郷守の巫女、夜明けの嫁入り

春ノ抹茶

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第四話︰夫婦の契り

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 沖と連は言葉を失い、茫然とする。
 彗月は紬を見つめて、静かに口を開いた。

「その選択に、後悔はありませんね?」
「後悔しないための選択です。……この村には戻れない覚悟も、出来ています」
「分かりました。──では、ここに契りの印を。」

 彗月が袖元から巻物を取り出し、広げる。
 つらつらと墨で書かれてあるのは、見たことのない言語だ。まったく読めない。あやかしが使う文字だろうか。

「これは?」
「郷守の巫女を迎え入れる時に使われる、婚姻の書です。ここに並べて判を押します」
「!ちょっ」

 ガリと指の腹に歯を立て、手早く血判を押した彗月を見て、紬は目を丸くする。

「……指を噛み切るのに躊躇が無さすぎます」
「失礼。これが一番手っ取り早いもので」
「絆創膏、取ってきましょうか」
「必要ない。彗月様ほどの強い妖力の持ち主ならば、こんな傷すぐに治る。」

 沖にふてぶてしく説明され、彗月の指先を見ると、既に傷は塞がっていた。

「!すごい……もう治ってる」
「ふん、少しの傷でも残る人間の体とは訳が違う。」
「……」

 この面男、いちいちひと言多い。
 むっとしつつ、裁縫箱から取り出した針で指を刺す。そして、丁寧に血判を押した。
 正式に、夫婦の契りが交わされた。

 (これで、私は──)

 紬は二人分の血の跡が並ぶのを見ながら、指先の痛みを誤魔化すように、グッと手を握った。

「貴女の絆創膏はいいんですか?」
「ええ」

 血が滴るほどの傷でもないし、噛みちぎった傷と針で突いた傷とでは訳が違う。

「人間といえど、これくらいなら唾で治ります」
「……」

 先ほど人間の体にケチをつけてきた沖に目線をよこしながら言うと、沖は居心地が悪そうにそっぽを向く。
 そんな様子を見て、彗月は何やら愉快そうに笑った。

「したたかな女性は好きですよ。」
「!……ありがとうございます。」

 特段深い意味は無いのだろうが、見目麗しい彼からさらりと「好き」という言葉を言われて、少し驚く。
 政略結婚とはいえ、夫に好意的に思われるのは、素直に嬉しい。

 (……夫婦仲が良いに越したことはないし、彗月さんとはこれから、親しくなれたらいいけれど)

 素顔を見せようとしない彼と、無愛想で可愛げのない自分。
 仲を深めるまでの課題は多そうだと思い、紬は心の中でため息をついた。






「では五日後に、お迎えに上がりますので」
「はい。荷造りなど、色々と済ませておきます」

 話を終えた四人は立ち上がる。
 ここで紬が、ハッとあることを思い出した。

 (いけない、そういえば、芳江さんが覗いて見ていることを忘れてた……!)

「あのっ、芳江さ──あら?」

 慌てて戸口の外を見るが、そこに芳江の姿はない。

「ああ、ご心配なく。話を聞かれて言い広められても困りますから、彼女には眠っていただきました」
「眠って……?あ。」

 一歩外に出てみると、すぐ足元で芳江が芝生に横たわっているのが見えた。ほどよい日当たりと暖かさの中で、ぐうぐうと気持ちよさそうに眠りこけている。

「……これも、妖術ですか?」
「いえ、眠りのコウを使いました。人間に対して効果がある代物ですが、やはり紬さんには効かないようですね」

 言いながら、彗月は芳江を抱え上げて家に入れる。
 そして、沖と連が繋げて並べた座布団の上に、そっと寝かせた。

「長らく放っておいてしまって、申し訳ない」
「そうですね……でも、ありがとうございます。芳江さんは村一番のお喋りなので、一連の話を聞かれていたら、十分後には村中に知れ渡っていたかと」
「はは、それは困りますね」

 ──家を出ていく遣いの三人。
 紬も彼らを見送ろうと、あとに続く。

「お邪魔しました。それではまた。」
「はい。五日後、お待ちしております。」

 乗ってきたらしいものも見当たらないし、歩いて帰るのかしら。そんなことを思ったところで、彗月が懐から赤い札を取り出し、眼前に掲げた。

「!」

 次の瞬間、札に火がついた。
 同時に、穏やかに晴れ渡っていたはずの空に突然、炎の渦が発生した。

「なっ……」

 その炎の中から現れたのは​──赤と黒を基調として、重厚な金の装飾を施した、豪奢な乗り物だ。
 乗り物を引いているのは、真っ白な一匹と真っ黒な一匹。どちらも瞳が真っ赤で、妖しく揺らめいている毛並みは炎のよう。犬かはたまた狼か、どちらにせよ間違いなくあやかしだろう。

「“紅蓮の御車グレンノミクルマ”。里がある異空間と、こちらの空間とを直接行き来できる移動手段です。里入りの日は、紬さんもこれに乗っていただきます」
「!えっ、炎が取り囲んでいますけど……」
「大丈夫。触れても燃えませんから」

 彗月はくすりと笑うと、踵を返してそれに乗り込む。沖と連も続いて、戸が閉まる。

「!」

 白と黒の二匹の遠吠えを合図に、業火が御車を包み込んだ。
 唖然として見つめていると、その炎は徐々に小さくなって──やがて、フッと消えてしまった。

「……」

 つい今しがたの光景が、嘘のように跡形もなくなり、いつも通りの空が広がっている。

「……夢じゃ、ないのよね」

 家の中から聞こえてくる「あらまあッ私ってば一体何を……」という声を聞き流しながら、紬は呆然と立ち尽くして、空を見上げるのだった。
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