言葉に観念したのか、エデンも惚けるのをやめた。
「急すぎるだろ。どういう心情の変化なんだ」
エデンは天井を仰ぎ見て顔に手を当てる。
「私、猫の国でわかったんです」
花音は続ける。
「私があまりにも無力だってこと。目の前で誰かが傷つくのを何もできずに見ているだけなんて、もう嫌なんです。それに、この世界でこれから生きていくならエデンさんやガイルさんにも迷惑をかけ続けるのも嫌なんです。ずっと足手まといじゃ――」
「ダメだ。危険すぎる」
その声はガイルではなく、隣にいるエデンだった。
「簡単に守れるもんじゃないんだよ。どれだけ力があっても何もできず、目の前で大切なものを失うことはあるんだ」
エデンは天井を仰ぎ、手で顔を隠したまま答えた。
花音を見ることはない。見て言えないのだ。
この言葉は、自分自身に言い聞かせていた。
ガイルは何も言わず、ただ花音を見ていた。
花音も反対されるだろうとは思っていた。
だがそれはエデンにではなかった。
むしろ自分の理解者だと思っていた。
だがそれでも花音は折れることはない。
「それでも……、例え一人でも守れる力があればいいじゃないですか。何もできないより、最低限自分を守る力だけでも!」
「いいじゃねえかエデン」
エデンが答えるより先にガイルが口を開いた。
「何も戦うだけが守護者じゃねえ。マナさえ使えれば、役に立てる」
エデンは手を退け、顔を見せた。
「まあ、そうだけど……」
「決まりですね!」
勝手に決められた。
「そんなに心配ならお前もガラルに来ればいいじゃねえか」
「絶対嫌だ」
だろうな、とガイルは笑う。
「ガラル?」
花音の問いにガイルが答える。
「国の名前だ。そこに守護者の本部がある。ガラルは本部直属の都市なだけあって人口の九割を人間が占める。それだけ安心して暮らせるってことだ」
なるほど、と花音は理解した。
「そんな安心なところなのにどうしてエデンさんは来ないんですか?」
「……」
花音の質問にエデンは言葉を詰まらせた。
それを見たガイルは笑いながら代わって答える。
「エデンは元守護者だ。訳あって今はここにいるんだが、まあ深くは聞かないでやれ」
「え……あ、はい」
何か嫌なことがあって辞めたのか。だから本部があるガラルには行きたくないということなのか、と花音は理解した。
花音の目にはエデンが拗ねているように見えた。
そんなに私が守護者になるのが嫌なのかな。
「そんな顔するなエデン。何かあったらお前が守ってやりゃいい話だろ」
何で一番に反対しそうな奴が今回に限ってそんなノリノリなんだよ。
エデンは残りのコーヒーを一気に飲み干した。
「わかったよ……」
エデンはただ心配だった。
こんなか弱い女の子が戦場に立てるとは到底思えない。
「そうと決まりゃ、女! 今から行くか」
「え!? いいんですか! ありがとうございます!」
え? まじで? 早すぎるだろ。
「ちょ、もう行くのか?」
承諾はしたが、今から行くのは聞いてない。
エデンは心の準備ができていなかった。
「可愛い娘には旅をさせてやれってことだ」
可愛い娘じゃなくてか弱い娘だろ。
花音は両手の拳をしっかり握って、頑張りますとアピールをしていた。
エデンは大きなため息をついて、花音を手招きする。
「?」
エデンは花音の右手をそっと両手で包み込んだ。
「えっ……」
「お守り」
エデンが手を離すと、花音の右手の中指には指輪がはめてあった。
「あっ、ありがとうございます……」
ちょっとドキッてした。
いや、深い意味はない! 大丈夫!
ガイルは鼻で笑って。
「何がお守りだ。それはこの家の鍵だ」
ほら、とガイルは首元を見せてきた。
何か首に掛けてあると思っていたそれはよく見ると確かに指輪が飾られていた。
「それにマナを込めるとこの空間へ転送される」
エデンは指輪の説明をする。
え? マナを込めるって……。
「つまりマナが使えるようになるまで帰れないってことだな」
ガイルは笑う。
「え!? ちょっ……え!?」
いきなり試練を与えられて戸惑う花音を意に介さずガイルは呼びかける。
「行くぞ女、もたもたしてたら置いていくからな」
ガイルは玄関の扉へ向かう。
「え、待ってくださいよ! ……え、と、エデンさん、行ってきます!」
手を振り、ガイルを追いかける花音。
エデンも手を振り返して見送った。笑顔を作って。
扉が閉まる。
エデンは笑顔をやめてまたため息をついた。
「こんなの……カレンの時と同じじゃないか」
エデンは目を閉じた。
――十年前の記憶を少し旅行する。
人間界から転移をして、守護者となった女性。
花音と重ねるのはよくないと頭ではわかっていても、やはり思い出してしまう。
でも、重ねてはいけない……。
結末も、同じになるとは限らないが。
重ねてしまうと、同じになりそうで怖かった。
「あー、くそ!」
エデンは頭を掻きむしる。
声は虚しく響いた。
「なんか、寂しいぞ」
本当に急すぎた。
さっきまで賑やかだったこの場所に突然として現れた静寂。
あれ、一人ってこんな気持ちだったか?
花音が来る前の僕はどう過ごしていた?
「わからない……本でも読もうか」
いや、この家にある本はだいたい読んでいる。
「あ……そうだ。メモ……」
エデンはふと思い出した。
最初に花音がここへ転移して来たときに記させた、元の世界の記憶。
思い立つと早く、エデンは階段を駆け上がり、花音の部屋の前まで来た。
「まあ、元々は僕が使っていた部屋なんだけど」
客人用の部屋といって花音には紹介したが、そんなものはない。自分が寝室に使っていた部屋を花音に差し上げたのだ。
エデンは部屋のドアを開け、中へ入る。
ほんの少しの間入っていなかっただけなのに、部屋へ入ると花音の匂いがした。気がする。
「えーと、メモメモ……」
机の上を見るがない。引き出しにでもしまったかと、エデンは開けて見た。
「お、あったあった」
エデンはそのメモを興味深々に取り出した。
何が書いてあるのだろう。
この世界に来るまでの直近の記憶はないと言っていた。
恐らく転移の理由に繋がることは書かれてはいないと思うが。
「なんだこれ」
お爺ちゃんとお婆ちゃんとお姉ちゃんと暮らしてた。
学校に行って、友達と遊んで――。
「漠然としたメモだな……」
確かにいきなり元の世界の記憶を記せと言われてもこの程度のものしか書けないのかもしれない。
特に残しておきたいという記憶はないのかもしれない。
「ん?」
エデンは漠然としたメモの中に、所々奇妙な文を見つけた。
名前も知らないお兄さん。
お兄さんが遊んでくれた。
お兄さんとたくさん喋った。
お兄さんはよく、ある女の人の話をしてた。
「誰だよこれ」
どうでもいい記憶の合間に割り込んでくるお兄さん。
名前も知らないのによく会っていたのか?
そしてエデンは最後の一行に目を通す。
お姉ちゃんに、会いたい。
「どういうことだ?」
お姉さんと住んでいたんじゃないのか?
そもそも時系列もわからない。
いつの記憶をどこに書いているのか。
エデンはそっとメモを閉まった。
「全くわからん」
また花音に聞くか。
いや待てよ、勝手に部屋に入ったと知られて何か嫌だな。
いやというかここ僕の部屋だし。
「……」
寂しいぞ。
「やっぱり行こうかな、ガラル」
退屈が過ぎる。
遠い遠い渓谷の波を抜けた奥にそれはある。
巨大な岩に掘られた大きな洞窟。
中から聞こえる大きな音は岩を震わせ、大地を震わせ、山を震わせていた。
「はぁ……はぁ……はぁ」
洞窟の奥で飢えた獣のようにそれは荒い息を立てていた。
「はぁ……サーベルか……」
洞窟に響き渡る足音で、虎の帰還を察した。
「はい、ただいま戻りました」
サーベルと呼ばれた虎の被り物をした男は跪いて答える。
「実を言うと一時間ほど前には帰っていましたが、獣王様が発声練習をしていたため、終わるまで外で待っていました」
「ガッハッハ、それはすまなかったぁ」
で、と獣王は虎の続きの言葉を待つ。
「はい、フライアの国営はやはり失敗に終わりました」
虎は淡々と言葉を告げる。
「ああ、そうだろうなぁ。あいつにその器はない。初めからわかっていたことだ」
獣王はサーベルの腹に視線を落とす。
「おぉ? なんだぁ? お前ほどの体が傷を負うとは。一体どこのどいつに一撃くれてやったぁ?」
「隠しているつもりでしたが、やはりわかりますか」
「ったり前だぁ、振動が違うんだよ振動がぁ」
さすがです、とサーベルは腹をさすりながら続ける。
「守護者の三番隊長、鬼のガイルです。少し過信が過ぎました。お恥ずかしい限りです」
「ガッハッハッハッハ!!」
獣王の笑いは洞窟を大きく揺るがした。
「三番でお前にダメージを負わせるかぁ。おもしれーじゃねえかジジイんとこの兵隊はよぉ」
「そのことですが獣王様。フライアの馬鹿が守護者に手を出したことにより、我々の動きもバレたかと。近いうちに本部から警告文が――」
「あぁー、何か来てたなぁ。もう燃やしたが」
ガハハと獣王は続ける。
「明日あたりに一番隊が到着するから会談の席を設けろとよぉ、クソ生意気がぁ。軽く蹴散らしといてやらぁ」
「しかし獣王様、一番隊にまで手を出せばそれこそ守護者との全面戦争になり兼ねません」
「冗談に決まってんだろぉ、半分な。で? 報告は終わりかぁ?」
この方ならやり兼ねない、とサーベルは危惧していた。
「最後に。金色の炎をご存知ですか?」
「あぁ~??」
獣王は少し考える素振りを見せる。
「なんかぁどこかの昔話にそんなこと書いてあったなぁ」
「何者かは存じ上げませんが、フライアを倒した者はそやつです。私も初めて見る能力で、目を奪われました」
サーベルは獣王の目を見て、続ける。
「再生の能力です」
「!?」
再び獣王の豪快な笑いが洞窟を震わした。
「おもしれぇなぁ! おもしれぇじゃないかぁ! 御伽話でも何でもねえ! やはり存在したかその力はぁぁ!!」
さすがのサーベルも獣王を前にしてその音の暴力は耳を塞ぐ。
「おぃぃ! サーベルぅぅ!」
耳を塞ぐサーベルを獣王は力強く呼びかける。
「その能力、確かなものか引き続き調べてこいやぁ! 可能なら力づくでも連れてこい」
「はっ! 承知しました」
「もう人さらいなんてやる必要はねぇ、そいつを徹底的に炙り出せぇ!」
獣王の笑い声は洞窟を抜け、大地を揺るがした。
フライアによる悪政で出た犠牲者は少なくはない。
更に崩れた国の行政機関を建て直さないことには国の運営もままならない。壊れた王城の改修工事も必要だ。壊したのは主にガイルだが。
そしていつまた帝国が襲ってくるかもわからない状況にペルシャは心が落ち着くことはない。
「あぁ。そうだ。しばらくは常駐の守護者を増やして国防を補った方がいい。……ああ。また詳しいことは本部に戻って俺が直接報告する」
ガイルが守護者の本部情報機関へ連絡を終えたのを確認してペルシャは言葉を紡ぐ。
「エデン、ガイル殿! 今回の一件本当に何から何まで世話になって申し訳ない。そして改めて礼を言わせてくれ」
ありがとう、とペルシャは深く頭を下げた。それに合わせて三銃士たちも急いで頭を下げる。
「頭を上げてくださいペルシャ王。我々守護者としても落ち度はあります。今後しばらくは猫の国を『重要守護国』に認定して質の高い守護隊を置くよう私から掛け合っておきます」
柄にもないガイルをまじまじと見つめる花音。
笑えるだろ、とエデンは小声で花音に耳打ちする。
「いえ、意外でした……。ちゃんとできるんだなって」
その言い方もどうかと思うが。
何とかしろというガイルの視線に気付いたエデンはペルシャに言葉をかける。
「気にしないでくれ。まだこの国は助かったわけじゃないんだ。課題は山積みだ。これからが大変だろうけど、また立て直して見せてくれよ」
エデンはペルシャの肩に手をかける。
「この国は君の夢なんだから」
頭を上げるペルシャ。
その目には涙が滲んでいた。
おいおい泣くなよ。
「人間と獣人の壁がない国、楽しみにしてるよ」
「エデン……かたじけないっ」
これ以上続けると本気で泣きそうだ。
エデンは早々に話を切り上げようと続ける。
「三番隊員もぼちぼち到着する頃だ。後の処理は守護者に任せよう。僕は先に帰るとするよ」
「あ? もう行くのか?」
「久しぶりに本気で能力を使ったからね。疲れたよ」
「本気……? お前まさか色が付くほどマナを練ったのか?」
色……。花音は金色の炎のことだと理解した。
「いやもう血を流しすぎて死ぬとこだったんだ、大目に見てくれよ」
ガイルは一瞬花音に目を向けた。
そして少しの間を置いて。
「ちっ、仕方ねえな」
予感はあった。
守りながらの戦いになれば、『永炎』のマナを濃く使う可能性はあるだろうと。
それ故にガイルは深く詰めなかった。
「あ……あの」
か弱い声が間を割いた。
「ごめんなさい! 私が悪いんです! 私のせいでエデンさんはっ」
花音の言葉を止めるように、大きな掌が花音の頭に覆いかぶさった。
「うるせえよ。何も言うな」
え……。
エデンは微笑んでいた。
「ど、どういうことですか!?」
「ガイルは不器用だからね。君が無事で良かった~、心配してたんだから~! って言ってるんだよ」
「んなこと言ってねぇ! ぶっ殺すぞ!」
エデンは花音の手を取って走り出した。
「やべ、怒った。いくぞ花音」
「えっ、ちょっとエデンさん」
あなたが怒らせたんでしょ!
連れ去られる花音の背に、ペルシャの声が届く。
「ありがとう花音! また国が落ち着いたら是非みんなと遊びに来てくれ! いつでも歓迎しよう!」
花音はペルシャの言葉に全力で手を振って応えた。
まだこの世界のことは全然わからないけど。
怖いこともいっぱいあるだろうけど。
楽しいこともきっとある気がした。
少なくとも、そう思わせてくれる人たちがいる。
花音はある思いを胸に誓った。
次会うときはーー。
帰宅してからは特に変わったことはない。
エデンから家のことについて説明を受け、適当にご飯とお風呂を済ませて花音は部屋に戻った。
疲れていたこともあってすぐに眠りについた。
またあの夢だ。
周りは炎に囲まれていて、私はまた泣いている。
温かいけど、胸がとても痛い。
目の前の誰かを見て、私は何か言っている。
「ごめんなさい……わたしのせいで……」
……! はっきりと聞き取れた。
今まではわからなかったのに。
確かに私が発言した。
それにこのセリフは――。
夢から覚めると同時に花音は目を覚ました。
窓から溢れる朝陽を手で遮る。眩しい。
嫌な目覚めだ。体が怠い。
時計を見ると針は八を指していた。
それにしても、と花音は夢の内容を思い出す。
夢の中で自分が放ったセリフ。
それはエデンの金色の炎に包まれていた時のもの。
偶然だろうか。何か関係があるのだろうか。
何とも言えないが少し気にはなった。
「ん……っしょと」
花音は無理やりに体を起こした。
特にやることもないが、二度寝をする理由もない。
どちらでも良かったが、花音はとりあえず起きる選択肢を取った。
窓から外を覗くと、爽やかに木々が葉を揺らしていた。
「森の中……か」
花音は昨日のエデンとの会話を思い出す。
猫の国から帰った後、少しこの家についての説明を受けた。
ここら一帯はある森の空間を丸ごと切り取っている。
エデンが鍵を渡した者以外は誰も見ることも、たどり着くこともできない特別な空間。
移動はあらかじめマーキングをしている場所に、この空間ごと移転する。
猫の国の近くに行けたのも、エデンが過去にマーキングをしていたからだった。
確かそんな感じのことを言っていた。
難しくて理解に苦しんだけど、だいたいそんな感じだ。
マナがどうこう言っていたけど、正直マナ自体をよくわかっていないからさっぱりだった。
花音は部屋を出て階段をゆっくり降りる。
そこから応接間のソファーでエデンが寝ているのが確認できた。
こんなところで寝てたんだ。
自分の部屋はないのかな。
それとも疲れてそのまま寝ちゃったのかな。
花音はなるべく音を立てないよう意識しながら洗面所へと向かい、顔を洗う。
しかし本当に異世界へきたのかと疑うほど、元の世界と酷似している。
ブラシやドライヤーのような物まである。
おかげで生活スタイルに全く支障はないが、頭が混乱しそうだ。
異世界ってこんなものなんだろうか。
花音は昨日渡された歯ブラシを手に取ろうとして、横に並ぶエデンの歯ブラシが視界に入った。
あれ……。
花音は赤面した。
私、男の人と一つ屋根の下で一緒に寝たの!?
いや、部屋は別々なんだけど、それでも……!
一緒に、という言葉に語弊はあるが、元の世界で男性とのお付き合いが無いに等しかった花音にとってこれは大事件であった。
昨日はそんなこと意識すらしてなかった。
恐らく考える余裕がなかったのだろう。
状況的に仕方ないにしろ、付き合ってないどころか、知り合ってすぐの男性とお泊まりを経験したという事実は花音の頭に強く刻まれた。
だめ! 意識しちゃだめ! そういうことじゃないの、違う、これは違う! そう、これはノーカウント!
いやでも、それを言うなら昨日は抱き合っ……!!
花音は邪念を振り払うように歯磨きに没頭した。
何も考えない。歯磨きに全神経を集中させる。
ふと鏡の中の自分と目が合う。
私……変じゃないよね?
花音は寝癖を直すように手で軽く髪をとかす。
はっ! そんなのいいの! 意識しちゃだめ!
花音は急いで歯磨きを終え、洗面所を出る。
そうだ、コーヒー! コーヒーを飲もう!
花音は昨日エデンにコーヒーの入れ方を教えてもらったことを思い出し、キッチンへと向かう。
食器棚からカップを取り出し、豆を少量入れ、給湯器のボタンを押して出来上がり。実に簡単であった。
花音はソファーで寝ているエデンを覗く。
寝てるかの確認だけ! 意識してるわけじゃないから!
ゆっくり、起こさないように、花音は応接間のソファーを目指して進む。心なしか手が震えてるように見えた。
大丈夫、大丈夫、大丈夫!
花音はコーヒーを運ぶことに意識を集中させた。
その時、玄関のドアベルがひとりでに鳴り響いた。
「きゃっ!!」
しまった! これも昨日説明された。
鍵を持った人がこの空間に立ち入ると知らせるベル。
わかっていたのに!
意識を研ぎ澄ませていた花音は突然のその音で体を敏感に反応させてしまった。その勢いで手に持っていたコーヒーは宙を舞う。
熱々のコーヒーは重力に従って、誘われるようにエデンの顔に。
「おーい、エデンいるかー?」
またドアを蹴飛ばしてガイルが派手に入場する。
「うおおおおおおおおおおおおお!!!」
そんなことも気にならないくらいの叫びが部屋を響き渡る。
「いやー! ごめんなさいー!」
「なんだ、朝から元気だな。何か良いことでもあったか?」
ガイルの登場を他所に、部屋は賑わっていた――。
「テロだ」
エデンはタオルで顔を拭きながら言う。
その隣で花音は手を合わせて何度も謝罪をしていた。
「ははは! お前何かしたんじゃねーの!?」
エデンの災難をガイルは腹を抱えて笑っていた。
「全く身に覚えがない。花音、僕は君に何をした?」
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」
花音は機械のようにこの繰り返しであった。
「ところでガイル、何しにきた? 用が無いなら帰れ」
「いや俺に当たってんじゃねーよ」
ガイルにまで流れ弾がいき、花音はおろおろしていた。
あまりいじめると可哀想なのでここら辺にしよう。
「冗談だよ。それよりみんなの分のコーヒーをまた入れてきてくれ」
はい、と花音は頼りない返事をする。
「で、猫の国は大丈夫なのか?」
花音を見送り、エデンは話を切り出す。
「ああ。しばらくは三番から五番隊の隊員を各数人ずつローテーションで常駐させることになった。些細なことでも報告するように言い聞かせてある。帝国には警告も兼ねて今回の一件を審議するために一番隊が派遣される」
「なるほど……まあいいんじゃないかな」
しかし、とガイル。
「帝国が何を考えているのか全くわからねえ。守護者を敵に回すような行為だぜ? 戦争でも起こすつもりかよ」
確かに。戦争を起こすかどうかはわからないが、いくら獣人国家とは言えそこまで馬鹿ではないだろう。
「あ、あの……」
話を聞いていたのか、コーヒー担当が割って入る。
「ずっと聞きたかったんですけど、帝国? て何なのでしょうか」
口を開こうとするガイルをエデンは手で制して言う。
「この世界には猫の国の他に獣人の国がたくさんある。それら全てを束ねるのが『獣王』と呼ばれる獣人が支配する帝国だ。猫の国もその帝国に属していた」
まあ正確には属さなければいけない、だけど。
獣王は武闘派だ。帝国の誘いを蹴っていればもっと早くに猫の国は滅んでいただろう。
花音は慎重にコーヒーを三人分持ってきて、エデンとガイルに配り、席についた。
「その帝国に属していたのに、どうして猫の国は帝国に攻められなきゃいけなかったんですか?」
ガイルは欠伸をしている。説明は全てエデンに任せるという意志だろうか。
「だね、それがわからないんだよ。帝国に属しているからといって、仲が良い訳ではないんだ。少なくともペルシャの思想は帝国にとって理解し難いものがある。獣王がそれを気に食わなかったのもあるかもしれない」
だからといって、国を落とすまではいかないだろうが。
「まあその事実確認もあって、一番隊が派遣されるみたいだ。君は何も心配することはないよ」
エデンはコーヒーを手に取って口につける。
花音は納得したようなしてないような顔をしていた。
そもそもエデンの話を全く理解してないまである。
ガイルもコーヒーを鷲掴み、一気に口の中へ流し込んだ。
こいつに味わうという感覚は恐らくない。
「あ、あの! それともう一つ……」
花音は意を決したように口を開いた。
「私……、守護者になりたいです!」
エデンとガイルの口から噴水のようにコーヒーが吹き出された。
「え? 私変なこと言いました!?」
なんて恐ろしい女だ。天然か?
意味がわかって言っているのか?
いや、絶対にわかっていない。
「おい女、聞かなかったことにしてやる。もう寝ろ」
「なんでですか! 今起きたばかりです!」
「そ、そうだ、今日のランチ、どこ行こっか?」
「話を逸らさないでくださいよ!」
エデンとガイルの言葉に一歩も引かない花音。
少しの沈黙が生まれた。
「で? 何だっけ。ガーデニングがしたいって? 僕植物はあんまり詳しくないんだけど」
「ガーディアン! 私守護者になりたいんです!」
ガイルの大きなため息が部屋に響き渡った。
「ダメだ、エデン。この女マジで言ってるぜ」
ガイルの言葉に観念したのか、エデンも惚けるのをやめた。
「急すぎるだろ。どういう心情の変化なんだ」
エデンは天井を仰ぎ見て顔に手を当てる。
「私、猫の国でわかったんです」
花音は続ける。
「私があまりにも無力だってこと。目の前で誰かが傷つくのを何もできずに見ているだけなんて、もう嫌なんです。それに、この世界でこれから生きていくならエデンさんやガイルさんにも迷惑をかけ続けるのも嫌なんです。ずっと足手まといじゃ――」
「ダメだ。危険すぎる」
その声はガイルではなく、隣にいるエデンだった。
「簡単に守れるもんじゃないんだよ。どれだけ力があっても何もできず、目の前で大切なものを失うことはあるんだ」
エデンは天井を仰ぎ、手で顔を隠したまま答えた。
花音を見ることはない。見て言えないのだ。
この言葉は、自分自身に言い聞かせていた。
ガイルは何も言わず、ただ花音を見ていた。
花音も反対されるだろうとは思っていた。
だがそれはエデンにではなかった。
むしろ自分の理解者だと思っていた。
だがそれでも花音は折れることはない。
「それでも……、例え一人でも守れる力があればいいじゃないですか。何もできないより、最低限自分を守る力だけでも!」
「いいじゃねえかエデン」
エデンが答えるより先にガイルが口を開いた。
「何も戦うだけが守護者じゃねえ。マナさえ使えれば、役に立てる」
エデンは手を退け、顔を見せた。
「まあ、そうだけど……」
「決まりですね!」
勝手に決められた。
「そんなに心配ならお前もガラルに来ればいいじゃねえか」
「絶対嫌だ」
だろうな、とガイルは笑う。
「ガラル?」
花音の問いにガイルが答える。
「国の名前だ。そこに守護者の本部がある。ガラルは本部直属の都市なだけあって人口の九割を人間が占める。それだけ安心して暮らせるってことだ」
なるほど、と花音は理解した。
「そんな安心なところなのにどうしてエデンさんは来ないんですか?」
「……」
花音の質問にエデンは言葉を詰まらせた。
それを見たガイルは笑いながら代わって答える。
「エデンは元守護者だ。訳あって今はここにいるんだが、まあ深くは聞かないでやれ」
「え……あ、はい」
何か嫌なことがあって辞めたのか。だから本部があるガラルには行きたくないということなのか、と花音は理解した。
花音の目にはエデンが拗ねているように見えた。
そんなに私が守護者になるのが嫌なのかな。
「そんな顔するなエデン。何かあったらお前が守ってやりゃいい話だろ」
何で一番に反対しそうな奴が今回に限ってそんなノリノリなんだよ。
エデンは残りのコーヒーを一気に飲み干した。
「わかったよ……」
エデンはただ心配だった。
こんなか弱い女の子が戦場に立てるとは到底思えない。
「そうと決まりゃ、女! 今から行くか」
「え!? いいんですか! ありがとうございます!」
え? まじで? 早すぎるだろ。
「ちょ、もう行くのか?」
承諾はしたが、今から行くのは聞いてない。
エデンは心の準備ができていなかった。
「可愛い娘には旅をさせてやれってことだ」
可愛い娘じゃなくてか弱い娘だろ。
花音は両手の拳をしっかり握って、頑張りますとアピールをしていた。
エデンは大きなため息をついて、花音を手招きする。
「?」
エデンは花音の右手をそっと両手で包み込んだ。
「えっ……」
「お守り」
エデンが手を離すと、花音の右手の中指には指輪がはめてあった。
「あっ、ありがとうございます……」
ちょっとドキッてした。
いや、深い意味はない! 大丈夫!
ガイルは鼻で笑って。
「何がお守りだ。それはこの家の鍵だ」
ほら、とガイルは首元を見せてきた。
何か首に掛けてあると思っていたそれはよく見ると確かに指輪が飾られていた。
「それにマナを込めるとこの空間へ転送される」
エデンは指輪の説明をする。
え? マナを込めるって……。
「つまりマナが使えるようになるまで帰れないってことだな」
ガイルは笑う。
「え!? ちょっ……え!?」
いきなり試練を与えられて戸惑う花音を意に介さずガイルは呼びかける。
「行くぞ女、もたもたしてたら置いていくからな」
ガイルは玄関の扉へ向かう。
「え、待ってくださいよ! ……え、と、エデンさん、行ってきます!」
手を振り、ガイルを追いかける花音。
エデンも手を振り返して見送った。笑顔を作って。
扉が閉まる。
エデンは笑顔をやめてまたため息をついた。
「こんなの……カレンの時と同じじゃないか」
エデンは目を閉じた。
――十年前の記憶を少し旅行する。
人間界から転移をして、守護者となった女性。
花音と重ねるのはよくないと頭ではわかっていても、やはり思い出してしまう。
でも、重ねてはいけない……。
結末も、同じになるとは限らないが。
重ねてしまうと、同じになりそうで怖かった。
「あー、くそ!」
エデンは頭を掻きむしる。
声は虚しく響いた。
「なんか、寂しいぞ」
本当に急すぎた。
さっきまで賑やかだったこの場所に突然として現れた静寂。
あれ、一人ってこんな気持ちだったか?
花音が来る前の僕はどう過ごしていた?
「わからない……本でも読もうか」
いや、この家にある本はだいたい読んでいる。
「あ……そうだ。メモ……」
エデンはふと思い出した。
最初に花音がここへ転移して来たときに記させた、元の世界の記憶。
思い立つと早く、エデンは階段を駆け上がり、花音の部屋の前まで来た。
「まあ、元々は僕が使っていた部屋なんだけど」
客人用の部屋といって花音には紹介したが、そんなものはない。自分が寝室に使っていた部屋を花音に差し上げたのだ。
エデンは部屋のドアを開け、中へ入る。
ほんの少しの間入っていなかっただけなのに、部屋へ入ると花音の匂いがした。気がする。
「えーと、メモメモ……」
机の上を見るがない。引き出しにでもしまったかと、エデンは開けて見た。
「お、あったあった」
エデンはそのメモを興味深々に取り出した。
何が書いてあるのだろう。
この世界に来るまでの直近の記憶はないと言っていた。
恐らく転移の理由に繋がることは書かれてはいないと思うが。
「なんだこれ」
お爺ちゃんとお婆ちゃんとお姉ちゃんと暮らしてた。
学校に行って、友達と遊んで――。
「漠然としたメモだな……」
確かにいきなり元の世界の記憶を記せと言われてもこの程度のものしか書けないのかもしれない。
特に残しておきたいという記憶はないのかもしれない。
「ん?」
エデンは漠然としたメモの中に、所々奇妙な文を見つけた。
名前も知らないお兄さん。
お兄さんが遊んでくれた。
お兄さんとたくさん喋った。
お兄さんはよく、ある女の人の話をしてた。
「誰だよこれ」
どうでもいい記憶の合間に割り込んでくるお兄さん。
名前も知らないのによく会っていたのか?
そしてエデンは最後の一行に目を通す。
お姉ちゃんに、会いたい。
「どういうことだ?」
お姉さんと住んでいたんじゃないのか?
そもそも時系列もわからない。
いつの記憶をどこに書いているのか。
エデンはそっとメモを閉まった。
「全くわからん」
また花音に聞くか。
いや待てよ、勝手に部屋に入ったと知られて何か嫌だな。
いやというかここ僕の部屋だし。
「……」
寂しいぞ。
「やっぱり行こうかな、ガラル」
退屈が過ぎる。
遠い遠い渓谷の波を抜けた奥にそれはある。
巨大な岩に掘られた大きな洞窟。
中から聞こえる大きな音は岩を震わせ、大地を震わせ、山を震わせていた。
「はぁ……はぁ……はぁ」
洞窟の奥で飢えた獣のようにそれは荒い息を立てていた。
「はぁ……サーベルか……」
洞窟に響き渡る足音で、虎の帰還を察した。
「はい、ただいま戻りました」
サーベルと呼ばれた虎の被り物をした男は跪いて答える。
「実を言うと一時間ほど前には帰っていましたが、獣王様が発声練習をしていたため、終わるまで外で待っていました」
「ガッハッハ、それはすまなかったぁ」
で、と獣王は虎の続きの言葉を待つ。
「はい、フライアの国営はやはり失敗に終わりました」
虎は淡々と言葉を告げる。
「ああ、そうだろうなぁ。あいつにその器はない。初めからわかっていたことだ」
獣王はサーベルの腹に視線を落とす。
「おぉ? なんだぁ? お前ほどの体が傷を負うとは。一体どこのどいつに一撃くれてやったぁ?」
「隠しているつもりでしたが、やはりわかりますか」
「ったり前だぁ、振動が違うんだよ振動がぁ」
さすがです、とサーベルは腹をさすりながら続ける。
「守護者の三番隊長、鬼のガイルです。少し過信が過ぎました。お恥ずかしい限りです」
「ガッハッハッハッハ!!」
獣王の笑いは洞窟を大きく揺るがした。
「三番でお前にダメージを負わせるかぁ。おもしれーじゃねえかジジイんとこの兵隊はよぉ」
「そのことですが獣王様。フライアの馬鹿が守護者に手を出したことにより、我々の動きもバレたかと。近いうちに本部から警告文が――」
「あぁー、何か来てたなぁ。もう燃やしたが」
ガハハと獣王は続ける。
「明日あたりに一番隊が到着するから会談の席を設けろとよぉ、クソ生意気がぁ。軽く蹴散らしといてやらぁ」
「しかし獣王様、一番隊にまで手を出せばそれこそ守護者との全面戦争になり兼ねません」
「冗談に決まってんだろぉ、半分な。で? 報告は終わりかぁ?」
この方ならやり兼ねない、とサーベルは危惧していた。
「最後に。金色の炎をご存知ですか?」
「あぁ~??」
獣王は少し考える素振りを見せる。
「なんかぁどこかの昔話にそんなこと書いてあったなぁ」
「何者かは存じ上げませんが、フライアを倒した者はそやつです。私も初めて見る能力で、目を奪われました」
サーベルは獣王の目を見て、続ける。
「再生の能力です」
「!?」
再び獣王の豪快な笑いが洞窟を震わした。
「おもしれぇなぁ! おもしれぇじゃないかぁ! 御伽話でも何でもねえ! やはり存在したかその力はぁぁ!!」
さすがのサーベルも獣王を前にしてその音の暴力は耳を塞ぐ。
「おぃぃ! サーベルぅぅ!」
耳を塞ぐサーベルを獣王は力強く呼びかける。
「その能力、確かなものか引き続き調べてこいやぁ! 可能なら力づくでも連れてこい」
「はっ! 承知しました」
「もう人さらいなんてやる必要はねぇ、そいつを徹底的に炙り出せぇ!」
獣王の笑い声は洞窟を抜け、大地を揺るがした。
応援ありがとうございます!
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