刺青将軍

せんのあすむ

文字の大きさ
8 / 16

五 華一掬 3

しおりを挟む
 二列になった百官は、門を挟んで韓琦の前後にずらりと並び、辛抱強く狄青を待っている。ひそひそと交わされる兵士たちの話題は、皆が皆、今回の勝利と刺青将軍の凱旋についてである。宰相である韓琦の目の前においても、急ぎの所用で通り過ぎる文官へ、兵士たちが頭を下げぬばかりか侮辱の眼差しを注ぐのみ、といった光景が、当たり前のように繰り広げられている。

 その有様を見ながら、

(だから太祖は、軍部を嫌ったのだ。ただ単に、戦乱を招くことを恐れていたというだけではない)

 韓琦はようやく、宋の初代皇帝が軍部を下位に置いた、深い理由の一端を知ったように思ったのだ。

 今でこそ先進諸国では当たり前のように行われている文民統制ではあるものの、かつてはどうしても戦の強い者こそが政治においても力を持つという形が多かっただろう。しかし、言葉は悪いが、この頃の戦いに参加する兵士たちは教養のない者が大半であり、それを恥じるどころか、むしろ戦いに強要や礼儀作法など無用のものだとさえ思っている者が普通だった。とにかくどんな真似をしてでも勝てばよい。そして勝てばどんな無法も許されるとさえ思っている者も決して少なくなかった。

 それを、宋の初代皇帝が軍部を文官の下に置くことで制御し、理性的な治安組織に育て上げようとしたに違いない。しかしその御心に思いが至らない連中が増長した結果が今の都の有様である。

 太祖は、決して軍人を軽んじていたのではない。むしろよりよい組織を成す人材として大切に育てようとしたのではないのか。

 惜しむらくは当の文官自身がその太祖の想いを忘れ増長してしまった為に失策を重ね今回の事態を招いたことも事実ではあるものの、だからと言って今度は軍部が増長すれば結局また同じ失敗を繰り返すだけだ。

 十分な教養も身につけていない軍人はえてして、「いつも理屈ばかり振りかざしている頭でっかち」な文官の言うことなど耳を貸さなくてもいいと思ってる者が多い。彼らが認めるのは、彼らより強く、何も言わずともその実力を身でもって示す人間のみなのだ。

 今回の場合、それが狄青だった。しかも、元からある謙虚さに加えて教養をも身に付けた彼は、太祖こそが目指したであろう軍人のあるべき姿だったに違いない。兵士たちも、己の力を示して見せた彼の言うことならばきっと聞くであろう。

 ただ、本当に残念なことに、今はまだ、彼はあくまで「稀有な存在」でしかなかった。彼に倣いその謙虚さと教養を身に付けようとする者がたくさんいれば、このようなことにはならなかったのだと思われる。一介の兵士でありながら上官を蔑ろにし侮辱したりはしなかったに違いない。現に、狄青はそうではなかった。

 その一方で、兵士たちを愛してあまりある狄青は、今の部下たちの横暴すらある程度は許してしまうだろうと韓琦は見ていた。厳しい素振りは見せるし、時には命令に背いた者を厳しく罰することもあるが、彼の本質は「お人好し」である。兵士たちも、彼のそういう部分を期待しているというのも多分にあるのだろう。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...