安心してください。俺は課長のストーカーですから

久乃り

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第16話

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「ふぅぅ」

 いつもの駅でいつものホーム、いつもの改札をくぐる前に直江はずっと男子トイレに立ち寄り、鏡で自分の姿を確認した。普段はしないことである。女子トイレとは違い比較的空いている男子トイレではあるが、それでも肌寒くなってきたせいか、利用者はそれなりにいる。ビジネス街の駅のトイレだからか、身だしなみを確認するための姿見が改装されてから取り付けられていた。それを思い出して直江は慌てて男子トイレに駆け込んだのだ。そして自分の姿を素早く確認して胸を撫で下ろした。

「個室に入ってはくれませんでしたか」

 後ろだけを確認するとあからさまに怪しいので、直江はとりあえず髪型を確認する仕草をしていた。そこに背後から安倍が現れたのだ。

「その手には乗らんよ」

 直江はわかっていたのだ。ここで個室に入れば安倍の思うつぼなのだ。そんなことになってしまえば、当然遅刻である。課長という管理職の名において、遅刻などできるはずがない。始業開始の十五分前にはデスクに着いていることが直江の信条なのである。

「フレンチドレッシングが見つからなかったんですよ」

 背後から追いかけてくる安倍野口からとんでもない言葉が聞こえてきた。聞こえてきたけれど反応してはいけない。今は通勤中である。ビジネス街の歩道を会社に向かって歩いている最中なのである。どこに社内の人間が歩いているのか分からないのである。直江は安倍のことをあからさまに邪険にすることも出来ず、隣を歩くことにして小声で対応することにした。

「ふざけたことを言うものじゃない。クリーニングに出さなくてはならないだろう」
「あれ?俺そんなにこと言いましたっけ?」
「今しがた、フレンチドレッシングと……」
「一言も課長の尻にかけるなんて言ってませんよ」
「…………」
「課長ってば、朝から大胆ですね」

 からかわれた。昨日の今日で安倍に完全に手玉に取られてしまった。通勤電車でのちかんまがいからのフレンチドレッシングと聞いて、そんなことを妄想してしまった自分が恥ずかしい。

「俺はそんなことはしませんから安心して下さい」

 そんなことを言われても、どこにも安心する要素がないのである。これ以上安倍に絡まれてはたまらないので、直江は自然と早歩きになっていた。そうしていつもより三分ほど早くついたため、直江はデスクで一息ついた。それはもう既に朝からお疲れモードである。

「おはようございます。課長。朝からなんだか疲れてらっしゃいますね」

 そんなこと女子社員に言われてハッとする直江である。今日は週末である。

「来週はみんなとランチだからね。今日中に片付ける仕事を確認していたんだよ」

 そんな少しの嘘をつきつつ、パソコンを立ち上げメールのチェックをしていると、朝一番に安倍からのメールが届いていた。歩いている女子社員に見え隠れする安倍は、確実にこちらを見ている。
 社内メールであるから、それはすなわち業務に関係することであるから、直江は安倍からのメールを開いた。そこには確かに業務連絡があり、処理内容の確認を求める旨が書かれていた。そして、さらに新しいメールが安倍か届いた。転居届の出し方と通勤方法の変更のやり方を訪ねるメールだった。さらには明日の朝自宅の車庫の車を動かして一台分開けて置いて欲しいという要望が書かれていた。

「…………」

 人事総務に送る内容だが、管理職の承認が必要な内容ではある。直江は素早く申請先のURLを張付けて安倍に返信をした。仕方なく「了解しました。」の言葉を添えて。

「一体どれ程の荷物を運び込むつもりなんだろうな」

 久しぶりに一人で帰宅をした直江は、妻の指輪を前に考え込んだ。確かに部屋は空いている。娘たちの部屋が二部屋。しかし広さはどちらも六畳間である。フローリングでクローゼットが付いているから、娘たちはタンスを使ってはいなかった。まぁ、男の一人暮らしであるからせいぜいワンルームに住んでいるだろう。と直江は勝手に予想するのであった。

「この時間に掃除機はなんだから、拭き掃除でホコリぐらいは取っておくか」

 軽くて使いやすいハンディタイプの掃除機があるが、なかなか、音が大きいのがたまにキズである。流石に夜の時間帯に住宅街で使っていい音量ではない。直江は何となくだがソワソワした気持ちで部屋の掃除をするのであった。

「車を車庫の真ん中に停めていることに気がついているとは思わなかったな」

 直江は通勤こそ電車であるが、ベッドタウンに住んでいるため、週末の買い出しはもっぱら車で郊外型の巨大ショッピングモールに行っていた。駐車が苦手な訳では無いが、一台分空いた車庫が物寂しくて車をあえて真ん中に停めていたのだ。もちろん、娘たちが寄り付かないという現実のせいでもあるし、来て欲しくないと言う気持ちもある。

「車は朝食後に動かせばいいか」

 そんな呟きを残し、直江は二階の寝室で眠りにつくのだった。

 

 
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