琥珀の檻

万里

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 サリムが暴風のように去った後の「琥珀の間」には、無惨に引き裂かれた薄衣の残骸と、熱病の後のような濃密で不穏な湿り気だけが取り残されていた。

 アザルは長椅子に横たわったまま、力なく震える指先で、熱を帯びた自らの項に触れる。そこには、ジャファルがつけた沈んだ紫の痕跡を無理やり覆い隠すように、サリムが激情のままに刻みつけた、赤黒く生々しい歯形がいくつも点在していた。父の支配を剥ぎ取ろうとした息子の、あまりに幼稚で、それゆえに狂暴な独占欲の象徴。

(……あんな子どもにまで、いいようにされるとはな。……俺は、どこまで落ちればいいんだろうな……)

 自嘲気味に呟いたアザルの声は、喉の奥に溜まった蜜に阻まれ、掠れて消えた。

 *

 気を失うような眠りを遮るように、静まり返った廊下から規則正しい、優雅な靴音が響いてきた。アザルの心臓が、本能的な恐怖で大きく跳ねる。この冷徹なまでに完璧なリズムを刻む靴音の主を、彼は魂の最奥に刻まれた痛みと共に知っている。

 音もなく、重厚な扉が開いた。 傾き始めた西日に照らされ、逆光の中に佇むのは、この国の絶対的な太陽――国王ジャファル。

 彼はいつも通り、一点の曇りもない慈愛に満ちた微笑を浮かべていた。だが、一歩部屋に足を踏み入れた瞬間、ジャファルの鼻腔が僅かに動く。その優雅な眉が、一瞬だけ、愉悦を含んだ侮蔑に動いた。

「……酷い匂いだな。若く、青臭い、制御の利かない獣の匂いが部屋中に充満している」

 ジャファルの声は、冷たい氷を溶かした水のように静かだった。彼は、慌てて長椅子から降りて跪こうとするアザルの肩を、羽毛で撫でるような優しさで制した。

 だが、その直後。 抗う隙も与えず、ジャファルの指先がアザルの顎を強引に掬い上げた。逃げることを許さない力で横を向かせ、そこに曝け出された「無残な汚点」――息子サリムがつけた醜い歯形を、その鋭い眼光で射抜く。

「……これほどまでに、お前を無作法に食い散らかすとは。サリムもまだまだ、躾が必要なようだね」

 ジャファルの指先が、サリムのつけた歯形を冷徹になぞる。その感触は、息子への怒りというよりも、自分だけの聖域を泥靴で踏み荒らされたことへの、絶対的な支配者としての不快感を孕んでいた。

 ジャファルは静かに、扉の外に控えていた側近に命じた。その声には怒りすら含まれていない。まるで不要な塵を掃くかのような、淡々とした事務的な冷徹さがあった。

「サリムに伝えろ。隣国との国境警備に不備が見つかった。婚礼までの間、現地へ赴き、直々に指揮を執るように、と。……今すぐだ。夜明けを待たずに出発させろ」

「……っ、兄貴、待て! サリムはまだ……!」

「アザル。お前が心配すべきなのは、甥っ子ではなく、今この瞬間に私と対峙している自分自身だということが、まだわからないのかい?」

 ジャファルはアザルの反論を、有無を言わせぬ重い接吻で封じ込めた。そのまま、弱り切って抗う力も失いかけているアザルを軽々と抱き上げ、琥珀の間の奥に鎮座する巨大な寝台へと連れていく。

 ジャファルの手袋を嵌めた指先が、アザルの肌に刻まれたサリムの生々しい痕跡を、検品するように一つずつなぞっていく。

「さて……サリムをこれほどまでに『熱心に』狂わせ、可愛がってくれたご褒美をあげなくてはいけないね。……いいかい、アザル。これは私が与える、最上級の慈悲だよ」

 ジャファルは、聖者のような完璧に美しい微笑を浮かべた。だがその瞳の奥には、逃げ場を完全に塞ぐ捕食者の闇が渦巻いている。

「い、嫌だ……! ひ……ああぁっ!」

 ジャファルはサリムが残した未熟な赤黒い痕の上に、あえて自らの牙を深く立てた。それはサリムのような稚拙な暴力ではない。相手が最も痛みを感じ、同時に逃れられない快楽に身悶える急所を熟知した、熟練の蹂躙。ジャファルはアザルの項を、耳裏を、鎖骨を、執拗なまでに吸い上げ、噛みつき、己の色で一つ一つ塗り潰していく。

「やっ……ああっ……! やめろ……兄貴……っ、こんなの、ただのお仕置きだろ……っ!)

「いいや、ご褒美だよ。……それで、サリムは気持ちよくしてくれたかい?」

 問いかけながら、手袋を脱ぎ捨てた熱い指がゆっくりと侵入を開始する。不意を突かれたアザルの腰が、シーツの上で大きく跳ねた。

「……あっ、……し、知らな……っ」

「何度、果てさせられた……?」

 指はアザルの内側の、最も敏感で柔らかな粘膜をゆるやかに、しかし逃げ場を奪うように執拗にかき回す。その指使いは、先ほどまでのサリムの乱暴な蹂躙とは比較にならないほど、アザルの理性を的確に奪っていく。

「あっ……、あっ……! わ、わからな……っ!」

「答えなさい。可愛い甥っ子に、どれほど乱されたのか、私に報告する義務があるだろう?」

「知らな……っ! んなこと、どうでもいいだろっ……!」

 アザルは涙目で訴え、必死に顔を背けた。その瞬間、「そうか」と短く応じたジャファルによって、唐突に指が引き抜かれる。

「んああっ……!」

 内側の熱を無理やり引きずり出されるような刺激に、アザルは弓なりに身体を反らせた。

「もっと、気持ちよくしてやろう。サリムの拙い愛撫など、一瞬で忘れてしまうほどにね」

 ジャファルの顔に浮かぶ、一点の曇りもない穏やかな微笑。その完璧な「慈愛の仮面」に、アザルは戦慄して目を見開いた。

(なんで……なんで、兄貴はこれほどまでに怒っている……?)

 ジャファルは、激昂して怒鳴り散らすようなことはしない。むしろ、怒りが深ければ深いほど、その微笑みは神々しいまでに美しく、声は甘く低くなっていく。その静寂が、余計に恐ろしい。

(サリムに俺を抱かせたのは、兄貴……あんただろ……っ!)

 喉元まで出かかったその言葉を、アザルは必死に飲み込んだ。今この男に正論をぶつけたところで、それは火に油を注ぐだけであり、自分をより深く、逃れられない泥沼へと沈めるだけだと本能が警告していたからだ。

「さあ、アザル。……『本当の悦び』を、これからたっぷりとお前に刻み込んであげよう」

 ジャファルの大きな手が、アザルの脚を割って入り込む。その瞳に宿る昏い炎は、サリムが放った青臭い熱量など容易く焼き尽くすほど、深く、残酷な独占欲に満ちていた。

「……ここだね。サリムには、ここは教えなかった。お前が、私のためだけに鳴らす、秘密の場所だ」

「~~~~~ぁっ……!!!」 

 声にならない悲鳴が、琥珀の間の高い天井を打った。ジャファルが腰を力強く押し込み、アザルの最も深い、聖域とも呼べる場所を容赦なく貫通させる。その鉄鎖のような手は、アザルの足首を割り、逃げ場を完全に奪うようにして寝台に縫い止めていた。アザルの視界は火花を散らすように白濁した。

「……いっ……! あ゛ーっ……!!」 

 逃げようと身を悶えるたびに、ジャファルはアザルの腰を逃さぬよう強く引き寄せ、耳元で愛を囁く。その声はどこまでも慈愛に満ちて優しく、しかしその行為はどこまでも無慈悲で残酷だった。

「アザル、本当は快いのだろう? 身体がこんなに悦びに震え、私を求めて締めつけている」

 ジャファルの冷徹な指摘通り、アザルの身体は拒絶の意志とは裏腹に、侵入者をより深くへと招き入れるように激しく波打っていた。首を必死に横に振り、涙で枕を濡らしても、腰を掴まれ、逃げ場のないまま激しく揺さぶられるたび、狂おしい熱が脳を灼いていく。

「おく、や……っ……! んああぁぁ……~~~~っ!!」

 もはや言葉にならない絶叫を漏らし、アザルは白目を剥くほどに追い詰められていく。兄の熟練した、逃げ場のない誘導――アザルの誇り高き理性は、音を立てて粉々に砕け散った。

「あう、ああ゛っ……! も、やめっ……! もう、無理ぃ……っ! 壊れる……っ!」

「アザル、気持ちいいな……? ほら、正直に言ってみろ。私の指先、私の熱が、お前をどうしているか」 

「ご、ごめ、なさ……、許し……っ!」 

「謝らなくてもいい。お前がすべきなのは、私を受け入れることだけだ」

「んんっ……あああぁっ! 許して……兄様……っ、もう、許して……っ!!」

 ついにアザルは、一国の騎士としての誇りも、男としての自尊心もかなぐり捨て、抗えぬ快楽への完全な降伏を口にした。その哀れで淫らな姿――自分一人の手によって堕とされた実弟の姿に、ジャファルは征服欲を満たされた歪んだ笑みを深め、汗に濡れたアザルの額に慈しむように口づけた。

「かわいいアザル……。愛しているよ。サリムも、他の誰も、お前を私から奪うことはできない」

「はぁっ……はぁっ……、ひあっ……あ……」

 アザルはもはや、言葉を返す気力すら残っていなかった。

 深い夜が静寂と共に離宮を包み込み、外界の音を一切遮断する。 ジャファルは一晩中、アザルを離さなかった。サリムが激情のままに刻んだあの若く、青臭い赤黒い痕跡が、ジャファルの冷徹な重圧の下で完全に沈み、覆い隠されるまで。その上に、ジャファルの深い紫の刻印が幾重にも重なり、アザルの褐色の肌が「王の色」一色に染まり、純化されるまで、執拗にその身体を蹂躙し続けた。

「……あ……ああ……」

 掠れた吐息が漏れる。 その肌に刻まれた無数の紫紅色の痕は、もはや消えることのない隷属の鎖。アザルは、ジャファルの腕の中で、永遠に明けることのない夜の残滓に身を委ねるしかなかった。
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