Etoile~星空を君と~

結月

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第二章

#7 思惑メリーゴーランド

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 穏やかな晴天の下、首都アルカディオの街から西へ向かった先にある小さな町は、いつもと何変わらぬ……とは少々言い難く、質素な家が立ち並ぶ分一際目につく古い洋館には何やら黒い服を着た者たちの人集りができていた。
「書斎にある書類はこれで全てかヴィクター・アンダーソン殿」
「それで全部だ。お国が思うようなことは何もしていない!」
 春の陽気に包まれた暖かな空気とは裏腹に、物々しい空気を放っている二人の男性はアルカディオ軍総司令官ドーヴェ・ソフォス・アルカディオ。対するヴィクターと呼ばれたのは五十代程の男で、おそらく体型の問題でボタンが留められていないスーツから生活の豊かさが伺える。
「これを持ち帰り入念に調べろ。暗号化されている可能性もあるので解読班に回せ」
「総司令官はどちらに?」
「私はこれから私用で首都に戻る。ヴィクター殿は娘と同じ部屋で待機させろ」
 書類の山を渡した部下に問われたドーヴェは上着を着直しながら要件を伝えると洋館を後にした。


「私用だってよ。こっちは休み返上で働いてるっていうのに」
「そりゃあの有名なアンダーソン家が隣国オルフェンディアと繋がってたとあっちゃ事は一大事、国家反逆罪だぜ!俺一度手錠とかかけてみたかったんだよな~」
 ドーヴェがいなくなったことにより張り詰めた空気が少し緩和された洋館では、休日出勤の兵士たちによる愚痴が一斉に行き交う。
「それにしても気の毒だよな、ここの娘さん。歳頃とは聞いてるが父親の不正が発覚すりゃあ結婚どころじゃないよな」
 一人の兵士がヴィクターとその娘が収容されている部屋の扉を見ながら眉を下げる。
「お前がもらってやったらどうだ?」
「馬鹿!俺は婚約者持ちだっつーの」
「家族になる人のためにもお国の平和は守らないとな」
 兵士たちはふざけて互いをこづき合うと再び各々の持ち場へ戻っていった。


          ☆  ★  ☆


 多くの人が行き交う賑やかな街の大通り。その一角に建つ年季の入った店の前にミユとヒノワ、そして見るからに気の弱そうな男性はいた。年季が入っているとはいえただ古いわけではなく、歴史長いアルカディオの首都に昔から軒を構えているだけあり、外から見ているだけでもこの店の格式の高さが分かる。
「何してんださっさと入れよ」
「えっ!?あ、はい……」
「ちょっとヒノワ!依頼人さんにそんな雑な態度はダメでしょ!ごめんなさいシアンさん」
 ミユは肘でヒノワの胴をこづくと、眉を下げながらあたふたしている男性に対しヒノワに代わって謝罪する。
 この街では少し珍しい着流を着ている男、格式の高い店に来るには随分と質素な服を着た男、ちんちくりんな小さな少女の三人が騒いでいる頭上には''宝石店''と書かれたプレート。明らかに場違いである。
 事の発端は一件の依頼。婚約者へ贈る指輪を一緒に探して欲しいという依頼を、気の弱そうなこの男性、シアンが送ってきたからだ。それを受けたミユと付き添いであるヒノワは、シアンと合流し依頼内容を確認した後、とりあえず宝石店を訪れてみたのだが………。
「俺こういう高そうなお店って慣れてなくて…ヒノワさん先に入ってくれませんか?」
「あのなあ…俺はこのガキの付き添いで…」
「俺ヒノワさんのような堂々としたカッコイイ男になりたいんです!」
 両手を合わせて頭より上に掲げるポーズを取って懇願するシアンに、ヒノワは舌打ちこそしたものの満更でもない表情で細かな装飾が彫られた扉の取手を掴む。
(単純だなあ………)
 ミユはヒノワの一歩後ろで彼に気づかれぬようふふっと笑うと、三人は店の中へ入った。


「すっごーい!!」
 店内には様々な宝石が種類や大きさごとにショーケースの中に並べられており、その光景は年頃の女の子にとってはうっとりするような光景で、ミユはへばりつくように一つ一つのショーケースを眺めた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
 店の奥から出てきたのは、整えられた口髭が彼自身の品格の良さを表す初老の男性。この店の店主であろう男性は、どう見てもこの店のお客に相応しくない風貌の三人を見て少々眉を寄せた。
「あ…あのっ、婚約者へ贈る指輪を探してまして……」
 ヒノワにせっつかれ、おどおどしながらも要件を伝えたシアンの頭から爪先までを目で追った店主は、少し鼻で笑うような素振りを見せるとポケットから鍵束を取り出す。
「ご婚約者様へ贈られる指輪ならやはり定番のダイヤモンドがおすすめです」
 店主は鍵束の中の一つを摘みショーケースの鍵穴に差し込むと、指紋がつかぬよう手袋を着けて大粒のダイヤモンドが乗った指輪を取り出した。
「こちらアルカディオ北部の鉱山からのみ採取されるダイヤモンドの中でも一部しか採れない一級品で国内で取り扱っているのは当店だけでございます」
 店主はその指輪を掲げながら鼻高々に言う。
「へ…へぇ~すごいですね…因みにお値段の方はいくらくらい…?」
「ざっとこんなものですかね」
 店主は指輪をケースの中に戻すとレジにその値段を打ち込んだ。
「ひぇっっっっっ!!!?」
 〇がいっぱい並んだ金額を見たシアンは大の大人が上げるにはなんとも情けない声を上げると、青ざめた顔で思わず隣に立っていたヒノワにしがみつく。
「もう少し安いものとか…ありませんかね…」
 ヒノワに引き剥がされたシアンは苦笑を浮かべながら恐る恐る店主に聞く。
「そうですね、店内入口に並べられた宝石たちが一番安くてあのダイヤの半額です」
 店主の言葉を聞いたミユは宝石よりも大きな目を丸くすると、へばりついていたショーケースから急いで離れヒノワにしがみついた。
「大変恐縮なのですがお客様のお手持ちでご用意できるものは当店にはないかと」
 明らかに店主に小馬鹿にされていると分かったシアンは今度は顔を真っ赤にしながら俯いてしまう。
「いつまでくっついてやがるクソガキ!…で?どうすんだ」
 ミユを引き剥がすとヒノワは完全に落ち込みモードに突入したシアンを半ば呆れたように見る。
「そ、そうですよね…足りないのであれば仕方ない…諦めます…」
 自分の懐の寂しさに深い溜息を吐いたシアンは肩を落としゆっくりと踵を返す。
「ご来店ありがとうございました。どうかご婚約者様が幸せでありますように」
 とぼとぼと扉へ向かうシアンを見て一礼もせずにニヤニヤと笑っていた店主は、次の瞬間豪華なシャンデリアが吊るされた天井を見ているなんて思いもしなかっただろう。
「あっっ!?」
 ミユもシアンも開いた口が塞がらないというくらい口をあんぐりと開けており、その視線の先には固く握った拳を重心と共に前へ突き出したヒノワがいた。
「確かに金が足りなきゃ指輪は買えんがその資格を決めつけるお前に幸せを売る資格はねえよ」
 数メートル程飛んだ店主は殴られた顔を押さえながら身体を起こすと、口元からぽろりと落ちた歯を見て怒りで顔を真っ赤にしながらヒノワを睨みつける。
「貴様っ…!こんな事をしてタダで済むと思うな!!この歯どうしてくれる!!」
「これを機にこの店で差し歯も売ったらどうだ?お前の大好きなダイヤモンドのな」
 皮肉たっぷりに左目を細めながらヒノワは踵を返すと二人の肩を掴んで共に店を出ようとするが、同じタイミングで店内に入ってきた人物に阻まれる。
 その人物を見たヒノワと店主は先程と真逆の表情を浮かべ、ミユとシアンもまた怯えるようにヒノワにしがみついた。
「良いところに!この者を傷害罪で捕らえてください!」
 店主にそう言われた人物は、ツルのない眼鏡をくいっと上げると眉間に皺を寄せながら一生懸命目を合わさぬよう視線を泳がせているヒノワを睨みつけた。
「後でじいさんに謝らねえとな…」
 そう言いながら溜息を吐いたヒノワはツルなし眼鏡の人物、アルカディオ軍総司令官ドーヴェの前に両腕を差し出した。


          ☆  ★  ☆


「俺のせいでなんだか大変な事になってしまってすみません…」
「宝石は無事だったんだし大丈夫だよ……多分」
 机と椅子だけが置かれた簡素で狭い部屋にミユとシアンはいた。
 ここはアルカディオ軍本部。先日あれ程トーヤに念を押されたにも関わらず早くもその敷地を踏んでしまったのだ。こんな事が知れたらまたトーヤに一線置かれてしまうのではないかとミユは椅子の上で体育座りをしながらがっくりと肩を落とした。先刻宝石店の店主を殴り飛ばしたヒノワは現在別室で取り調べを受けている。幸い宝石や店の内装には一切傷はつかなかったものの、店主の永久歯一本は店に並べられたどの宝石よりも価値がある(本人曰く)らしく、見つかった相手も悪くこうして連行されたわけである。
「あのさ、婚約者さんってどんな人?どこで知り合ったの?」
 暫くの沈黙に耐えられなくなったミユはシアンにかねてより気になっていた質問を投げ掛ける。
 ここに至るまでの意気地無しっぷりは誰もが認めるレベルだろう。しかも相手は資産家の一人娘ときた。一体相手の女性はシアンのどこがよくて恋仲になったのだろう。最早騙されているとしか思えないのだが。
「俺実は旅商人で各地を旅しながら回ってるんですが、丁度旅行中だった彼女が旅先のバザーで俺の店に来たのが出会いです。俺の旅の思い出話を笑って聞いてくれて…とても気さくで笑顔が絶えない人です。でも彼女は良家のご令嬢。親は当然反対みたいですね…」
「すごい!本当に身分違いの恋ってやつだね!」
 ミユは苦笑するシアンをよそに正真正銘の身分違いの恋に両手を握り目を輝かせる。
「そうですね。自分でも御伽噺のような恋をしてしまったと思っています。まあ現実は甘くなさそうですけど…」
「大丈夫!私のパパとママもカケオチしてハッピーエンド!私が証拠!」
「はあ…そうなんですか…」
 なんの根拠もない励ましを受けながら一回り以上も歳下の少女に肩をバシバシ叩かれる自分に少々情けなさを感じシアンはまた溜息を吐いた。本来なら今頃指輪を購入して彼女にプロポーズしているはずなのにまさか軍に捕まっているなんて。自身の手持ちでは指輪の購入が一筋縄にいかないことは予想ついていたが、人生何が起きるか本当に分からないものである。
(まあ元はと言えば俺の稼ぎがないせいか~………)
 ますます自分に嫌気がさしたシアンは、どんよりとした空気を纏いながら殻に閉じこもるカタツムリのように頭を抱えてそのまま黙り込んでしまった。
 再び暫くの沈黙が続いた後、扉の外で見張りの兵士ともう一人別の誰かが話している声が聞こえてミユはじっと扉を見つめる。
「入りますよ」
 トントン、というノックに続き扉の向こうから聞こえて来る柔らかく誰をも惹きつけるような優しい声。聞き慣れたその声にミユの顔は一気に綻ぶ。
「おじいちゃん!」
 開けられた扉から現れたオリヴァーを見てミユは安心のあまり思わず抱きつく。
「初めてのお仕事で逮捕なんて最近の若い子は大胆不敵ですねぇ」
「ごめんなさい…軍とはあまり関わっちゃいけないって言われたのに…」
 抱きついてきたミユを皺くちゃの手で撫でながらオリヴァーは例によって優しく微笑んだ。
「今回は仕方ないですよ。それに気晴らしにここまで散歩もできましたし…まあ確かに少々不本意なコースですが…お二人とも無事ですか?」
「うん!私は全然大丈夫!でもヒノワが……」
「すみません、すみませんっ…!俺が甲斐性無しのせいで他人に迷惑をかけるどころかヒノワさんをっ…!!」
 先程まで殻に閉じこもっていたシアンはオリヴァーを目にするなり半ば半狂乱で土下座をし始めた。
「あなたがシアンさんですか。依頼内容から意気地無しとは思っていましたが甲斐性も無いのですねぇ」
 オリヴァーの必殺技、無慈悲の矢に射抜かれたシアンは返す言葉もない、というように涙目で床に蹲る。こうして見ると本当に殻に閉じこもったカタツムリそのもののようだった。
「すみません冗談ですよ。いや冗談ではないのですが…。改めまして私はオリーブ堂の主オリヴァー。この度はご依頼ありがとうございました。それとヒノワの件なら心配要りませんよ」
 オリヴァーは苦笑しながらシアンの前に膝をつき手を差し出す。
「どうして分かるの?」
 アルカディオの中でも格式の高い宝石店で起こした傷害事件。国の治安を少しでも脅かす可能性のある存在をこの数日見てきた軍なら見逃すはずがない。しかもその場に居合わせたのは厳格極まりないと噂の総司令官ドーヴェ・ソフォス・アルカディオ。そして何より、あの店主の性格からしてヒノワが釈放される事を絶対に許さないだろう。
「連行して取り調べを担当しているのはドーヴェでしょう?それなら問題ありません。彼を一番理解しているのはドーヴェですから。まあヒノワにとっては少々苦痛な時間かもしれませんが……」
「………どういうこと?」
 オリヴァーの言葉の意味が全く分からないというようにミユは眉を寄せながら首を傾げる。
「ヒノワは元アルカディオ軍所属の兵士、育ての親はドーヴェです」
「「えぇっ!!?」」
 衝撃的な事実に先程まで首を傾げていたミユはもちろん、これにはシアンも思わず殻から頭を出して驚いていた。
「でもヒノワは東部出身で東部の人は皆軍を嫌ってるんじゃ……」
「ええ。ヒノワはアルカディオ東部…当時は和国と呼ばれていた国の出身です。二十五年前、軍の侵攻の際家族を喪い孤児となったのをドーヴェに拾われ、軍人として育てられたようです。在籍中の彼の事は何も知りませんが今はそれなりに軍のことが嫌いですよ。とりわけドーヴェのことが」
 ヒノワが一番尊敬しているように見えるオリヴァーすら何も知らないという事は恐らく誰にも話していないのだろう。それに東部侵攻で家族を喪っている事を知らなかったとはいえ、無神経に他人の内情に触れようとしていた自身の愚かさにミユは恥ずかしくなった。
「もう少ししたら釈放されると思うのでそれまで雑談でもしましょうか」
 オリヴァーは空いている椅子に腰を掛けると、ミユとシアンにも椅子に座るよう促した。
「そうですね…お二人に質問です。大切なものが二つあったとして何方か一方しか選べないとするとあなたはどうしますか?」
「えと……大切なものに優劣をつける…しかないんですか…?」
「なんとなく分かってはいましたがあなたは正しく''二兎を追う者は一兎をも得ず''ですねぇ。そんなんじゃ得られるものも得られませんよ」
 再びオリヴァーの無慈悲の矢に射られたシアンはうぅ…と涙目になりながら肩を落とした。
(まあ私が言えたことではありませんが……)
 オリヴァーは落胆するシアンの肩をポンポンと叩くと、隣で真剣に考えているミユへと目を向ける。
「ミユさんはどうでしょう」
 さて、この小さな少女は何方の秤に乗るのだろう。
「う~んと…両方選べる方法を考える…かな?あ、でもそれじゃ質問の答えになってないか…」
 ミユは顎に手を当てながら再びうんうんと考え始めた。やはり十四そこらの少女に自身の意思を委ねるなんて愚かだっただろうか。オリヴァーが苦笑しながら次の話題へ移そうと思った瞬間、ミユは顔を上げて真っ直ぐな視線を向け、こう答えた。
「片方を選んだとしても、もう一方も幸せになれる道を選びたい!」
 その視線に気圧されたのか、期待通りに自身が考えもしなかった道を示したことに感銘を受けたのか、オリヴァーはそのオリーブの実のような瞳に目の前の少女を捉えて離せなくなった。
「欲張りなのですね。相手の幸せなんて他人の尺度では測れないのに」
「えへへ、そだね…でも大切なものが大切なのには変わりないんだもん。一番良いものを選び取りたい。それが選択する人の責任だと思うから」
 ミユは苦笑するが尚変わらぬ強い眼差しでオリヴァーを見た。
(これは…トーヤ君の言っていたことが少し分かったような気がします……)
 オリヴァーはゆっくりと目を閉じると口元を緩めその顔に柔らかな笑みを浮かべる。
「ミユさんに一本取られましたねぇ。だそうですよ?シアンさん。恋愛は欲張りにいかなくては!」
 オリヴァーはカラカラ笑いながら依然心に矢が刺さりまくり重傷なシアンの背中を押すと何故か宙を見つめた。つられてミユも同じ所を見るが、ただの何の変哲もない天井しかなく小さく首を傾げる。オリヴァーがその瞳に何を映していたのかシアンはもちろん、今のミユは知る由もなかった。


          ☆  ★  ☆


 そこはミユとシアンが収容されている部屋よりも狭く、窓が無い分とても居心地が悪い。机を挟み対面式に置かれた椅子にヒノワとドーヴェは座っていた。
「宝石店店主への暴行は認めるか?」
 ペンの先にインクをつけながらドーヴェは目の前に座る年甲斐も無く不貞腐れた男を眼鏡越しにじっと見つめる。
「あの状況見られてんだから認めざるを得ねえだろ。それとも何だ。店主が勝手に転んだっつったら信じてくれるのか?」
「それでは何故殴った」
 ドーヴェは紙にペンを走らせながら次の質問をする。
「あの野郎に腹が立ったからだよ」
 ヒノワは頬杖をつき視線は横に流したまま素っ気無く答える。まるで尋問されている態度ではないヒノワにいつもより少々濃いめに眉間の皺を寄せながら彼の答えを書き記していく。
「……変わらんな」
「は?」
 非常に素朴なヒノワの動機を書き記し終えたドーヴェはペンを立てると、ツルのない眼鏡をくいっと上げる。
「人を殴る理由などどんなに綺麗に飾ろうとも私怨だ。ただ貴様が人に手を上げる理由は見当がつく」
「……ここは昔話を語り合う場所じゃねえだろ。済んだならさっさと牢にぶち込めよ」
「牢?何を言っている。あの兄がみすみす貴様を捕らえさせるわけないだろう。既に釈放の手回しがされている」
 ドーヴェは白紙にも等しい紙を見て顔をしかめながらヒノワに部屋から出ていくよう促す。ヒノワは立ち上がるがあ、そうそうとドーヴェに向き合い睨みつける。
「兵器の実用訓練の住民への危害知ってるか」
「十分な金額は払っているはずだ」
 数日前まで自身が請け負っていた実用訓練によって被害に遭った住宅の修理。怪我人こそおらずとも、いつ弾が飛んでくるかもわからない日々を過ごすのは戦時中と同じである。国民が不安を抱いているという事実に対して金で片付けようとしている国の有り様に、ヒノワは思わずドーヴェの胸ぐらを掴んでいた。
「そうじゃねえ。国だけを守ってそこに生きる奴らのことを一切考えてねえ。お前も全く変わらねえな」
「ここは昔話をする場所ではないのだろう。取り調べは済んだ。さっさと出て行け。それとも私を殴って今度こそ牢へ行くか?」
 ヒノワはチッと舌打ちすると何かに悔しがる子供のように顔の中央に皺を寄せながらドーヴェを掴む手を離し踵を返す。
「言っとくが俺はお前のしたこと許してねえからな」
 吐き捨てるようにそう言ったヒノワは重い扉を開ける。部屋の中が薄暗い分扉の向こうは眩しく見えた。大袈裟な表現かもしれないがドーヴェには実際そう見えていた。
 大昔どこかの国に伝わっていた物語では、天災の中を翼をはためかせ人類を新たな地に導いた鳩は平和の象徴として語られているとか。
 しかし長いこと鳥籠で飼われた鳩ではそれをすることは叶わない。
 ドーヴェは溜息を吐きながら眉間に手を当てた。


「失礼します、総司令官」
 暫く物思いに耽っていたドーヴェはノックとその声に我に返ると、中へ入るよう促す。
「入れ」
 そう言われて入ってきたのはアンダーソン家から押収した書類の調査をさせていた兵士。兵士は抱えていた書類を机に広げると、そのうちの数枚を提示する。
「これら全て暗号化された偽の書類でアルカディオ国内の重要都市に関する情報、各自治体の長の情報が記されていました。それとこちら。一見ただの納税証明書ですが僅かに薬品の匂いがしたのですが…失礼します」
 兵士はドーヴェの傍に置かれた蝋燭の火を納税証明書と思しき紙にかざす。すると、ぼんやりと別の文字が浮かび上がる。兵士も自身の判断が誤っていないかと不安だったのか文字が浮かび上がった事でドーヴェに分からぬ程度に安堵の溜息を吐いた。
「文書の内容はオルフェンディアへの亡命を認めるもの。恐らくオルフェンディアから送られてきたものです。娘を相手国の有権者の息子と結婚させるのが条件だそうですが…。これでアンダーソン氏とオルフェンディアとの繋がりは明白ですが如何致しましょう?」
「オルフェンディアは近頃南西の国々と手を組み始めているため亡命されては迂闊に手を打てなくなる。直ちに現地の者に伝達を回せ。私も書状ができ次第向かう」
 指示を受けた兵士はドーヴェに一礼するとその場を去った。
 ドーヴェは傍にある先程のヒノワの取り調べ内容について書かれた紙を小さく折り畳み、薄暗い部屋の僅かな明かりである蝋燭に灯る火に焚べる。みるみると燃えて黒い塵と化していくのを見届けると、机に広げられた物的証拠をまとめ立ち上がる。
(たとえ亡命が成功してしまったとしてもあの人は容赦なくオルフェンディアを攻めろと言うのだろう)
 そうならぬよう何としても止めねば—————
 ドーヴェは眉間に皺を寄せながら重たい扉を押し開けた。


          ☆  ★  ☆


 ミユとオリヴァー、シアンも混じり他愛もない会話をしていると、扉の外で何やら見張りの兵士と聞き慣れた声がして三人は一斉に顔を上げる。
「よぉ…」
 扉が開けられるとバツが悪そうに頭を掻く男がそこに立っていた。
「「ヒノワ(さん)!!」」
 ヒノワを見るなり彼にしがみつく小さな少女と傍で鼻水を啜りながら泣き始めるシアンを見て鬱陶しいと思いつつも二人が無事であることに内心安堵した。
「俺のせいで指輪買えなくて悪かったな」
「いえ、元より俺の手持ちが足りないのが悪いんですし、それに…」
 シアンは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭うと、まだまだ少し眉が下がっていて自信なさげだがヒノワに向き合い真っ直ぐに彼を見つめる。
「俺あの時何も言い返せなくて…まあ事実を述べられちゃ何も言い返せないんですけど…彼女を幸せにするのは自分でありたいと思っているのに…。俺の代わりに怒ってくれてありがとうございました!」
「俺は自分のために怒っただけだ」
 ヒノワは照れ隠しなのかシアンから目を逸らすと自身にへばりついているミユを引き剥がす。
「さて、シアンさん。依頼の期限は本日中。もうすぐ日も暮れ今日中に指輪を購入するのはどう考えても困難と見受けられますが…どう致します?」
 愉快なトリオを見てニコニコしていたオリヴァーは手をパンパンと叩くとシアンに問いかける。狭い部屋の小さな窓を見ると既に空は青からオレンジに移り変わっていくところだった。
「お…俺は……」
 シアンは少しおどおどしながらオリヴァーに向き直る。
「俺はもう自分の意思を曲げたくない…だから彼女に想いを伝えることも諦めたくない…だから、大変恐縮なのですが依頼の延長をお願いしてもよろしいでしょうか…?もちろん延長料金はお支払いいたします!」
 頭を下げ懇願するシアンを見てオリヴァーは優しい笑みを浮かべると今度はミユを見る。
「だそうです、ミユさん。依頼を請け負っているのはあなたですからあなたが決めてください」
 突然選択を振られ驚いたミユは少し考えるが、狭い部屋に空腹を知らせる音が響き苦笑しながら言う。
「延長料金はシアンさんの奢りでご飯……じゃダメかな?」
 オリヴァーは目を丸くしヒノワは呆れたように目を細めるが、ミユにとってそれが意図的なのか単なる思いつきなのか、シアンに二回分の依頼金額を払わせると買える指輪も買えなくなるのを察した二人は顔を見合わせながら苦笑する。
「気をつけろよ。下手すりゃ延長料金よりも高い金額払わされるぞ」
 ヒノワはニヤニヤ笑いながらシアンの背中を叩きじろりとミユを見る。
「人のお金で食べるんだもん、ちゃんと自重するよ!」
「人のお金で食う時は自重する…ねえ」
 ミユはむっと口を尖らせながらヒノワを見上げる。ここまで一緒にいて見直したところもあったがやはり意地悪である。
「シアンさんはそれでよろしいですか?」
 何やら勝手に話が進んでいっている様子を呆然と眺めているシアンはオリヴァーの問い掛けに我に返ると頭を掻きながら苦笑する。
「ミユさんは''一番良い方法''を選び取るのが得意みたいですね…。お恥ずかしながらそれで良いのなら助かります…」
「全く…これから増えるであろう家族を養っていかなければならない男性にしては少々落第点ですがミユさんに免じて及第にしておきましょう。それに今のあなたさっきよりも良い顔してますよ。さあソニアとトーヤ君には私から連絡しておきます。ご馳走になりましょうか」
 オリヴァーはとっくに用は済んでいるのに未だ自分たちが部屋から出てこないがため、扉の外に立たされ続けて左右の足を交互にぶらぶらさせている見張りの兵士を不憫に思い、三人にそろそろ出るよう呼びかける。


「すまん、じいさん…迷惑かけちまった」
 ミユとシアンがどこのお店にするか話しながら部屋から出て行った後、ヒノワは珍しく切長の目を伏せながら申し訳なさそうにオリヴァーに謝る。
「天下の総司令官殿を殴ったあなたです。今更驚きませんよ」
 久しぶりに自身に向けられたオリヴァーの容赦ない一言にヒノワは溜息を吐く。
「それにあなただって家族です。迷惑だなんて思ってません」
 オリヴァーはヒノワの肩に手を置くと目尻の皺を上げそっと微笑む。
「頼りにしてますよ、ヒノワ」
 その笑顔にいつもと違う感情を捉えたような気がしたヒノワは一瞬目を見張るが、''家族''と呼ばれたむず痒さにすぐに目を逸らす。
「ここは居心地が悪い。早く飯食いに行こうぜ」
「賛成です」
 オリヴァーも頷き二人がミユとシアンに合流した頃、見張りの兵士はやっとの思いでその場に腰を下ろしたという。


          ☆  ★  ☆


 窓の外は薄暗いというのに明かりもつけない部屋には二人の影。一人は開いたスーツが生活の裕福さを示す中年の男…隣国と繋がりがある容疑をかけられているヴィクター・アンダーソン。もう一人は出立ちから育ちの良さが伝わってくる二十代後半程の女性で、おそらく腰まであるであろう長い薄栗毛の髪を纏めているバレッタは決して華美なものではないが、金の刺繍が施された真紅のリボンがあしらわれておりとても品が良く彼女の髪の色にも似合っていた。
 昼間アルカディオ軍によってこの部屋に軟禁されているアンダーソン親子であるが、二人の間では何やら物々しい雰囲気が流れていた。
「レイチェル私を信用してくれ。亡命が成功すれば私もお前も今よりずっと幸せになれる」
 宥めるように様子を伺うヴィクターに対しレイチェルと呼ばれた女性は俯いたまま何も答えることはしなかった。
 ヴィクターは溜息を吐くと部屋の壁に沿って連なる本棚の一つを横に動かす。顕になった壁には人一人分の大きさの穴が開いていた。
「さあ、これを着て。奴らに見つかる前に早く!」
 ヴィクターはレイチェルにローブを渡すと急げというように手招きをする。レイチェルは深い溜息を吐き与えられたローブを羽織った。質素な作りのローブは今の今まで散々豪華絢爛な生活をしてきた人間が着る物とは思えず、自身らの正体を隠すには十分であろう。
 ヴィクターとレイチェルはランタンをかざしながら暗い穴の中を進む。
「軍の人が見張ってるのにこれからどこへ向かうの?」
 レイチェルは不安そうな表情で前を行く父の背中を見る。
「首都にある何でも屋に行く。聞く話だと首都で経営しているにも関わらず軍の管理下に無く、軍の目を掻い潜りどんな依頼でも受けるそうだ。そこに行って我々の亡命を手伝ってもらう」
「そんな怪しげな…」
「今は正規の者に頼れるような状況じゃないだろう」
 数十メートル程歩き狭い通路を抜け出た先では今正に夜の闇が空を飲み込もうとしていたが、暗闇を歩いた二人にとっては暮れゆく空も眩しく見えた。
「シアン……」
 レイチェルは真紅のリボンの端にそっと触れながらポツリとその名を呟く。
「早く!こっちだ!」
 惜しむようにリボンから手を離すと何か大切なものをしまい込むようにそっと瞼を閉じ、薄暗い夜道娘の想いとは裏腹に小声で自身を急かす父の後を追った。
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