靴職人と王女と野良ウサギ ~ご主人様が絶望しているからボクは最高に幸せだよ~

マルシラガ

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Police! Police!(警備兵さん、こっちです!) 2

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 店主は靴のチェックを終えると、犬耳を生やしたアニオンの店員に荷台の木箱を倉庫に移動させた。

「おい、いつもより二十フルークス多いぞ? 金勘定が趣味のおっさんらしくもない。とうとう耄碌もうろくしたのか?」

 ラチアは店主から渡された金を数えて驚きの声を上げた。

「ちっ、とことんオメェは可愛げの欠片もねぇな。なんのかんのと少しはおまえさんの腕も上がってきている。それに見合っただけの賃上げをしたつもりだがね。余計なお世話だというのなら、返してもらうのにやぶさかではない」

「……は?」

「なにが『は?』だ、不服なら金を返せと言ってるんだ」

 あからさまな不機嫌顔でラチアの前に手を出して『返せ』と催促する。

 ラチアは慌てて手を後ろに回した。

「い、いや、有り難く受け取らせて貰う。……驚いた。初めておっさんがまともな人間に見えたぞ」

「おいこら、初めてとはどういうことだ。ったく、徹頭徹尾可愛げのねぇ野郎だ。いいか? 次もきちんと納期までに作ってくるんだぞ。今んとこ、オメェの売りはまだそんくらぇしかないんだからな」

「あぁ、わかっているさ」



 荷台に乗せていた荷物がなくなって軽くなった馬車が、カラカラと軽い音を立てて石畳の上をゆく。

「嬉しそうだね、ラチア」

「ん? わかるか?」

「さっきからずっとニコニコしてるよ」

「そうか。まぁ、靴作りの腕が上がったと認められて、いつもより賃金が多く貰えたからな。上機嫌にもなる」

「賃金って、さっき貰ってた金属のこと?」

「そうだ。これは《お金》と言って、何かを買うときに必要なものだ。小麦を買うのに必要だし、靴作りに使う釘を買うのにだってこれがいる。逆に言うと人間はこれがないと生きてゆくのが難しい」

「そうなんだ……」

 ラチアはさっき貰ったばかりの硬貨を何枚か取り出して、ラヴィに見せた。

「この赤色の金属が十バール硬貨だ。これが十個集まると、単位が変わって一フルークス。この銀色の小さいやつだ。で、これが二F硬貨。他にも……」

 実際の硬貨を見せながら説明していると、ラヴィの目がラチアの背後に流れて、何かを追っていた。その視線の先が気になって振り向くと、路地の角にゴザを敷いてリンゴを売っている露天商がいた。

「食べたいのか?」

 ラチアは手綱を引いて、馬車を路肩に寄せて止めた。

「あ、え、でも……あのリンゴ、あのおじさんのでしょ?」

「まぁ、そうだが、あれはお金と交換で貰えるんだ」

「お金と交換するの?」

「そうだ、それを商売って言うんだがな――」

 中断していたお金の説明と絡めて、どうやってお金と物を交換するかを教え、商売をしている人がどうやって利益をあげて生活をしているのかをざっくりと解説した。

「へぇ、そうやって暮らす方法もあるんだね」

 できるだけ難しい言葉は使わないように説明したからか、ラヴィは商売の仕組みを理解した。

「オマエ、案外飲み込みが早いな。実は賢いんじゃないか?」

「実はって……今までボクのことどういうふうに見てたの?」

「あはは。怒るな、あの一番美味そうなリンゴを買ってやるから許せ」

 そう言ってラチアが指差したのは、赤くて大きなリンゴ。中にたっぷりと蜜が入っているのを証明するように、リンゴの表面には糖質が乾燥した白い粉を噴いていた。

 露店には他にも大きさや色づきの違うリンゴがあったけれど、そのリンゴが積まれているカゴの前には一番高額な九十Bの値札がついている。

「え、でも……それならもっと安いのでいいよ」

 ラチアがあまりお金を持っていないことは知っているので、ラヴィは遠慮したのだけれど、

「ラヴィ、オマエは思ってることがすぐ顔に出るな。三十Bの山を見て『う……』って顔になってたぞ」

「だって、あまり赤くなくて美味しくなさそうだったし……」

「だから安いんだ。みんなが欲しいと思うものは高価だし、いらないって思ったら安いんだ」

「そっか。いらないから安いんだ……でも、いらないのに売れるの?」

「みんながたくさんお金を持ってるわけではないからな。俺がいつも安い酒で我慢しているのと同じ理由だ。『ないよりはマシ』ってやつだ」

「じゃぁラチア。ボク、リンゴはいいから今日くらい美味しいお酒を買ったら?」

「遠慮するな。それに、そんな美味しい酒を飲んだら、いつもの安酒がもっと不味く感じてしまうだろ? 慣れない贅沢はしないほうがいい」

 おどけた調子で言うラチアの言葉を、ラヴィは素直に受け取った。

「そっか、ラチアって本当に貧乏なんだね。ゴメンね無神経なこと言っちゃった」

 ラヴィが緩く微笑んでラチアの肩にポンと手を置く。これ以上ないくらい憐みのこもった目をしていた。

「……」

 ラチアは固まった笑顔のまま額に血管を浮かべて、何も言わずにラヴィの頬を抓った。

「にゃんで!? ひょ、ラヒア? 痛いひゃいよ!? にゃんで!?」

 ラチアに買ってもらった九十Bのリンゴを「美味しいね! すごく美味しいよ!」と何度も感嘆の声を上げながら食べたラヴィはお腹が膨れたのと、ずっと慣れない馬車に揺られてきた影響でウトウトと瞼を下ろし始めた。

 ラチアの肩に頭を寄りかからせてぐんにゃりとした夢の世界に半分ほど溶け込んでいたら肩を揺すられて夢の世界から引き戻された。

「起きろラヴィ。いい気分のところ悪いが、ここからは歩きだ」

「ふにゅ……歩くの?」

「そうだ。この先の市場は馬車の乗り入れが禁止されているからな」

 まだぼんやりと頭をふらつかせているラヴィをヌイグルミのように抱えて馬車から降ろすと、ラチアは市場の前で黄色いハンカチを胸ポケットに挿している猫タイプのアニオンの少年に一枚の銅貨を渡して、引き替えに少年からは木の札を受け取った。

 猫耳少年は「毎度!」と元気のいい笑顔でお辞儀をして、ラチアたちが乗っていた馬車の御者台に飛び乗り、そのままどこかに行った。

「いいの? 馬車持って行かれたよ?」

 馬車を見知らぬ少年に持って行かれたのに、ラチアは全然慌てていない。

「ここから少し離れた場所に馬車を駐めておくための広場がある。市場に来る者がみんなここで馬車を駐めたら大渋滞になるからな。あの子には馬車をそこに持っていって貰ったんだ。帰るときは――」

 ラチアは少年から受け取った木札をラヴィに見せた。○と×が不規則な順序で記されている。

「これをあそこの黄色い台に座っている男に見せればいい。あの男がこの木札に描かれてある順番で鐘と鼓を鳴らすと、さっき馬車を持っていった子が馬車に乗ってここに戻ってくる。鐘と鼓の組み合わせで預けた子を識別しているから間違うことも無い。そういう商売なんだ」

「へぇ……いろんな商売があるんだね」

「市場の中に入ると、もっとたくさんの商売を見ることが――……」

 ラヴィが迷子にならないように、もふもふな冬毛に包まれたその手を握って市場に入ろうとしていたラチアは、急に言葉を切ってUターンした。

「どうしたのラチア。市場に行かないの?」

「しっ! 喋るな。目立たないようにこの場を離れるぞ」

 ラチアは顔に手をあてて肩をすぼめながらこの場を離れようとした。
 でも、そんな不審な行動が逆に人目を引いてしまう。

『なにかあったのかな?』

 ラチアに手を引かれながら後ろを見ると、市場の見回りをしていた警備兵たちの一隊がこちらを指差して何かを話していた。

「ラチア。鎧を着けた人間がこっちを指差してるよ」

「なに!? くそっ見つかったのか! 逃げるぞラヴィ!」

「え? ちょっ!?」

 ラチアはラヴィを抱き上げると、脇に抱えて猛然と走り出した。
 ラチアたち注視していた警備兵の一人がそれを見て、もの凄い勢いで追いかけてきた。

「ちいっ! 来やがった!」

 ラチアは今までにないくらいに必死な顔でさらに走るスピードを上げた。

『え? なに? もしかしてラチアって犯罪者?』

 そう訊こうと思ったけれど、ラチアに抱えられている今の状況だと口を開いた途端に舌を噛んでしまいそうで何も訊けない。

 ラチアは右へ左へと通行人を避けながら必死になって逃げている。
 一方、追ってくる警備兵は小柄な体格を活かしてラチアが通った後にできた人の間隙をすり抜けてほぼ一直線に迫ってくる。逃げれば逃げるほど彼我の距離は縮まった。

『あれ? 追ってきてる人って……』

 お尻と頭を逆に抱えられていたラヴィは、追ってくる警備兵の様子がはっきりと見えている。

『人間のメス? でも、なんであんなに嬉しそうな顔してるんだろう?』

 ラヴィが不思議に思った通り、女性警備兵はキラキラと輝く笑顔でラチアを追いかけてきている。とても犯罪者を追う人の表情じゃない。

「先輩! せぇんぷぁーい! 待って下さいよぉー!」

 ラチアの後ろ約十五メルク後方にまで迫った警備兵は、そう言ってラチアに声をかけた。

『先輩?』

「くっ! 相変わらず無駄に早えっ!」

 肩越しに振り返ったラチアの顔には、死霊に追いつかれたかのような恐怖が浮かんでいた。
 抱えられているラヴィも恐怖を感じていた。

 警備兵は腰に重そうな剣を帯びていて、もっと重そうな鎧も着けているのに、ラチアを凌ぐスピードで猛追もうついしてきている。しかも余裕の笑顔で。そのアンバランスさがあまりにも非現実過ぎて怖い。

「うふふふ。先輩ってばー!」

 ラチアの背後にまで迫った女性警備兵は、可愛い声とは裏腹に痛烈なタックルでラチアに飛びついた。

「ぐはぁ!」

「ぴゃー!?」

 ラチアが派手に転倒し、ラヴィも投げ出されてボールのようにコロコロと転がった。

「お久しぶりです先輩! お元気してましたか?」

 仰向けに倒れたラチアのお腹の上に跨った女性警備兵は、とても無邪気な笑顔で訊いてきた。

「おかげさまで、さっきまでは擦り傷一つ無い健康体だったよ。パイラ」

 怒り顔のラチアが擦りむいた肘を見せつけながら嫌味を言うと、

「そうですか! それはなによりです!」

 パイラと呼ばれた女性警備兵はラチアの嫌味をあっさりスルーして微笑んだ。

「ところで、先輩。どうして逃げたんですか?」

「オマエがいたからだ」

「なるほど、あたしに追っかけて欲しくてわざと逃げたんですね? 先輩は相変わらず照れ屋さんですね!」

「どういう思考回路をしていたら、そういう判断になるんだ?」

「先輩があたしのことを大好きだという大前提で考えて判断してます!」

 きっぱり言い切る。その言葉には微塵みじんも躊躇ためらいがない。

 ぞくりと背筋が寒くなったラチアは「警備兵、イカれたこいつを捕まえて牢にブチ込んでくれ!」と言いそうになった。しかし、残念ながら彼女がその警備兵だった。

「で、先輩。どうしたんですかあの子?」

 パイラは樽屋の前まで転がって目を回しているラヴィを指差した。

 ぱっと見た感じではあまり人間の子供と変わらない容姿のラヴィ。
 違いがあるとすれば頭上に長い耳が乗っていることと、着ぐるみのパーツを嵌めているかのように大きな手足。
 頭髪は人と同じ直毛なのに体毛は薄いピンクを帯びた白色でもふもふしていて、とても柔らかそうだ。

 あまりの可愛らしさにむふぅと鼻息を荒くしたパイラは、瞳を輝かせてラチアに訊いた。

「もしかして独り寝が寂しくて買ってきたんですか?」

「違う!」

 ラチアは即座に否定した。

「もう、そんなに独り寝が寂しかったんなら、あたしに一言言って下さいよぉ」

『言ったら、どうなるってんだ……』

 訊いてみたいところだが、今の状態で訊くのは危険すぎる。
 多くの人が行き来する道の真ん中で押し倒されて、そのまま普通に会話をしているこの状況。
 人目を集めるのには充分すぎるインパクトだ。

「いい加減俺の上からどけ。周囲からの目が痛い」

「もう、逃げませんか?」

「……」

 ラチアが黙秘したまま力尽くで起き上がろうと肩を浮かせたら、ガッ! とすかさず膝で肩を押さえ込まれた。

「もう、逃げませんか?」

 パイラが笑顔のままで再び同じ問いをした。

「……あぁ」

 ラチアは全面降伏した。
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