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47.考え事は不幸を呼ぶ
しおりを挟む「何時、だ?」
相変わらず閨で目覚めると時間の感覚がない。窓がないのは防犯のためなのだとは知りつつも、目が覚めて感じるのがいつもぼんやりとした魔石の明かりだと目覚めもあまり宜しくないというものだ。
「たいがいしつこいんだよな」
腕を上に伸ばして軽くストレッチのような仕草をして、それから時間を確認すれば、今日はいつもより随分と遅い。いつも通りに羽織るだけの上着を引っ掛けると、エディエットは扉を開けた。
「おはようございます。第二妃夫人」
いつもの通りセシルが挨拶をしてくるが、そのまま風呂へと移動する。上着一枚だけなので、そのまま床に落とすように脱げば、直ぐに侍女が回収する。ほんのわずかな時間しか袖を通していないのに、汚れ物扱いされてしまうことがいいのか悪いのかエディエットには分からない。だが、そうしないと仕事が回ってこない侍女が出てきてしまうわけで、エディエットの贅沢な暮らし方は必要なことになる。
「花まみれだな」
はめ殺しにされたステンドグラスの窓から入る色とりどりの光と、湯船に浮かぶ花はとても幻想的である。本当の意味で妃と呼ばれるような立場なら、喜んで受け入れていることだろうけれど、エディエットからすれば花はただ邪魔でしかない。おそらくリラックス効果のために浮かんでいるのだろうけれど、花の香りのお湯に浸かりたいなんて思ったこともなければ、毎回お湯で顔を洗う度に邪魔で仕方がないだけだった。
(敵が多いことは予想していたけどな)
迂闊なことを口にすればすぐにでも侍女たちから報告が上がってしまうから、風呂の中では極力独り言を控えるしかない。昨日のガーデンパーティの件だって、誰と何を話したのかをアラムハルトはしつこく聞いてきたのだ。
そのせいで時間がかかってエディエットの寝る時間が遅くなった。だから今夜の閨はお断りする予定である。確実に日をまたいだはずだから、今日の仕事は済んでいることにする。
それに、ジルベットに言われたことが頭から離れないのだ。「閨での睦言など本気にしてはいけませんよ。その証拠にスェンベル公主の第二夫人は五人目なのですから」そう言ったジルベットの目は笑ってなどいなかった。それどころかほの暗さを孕んでいて目をそらす事が出来なかったのだ。
確かに、スェンベル公主のところの第二夫人もガーデンパーティに呼んではいた。ただ、公主のところでは唯一の女性だったため、欠席の返事が来たのだ。サティス公主のところからアルネットが正妃として、ザイード公主のところからは現皇帝の母がいたわけだから、次は確かにスェンベル公主のところになる。
スェンベル公主の正妻は男子二人と女子を一人産んでいる。だが、年齢が合わないのだ。今十三歳ぐらいということで、現皇帝のアラムハルトが即位したときでは幼すぎ年が合わず、かと言ってこれから生まれる皇子には、年上すぎるのだ。つまり、正妻がこれから子を産むには年齢がすぎている。スェンベル公主は己の婚期を間違えてしまったのだ。
だから、皇帝に合わせて第二夫人を作ったものの、生まれてきた子が男子だったという訳だ。家系は磐石になるが、三大公主の としての役割が果たせない。それ故に第二夫人が五人目となってしまったという訳だ。
頭の中では取り留めのない事がぐるぐると回る。「所詮私たち第二夫人は契約の関係なのですよ」とジルベットは自嘲気味に言っていた。確かにそうだ。エディエットもこちらに来てそうそうに書類に署名をさせられた。
「内容は悪くなかったがな」
手のひらで湯をすくうと指の間からこぼれ落ちる。それをぼんやり眺めていると、視界の端に布が見えた。どうやら侍女が髪を洗いに来たようだ。エディエットが頭を後ろに傾ければ、首の後ろに支えが入り温かな湯がかけられる。視界は布で覆われたけれど、何も見えない訳では無い。ぼんやりとした視界の中に時折影がさすのは髪を洗う侍女手だろう。
「こんな世話をされることは書いてなかったな」
思わず口にすれば侍女の手が震えながら止まった。
「な、何か粗相致しましたか」
声も震えている。湯殿にいる侍女たちが緊張しているのがわかる。
「いや、贅沢だと思っただけだ。 今日は休む」
「か、しこまり、ました」
緊張したままの声で返事をしたのはどの侍女だろうか?少なくとも離れた場所にいる侍女だ。
「今日は香油はやめてくれ」
「は、いっ」
跳ねるような返事をしたのは髪を洗う侍女だ。いつも爪が短すぎるほどに切られていて、時折痛そうにも感じるほどだ。だが、手指が荒れているのを見た事がなければ、使われているこの石鹸が相当高級なのだろう。初めて会った時ルミアの手は荒れていた。宿屋で洗い物をしていたらしいから当たり前ではあるが、湯を使って髪を洗う方が肌は荒れやすいだろう。
「お前の手は……」
エディエットが口を開けば侍女の手が止まる。
「どのように手入れをしているのだ?」
耳のそばで喉が鳴る音が生々しく響いた。相当緊張しているのだろう。
「ク、クリームを使っております。森のバターと言われるドゥアの実が使われているものです」
「ドゥアの実?」
聞きなれない植物の名前にエディエットが聞き返すと、誰かが近づいてきた気配がした。
「こちらのクリームにございます」
言われたので顔の布を外して出されたものを手に取る。底の厚いガラス瓶に黄色味がかったクリームが入っている。手にとってみれば肌馴染みの良さが分かった。
「第二妃夫人に不快な思いをさせるわけにはいきませんので」
なるほど、手荒れが酷ければ仕える主人に不快な思いをさせるということだ。侍女たちがこのような態度を取ると言うことは、それなりの値段なのだろう。
「店は遠いのか?」
「いえ、首都にございます」
「よし行こう」
エディエットが立ち上がろうとすれば侍女が慌てた。
「まだ泡が」
「ああすまない」
慌てて侍女がエディエットに湯をかける。顔にかかっていた布はすぐに別のものに変わっていた。
そうしてさっぱりとしたエディエットはさっさと湯殿を後にして、用意された服を勝手に着ていく。髪も体も風魔法で乾かせば、なんの問題もなかった。
「第二妃夫人どちらへ?」
セシルが慌ててやってきた。
「街を少し散策する」
「いけません。皇帝陛下にお伺いをたてなくては」
「少し一人になりたいだけだ」
そう言いながらエディエットは毛足の長い絨毯に靴のつま先で模様を描いた。
「夕方までには戻るから。静かにしていてくれ」
エディエットの描いた転移の魔法陣が発動して、セシルの目の前でエディエットの姿が消えたのだった。
「お前たち、決して部屋から出ぬように」
扉を開ければ控えの間に騎士がいる。彼らに気付かれれば厄介なことになる。セシルたちが仕える主人が第二妃夫人であるならば、ここは夕方までおとなしくするのが賢明だろう。何しろ、すでに第二妃夫人であるエディエットの休暇は連絡済みなのだ。訪ねて来るものはいないだろう。来たとしたら、休んでいると言って追い返すだけだ。
仕方なくセシルは覚悟を決めたのだった。
そうして一人で外に出たエディエットは、侍女が使っているというクリームを扱う店にやってきた。店で扱っているのはおもに化粧品のようで、しかもだいぶ高価な物のようだ。エディエットが一人でやってきたものだから、最初店員はお使いに来た従僕だと思ったらしい。
エディエットが店内を見渡してお目当ての品のところに行くと、ようやく声をかけてきた。
「お使いのお品でしょうか?」
丁寧な物言いだが、明らかに黒髪のエディエットを値踏みしているのが丸分かりだった。帝国の男にしては背も低く肩幅もない。供も連れていなければどこぞの貴族の従僕あたりとみて差し支えはないだろう。
「ああ、これと同じものが欲しい」
侍女が出してきたクリームの瓶を出せば、店員はすぐに納得の表情をした。
「おいくつでしょう」
「そう、だなぁ」
そこでエディエットは考えた。以前は二人だったけど、今は何人になっているのだろうか?書類を渡した時にそんな話をついぞしなかった。
「とりあえず十ほどもらおうかな」
エディエットの物言いに店員はなにかを言いかけて、すぐに口を閉じた。エディエットの服のボタンに気付いたのだ。
「すぐにご準備いたしますので、こちらでお待ちください」
店内にある椅子にエディエットを座らせて、ドアマンに目で合図を送る。察したドアマンはすぐに扉に鍵をかけた。そうして閉店の札を出して何食わぬ顔でそのまま扉の横に立っていた。
椅子に座ったエディエットには、何故かお茶が出されて、仕方なくエディエットはそれを手にする。かなり高級なものだと分かるのは、以前側妃セレーヌの部屋で出されたことがあるからだ。あの時はカップに毒が塗られていたので口をつけずに香りだけ嗅いだのだった。もちろん、一口飲んだふりはしたけれど。
そんな記憶もあって、エディエットは茶を口にするのを躊躇った。もちろん、魔法でなんとかなるけれど、忌まわしい記憶というものはそうそうに払拭できないものなのだ。
「お待たせ致しました」
綺麗な箱に入ったクリームの瓶がエディエットの前に置かれた。大抵は、お使いの従僕やメイドだから、その箱を両手で抱えて持ち帰るのだが、一人でやってきたエディエットはどうするのか店員は内心ドキドキしていた。
「ああ、ありがとう。代金はこれで足りる?」
エディエットは腰のポーチから帝国の金貨を数枚出した。これは領主時代に稼いだものだ。
「は、はい」
店員は恭しく金貨を受け取り領収書を差し出した。そして慌てて釣りの銅貨を数枚持ってきた。
エディエットは銅貨と領収書を腰のポーチにしまうと、そのまま商品の入った箱もポーチに押し込んだ。
「あ、あの……」
店員が口を開いた時、エディエットはすぐさまその口に、人差し指を押し当てた。
「内緒だよ」
そう言って微笑めば、店員は耳まで赤くしてそっと顔を逸らした。だからエディエットは足元のふかふかの絨毯に素早くつま先で魔法陣を描いて発動させたのだった。
エディエットが消えたあと、店員はぺたりと床に座り込んだ。
「そ、粗相はなかっただろうな」
奥から慌てて出てきたのは店のオーナーだ。エディエットの正体を知って奥から様子を伺っていたのだ。もちろん、エディエットに声などかけられるわけが無い。そんなことをすれば物理的に首が飛ぶというものだ。
「翡翠の瞳の方……琥珀色のボタン」
応対した店員はそう呟きながら自分の唇にそっと触れた。今しがた、翡翠の瞳の方こと第二妃夫人のエディエットが触れたばかりだ。自慢したいがすればその瞬間に顔が焼かれるか切り落とされるか。無事では済まないだろう。
もとから帝国では皇帝の瞳の色である琥珀は庶民はおろか貴族であっても使うことは許されていなかった。だが、皇帝の服のボタンが全て翡翠に替えられたとの噂が飛び交うやいなや、首都の宝石店から翡翠が消えたほどなのだ。
「まだ、まだ開けてはならん」
翡翠の瞳の方が一人で来たということは完全にお忍びである。
オーナーが床に座り込む店員を引きずるように店の奥に押し込んだとき、金の房飾りを付けた騎士たちが店にやってきたのだった。
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