夜が明けなければいいのに(洋風)

万里

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 カイルは、ルシアンの繊細な指先を一本ずつ丁寧に絡め取り、逃げ道を塞ぐように彼を深いシーツの中へと押し沈めた。

「……ルシアン様」

 初めて、強固な身分という鎧を脱ぎ捨てて呼ばれた名。その甘く、どこか湿り気を帯びた響きだけで、ルシアンの胸は張り裂けそうなほどの歓喜と、甘美な絶望に満たされる。

 カイルの指がルシアンの細い首筋から鎖骨の窪みへ、そして衣服の合わせ目へと、熱を帯びたまま滑り込んだ。代々武家として剣を振るい、鍛え上げられた彼の指先は硬く、節くれ立っていたが、ルシアンの肌に触れるときは、まるで一度触れれば壊れてしまう薄氷を扱うかのように、もどかしいほどに優しかった。

 やがて、二人の間にあった薄い絹の壁も、無慈悲に剥ぎ取られた。 窓からの月明かりに照らされたルシアンの白い肌は、闇の中で真珠のような光沢を放ち、露わになった肢体は震えるたびに青白い火花を散らすようだった。対照的に、覆い被さるカイルの肌は野性的な褐色を帯び、逞しい肩には昨夜の惨劇を物語る生々しい包帯が、痛々しくも鮮烈な純白となってルシアンの視神経を焼く。

「カイル、その傷……」

「構わないでください。……今は、貴方以外何も……」

 カイルは、ルシアンの項に深く顔を埋めた。うなじの産毛を逆立たせるほど濃密な呼気が吐き出され、カイルの低い呻きがルシアンの骨身にまで響き渡る。その吐息は、これまで彼が押し殺してきた独占欲と、主君を汚したいという背徳的な渇望を孕んでいた。

 カイルの愛撫は、最初は神聖な儀式を執り行う祈りのように静かだった。だが、ルシアンがその逞しい背に爪を立て、喉の奥から切羽詰まった喘ぎを漏らすたびに、それは荒々しく、貪欲な獣の咆哮へと変貌していった。

 ルシアンは、己を貫き、内側から作り替えられていくような痛みに似た快楽の中で、カイルの瞳を見つめ続けた。

 そこにあるのは、自分を仰ぎ見る騎士の目ではない。獲物を組み敷き、その奥の奥まで暴き立て、誰の手も届かない場所へ連れ去ろうとする男の、昏く粘りつくような情愛の沼だった。

(これでいい。これが……ずっと、死ぬほど欲しかったものだ……)

「好きだ」とも「愛している」とも、二人は決して口にしなかった。もしそんな言葉を一度でも吐き出せば、明日、ルシアンをヴォルキスの地へ送り出す正気が、カイルの中から消え失せてしまう。そしてルシアンも、国を捨てて逃げ出したいという、王族として許されぬ本能に呑み込まれてしまうから。

「ああ……っ、カイル……!」

 ルシアンの目から、一筋の涙が零れ落ち、枕を濡らした。

 重なり合う激しい心音、肺を焼くような混じり合う吐息。カイルはルシアンの濡れた髪を指で掬い上げ、何度も、何度も、食い入るようにその首筋や耳朶へ唇を落とした。

 肌が擦れ合い、汗が混ざり合う音さえもが、二人だけの世界を閉ざす音楽となった。カイルがルシアンの腰を強く引き寄せ、さらに深く、容赦なくその身を埋める。ルシアンはその衝撃に身を震わせ、目の前が白く弾けるような絶頂の中で、カイルの首に回した腕を、骨が折れるほど強く、強く締め直した。


 激しい情事の余韻が、冷え始めた部屋の空気に溶けていく。先ほどまでの、荒い呼吸も、互いの名を呼び合う切実な声も今はなく、ただ二人の汗が乾いていく匂いだけが、逃れようのない現実を突きつけていた。

 二人はもつれ合うようにして、一枚の毛布に包まっていた。カイルの逞しい腕の中で、ルシアンはその規則正しい鼓動を耳にしながら、浅い微睡みの縁を漂っていた。カイルの大きな手が、逃がさないという執着を込めてルシアンの細い腰を引き寄せ、迷うように指先を絡めてくる。どちらからともなく、指と指を深く、強く絡め合わせた。

(言葉にしてはいけない。……口にした瞬間に、すべてが壊れてしまう)

 言葉にすれば、それは「愛」という名の美しくも脆い形をなして、空気に触れた瞬間に霧散してしまうような気がした。けれど、語らずとも、密着した肌から伝わる体温と脈動が、互いの魂の絶叫を露骨に伝えてくる。

(行きたくない。……俺を、連れ去ってくれ)

 絡められた指先の震えから、そんな悲鳴のような願いが逆流してくる。 けれど、夜明けは残酷なまでに平等で、そして無慈悲に訪れる。重いカーテンの隙間から、夜の藍色が少しずつ薄れ始め、不吉なほど美しい白銀の光が、この蜜月を切り裂く刃のように差し込もうとしていた。

(このまま、夜が明けなければいいのに……)

 その祈りは、虚しくも白んでいく空に溶けていく。 カイルは、ルシアンの汗に濡れた額にそっと唇を寄せ、長い時間、祈りを捧げる騎士のようにそのまま動かなかった。そこには、先ほどまでの激しい独占欲とは別の、身を裂かれるような思慕が溢れていた。

 ルシアンは、再び熱く込み上げてくる涙が零れ落ちるのを堪えるように、ぐっと奥歯を噛み締め、彼の胸の筋肉に顔を押し付けた。 

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