靴職人と王女と野良ウサギ ~ご主人様が絶望しているからボクは最高に幸せだよ~

マルシラガ

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starlight river(銀河) 2

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「ラヴィ」

「にゃに?」

 木皿から顔を上げたラヴィの頬にべったりとスープがついていたのでラチアは苦笑しながら拭き取った。
 ちなみに今夜のメニューはラヴィが大好きな根菜の煮込みとクルミパン。

「オマエ、胸が痛むのはどんなときだ?」

「ん~……すごく静かな夜だと胸がきゅんって痛くなるよ」

「静かな夜か……他には? 静かな夜にはどんなことをしている?」

「んとね、することがないから空を見てることが多いかな。ひとりで月を見上げていたらね、特にきゅんきゅんする。ラチア今頃何してるのかな~って考えるともっとだね」

 ラチアは食事の手を止めて唸った。

「ふぅむ。『ひとりで月を見上げていたら』……か。月を見上げる行為に何か関係があるのかもしれない。視神経に関連する痛みなのだろうか……これは検証する必要があるな」

「検証?」

「そうだ、検証だ。食事が済んだら月を見よう」

「お月見するの? ……ラチアも?」

「そりゃそうだ。もし胸が痛みだしたらすぐになでなで治療をしてやらないとな」

「お月見しながらなでなで……うわっ! なんだかワクワクするね!」



************



 夕食後、ラヴィはさっそく椅子を家の外に持ち出して月を見上げた。
 ラチアが夕食に使った食器を洗いながら家の中から顔を出して訊く。

「おーい。どうだラヴィ。胸は痛むか? きゅんきゅんするか?」

「ううん、まだ」

 ラチアの声で振り返ったラヴィは、にへっと気の抜ける笑顔で首を横に振った。

「そうか、月を見たら即座に痛みが出るわけではないんだな。結果を急いで誤った判断をするわけにはいかない、もう少し様子を見よう」

 食事の後、ラヴィは片付けのお手伝いしようとしたけれど「オマエの手じゃ食器が毛だらけになる。いいから先に外に行って月を見ていろ」と、すげなく断られた。

『ボクの手が人間と同じなら、もっとラチアの役に立てるのにな……』

 ラヴィは月に手をかざした。

 小さく細い体躯と比べたらアンバランスに思えるほど大きな手。
 でも大きいだけで何の役にもたたない。
 人間のように片手でモノが掴める指があるわけでもないし、もふもふな毛が生えてるからパン生地を捏ねることもできない。
 熊のような剛力があるわけでもないし、虎のように鋭い爪があるわけでもない。

 一つだけいいことがあるとしたら、この役立たずな手を気に病んでいたとき、ラチアが何気なく「その大きくてモフッとした手足はヌイグルミのようで可愛いと思うけどな」と無責任な褒め方をしてくれたことくらいだ。

『可愛いよりも、便利な手だったらいいのに……』

 ラヴィはそう愚痴ったけど、段々と『でも、可愛い……かぁ。えへへ』と口元がだらしなくにやけてきた。

 頭上には月が昇っていた。
 せっかくの月見なのだから満月なら良かったのに、あいにく今日の月は中途半端な上弦の月。
 でも、その代わりに天の川がとてもキレイに見えた。

 昔、一緒に暮らしていたおばあちゃんが、星には星座というものがあって、星と星を繋げて人や動物に見立てるんだと言っていたけれど、どれがどれなのかさっぱりわからなかった。

 星座にはそれぞれに物語があるって教えてくれた。けど、物語をせがんだら「あー……どんなお話だったかねぇ」と珍しく照れ笑いしただけで、婆ちゃんはその物語をラヴィに話してあげられるほど内容を覚えてはいなかった。

「こういうお話はね、素敵な男性が女性に語って聞かせるためのものなんだよ、一緒に星を見上げながらね。でも、女のほうはお話なんてちっとも聞いてないのさ」

「なんで?」

「隣にいる男の人の横顔をチラチラ盗み見るので、いっぱいいっぱいになっているからだよ」

 ラヴィには全然意味がわからなかった。

「さて、俺も月見に混ぜてもらおうか」

 片付けを終えたラチアがもう一脚椅子を持ち出してきてラヴィの隣に置いて腰を降ろした。

「痛むか?」

「まだだよ」

「そうか」

 そんな簡単な言葉を交わすと、ふたりはそのまま口を閉ざして月を見上げた。
 ラヴィはそっと横目でラチアの顔を見た。

 仄かな月明かりに照らされたラチアの横顔は精悍で、一日中小さな小屋に籠もって細々とした仕事をする職人タイプには見えなかった。
 医者……って雰囲気でもない。
 彼にはもっと別の適した職業があるような気がした。
 でもラヴィはそれほど人間のことは知らない。
 どんな職業があるのかもあまり知らない。
 ただ、ふとしたタイミングでラチアは凛とした空気を周囲に漂わせる。
 今もそうだ。
 くつろいで椅子に座っているだけなのに捕食する側の動物のような怜悧な迫力がじわりと滲み出ている。

『本当に、ラチアって何者なんだろう……』

 ラヴィの捕食される側の本能がいつも『この人間は普通じゃない』と囁きかける。
 けれどその攻撃性は決して自分には向けられることはないと確信しているので、恐ろしさは感じなかった。
 むしろそんな人間が側にいてくれることに安心する。

 ラチアの横にいるだけで感じることのできる心地良さにほんわかとしていたラヴィは、視線をゆっくりと下ろして、ぎょっとした。

「ラ、ラチア? それってもしかして……」

 ラチアは手に琥珀色の液体が入っている小瓶が握っていた。

「ん? あぁ、酒だ。せっかくの月見だ、たまにはこれくらいの贅沢をしてもいいだろう」

「ちょ、ダメ! ダメだよ! そんなの飲んでラチアまで里の人間みたいにボクを襲ってきたら、ボク、ボク、絶対逃げ切れないよ!」

 ラヴィは口をあわあわさせながらラチアから酒瓶を取り上げようとしたけれど、ラチアは酒瓶を持った手を、ラヴィの背丈じゃ届かない高さにまで上げた。

「心配するな。酒を飲んだ人間が皆凶暴になるわけじゃない」

 ラヴィが椅子の上に立って酒瓶に手を伸ばすけれど、ラチアが酒瓶を持っている反対の手でラヴィのおでこを押さえているので届かない。

「ラチアは変わらないの? 絶対? 絶対!?」

「ああ。そもそもアイツらはオマエを捕まえようとして追いかけてきたんだ。その気のない俺がいくら酔ったところでオマエに襲い掛かるわけがないだろ?」

「……それならいいけど」

 一応は納得したのか、ラヴィは椅子に座り直した。
 けれどやっぱり気になるようで、チラチラと横目でラチアの様子を窺っている。
 ラチアはラヴィのそんな様子に気付かないフリをして瓶の蓋を抜き、少し濁りのある琥珀色の酒を口に含んだ。

 交わす言葉もあまりないまま十分ほど過ぎた頃、ラチアが「やはり秋にもなると夜は冷えるな」と呟くと、彼の横でちょこんと座っていたラヴィをヌイグルミのように抱き上げて、自分の膝の上に乗せた。

「え? 何? どうしたの?」

「さすが天然の毛皮だ。あったかい」

「ボク、毛布じゃないんだけど?」

 喉を真っ直ぐに伸ばしてジトッとした半目でラチアを睨み上げると、ラチアはラヴィの腰に腕をからめて苦笑した。

「そんな目で睨むな。オマエだってこのほうが温かいだろ?」

「そうだけど……。ラチアの息、お酒臭い」

 両手を突っ張らせて、ラチアの顔を押し上げる。

「それくらい許せ。ちょっとオマエも飲んでみるか?」

「いらない、その臭いは嫌いだよ。ラチアはそんなのが美味しいって感じるの?」

「ん、まぁ。確かに美味くはないな。しょうがない。しょせん俺の稼ぎで買えるほどの安酒だ」

 ラチアは微妙な苦笑いをして、もう一口お酒を口に含んだ。

「美味しくないのに飲んでるの? 意味わかんないよ」

「人間が酒を飲むのは酔って良い気分になるためだからな。……つらいことを忘れたいときにも飲むが」

「ふぅん……いろいろ大変なんだね」

「そうだ、いろいろ大変なんだよ人間は」

 懐炉代わりにされたことが不満だったラヴィだけれど、ラチアの膝の上は意外なほど心地良かった。
 体のくっついている部分からラチアの体温を感じることができたし、こうして後ろから腕をまわしてしっかりと支えられているのが、なぜか嬉しくて、安心できる。

『おばあちゃんがボクを抱きしめてくれたときはいつも向かい合わせで、ボクはセミのようにくっついてたけど、こうやって後ろから……ってのも案外いい感じかも』

 慣れてくると『もう少し強くぎゅってしてくれてもいいかな』なんて思ってしまうラヴィ。
 ひとりでは決して感じることのできない体の温かさにうっとりしながら、ラヴィはまた月を見上げた。

「ねぇ、ラチアは星座とか星の話とか知ってる?」

「知っている」

「わ! じゃあ、それ聞かせてよ」

「いいだろう。あれが北極星だ」

 ラチアはとても明るい星を指差した。

「うん」

「……」

「…………え? それだけ?」

「それだけ覚えておけば、真っ暗な夜でも方角を見誤ることはない。便利だ」

「星のお話は? サソリとか巨人とか出てくる話とかあるっておばあちゃん言ってたよ? イケメンはみんな話せるって言ってたよ?」

「すまんな。俺はイケメンじゃない」

「そっか……じゃあ、しかたないね」

 どうやら、ラチアに星の話をせがんだのが間違いだったようだ。
 でも、いつもと同じ月なのに今日の月は特別キレイに見えたので我慢することにした。
 こうして抱えられて黙って星空を見上げているだけでほんわりと幸せな気分になれた。


「なぁラヴィ」

「なに?」

 ラヴィがほんわり顔でラチアを仰ぎ見た。

「オマエ、朝になったらちゃんと山に帰るんだぞ」

「……うん」

 ゴキゲンな様子だったラヴィが、急に耳をしょぼんとへたらせた。

「ラチアが帰れって言うなら、そうするしかないよね」

 今のラヴィは、どうして美味しくない酒を飲むのかと問われたときのラチアとそっくりな表情をしていた。『しょうがない』って顔。

「そうするしかない、って……オマエはここで暮らしたいのか?」

「ちょっとね。そうだったらいいな、ってくらいには思ってるよ。だって山の中にいたらお喋りに付き合ってくれる人っていないから」

 膝の上に乗せても、さほど重みを感じないほどに体の小さなラヴィが、さらに小さく肩をすぼめてしょんぼりしているのをラチアは後ろから無言で眺めていた。そして――、

「……じゃぁ、そうするか?」

 ラチアは独り言のように呟いた。

「え? なにが?」

「これから先も俺と一緒にいたいのなら、ここで暮らすか? って訊いたんだ」

「い……いいの? ほんとに!?」

「どうせ山に帰ってもオマエはまたすぐに来そうだからな」

「……ソンナコトナイヨ?」

 思いっきり『バレた!?』な驚き顔で耳をぴょこ立ちさせた後、盛大に目を泳がせながら耳の毛繕いをしている。「ちょっとは隠せ」と突っこみたくなるくらいにわかりやすい嘘だった。

「ボクは嬉しいけど、でも、なんで急に?」

 来る度に「帰れ」と言っていたラチアの急な心変わりがなんだか不自然に思えて訊くと、ラチアは片目をすがめて逆に訊き返してきた。

「オマエ、この冬を越すための食料の蓄えがほとんどないだろ?」

「へ? どうして知ってるの?」

 ほとんどどころではなく、実はもうラヴィの巣にある壺の中はからっぽだった。

「お礼だと言って毎回持ってくる食べ物が保存の利くものばかりだったからな。きっとそれを持ってきているんだろうって、そう思っていた」

「え、えへへへ……」

 誤魔化しの苦笑い。

「ったく。無茶しやがって」

 ラチアは酒気の混じった溜息を漏らしながら、ラヴィの頭に手を乗せて撫でた。

「それなら最初からここにいたほうが自分で食べる分の食料を調達する時間を作れるだろ? 俺は貧乏だからな、自分で食べる分を稼ぐので精一杯だ。毎日毎日オマエに食わせてやれるほどの余裕はない。だからオマエがここに居たいって言うなら、自分の食料はできるだけ自分で調達してくれ。それでいいなら……ここにいろ」

「うん! うんうんうん! なんならラチアの分も頑張って摂ってくるよ!」

「それは有り難いな」

「うん! まかせてよ!」

 ラヴィが心の中で密かに願っていたことが思いがけず叶った。

『いっぱい、いっぱい、食べ物を取ってこよう。そしたらラチア喜ぶよね。褒めてくれるよね?』

 何をしたらラチアが喜んでくれるかも分かった。
 ラヴィにはそれも嬉しことだった。
 だから、つい言ってしまった。

「良かったぁ、ラチアがすっごく貧乏で!」

「……」

 後ろから無言で伸びてきた手にラヴィはほっぺをつねられた。……痛かった。
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