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Ⅰ.声優とガチ恋勢と深夜のファミレス

8.理解されなくても、理解しなくても。

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「そ、それは、思うわよ。だって、貴方の人生でしょ?」

「それはそうなんだけどな。けど、こればっかりは仕方ないんだよ。だって実感が湧かないから。いかに危機的状況だとしても、明らかにバッドエンドに突き進んでても、実感が湧かない。こればっかりは、誰にどう言われても仕方ない。だって、感じないんだから」

「それ……は……」

 沈黙。

 やっぱり、話すべきじゃなかった。

 確かに彼女にとっては対岸の火事だった問題かもしれない。

 しかし、それはあくまでほんの一日前の話だ。

 今の彼女にとっては、「これから暫くの間、多くの時間を共にする可能性のある男」の抱える、内面の問題。そんなことを聞かされてみろ。翌日から、接しにくくなるに違いない。どうしてそれくらいのことが、

「……ちょっと話がそれるかもしれないけど、私の話、聞いてくれる?」

「…………え?」

「駄目?」

「い、いや、それは良いけど。でも、なんで?」

「いいから」

 そこで彼女は一度言葉を切って、

「貴方は知ってると思うけど、私が声優になったきっかけは、人から褒められたから、なの」

「知ってる。声優に向いてるんじゃないかって言われたんだよね」

「そう。それで「そんなに褒めてくれるんだったら、やってみようかな」って思って、手を出した。そしたら、結果が伴った。それでまた、褒められた。やっぱり咲花さくはなさんは凄いねって。私はそれで嬉しくなって、もっと頑張った。そしたら、もっと結果が出た」

 そう。

 咲花あやめの声優人生は実にスムーズだ。高校を卒業し、大学に入学したころには、既にメイン格のキャラクターを任されるまでになっていた。

 声優のブレイクをどこに設定するかは分からないが、彼女のブレイクは明らかに早かった。そして、その後のキャリアも順調に見えた。少なくともファン目線では。

「そんな風に積み重ねていった結果が今の私。もちろん、最初は他薦みたいな形だったけど、今はこの仕事を選んでよかったなって思ってるし、そこに後悔はない。ないんだけど、時々思うことがあるの。私の人生、このまま過ぎ去っていくのかなって」

 沈黙。

 視界が段々とクリアになる。目が夜の暗さに慣れてきた証拠だ。

 咲花が再び口を開く。

「この間、ね。まとまった休みが出来たの。でもね。その時私、やることが思いつかなくって。いつも仕事してるときは「あれやりたい」とか「あそこ行きたい」とか、そんなこと考えてたはずなのに。いざ、休みが出来たら、急に気持ちが向かなくなる。その時ね、思うの。あれ、私は一体なんのために頑張ってたんだっけなって」

「それ……は」

 難しい話だ。

 昨今、声優のマルチタレント化はすさまじいものがある。

 アニメの声を担当したり、日本語版の吹き替えをやったりするだけじゃない。元からあったラジオに、生放送に、動画配信サイトに。歌を歌われされるだけに飽きたらず、楽器をやらされ、何故かライブイベントまでやることになる。

 人気で、なりたいという若い子は多い。しかしその分生き残りも難しく、結果として激務をこなすマルチスキルが求められる。遠巻きに見ている俺ですら感じるのだ。内部にいる彼女の心労は計り知れない。

 咲花は申し訳なさそうに、

「ごめんね。こんな話して。でも、なんかちょっと近いっていうか。その、自分の人生なのに、自分で生きてるはずなのに、よく分からないってのが、ちょっと、被っちゃって……」

 優しい人だ。

 つくづくそう思った。

 俺なんて、どこにでも転がってる気持ち悪いファンでしかない。いくら入れ替わってしまったとはいえ、その内情に踏み込む必要性なんてないはずだ。

 それでも、彼女は、踏み込んだ。

 もしかしたら、共感できる相手が欲しかっただけなのかもしれない。

 彼女の境遇を考えれば、弱音を吐いても、「恵まれてるのに、贅沢だ」と石を投げる輩がいてもおかしくない。だから、どこにも吐けない。吐いても共感してもらえない。そんな積もり積もった思いが、解放されただけなのかもしれない。

 それでも、

「プライベート、充実するといいな」

「え?」

「プライベート。お願いしたんだろ?」

「あ、ああ、うん。そう。そう、ね」

 口ごもる。

 やがて咲花はぽつりと、

「貴方も、実感が持てる道が見つかると良いわね」

「そうだな。ありがと」

「どういたしまして」

 それ以降。咲花が俺に話しかけることは無かった。

 本当にこれで良かったのだろうか。後悔ばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡る。失言はしていないか。そもそも俺の内情なんて語るべきではなかったんじゃないか。そんな、今更考えても仕方のないことが脳内を駆け巡る。

 やがて、思考回路は同じ場所をぐるぐると行ったり来たりするようになる。意識がゆったりと薄れていく。夢の世界へと、溶け込んでいく。
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