靴職人と王女と野良ウサギ ~ご主人様が絶望しているからボクは最高に幸せだよ~

マルシラガ

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Police! Police!(警備兵さん、こっちです!) 1

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 ラヴィとラチアは里で借りた荷馬車に乗って王都ルーベアイスにやってきた。

 ルーベアイスは他国からの侵攻に備えて都市全体を巨大な防壁で囲まれているいわゆる城塞都市。
 初代国王が六世紀前にここを定住の地に定めて以来、人が増えるほどに街を囲む外壁を外へ外へと拡張してきた結果、今では三万人もの市民が内部で暮らせる規模になっている。

「うわぁ……人がいっぱいだぁ……」

 元々大きな目を限界まで大きく開いたラヴィが大勢の人間が行き交う街の様子を興奮した様子で見ている。

 まだラチア以外の人間は怖いラヴィだけれど、これだけ大勢の人間の中に紛れていると逆に恐怖は感じなかった。
 馬車の横を通る人たちはいちいちラヴィに目を向けないし、目が合ったとしても特別な反応なんてせずに通り過ぎてゆく。

 なにしろ街の中では数え切れないほどのアニオンがいて働いていた。ラヴィは比較的人間に近い姿だけれど、街にいるアニオンたちは多くが人間よりも動物の姿に近い。

 頭が豚のアニオンはでっぷりと肥えた体躯を揺らしながら大きな麻袋を担いでどこかへ向かおうとしていて、腰から下が馬のアニオンは筋骨隆々とした体で荷車を牽いている。
 ラヴィよりも小さなネズミのアニオンたちはチーズの塊を中心に置いて輪を作り、何かトラブルでもあったのか姦しく言い争っていた。

「ね、ラチア見て! あの牛さんすごく大きいよ! ラチアの倍くらいあるよ!」

「そんなにはしゃいで馬車から落ちるなよ?」

「ボク、そこまでドジじゃ――」

 そう言い終わらないうちに、車輪が小石を踏んで馬車が左右に揺れ、ラヴィはバランスを崩して落ちそうになった。

「わ! わっ!?」

 ラチアの腕に支えられて危うく転落するのを免れたラヴィが、恥ずかしそうに小声で「ありがとう」と言いながら見上げると、ラチアは『ほらな?』とでも言っているように口の端を吊り上げてちょっとイジワルな顔で笑っていた。

 ふたりが王都に来ているのには二つの目的があった。

 一つはこの街の靴屋に靴を納品するため。
 馬車の荷台に大きな木箱が三つ載っていて、その中にはぎっしりと靴が詰められている。

 もう一つはラヴィを奴隷登記するため。
 昨日お月見をした後にラチアから《ラヴィを奴隷登記しなければいけない理由》を説明された。その話によると――、

 アニオンと蛮族の人間は一律に奴隷とみなされ、その扱いは人ではなく動的財産になる。
 市民権のある人間が奴隷を保有する場合、保有者は奴隷の登記をしなくてはならず、未登記で奴隷を保有しているのが発覚すると多額の罰金が科せられる。
 その他にも登記は二年ごとに更新しなければならないとか、奴隷が罪を犯したら保有者が責任を取らなければならないとか、色々と面倒な法律があるらしい。

 ラチアはラヴィにも理解できるようにできるだけ噛み砕いた説明をしたのだけれど、やっぱりラヴィには話が難しくて、分からない単語も多かったから聞いている途中で寝てしまった。

 王都に向かう途中、馬車を御しているラチアが「昨日説明したこと理解してるか?」と確認してきたのでラヴィは「ボクがラチアと暮らすのに必要ってことなんだよね? たぶん」と答えた。
 同じ説明を二度するのが面倒だったラチアは「まぁそんな感じだ」とおざなりに頷いた。

 中央通りに出たラチアは「先に靴を納めに行く」と言って馬首を北に向け、古ぼけた建物の前で馬車を駐めた。入口には鉄板を靴の形に切り抜いた看板が掛かっている。

「ラヴィ。すまないが俺が戻るまで見張りをしててくれ」

 御者台から降りたラチアにそう言われて、ひとりで馬車に残されることに不安を感じたラヴィはオドオドと訊き返した。

「見張り? ボクが? ひとりで?」

「ああ、馬車から目を離してる間に荷物を盗まれるといけないからな。誰かが勝手にこれを持っていきそうになったら大声で俺を呼べ。いいな?」

「ボ、ボクも一緒に行っちゃダメ?」

 上目遣いで見上げてくるラヴィ。
 ラチアは真面目で真剣な顔をしながらラヴィの両肩を掴むように手を置いた。

「いいかラヴィ。この荷物は俺の生活費になる大切な物だ。盗まれたら俺はお金がなくて飢え死にしてしまう。それほど大事な荷物の見張りを頼むということは、いわば俺の命をラヴィに預けるということだ。ラヴィならできる。いや、ラヴィにしかできないことだ。期待してるぞ」

「ボクにしかできない? ボクに期待……?」

 ひとりにされる心細さでへんにょりと耳を垂らしていたラヴィの顔に、段々と興奮の色がのぼってきた。

『ボクでもラチアの役に立てる!? ボク、ラチアに期待されてる!?』

 その嬉しさがさっきまでの不安を凌駕して、キリッとラヴィの眉が上がった。

「うん! わかった!」

 ラヴィは鼻息を荒くして御者台から荷台に移り、靴の詰まった木箱にしがみついた。

「ボク頑張るよ! 頑張って見張りするよ!」

「よぉし。その意気だ!」

 ラチアは微笑んでラヴィの頭をポンポンと二度軽く叩くと、靴の看板が下げられている家の中に入った。

「らっしゃーい」

 ラチアがドアベルを鳴らして店に入ると、奥から野太い声がした。
 店の棚にはサイズ毎に分けられた靴がずらりと並べられていて、靴に使用されている皮の臭いがラチアの鼻腔をくすぐる。
 店の奥の方にある小さなカウンターには未整理の靴が小さな山を作っていて、その山の向こうから眉間に深い皺がある初老の男が姿を現すと、ラチアの顔を見てますます眉間の皺を深くした。

「ちっ。なんだ小僧っ子キッドか、相変わらず期日だけは正確だな。靴のほうもそれくらいきっちり正確に作ってくれれば言うことないんだが」

「俺の顔を見た途端に舌打ちと嫌味でお出迎えか、相変わらずだな。たまには愛想笑いくらいしたらどうだ?」

 ラチアも渋い顔をして言い返した。

「靴を買いに来たお客様になら愛想良くしてるよ、腕の良い職人にもペコペコ頭を下げている。だから頭を下げなくていい相手には極力頭を下げないようにしてるんだ。それでワシは自尊心を失わずにいられる。だからこうして心の均衡を保っていられるし、健康でもいられる」

「何が心の均衡だ、とっくに性格が歪みまくっているくせに」
「おまえさんが作る靴ほど歪んじゃいないつもりだがね。どれ、荷は表にあるのかい? 数を確認しようか」

 店主は億劫そうにカウンターの後ろから小さな黒板と白墨を取り出して店を出た。

「う~……」

 店の前に駐まっている馬車に近づいた店主は、木箱にしがみついて唸り声を上げているラヴィを見て目を丸くした。

 ラヴィは頑張って店主を威嚇しているようだったが、見た目が愛らしいので全くと言っていいほど怖さを感じない。むしろ必死な様子が微笑ましくさえ思える。

 店主は黒板の角で頭の後ろを掻きつつ、遅れて店から出て来たラチアに顔を振り向けた。

「なんだいキッド、おまえさんアニオンを飼うようになったのかい。知らねぇ間に随分と出世したもんだ」

「そんなんじゃない。山から下りてきたこいつが勝手に俺の家に居着くようになっただけだ」

「ほおん?」

 店主が肩眉を吊り上げて値踏みをするようにラヴィに顔を近づけると、人慣れしていないラヴィはびくっと体を震わせて今にも泣きそうなくらいに瞳を潤ませた。

 それでも『ラチアが期待してくれてるんだ。ボクが靴を守らなきゃ!』と必死になって、ラチアを呼ぶことも忘れて木箱にしがみつきながら「うーうー……」と唸って店主を威嚇している。

「ラヴィ。もういい、お疲れさん」

 プルプルと震えながら唸っているラヴィにラチアが声を掛けると、まるで撤退許可を受けた兵士のようにラヴィはほっと喜色を浮かべた。

「も、もういいの?」

「あぁ上出来だ。このおっさんが靴を仕入れてくれるんだ。見た目は腹黒そうで、実際その通りなんだが、俺の靴の良さを分かってくれる数少ない目利きのおっさんだ」

「目利き? 確かにその通りだが、別にキッドが作る靴が良いから買ってるわけじゃねぇ。オマエに靴作りを仕込んだのは俺だからな。その責任を果たしているだけだ」

「いつまでもそんな憎らしい口をきいてていいのか? 俺が売れっ子職人になってもおっさんの注文には最優先で応じようと思っているんだが、気が変わっても知らないぞ?」

「おめぇさんが売れっ子に? はっ、それはいつの事だい? 五十年後か? 百年後か? 生憎と俺ぁ、そんな日が来るまで生きていられる自信なんてねぇな」

「くっ……本当に口の減らないおっさんだ」

 憎々しげに睨んでくるラチアを店主はふんっと鼻で笑い、荷台の上に乗っているラヴィへ話しかけた。

「よぉ、おめぇさんも運が悪ぃな。なんでこんな甲斐性無しに懐いた? どうせならもっと稼げるやつに飼われたほうが良いもんが食えただろうに。ん?」

「え……あ、その……」

 どうやらこの初老の人間はラチアの知ってる人のようだから安心していいみたいだけれど、二人の遠慮のない言い合いにラヴィはついて行けず、なんて返事をしたらいいのか分からなかった。

 リアクションに困ったラヴィは「あうあう……」と呻きながら俯いて、てちてちと耳の毛繕いをすることで自分の世界へ逃げた。

「余計なことを吹き込むな。見ろ、困ってるだろうが」

「ほぉ、ウサギタイプのアニオンは困るとこういう行動をするのか。面白いな」

「わざと困らせて面白がるな。ったく、なんて歪んだ性格だ……。次の空箱を借りるぞ」

 ラチアは苦り切った顔をして、次の納品時に使う空の木箱を店の裏手に取りに行った。

 黒板を片手に持ちながら靴を数えていた店主は、ラチアがいなくなったのを見計らってそっとラヴィに近づくと、長い耳に口を寄せて囁いた。

「よぉ、ウサギっ子。おめぇさんは本当に運が悪ぃな。だが人を見る目は悪かぁ無ぇ。キッドの言うことをよく聞いて、ちゃんとお仕えするんだぞ?」

「う、うん……」

 怯えながら頷くと、店主はラヴィの頭に大きな手を乗せて、わしわしと乱暴に撫でながら「いい子だ」と微笑んだ。
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