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1章 魔女 扉を開ける
23 魔女と学校 3
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「それにしても珍しいな。君がそんなに気に掛ける人間なんて初めて見たよ」
ワレルは兵舎の近くにある料理屋の丸テーブルで、ギディオンの杯を満たしながら言った。
ザザが学校に通うようになってから十日余りが経っている。
「先日、久しぶりに連絡をくれたと思ったら、急に世話をしてほしい人間がいるとか言うから、何事かと驚いたよ」
「気に掛けるとか、そんなものじゃないんです」
ギディオンは琥珀色の酒をぐいと飲んだ。
「あれには、事情があって責任が生じているんです。あなたも見て取ったでしょうが、彼女は人と接することに苦手意識があって……それでどうにかしてやりたいと思っているんです」
「責任? 妻にでも娶る気かい?」
「とんでもない!」
「おや、君ならこの手の冗談には慣れているかと思ったよ。学生時代から女性にはよくもてていたじゃないか」
ワレルとギディオンは同じ学校の同窓生で、ワレルが五年年長だった。年齢は違うが、二人とも若くして一人暮らしをしていて、部屋が隣同士だったのでお互いよく知っているのだった。
「冗談にもなりませんよ。だいぶ歳も違うし、あの娘は……特殊な事情を抱えていて」
特殊な事情とは無論、ザザが魔女だということである。ギディオンはワレンを信用してはいたが、こんなに人の多い料理屋で、こんなことを話すのはさすがに憚られた。
「また事情か。よほど何かあるんだね。でも一緒に暮らしているんだろう? それだけでも凄いことじゃないか。独身の男女が同居。妻にしないんならそれこそ拙いんじゃないか」
「しかし、年齢の割に気持ちが非常に幼くて、娘らしい自覚もないし」
「だから余計にさ。君は立派な男だろう」
謹直なワレンにしては軽い口を叩くのは、ギディオンが親しい仲だからだろう。
「俺はほとんど家に帰りませんし、彼女も一階で生活しているから、生活が重なることはほとんどないんです。使用人もいるし」
「それでもねぇ……。堅物だと評判のギディオン閣下が、女性と同居か。こりゃ泣くご婦人があちこちにできる案件だな」
「知らない婦人が知らないところで泣いたって俺には責任とれませんよ。でも、そんな噂が立つのはまずいな。あの子はとても繊細で純粋なんです」
「知ってるよ。とても真面目に助手をやってくれている。散らかり放題だった教官室や、標本室まで片付けてくれて大助かりさ」
「そうですか。俺はそう言うことを聞きたくて、あなたを呼び出したんです。後見人の責任というやつです」
「ふーん」
ワレンはにやにやしながら、つまみの燻製肉を突いた。
「で、あの子はちゃんと先生をやってるんですか?」
「ああ、やってくれているよ。四年生で意思疎通が下手でなかなか周囲にとけこめず、学習意欲も低い子どもがいたんだが、すっかり彼女に懐いてしまってね。学校に来ない日は寂しそうにしているよ。ほら、君も懇意にしているフローレン第四師団長の末っ子だよ」
「へぇ~、そういえば年の離れた末っ子がいると聞いた気が」
「それに薬学の知識も豊富だ。国家試験を受けたらひょっとしたら合格するんじゃないか? 王都ではあまり知られていない、辺境で使われる薬のこともよく知っている。どうだい? 試験を受けさせてみないか? 推薦状がいるが、それは私が書いてあげよう」
「ありがとうございます。もう少し彼女が馴染んだら考えます」
「ぜひ考えてみてくれ。おとといの授業で三回目だったが、初日のおどおどした感じは消えつつあるな」
「……よかった」
「……」
「なんです?」
「いやなに、こんなこと言うと、また嫌な顔されると困るんだが。君、今すごく良い顔をしていたよ」
「良い顔? 普通の顔でしょう」
ギディオンは大真面目な顔で、自分の頬を叩いた。
「いやいや。でもまぁ、そういうことにしておくよ。今夜はもう帰ってやったらどうだ? 待っているんじゃないのか?」
ワレンの洞察は正しかった。ザザはいつも自分が帰るまで、玄関横の自分の部屋で静かに待っている。いくら待たなくてもいいと言っても待っているので、今ではもうそんなやりとりは諦めてしまった。
「待って……そうですね。じゃあ帰ります。今日は呼び立ててすみませんでした。今後もあの子をよろしく頼みます」
「ああ、任しておけ」
ワレンは鷹揚に笑った。
ギディオンが家に帰った時、玄関脇の小部屋にはいつものように小さな明かりが灯っていた。
暗いホールには小部屋から漏れる薄い光が筋のように流れている。ギディオンはしばらく逡巡していたが、心を決めて、小さな扉をノックした。それはすぐに開いて小さな顔が覗いた。薄闇の中でもザザが嬉しそうにしているのがわかる。
「お、おかえりなさいませ!」
「ああ、今帰った。ただいま、ザザ」
「……お茶を淹れましょうか?」
メイサの話では、最近ザザは上手にお茶を淹れられるようになったのだと言う。
「いい。食べてきたところだ。今日はワレンと会っていてな。お前がよくやってくれていると喜んでいたぞ。俺も嬉しかった」
「ありがとうございます」
「明日も授業があるのだろう?」
「はい」
「明日は早くに帰ってこられるはずだ。お前の話も聞きたいな、ザザ。学校に迎えに行くから夕食でも食べに行くか?」
「え?」
「嫌なら無理にとは言わんが」
「いいえ! ま、参ります! ギディオンさま」
「よし、なら今日はもうゆっくり休め」
「はい、おやすみなさいませ」
目をこぼれ落ちそうにさせながらお辞儀をすると、娘は扉の向こうに消えた。音もなく閉まった扉を見つめながらギディオンは不思議な心持ちを感じていた。
「ザザ、カチカッチの実の保定はこれでいいの?」
「はい。殻を割ったら、胚を潰さずに取り出してくださいね」
「でもなかなか殻に刃が入らな……いたっ」
ほとんど球形をした木の実を、粘土の上で割ろうとしていたアロイスは小刀の先で指を切ったらしく、顔をしかめた。
「どんくさいなぁ。ワレン先生が、カチカッチの実は硬いから気をつけるように言ってたじゃないか」
グザビエが口を出したが、ザザはそちらにも微笑んだ。
「そうですね。グザビエさんも気を付けてくださいね。実が転がり落ちそうですよ。アロイスさん、大丈夫ですか?」
「ちょっと痛い」
「ああ、傷は小さいですが、少し深く刺していますね。カチカッチの胚から出る汁は沁みます。洗いましょう」
ザザは教室の隅の手洗いにアロイスを連れて行くと、丁寧に少年の指先を洗ってやった。
「この塗り薬を塗ってください。わたしが作ったものですが、少しは痛みがマシになりますよ」
それは以前、フェリアの傷に塗布したものだった。薬が沁みるかびくびくしていた少年は、ザザの塗り薬が沁まずに痛みを和らげることがわかって、ほっと肩を落としていた。
「布を巻きますから少し不自由でしょうけど」
「ありがとう、僕いつも失敗しちゃって……」
「いいえ、初めてのことがいつも上手くいくとは限りません」
ザザは細い布を少年の指に巻きながら言った。
「ザザも失敗するの? だって薬草のことすごく知ってるじゃない」
「いいえ、私の持つ知識はとても僅かです」
「ザザは体が小さいから、たくさん知識が持てないの?」
「いえ、体の大きさではなく……えっと」
少年はザザの言うことを素直に鵜呑みにしているようだ。そんなところも自分によく似ている。
しっかり受け止めて、わかるように説明しないといけないのだわ。
「経験……そう、わたしは経験が足りないのだと思います。今まであまり人と接しない生活をしていたのです。だから、少しでも多くの人と関わったり、生活の経験を積むために、この学校に来ているのです」
「大人なのに? それじゃあ僕たちと一緒だ」
「そうですね、私も皆さんと一緒にがんばります」
「わかった、ザザ」
「こら、フォーレット先生と言いなさい」
後ろから口を出したのはワレンである。
「アロイス、傷の手当ては終わったね。さっさとカチカッチの胚をすり潰して保冷薬を作りなさい」
「はい、ワレン先生、フォーレット先生」
そそくさと席に戻った少年を見届けたワレンは、照れているザザに言った。姓や先生と呼ばれることにはまだ慣れていないのだ。
「なかなか上手に接するようになったね。薬学は苦手にする子どもが多いのだけれど、君が来てから皆よく学ぶようになった。特にアロイスはとても良くなったよ」
「ありがとうございます。アロイスさんは自信がないだけで、本当はとても頑張り屋さんです」
「彼は、幼い頃病気をしてずっと家の中で暮らしていたそうだ。フローレン家は軍人が多くてね。体の弱いあの子はあまり重視されなかったようだ。学校に来れるようになったのも、去年からのことで」
「そうなのですか?」
自分と似たような境遇だとザザは思った。彼の心情がよくわかるのはそのせいかもしれない。
「だけど、これから伸びる子だと私は思っている。軍隊には向かないだろうが、今後あの子の資質を伸ばす良い指導者に出会えたら」
「はい、きっとご立派になられます」
「あなたもそうだよ。アロイスとザザさんは少し似ている」
「……そうかもしれません」
ザザは自信のない自分たちを思った。
「で、ギディオン卿のことだがね。彼はいい奴だろう? 安心して世話になるといい」
「はい。とてもお優しいです。でも」
「でも?」
「あの方は、本当はわたしに自立してもらいたいのだと思います。だからわたしはもっと、できることを増やしたいのです。ですからワレンさま、私は学校で教えます」
その日の授業を終えたザザは服を着替え、帰り支度をして校舎前庭の水盤の横に立っていた。
ギディオンとの約束の時間はもうすぐだった。
この服で良かったのかな、フェリアさまに頂いた服だから変じゃないはずだけど。髪も毎日手入れしてるから、少しはマシになったと思うし。ゆ、結えないけど。
水盤を覗き込むと、顔色の悪い貧相な娘が写っている。あれから気をつけて少しずつ食べる量を増やしているのだが、なかなか大きくならなかった。
「わっ!」
後ろから背中を押してきたのはグザビエだ。すんでのところで頭から水に突っ込みそうになったザザは、情けなさそうに少年を見返した。
「何ですか、グザビエさん」
「何してんの? ザザ先生。水見て、ため息ついて」
「いえ、何でもないですよ」
「先生はちっこいんだから、気を付けないと落ちてしまうよ」
自分が落としそうになったくせにグザビエは偉そうに言った。彼は四年生にしては大柄で、ザザと背丈が変わらない。
「やっぱり小さいですか?」
「小さいよ。でも、小さいのもいいけれど、似合ってるから」
「似合うって言われても……今日はアロイスさんにまで小さいって言われてしまったし……ん? グザビエさん?」
見るとグザビエは、ぽかんと口を開けたまま固まっていた、
「ご婦人への接し方を学びなおしたほうがいいな、小僧」
ぬっと顔を出したのはギディオンだった。
ワレルは兵舎の近くにある料理屋の丸テーブルで、ギディオンの杯を満たしながら言った。
ザザが学校に通うようになってから十日余りが経っている。
「先日、久しぶりに連絡をくれたと思ったら、急に世話をしてほしい人間がいるとか言うから、何事かと驚いたよ」
「気に掛けるとか、そんなものじゃないんです」
ギディオンは琥珀色の酒をぐいと飲んだ。
「あれには、事情があって責任が生じているんです。あなたも見て取ったでしょうが、彼女は人と接することに苦手意識があって……それでどうにかしてやりたいと思っているんです」
「責任? 妻にでも娶る気かい?」
「とんでもない!」
「おや、君ならこの手の冗談には慣れているかと思ったよ。学生時代から女性にはよくもてていたじゃないか」
ワレルとギディオンは同じ学校の同窓生で、ワレルが五年年長だった。年齢は違うが、二人とも若くして一人暮らしをしていて、部屋が隣同士だったのでお互いよく知っているのだった。
「冗談にもなりませんよ。だいぶ歳も違うし、あの娘は……特殊な事情を抱えていて」
特殊な事情とは無論、ザザが魔女だということである。ギディオンはワレンを信用してはいたが、こんなに人の多い料理屋で、こんなことを話すのはさすがに憚られた。
「また事情か。よほど何かあるんだね。でも一緒に暮らしているんだろう? それだけでも凄いことじゃないか。独身の男女が同居。妻にしないんならそれこそ拙いんじゃないか」
「しかし、年齢の割に気持ちが非常に幼くて、娘らしい自覚もないし」
「だから余計にさ。君は立派な男だろう」
謹直なワレンにしては軽い口を叩くのは、ギディオンが親しい仲だからだろう。
「俺はほとんど家に帰りませんし、彼女も一階で生活しているから、生活が重なることはほとんどないんです。使用人もいるし」
「それでもねぇ……。堅物だと評判のギディオン閣下が、女性と同居か。こりゃ泣くご婦人があちこちにできる案件だな」
「知らない婦人が知らないところで泣いたって俺には責任とれませんよ。でも、そんな噂が立つのはまずいな。あの子はとても繊細で純粋なんです」
「知ってるよ。とても真面目に助手をやってくれている。散らかり放題だった教官室や、標本室まで片付けてくれて大助かりさ」
「そうですか。俺はそう言うことを聞きたくて、あなたを呼び出したんです。後見人の責任というやつです」
「ふーん」
ワレンはにやにやしながら、つまみの燻製肉を突いた。
「で、あの子はちゃんと先生をやってるんですか?」
「ああ、やってくれているよ。四年生で意思疎通が下手でなかなか周囲にとけこめず、学習意欲も低い子どもがいたんだが、すっかり彼女に懐いてしまってね。学校に来ない日は寂しそうにしているよ。ほら、君も懇意にしているフローレン第四師団長の末っ子だよ」
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「それに薬学の知識も豊富だ。国家試験を受けたらひょっとしたら合格するんじゃないか? 王都ではあまり知られていない、辺境で使われる薬のこともよく知っている。どうだい? 試験を受けさせてみないか? 推薦状がいるが、それは私が書いてあげよう」
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「ぜひ考えてみてくれ。おとといの授業で三回目だったが、初日のおどおどした感じは消えつつあるな」
「……よかった」
「……」
「なんです?」
「いやなに、こんなこと言うと、また嫌な顔されると困るんだが。君、今すごく良い顔をしていたよ」
「良い顔? 普通の顔でしょう」
ギディオンは大真面目な顔で、自分の頬を叩いた。
「いやいや。でもまぁ、そういうことにしておくよ。今夜はもう帰ってやったらどうだ? 待っているんじゃないのか?」
ワレンの洞察は正しかった。ザザはいつも自分が帰るまで、玄関横の自分の部屋で静かに待っている。いくら待たなくてもいいと言っても待っているので、今ではもうそんなやりとりは諦めてしまった。
「待って……そうですね。じゃあ帰ります。今日は呼び立ててすみませんでした。今後もあの子をよろしく頼みます」
「ああ、任しておけ」
ワレンは鷹揚に笑った。
ギディオンが家に帰った時、玄関脇の小部屋にはいつものように小さな明かりが灯っていた。
暗いホールには小部屋から漏れる薄い光が筋のように流れている。ギディオンはしばらく逡巡していたが、心を決めて、小さな扉をノックした。それはすぐに開いて小さな顔が覗いた。薄闇の中でもザザが嬉しそうにしているのがわかる。
「お、おかえりなさいませ!」
「ああ、今帰った。ただいま、ザザ」
「……お茶を淹れましょうか?」
メイサの話では、最近ザザは上手にお茶を淹れられるようになったのだと言う。
「いい。食べてきたところだ。今日はワレンと会っていてな。お前がよくやってくれていると喜んでいたぞ。俺も嬉しかった」
「ありがとうございます」
「明日も授業があるのだろう?」
「はい」
「明日は早くに帰ってこられるはずだ。お前の話も聞きたいな、ザザ。学校に迎えに行くから夕食でも食べに行くか?」
「え?」
「嫌なら無理にとは言わんが」
「いいえ! ま、参ります! ギディオンさま」
「よし、なら今日はもうゆっくり休め」
「はい、おやすみなさいませ」
目をこぼれ落ちそうにさせながらお辞儀をすると、娘は扉の向こうに消えた。音もなく閉まった扉を見つめながらギディオンは不思議な心持ちを感じていた。
「ザザ、カチカッチの実の保定はこれでいいの?」
「はい。殻を割ったら、胚を潰さずに取り出してくださいね」
「でもなかなか殻に刃が入らな……いたっ」
ほとんど球形をした木の実を、粘土の上で割ろうとしていたアロイスは小刀の先で指を切ったらしく、顔をしかめた。
「どんくさいなぁ。ワレン先生が、カチカッチの実は硬いから気をつけるように言ってたじゃないか」
グザビエが口を出したが、ザザはそちらにも微笑んだ。
「そうですね。グザビエさんも気を付けてくださいね。実が転がり落ちそうですよ。アロイスさん、大丈夫ですか?」
「ちょっと痛い」
「ああ、傷は小さいですが、少し深く刺していますね。カチカッチの胚から出る汁は沁みます。洗いましょう」
ザザは教室の隅の手洗いにアロイスを連れて行くと、丁寧に少年の指先を洗ってやった。
「この塗り薬を塗ってください。わたしが作ったものですが、少しは痛みがマシになりますよ」
それは以前、フェリアの傷に塗布したものだった。薬が沁みるかびくびくしていた少年は、ザザの塗り薬が沁まずに痛みを和らげることがわかって、ほっと肩を落としていた。
「布を巻きますから少し不自由でしょうけど」
「ありがとう、僕いつも失敗しちゃって……」
「いいえ、初めてのことがいつも上手くいくとは限りません」
ザザは細い布を少年の指に巻きながら言った。
「ザザも失敗するの? だって薬草のことすごく知ってるじゃない」
「いいえ、私の持つ知識はとても僅かです」
「ザザは体が小さいから、たくさん知識が持てないの?」
「いえ、体の大きさではなく……えっと」
少年はザザの言うことを素直に鵜呑みにしているようだ。そんなところも自分によく似ている。
しっかり受け止めて、わかるように説明しないといけないのだわ。
「経験……そう、わたしは経験が足りないのだと思います。今まであまり人と接しない生活をしていたのです。だから、少しでも多くの人と関わったり、生活の経験を積むために、この学校に来ているのです」
「大人なのに? それじゃあ僕たちと一緒だ」
「そうですね、私も皆さんと一緒にがんばります」
「わかった、ザザ」
「こら、フォーレット先生と言いなさい」
後ろから口を出したのはワレンである。
「アロイス、傷の手当ては終わったね。さっさとカチカッチの胚をすり潰して保冷薬を作りなさい」
「はい、ワレン先生、フォーレット先生」
そそくさと席に戻った少年を見届けたワレンは、照れているザザに言った。姓や先生と呼ばれることにはまだ慣れていないのだ。
「なかなか上手に接するようになったね。薬学は苦手にする子どもが多いのだけれど、君が来てから皆よく学ぶようになった。特にアロイスはとても良くなったよ」
「ありがとうございます。アロイスさんは自信がないだけで、本当はとても頑張り屋さんです」
「彼は、幼い頃病気をしてずっと家の中で暮らしていたそうだ。フローレン家は軍人が多くてね。体の弱いあの子はあまり重視されなかったようだ。学校に来れるようになったのも、去年からのことで」
「そうなのですか?」
自分と似たような境遇だとザザは思った。彼の心情がよくわかるのはそのせいかもしれない。
「だけど、これから伸びる子だと私は思っている。軍隊には向かないだろうが、今後あの子の資質を伸ばす良い指導者に出会えたら」
「はい、きっとご立派になられます」
「あなたもそうだよ。アロイスとザザさんは少し似ている」
「……そうかもしれません」
ザザは自信のない自分たちを思った。
「で、ギディオン卿のことだがね。彼はいい奴だろう? 安心して世話になるといい」
「はい。とてもお優しいです。でも」
「でも?」
「あの方は、本当はわたしに自立してもらいたいのだと思います。だからわたしはもっと、できることを増やしたいのです。ですからワレンさま、私は学校で教えます」
その日の授業を終えたザザは服を着替え、帰り支度をして校舎前庭の水盤の横に立っていた。
ギディオンとの約束の時間はもうすぐだった。
この服で良かったのかな、フェリアさまに頂いた服だから変じゃないはずだけど。髪も毎日手入れしてるから、少しはマシになったと思うし。ゆ、結えないけど。
水盤を覗き込むと、顔色の悪い貧相な娘が写っている。あれから気をつけて少しずつ食べる量を増やしているのだが、なかなか大きくならなかった。
「わっ!」
後ろから背中を押してきたのはグザビエだ。すんでのところで頭から水に突っ込みそうになったザザは、情けなさそうに少年を見返した。
「何ですか、グザビエさん」
「何してんの? ザザ先生。水見て、ため息ついて」
「いえ、何でもないですよ」
「先生はちっこいんだから、気を付けないと落ちてしまうよ」
自分が落としそうになったくせにグザビエは偉そうに言った。彼は四年生にしては大柄で、ザザと背丈が変わらない。
「やっぱり小さいですか?」
「小さいよ。でも、小さいのもいいけれど、似合ってるから」
「似合うって言われても……今日はアロイスさんにまで小さいって言われてしまったし……ん? グザビエさん?」
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