靴職人と王女と野良ウサギ ~ご主人様が絶望しているからボクは最高に幸せだよ~

マルシラガ

文字の大きさ
9 / 38

I think you(何してるの?) 5

しおりを挟む
「そんな趣味のためだけにウサギのアニオンを飼いたいと望む者がそれほど多くいるのか」

「もちろんですとも。なにしろアニオンは人間よりも丈夫ですので、壊れてしまうくらい無茶なことでも気兼ねなくできます。それでたとえ壊れてしまってもウサギは他の種類の奴隷よりも安価ですから、また買えばいいだけのことです。だから需要は常にあるんですよ」

「消費が激しいから、需要も絶えないってことか」

 ラチアの声がひどく冷たいモノになっていたが、商売のことを語り始めて熱くなってきた商人はラチアの声の変化に気付いてなかった。

「えぇ。儲けは少ないですが、奴隷市場でウサギは安定して売れますので、在庫に抱えていても損はありません。そういった意味でウサギはとても有り難い種類のアニオンなのです。だからこそ、私どもはできるだけ多くのウサギを欲しています」

「なるほど。オマエの本当の目的は先日ウチに迷い込んできた単体のウサギではなくて、集落の位置情報か。王都の商人がウサギ一匹のためにわざわざここまで足を運ぶのはおかしいと思っていたが、そういうことなら納得できる」

 商人がにやりと笑みを強くした。

「ご理解頂けたようで。……で、集落の情報に対する報酬は、販売金額の5%でどうでしょう? 先払いの方がよろしいのでしたら、この場でお支払いさせて頂きます。その場合は二百フルークスで。どちらを選んで頂いてもかまいません」

「話は終わったか? では帰れ」

「……は?」

 商人の顔から先ほどまでの笑みが突然消えて、明らかな狼狽を見せた。

「聞こえなかったか? 帰れと言ったんだ」

「わ、わたくし、何かご気分を害するようなことでも言いましたでしょうか?」

「別に怒ってはいない。提示された条件も悪くなかった」

「はぁ……では、どうして?」

「理由は二つある」

 ラチアは商人の前に二本指を立てた。

「一つめ。『初対面でありながら、過度の笑顔で近づいてくる奴は悪人だ』。この言葉を当て嵌めるのなら、オマエは間違いなく悪人。そんな奴を俺が信用するとでも?」

「はて、初めて耳にする格言ですね。誰の言葉でしょう?」

「俺だ。さっき思いついた」

「……」

「二つめ。そもそも、そのような集落などないから売れる情報もない。ただそれだけの事だ。俺に売れるものがあるとしたら、この靴くらいだな。どうだ、一足二十Fにまけておくぞ?」

「いやいやいや、靴はいりませんってば。でも、そうなのですか?」

「あのアニオンは野生じゃない。元々人に飼われていたヤツだ。息をひきとる前に少しだけ話をしたが、ここよりずっと山奥で隠棲していた魔法使いのバアさんと暮らしていたらしい」

「まさか……そんな……」

「残念だったなアテが外れて。ちなみにそのバアさんはとっくに他界してて、飼い主のいなくなったヤツがフラフラと山から下りてきたんだよ。それが今回のアニオン騒動の全貌ぜんぼうだ」

「なぜ魔法使いが隠棲など……魔力があるなら王都でそれなりに豊かな暮らしができるのに」

「さぁな。そのバアさんが何を考えて人間の生活圏の外にまで引っ込んだか俺は知らないし、興味もない。ただ、生まれて間も無いウサギのアニオンを連れて行ったことだけは確かだ。人の住む場所に戻る気はなかったから奴隷登記もしないで連れて行ったんだろうな」

 商人はラチアの話を聞いているうちに段々と落胆の色を濃くして最後には、大きく息を吐いて首を横に振った。

「やれやれ、どうやら本当に無駄足だったみたいですな。すみません、お手間をとらせまして」

 禿頭に帽子を乗せて帰ろうとしていた商人に、ラチアは何気ない様子で訊いた。

「まんまと金物屋のアルバスに担がれたな。アイツからいくらでこの情報を買った?」

 ぴたりと商人の動きが止まった。

「……なんのことですかな?」

「とぼけなくていい、アルバスは四日前に俺の家にやって来た。アイツは俺があのときのアニオンをまだ手元に置いていると思っていたらしくて『最初にあのウサギを見つけたのは俺だ! あれは俺のモノだ!』って主張して、挙げ句『無登記でアニオンを飼っているのは重罪だ! バラされたくなければ俺にあのウサギを渡せ!』って俺を脅しやがった。もうここにはいないと言ったんだが『嘘だ!』って決めつけて、勝手に家捜しまで始めてな。ま、俺は紳士だから奴の気が済むまで調べさせてやったよ。その後でちょっとだけ説教してやったが」

 情報提供者が誰なのか隠すまでもなく、とっくにラチアにはバレていたと知った商人は大仰な素振りで肩をすくめた。

「なるほど。それでアルバスさんはあんな大怪我をしていたんですね」

「説教の途中でたまたま俺の拳がアイツの腹や顔にめり込んだだけだ。他意はない」

 ラチアが口の端を吊り上げてニヒルな笑いを浮かべると、商人も同じように笑った。

「ふっはっは。では、私はそんな説教をされないうちに退散するとしますか」

「次は無駄足にならないよう俺の靴でも買っていったらどうだ? 靴の先に開運を祈願したメダリオンが彫り込まれている。これを履いていれば俺のように野生のアニオンがふらっと家に転がり込んでくるかもしれないぞ?」

「あ、いえ。本当にけっこうですから」

 商人は苦笑いをしながら、逃げるように帰った。

「……やれやれ、本当に無駄な時間を過ごしてしまった」

 ラチアは商人を見送ってから、気怠そうに首を回しながら作業小屋に戻ってきた。

「聞いていたか?」

 樽の後ろから出てきたラヴィが怖々と頷いた。

「ボク、売られちゃいそうだったんだね?」

「そういうことだ」

 ラチアは溜息混じりにそう言うと、切り株のように高さの低い椅子に腰を下ろして仕事を再開した。
 背中を向けて淡々と仕事をするラチアへ、ラヴィは遠慮がちに話しかけた。

「あの……ラチアはボクが売られちゃうから、ここに来るなって言ったの?」

「そうだ。理解したならさっさと山に帰れ」

「ボク、売られたら奴隷にされちゃうんだよね?」

「ああ」

「ボク、奴隷になったらどんなことをされちゃうのかな? さっき《壊れてしまうくらい無茶なこと》って商人のおじさんが言ってたけど、それってどんなこと?」

「うっ!?」

 説明を求められたラチアは言葉に詰まり、作業の手を止めて呻いた。

《壊れてしまうくらい無茶なこと》

 それをラヴィにもきちんと理解できるようにきっちり詳しく説明するのは……いろんな意味で難しい。

『それを……この俺が説明しなきゃならないのか!?』

 嫌な汗が頬を伝う。

「ねーねー。ボク、何されちゃうのかな?」

「と、とにかく! ひどいことをされるんだ! それ以上は訊くな!」

 上目遣いの無垢な瞳で訊いてくるラヴィに、ラチアは勢いで誤魔化した。

「ふぅん……じゃ、これからここに来る時は見つからないように気をつけるよ」

「そうじゃない。もう山から下りてくるなって言ってるんだ!」

「?」

 ラヴィが不思議そうに頭を傾けている。肝心な理由を勢いで誤魔化したせいで奴隷にされることのむごさがきちんと伝わらなかったらしい。

『くそっ、詳しい説明無しで納得させる方法はないのか!?』

 ラチアが頭を抱えて悩んでいると、ラヴィはその背をポフポフ叩いて振り向かせた。

「でもね、あのね、ボクがここに来た理由は他にもあるんだよ」

「なんだ。それならさっさと言って、とっとと帰れ。そして二度と山を下りてくるな」

 ラチアは意識して不機嫌そうな顔を作ってラヴィを睨んだが、ラチアの性格をなんとなく理解しはじめてきたラヴィには作り物の怖い顔なんて効かなくて、にへっと笑顔を返された。

「ボクね、胸が痛いんだ」

「胸が痛い?」

「うん。山に帰ると胸が痛くなった」

 気の抜けるような緩い笑顔で「胸が痛い」と言うので、ラチアは数拍の間「ん?」と眉を寄せて言葉の意味を把握できずにいたが、やがて言葉を理解したラチアは驚きで顔を歪めた。

「バ、バカっ! なぜそれを早く言わない!?」

 ラチアは叫ぶように言うと、血相を変えてラヴィを抱き上げて母屋の方へと走った。

「え? ちょ、ラチア!?」

 慌ただしく家の中に入ると、以前使っていた木箱のベッドにラヴィを寝かしてから暖炉の火をおこし、そこに鍋をかけて大量の水をぶっ込んだ。

 寝室の収納棚を開けて右手に包帯、左手に治療セットを持って、膝蹴りで棚を閉め、すっ飛ぶようにラヴィの傍に戻ってきたラチアは「じっとしてろ」と声を掛けてラヴィの額に手をあてて熱を測った。

「……熱はないな。体内に雑菌が入っているのではないようだ。そもそも最初の診察では胸に外傷はなかったはず。……ということは打撲か? 肋骨にヒビでも入っていたか? まぁいい、とりあえず患部を見せろ。ほら、両腕を上げて」

 ラヴィの胸に手を伸ばすと、ラヴィはその手から逃げるようにくるりと背を向けた。

「おい、ふざけてないでこっち向け。それじゃ診察できないだろうが」

 作り物ではないマジメなイラッとした顔。

「な、なんだかちょっと……恥ずかしいよ」

 肩越しに振り返ったラヴィは顔を赤らめながら躊躇いがちにそう言った。

 ラヴィは手足にヌイグルミのパーツを、体には水着を着ているような格好をしているけれど、それはそう見えるふうに体毛が生えているだけで、実際は他の野生動物と同じで何も着ていない。

「はぁ? いまさら何を言ってるんだ。子供のくせに年頃の女の子みたいに恥ずかしがるな」

「えっと、その……。痛いのは怪我とかじゃなくてね、なんかこう……胸がいてる感じなんだ」

 前は平気だったのに、今頃になって体をまじまじと見られるのが恥ずかしく思えてきたラヴィは、ラチアの目を避けるために自分で痛みの症状を説明した。

「胸が……く?」

 初めて聞く奇妙な言い回しに、ラチアは頭の上で『?』を浮かべた。

「なんていうか、お腹が空いたときみたいに胸の中が空っぽな感じで、きゅんって痛くて……」

「胸がきゅん? もしかして呼吸器系か? ううむ、困ったな。俺は本職の医者じゃないから外傷や打撲以外はお手上げだぞ。どんな治療をしていいのかなんてさっぱりだ。……とりあえず咳止め効果のある薬湯でも飲ませて、それから街の医者に診せるか? ……しかし、未登記のアニオンを本職の医者が診てくれるだろうか? ううむ……」

 ラチアが顎の先に指を置いてぶつぶつと独り言を漏らしながら悩み始めたので、ラヴィは遠慮がちにラチアの横腹をつんつんとつついて顔を上げさせた。

「治す方法なら、ボク知ってるよ」

「知ってる?」

「いつもこの方法でおばあちゃんが治してくれてたから。だから方法は分かってるんだ」

「あぁ、例の魔法使いのばあさんか。魔法使いなのに医術の心得があったのか? 扱う魔術は雷系だったんだろ? 魔法医療師ヒーラーだとは聞いてないが」

「そこまでは知らないよ」

「まぁいい。その方法とはどんなだ?」

「えっとね、ボクの頭をね」

「頭を?」

「なでなでして」

「………………は?」

 ラチアはこれ以上ないくらいのきょとん顔をして、また『?』を頭上に浮かべた。

「本当にこれで治るのか?」

 ラチアはラヴィの頭をなでなでしながら、疑わしそうな目をした。

「うん、いい感じだよ」

 なでなでされているのが嬉しいらしくて、ラヴィは耳をぴこぴこ揺らしている。

「こんな治療方なんて聞いたことないんだがな……。そもそも患部は胸なのに、どうして頭を撫でるんだ?」

「わかんないよ。でも、おばあちゃんはいつもこうしてくれてた。痛かった胸がすぅって軽くなるんだ」

「ふむ、一応効果はあるってことか。病名はなんて言うんだろうな」

「知らない。そんなことよりラチア、喋ってるから手が止まってるよ」

「あぁ、すまん。こうか?」

「違う、もっと優しく。それじゃ押さえつけてるだけだよ」

「こうか?」

「そうそう、いい感じ。これをね、ボクが『もういいよ』って言うまで続けるんだよ」

「本当に変わった治療方法だな……」

 なでなで、なでなで、なでなで。

「なんで俺がこんなことしてなきゃいけないんだ? って疑問が、さっきから頭の中を駆け巡っているのだが……」

「ラチアはお医者さんなんだから、治療するのは普通だよ」

「俺は医者じゃなくて、靴職人だと何度言ったら……」

 憮然とした表情で文句を言いつつも、手では優しくなでなでを続けた。

 ラヴィは調子に乗っていつまでも『もういいよ』とは言わず、結局ラヴィが健やかな寝息を立て始めるまでラチアはなでなでさせられた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

処理中です...