黒焔公爵と春の姫〜役立たず聖女の伯爵令嬢が最恐将軍に嫁いだら〜

28.怒り

「アデルバート様！」

先程までの形相とはまるで別人のように、モーリス侯爵令嬢がアデルバート様に駆け寄る。

「そこにいる無礼な伯爵令嬢が、偉そうな態度を取るものだから、つい頭に来てしまって……お部屋を滅茶苦茶にして、ごめんなさい」

同一人物とは思えないようなしおらしい態度を取りながら、アデルバート様の腕に自分の腕を絡めながら、私に勝ち誇った顔を向けた。
私はその様子を呆然と眺めていた。結界魔法を使ったせいで、酷く体が重たい。

「それより、王命で結婚させられたというのは本当ですの？あんな地味で冴えない女、アデルバート様には相応しくありませんわ。さぞかし不愉快な思いをされたのでしょうね。……そうだわ！私がお父様にお願いして、陛下に婚姻を無効にするよう進言していただきますわ。そうすれば……」

モーリス侯爵令嬢が一人で喋っている間にアデルバート様は無言で部屋の中を見回し、そして私を見つけると深紅の双眸を大きく見開いた。
ワンピースがあちこち破け、体中から血が滲んでいるからだろう。……鈍臭いと思われたかしら。

「……マリアンヌ」
「何ですか？」

モーリス侯爵令嬢が、アデルバート様に艶やかな笑みを向けた。

「お前が、シャトレーヌを……我が妻を傷つけたのか？」
「え、ええ……でも、私は……きゃっ！」

アデルバート様が、乱暴にモーリス侯爵令嬢が絡めた腕を振り解いた。

「痛いですわ、アデルバート様」
「……シャトレーヌは、もっと痛い思いをしているではないか。身内とはいえ、シャトレーヌを傷付けた罪は重いぞ」

アデルバート様が、怒りを湛えた凍てつくように冷たい瞳をモーリス侯爵令嬢に向けたのが見えた。
途端に、モーリス侯爵令嬢の顔色がみるみる青く染まった。

「違っ、違うわ！アデルバート様ぁ！どうしてそんな女の肩を持つの？私は悪くありませんの！その女が！」
「シャトレーヌを傷つけたのだろう？言い訳などいらん。その事実のみで十分だ」

その瞬間、部屋に灯された燭台の炎が、一斉に膨れ上がった。まるで、アデルバート様の感情に反応するかのように。
私はその光景に、背筋が寒くなるのを感じた。
普通は、どんなに魔力が強くても、感情によって魔力が周囲に影響を及ぼすだなんてありえない。
アデルバート様は火炎魔法を得意としているそうだけれど、これではまるで焔の魔物のよう……。

「きゃあ！痛いっ、痛いわ！！やめて！」

アデルバート様は、モーリス侯爵令嬢の豊かな黒髪を鷲掴みにすると、部屋の外へと引き摺り出した。

「今後一切、我が領土に立ち入ることは許さぬ。これは、黒焔公爵アデルバート・グロリオサとしての命令だ。今回だけは見逃してやる。次はないぞ」

地を這うような低く恐ろしい声が、モーリス侯爵令嬢にそう告げた。

「ひぃっ！」
「……つまみ出せ」
「はっ！」

いつの間にか駆けつけていた騎士達によって、モーリス侯爵令嬢は城の外へと連れ出されたのだった。