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 通常、公爵家の令嬢ならばかなり早い時期に婚約が整う筈だが、トレイシーの母は自身が伯爵家の出身、前妻がセルザム公爵家より格上の公爵家の出身、と言う事で、トレイシーを格上の家に嫁がせれば前妻が笑い、格下に嫁がせれば前妻が嗤う気がして、トレイシーは婚約が整わないまま学園を卒業していたのだ。

 そんな時、王太子妃候補選定の知らせが舞い込んだ。
 トレイシーが王太子妃になれば、結局王太子との婚約は取り止めになり格下の公爵と結婚せざるを得なかった前妻に、勝てる。
 そう、トレイシーの母は考えた。

 疎んじていた娘に、期待を背負わせたのだ。

「まるでそこに私など存在しないかのように振る舞っていた母が、ドレスを仕立て、化粧を教え、髪を鋤いてくれたの。『貴女の髪は綺麗な金色だから、きっと王太子殿下のお気に召すわ』ですって」
 トレイシーはクスクスと笑う。

「だからこそ、ルーカス様に選定を落とされて、私より母が逆上したのよ。『不正だ』『不公正だ』と喚いたわ。…そして私もやはり母から認められた気がして嬉しかったのでしょうね。何だかルーカス様や貴女を恨めしく思ってしまったのよ」
 無理もないわ。母親が初めて自分を見てくれたんだもん、そりゃあ嬉しいに決まってる。それが、王太子本人ならともかく、その侍従から不合格を告げられて潰えたんだから、お兄様や私を多少恨んだって仕方ない気がするわ。

「それで殿下と貴女とのデートの時、馬を放ったの。怪我をさせる気はなかったけれど、貴女たちが慌てている処を見たくて」
 そう言えば、あの時、殿下からおでこにキス…
「あの時、殿下は貴女の額に口付けをなさったわ。そして馬から庇われた」
「みっ、見てらしたんですか!?」
「ええ。双眼鏡で」
 慌てるシャーロットを面白そうに見ながらトレイシーは言う。
「その時、ユリウス殿下はこの子を王太子妃にする気でおられるのだと確信したのだけど…」
「な、ないです!ないです!」
 シャーロットはぶんぶんと首を振った。
「殿下も『ロッテとマリアは王太子妃にはしない』と言われていたわ。でも婚約発表が遅れたのは、陛下が王都におられない時期に重大な発表はしないからだ、という建前で、本当は貴女を王太子妃にする方法がないかを探っているのではないかと思ったの。時間を稼いでいるのではないかと…」
「それは違います。ユリウス殿下は本当にオードリー様とご婚約されるおつもりで…」
 フェリシティさんの練習の時もジムカーナ大会の時も、ユリウス殿下に変わった様子はなかったもの。
 眼が合わないなーとか、普通に話せて良かったーとか、私が勝手に意識してただけ。
「そうなのね。でも私はそう思ってしまって、ジムカーナ大会でも騒ぎを起こしたの。殿下に対する牽制と、昨夜の襲撃に対する目眩しの意味もあったわね。あんな騒ぎを起こした直ぐ後に、あんな襲撃を企んでいるなんて普通思わないでしょうから」
「…でもあの襲撃は、トレイシー様が単独で計画された訳ではないでしょう?」
「そうね。第二王子派の企みに便乗しただけ、ではあるわ。それにこの件の主導は、母なの」
 トレイシーは苦笑いしながら言う。
「お母様が?」
「娘を王太子妃にしない王太子は王太子ではない。と云う思考に陥っていてね…私も母に同意していたわ。ミックは止めようとしてくれていたのだけど…」
 あれ?でもミックさんって、私に剣を振り上げた時「王太子妃に相応しいのはトレイシー様だ」って叫んでたような…って事は寧ろお母様の思考に近いんじゃないの?
「ああ…ミックは、母とも私とも違って物凄く純粋に…私の事を本当に王太子妃に相応しい、素晴らしい令嬢だ、と思っているのよ。最初は『トレイシー様は本物なのだからそのような事をしなくてもわかる人にわかれば良いのです』と言っていたの。なのに私がどうしても貴女が痛い目を見る処を見たいと言うから、襲撃に参加して私の恨みを晴らすのが使命なのだと考えたのね」
 シャーロットの疑問に答えるようにトレイシーは言う。
「それじゃあ、そのトレイシー様に自分の手で傷を負わせてしまったんですね…」
「そうね…私があそこで貴女を助けに入るなんて、ミックは予想もしていなかったでしょうから…でも私に怪我をさせて、直接謝罪する事もせずに自らの命を絶ったり姿を眩ませたりは、彼は決してしないわ」
「そうですか…」
 良かった。
 ミックがとてもショックを受けていて、捕縛された時にも茫然自失のようだったのでシャーロットは心配していたのだ。

「ジムカーナ大会でまた殿下は貴女を庇ったわ。だから私は王城の図書室で貴女の様子を探っていたの。貴女が襲撃されたと知ったらやはりユリウス殿下が助けに来られるのか、気になって」
 トレイシーはそう言うと、目を瞑った。
「そうしたら、あの揺れが起こったの」

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