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Who are you?(貴方は誰?) 6
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綺羅綺羅しくも儚げな目をした王女と別れたラチアたちは周囲から向けられる好奇の目から逃れるようにそそくさとその場を後にした。
王女と会ってからのラチアは心をどこかで落としてしまったかのように虚ろな目になっていて、歩く様子は見るからに危なっかしく、まるで幽鬼のようだった。
このままでは家に帰るまで馬車を御するのが難しそうだったので見かねたパイラが代わりに馬車の手綱を取った。
ラチアの家に着いたときにはすっかり夜が更けていたけれどラチアはずっと不機嫌そうに眉を寄せるばかりで、パイラが気を使って話しかけても「……あぁ」「……そうだな」くらいの生返事しかせず、心に溜まったドロドロしたものを追い出そうとしているかのように買ってきたばかりの安酒を鯨飲していた。
酒量を考えない無茶な飲み方をしたラチアはあっという間に酔いが回り、やがて糸が切れた操り人形のように頭をゴトリとテーブルに転がして……静かな寝息をたてはじめた。
苦しそうに眉を寄せたまま寝ているラチアを見て、ラヴィは心配そうに耳を垂らしている。
「ボク、こんなにお酒に酔ったラチアなんて初めて見たよ」
「あたしも。先輩っていつもいつも隙がなくって、完璧で、頑張り屋で、弱音を吐いてるところなんて見たことなかったから。……そんな先輩だから、あたしは憧れてたんだけどね」
もうだいぶ夜が更けていたので今日はここに泊まることにしたパイラはラチアの寝顔を肴に一人でウイスキーのゴブレットを傾けている。
「じゃあ、今日のラチアを見てがっかりした?」
パイラはちょっと考えてから「ううん」とゆっくり首を振った。
「逆になんだか親しみを感じるようになった。先輩も人間なんだな……って。あたしだっていつも元気でいられるわけじゃないもの。落ち込むこともあるし、泣いちゃうこともね。先輩と出会ってから九年経つけれど、これって先輩があたしに初めて見せてくれた弱さなんだよね」
パイラはそう言いながら、寝ているラチアの鼻先を愛おしそうにつついた。
「そういえばパイラとラチアっていつ知り合ったの? ラチアは警備隊にいたことはないって言ってたけど」
「あたしと先輩は学校時代の先輩後輩なんだよ。あたしが先輩と知り合ったのは、あたしが士官学校に入学したとき。あたしが十歳で先輩が十五歳の頃だね」
パイラに髪を触られても鼻先をつつかれてもラチアは起きない。
ラヴィじゃラチアをベッドに運ぶ事もできないので、とりあえず毛布を持ってきてラチアの肩にかけた。
「それにしても、全然起きないね……。こんなになるならお酒なんて飲まなきゃいいのに」
「飲まなきゃやってられなかったんでしょ。姫様に会った後だから」
「姫様と……何かあったんだよね? 昔」
ラチアと王女の間に自分の知らない過去があるのを察したラヴィは疎外感を感じてしょんぼりと俯いた。
「おチビちゃん、知りたい? 二人の間に何があったのか」
「パイラは知ってるの?」
「そりゃ、九年もの付き合いがあるからね。で、おチビちゃんは知りたいの? 先輩の過去」
ラヴィがコクコクと何度も頷いたので、パイラは「そうだよねー、やっぱ」と笑った。
「あのね。先輩と姫様は幼馴染みなんだよ」
「ラチアと姫様が? ……どうやって知り合ったの?」
ラヴィは子供の頃のラチアと王女の接点が想像つかなくて眉を寄せた。
「あ、これも知らなかった? 先輩は貴族だったんだよ」
「へぇ~…………えっ!? 貴族!? じゃあ、ラチアってすごく偉い人なの?」
「そだよー。んふふ、先輩って本当はこんなとこで靴なんて作ってるような人じゃないの。大きなお屋敷に住んで、数千人の兵士に命令できる立場にいたんだよ……数年前まではね」
「じゃあどうして、今は……」
「そこがあの姫様に絡んでくるとこなのよー」
パイラは空になったゴブレットに自分でウイスキーを注いで水割りを作った。
パイラはラチアみたいな無茶な飲み方はしてないけれどそれでもだいぶ酔いが回っているらしく、とろんとした酔眼になってる。
「先輩は士官学校を卒業してすぐ姫様の護衛騎士に抜擢されたの。王族の護衛騎士ってそう簡単になれるものじゃないんだけどね」
「それだけラチアが強かったから?」
「まぁね。でもちょっと違う。確かに先輩はすっごく強いんだけど、それだけじゃ護衛騎士はなれないの。家柄とか、それまでの功績とか、有力貴族の推薦とか、いろいろな条件が揃ってないとね。だからいくら先輩でも普通なら護衛騎士になんてなれなかったはずなの」
「じゃあ、どうして?」
「姫様がラチアを自分の騎士にしたいって王様に駄々をこねたのが一番の理由」
「姫様が……?」
パイラはなんだか辛そうに顔を歪めてから、無言で頷いた。
「姫様は先輩のことが子供の頃からずっと好きだったの。で、先輩も姫様の事が好きだった」
「ラチアも!?」
信じられなかった。王女はともかく、王女と話をしているラヴィはとても辛そうな顔をしていた。
好きな相手と話をしている感じには全然見えなかった。
「先輩はそうだって一度も口にしたことないんだけどね。でも、なんとなくわかっちゃうんだよ。……悔しいけど。さ」
パイラはそこまで話すと言葉を止めて隣で寝ているラチアの銀髪を指先でなぞった。
酔いの回ったパイラの薄茶色の瞳に、王女と同じような淡い憂いの陰がゆらめいた。
「先輩はね、姫様と結婚したかったんだよ。でも身分が違いすぎると結婚できないんだ……あ、うん。身分差とか分からなくてもいいよ、そこはそういうもんだって思ってて」
ラヴィが「どうして?」と言ってるように首を傾げているのを見て酔いの回った頭で説明するのが面倒だったパイラは強引に話を進めた。
「確かに先輩は貴族出身だけどそれほど位の高い貴族じゃなかった。だから戦がある度に自ら志願して前線に出て戦って、戦って、戦って、死そうになりながらも功績をあげて、姫との結婚が許される爵位を手に入れるまでもう少しだった。……でも、間に合わなかった」
「間に合わなかった……って?」
「王様が姫様を隣の国に嫁がせることにしたの」
「……え?」
「あたしらの国って他の国に比べたら小さくってさ、隣の大きな国と同盟を結んでるんだけど、同盟ってのは形だけ。実際は属国と同じ待遇でほとんど向こうの言いなりになってる状態なの。毎年多額の上納金を払ってるんだけれどその額が年々上がっててこれ以上要求されたら国が破綻するってところまできててね。それでお金の代わりに姫様を嫁がせて親戚になって仲良くしようってことになったの」
「そんなのって……」
ラヴィの脳裏に、なぜか今日奴隷市場で売られていた狼の顔が浮かんだ。
『あぁ……そういえば……』
市場で売られた狼の虚ろな目と王女の憂いを帯びた目がラヴィの頭の中で重なった。
『狼さんも同じようにすごく悲しそうな目をしてたっけ。……同じなんだ。自分の気持ちに関係なく誰かのモノにされちゃうって意味で、姫様も市場で売られている奴隷と同じなんだ』
奴隷市場の奴隷たちと王女の違いがあるとしたら縛っているものが黒鉄の手枷か黄金のティアラかという違いだけなのかもしれない。
「可哀想だよね、そういうのってさ。でもさ……姫様はもっとひどいことをされたんだ」
「もっとひどいこと?」
「王様は姫様が先輩のことを想っているって知ってたからね。姫様の先輩への恋心を完全に断ち切らせるために王様は嫁入りの道中の護衛にわざと先輩を任命したんだ」
「ラチアを嫁入りの護衛に?」
「全然知らない人のところへのお嫁に行くのに、その護衛を大好きな人にされちゃったら……なんかもう、いろいろと諦めるしかないよね。気持ちが折れちゃうよ」
「そんなの、あんまりだよ……姫様が可哀想だよ」
「可哀想なのは姫様だけじゃないよ。先輩も同じくらい辛かったと思うよ」
「……だよね」
しんみりとした空気がふたりの間に流れた。
「ところがさ、先輩が姫様を護送している最中にある事件が起きたんだよ」
「事件?」
「姫様ってすっごい美人だったでしょ?」
ラヴィは躊躇いなく頷いた。あの姫様が美人じゃないとしたらこの世に美人はいなくなる。
「あたしたちの国は姫様を正妃じゃないと嫁がせないって条件で嫁入りの話を進めてて、向こうもそれを受けたんだけど、本当は姫様を正妃にするつもりなんてなかったんだよ。向こうは向こうで別の人を正妃にするつもりだったから」
「正妃?……あ、一番偉いお嫁さんのことだったね、確か」
「まぁそんな感じ。でね、ウチらの姫様がすごい美人だって噂は隣国の王様の耳にも入っていて、正妃にはしたくないけど美人の姫様は欲しくて……で、悪知恵を働かせた隣国の王様は自分の親衛隊に盗賊のフリをさせて、自分の国に嫁ぎに来た姫様の一行を襲わせたんだよ」
「……どういうこと?」
なんだかややこしくてラヴィは頭を抱えた。
「わかりやすく言うと隣国の王様は姫様を泥棒して、しらんぷりするつもりだったってこと」
「うわぁ、そんなのズルイよ!」
「でしょおー? ズルイよねぇ? でも皮肉なことにさぁ、姫様の護衛についてたのがあたしらの国で最強の騎士だったんだから笑っちゃうよね。こっちの王様のゲスな嫌がらせが、意図せず最強の防御態勢を敷く事になってたんだから」
「最強の騎士……って、ラチア?」
「他に誰がいるの?」
「え、でも。ラチアってそんなにスゴイの?」
「そりゃそうだよ。先輩が史上最年少の王族護衛騎士になれた一番の理由は姫様がゴネたからだけど、先輩自身が国内最強だったから他の反対意見を押さえ込めたんだよ」
「そうなんだ……」
目の前でだらしなく酔いつぶれているラチアが最強の騎士だとはちょっと信じられなかった。
「で、話は戻るけどさ。盗賊のフリをして姫様を襲った親衛隊は予想外に強い騎士が護衛の中にいたから驚いちゃったわけ。盗賊になりすましていた四人はあっという間に先輩に蹴散らされたんだけど、ここで任務を失敗させるわけにはいかない親衛隊は誘拐後の護送として森の中に控えていた全員で襲ってきたわけ。こんな事態になるって予想していなかったから盗賊の変装をしていない親衛隊の紋章の入った鎧を着けたままで襲っちゃったのよ」
「あー……。それで正体がバレちゃったんだ」
「うん。でね、襲ってきた親衛隊の人数は二十人。こっちの護衛は先輩を含めて六人しかいなかった。しかも姫様が乗った馬車を守りながらの戦闘だったから先輩はすぐに追い詰められてピンチになったわけ」
まるで自分が追い詰められたような気がしてラヴィは話を聞きながらゴクリと唾を呑んだ。
「味方がほとんど倒されて敵の攻撃を捌ききれなくなった先輩は姫様だけでも護ろうと考えて馬車から姫様を降ろして、自分の馬に乗せて敵の囲みを突破したんだ」
「突破したの!? 二十人もいるのに?」
「うん。でも囲みを突破する際に先輩たちが乗っていた馬は毒矢を受けてね、なんとか追撃を振り切った後で馬は倒れちゃったんだ。馬を失った先輩と姫様は近くの農村の道具小屋に隠れて追っ手をやり過ごすして夜が明けた後に村で農馬を借りてなんとか城に帰ってきたの」
「じゃあ、ちゃんと姫様を守りきったんだね。ラチアすごい! すごい活躍だよ!」
「ところがさぁ……先輩は罰を受けることになったんだ」
「へ? なんで!?」
「事情がどうであれ若い男と女が他に誰もいない小屋の中で一晩過ごしたんだよ? 何もないわけが無い。って普通考えちゃうよね」
「……?」
ラヴィは何があったんだろうと思ったけれど話を止めたくなかったのでそのまま聞いた。
「二人はお互いに想い合っている関係だってのが公然の秘密だったし……。だから翌朝になって姫様を連れて帰ってきた先輩はその場で捕縛されて、激怒りの王様に貴族の身分と騎士の職を剥奪されちゃったんだ」
「え? そんなの納得いかないよ! ラチア悪くないよね? いいことしたんだよね!?」
「うん、納得いってない。私もそうだし、他の騎士もみんなそうだった。だからおチビちゃんが怒りたい気持ちもわかる。でもね、一番納得できないでいるのは当の本人たちじゃないかな?」
「あ……」
「そういう事情があって先輩は今こうしてこんな田舎で靴職人をやってるんだよ」
「それで、昼間ラチアがお姫様と会ったとき、あんな変な感じになってたんだ……」
事情を聞いてラヴィはようやく納得した。
「先輩、やりきれないよねー。お酒飲まなきゃやってらんないって気持ちもわかるよ」
「……だね」
パチリ……。
話が終わって声が止むと、暖炉の中で燃えている薪の爆ぜる音がやけに大きく聞こえた。
パイラはゴブレットを傾けて、ウイスキーと一緒に胸中に溜まった苦みを飲み込んで呟いた。
「でもね、そーゆーのを今でもずるずる引き摺ってる先輩を側で見てるあたしだってさ……けっこうしんどいんだよ?」
手の中のゴブレットに視線を落としながら零したパイラの呟き。
『それ、ボクに言っているようだけれど、本当に伝えたい相手は横で寝ているラチアなんだろうな……』
今の話を聞いて少しだけ賢くなったラヴィはそう察することができた。
王女と会ってからのラチアは心をどこかで落としてしまったかのように虚ろな目になっていて、歩く様子は見るからに危なっかしく、まるで幽鬼のようだった。
このままでは家に帰るまで馬車を御するのが難しそうだったので見かねたパイラが代わりに馬車の手綱を取った。
ラチアの家に着いたときにはすっかり夜が更けていたけれどラチアはずっと不機嫌そうに眉を寄せるばかりで、パイラが気を使って話しかけても「……あぁ」「……そうだな」くらいの生返事しかせず、心に溜まったドロドロしたものを追い出そうとしているかのように買ってきたばかりの安酒を鯨飲していた。
酒量を考えない無茶な飲み方をしたラチアはあっという間に酔いが回り、やがて糸が切れた操り人形のように頭をゴトリとテーブルに転がして……静かな寝息をたてはじめた。
苦しそうに眉を寄せたまま寝ているラチアを見て、ラヴィは心配そうに耳を垂らしている。
「ボク、こんなにお酒に酔ったラチアなんて初めて見たよ」
「あたしも。先輩っていつもいつも隙がなくって、完璧で、頑張り屋で、弱音を吐いてるところなんて見たことなかったから。……そんな先輩だから、あたしは憧れてたんだけどね」
もうだいぶ夜が更けていたので今日はここに泊まることにしたパイラはラチアの寝顔を肴に一人でウイスキーのゴブレットを傾けている。
「じゃあ、今日のラチアを見てがっかりした?」
パイラはちょっと考えてから「ううん」とゆっくり首を振った。
「逆になんだか親しみを感じるようになった。先輩も人間なんだな……って。あたしだっていつも元気でいられるわけじゃないもの。落ち込むこともあるし、泣いちゃうこともね。先輩と出会ってから九年経つけれど、これって先輩があたしに初めて見せてくれた弱さなんだよね」
パイラはそう言いながら、寝ているラチアの鼻先を愛おしそうにつついた。
「そういえばパイラとラチアっていつ知り合ったの? ラチアは警備隊にいたことはないって言ってたけど」
「あたしと先輩は学校時代の先輩後輩なんだよ。あたしが先輩と知り合ったのは、あたしが士官学校に入学したとき。あたしが十歳で先輩が十五歳の頃だね」
パイラに髪を触られても鼻先をつつかれてもラチアは起きない。
ラヴィじゃラチアをベッドに運ぶ事もできないので、とりあえず毛布を持ってきてラチアの肩にかけた。
「それにしても、全然起きないね……。こんなになるならお酒なんて飲まなきゃいいのに」
「飲まなきゃやってられなかったんでしょ。姫様に会った後だから」
「姫様と……何かあったんだよね? 昔」
ラチアと王女の間に自分の知らない過去があるのを察したラヴィは疎外感を感じてしょんぼりと俯いた。
「おチビちゃん、知りたい? 二人の間に何があったのか」
「パイラは知ってるの?」
「そりゃ、九年もの付き合いがあるからね。で、おチビちゃんは知りたいの? 先輩の過去」
ラヴィがコクコクと何度も頷いたので、パイラは「そうだよねー、やっぱ」と笑った。
「あのね。先輩と姫様は幼馴染みなんだよ」
「ラチアと姫様が? ……どうやって知り合ったの?」
ラヴィは子供の頃のラチアと王女の接点が想像つかなくて眉を寄せた。
「あ、これも知らなかった? 先輩は貴族だったんだよ」
「へぇ~…………えっ!? 貴族!? じゃあ、ラチアってすごく偉い人なの?」
「そだよー。んふふ、先輩って本当はこんなとこで靴なんて作ってるような人じゃないの。大きなお屋敷に住んで、数千人の兵士に命令できる立場にいたんだよ……数年前まではね」
「じゃあどうして、今は……」
「そこがあの姫様に絡んでくるとこなのよー」
パイラは空になったゴブレットに自分でウイスキーを注いで水割りを作った。
パイラはラチアみたいな無茶な飲み方はしてないけれどそれでもだいぶ酔いが回っているらしく、とろんとした酔眼になってる。
「先輩は士官学校を卒業してすぐ姫様の護衛騎士に抜擢されたの。王族の護衛騎士ってそう簡単になれるものじゃないんだけどね」
「それだけラチアが強かったから?」
「まぁね。でもちょっと違う。確かに先輩はすっごく強いんだけど、それだけじゃ護衛騎士はなれないの。家柄とか、それまでの功績とか、有力貴族の推薦とか、いろいろな条件が揃ってないとね。だからいくら先輩でも普通なら護衛騎士になんてなれなかったはずなの」
「じゃあ、どうして?」
「姫様がラチアを自分の騎士にしたいって王様に駄々をこねたのが一番の理由」
「姫様が……?」
パイラはなんだか辛そうに顔を歪めてから、無言で頷いた。
「姫様は先輩のことが子供の頃からずっと好きだったの。で、先輩も姫様の事が好きだった」
「ラチアも!?」
信じられなかった。王女はともかく、王女と話をしているラヴィはとても辛そうな顔をしていた。
好きな相手と話をしている感じには全然見えなかった。
「先輩はそうだって一度も口にしたことないんだけどね。でも、なんとなくわかっちゃうんだよ。……悔しいけど。さ」
パイラはそこまで話すと言葉を止めて隣で寝ているラチアの銀髪を指先でなぞった。
酔いの回ったパイラの薄茶色の瞳に、王女と同じような淡い憂いの陰がゆらめいた。
「先輩はね、姫様と結婚したかったんだよ。でも身分が違いすぎると結婚できないんだ……あ、うん。身分差とか分からなくてもいいよ、そこはそういうもんだって思ってて」
ラヴィが「どうして?」と言ってるように首を傾げているのを見て酔いの回った頭で説明するのが面倒だったパイラは強引に話を進めた。
「確かに先輩は貴族出身だけどそれほど位の高い貴族じゃなかった。だから戦がある度に自ら志願して前線に出て戦って、戦って、戦って、死そうになりながらも功績をあげて、姫との結婚が許される爵位を手に入れるまでもう少しだった。……でも、間に合わなかった」
「間に合わなかった……って?」
「王様が姫様を隣の国に嫁がせることにしたの」
「……え?」
「あたしらの国って他の国に比べたら小さくってさ、隣の大きな国と同盟を結んでるんだけど、同盟ってのは形だけ。実際は属国と同じ待遇でほとんど向こうの言いなりになってる状態なの。毎年多額の上納金を払ってるんだけれどその額が年々上がっててこれ以上要求されたら国が破綻するってところまできててね。それでお金の代わりに姫様を嫁がせて親戚になって仲良くしようってことになったの」
「そんなのって……」
ラヴィの脳裏に、なぜか今日奴隷市場で売られていた狼の顔が浮かんだ。
『あぁ……そういえば……』
市場で売られた狼の虚ろな目と王女の憂いを帯びた目がラヴィの頭の中で重なった。
『狼さんも同じようにすごく悲しそうな目をしてたっけ。……同じなんだ。自分の気持ちに関係なく誰かのモノにされちゃうって意味で、姫様も市場で売られている奴隷と同じなんだ』
奴隷市場の奴隷たちと王女の違いがあるとしたら縛っているものが黒鉄の手枷か黄金のティアラかという違いだけなのかもしれない。
「可哀想だよね、そういうのってさ。でもさ……姫様はもっとひどいことをされたんだ」
「もっとひどいこと?」
「王様は姫様が先輩のことを想っているって知ってたからね。姫様の先輩への恋心を完全に断ち切らせるために王様は嫁入りの道中の護衛にわざと先輩を任命したんだ」
「ラチアを嫁入りの護衛に?」
「全然知らない人のところへのお嫁に行くのに、その護衛を大好きな人にされちゃったら……なんかもう、いろいろと諦めるしかないよね。気持ちが折れちゃうよ」
「そんなの、あんまりだよ……姫様が可哀想だよ」
「可哀想なのは姫様だけじゃないよ。先輩も同じくらい辛かったと思うよ」
「……だよね」
しんみりとした空気がふたりの間に流れた。
「ところがさ、先輩が姫様を護送している最中にある事件が起きたんだよ」
「事件?」
「姫様ってすっごい美人だったでしょ?」
ラヴィは躊躇いなく頷いた。あの姫様が美人じゃないとしたらこの世に美人はいなくなる。
「あたしたちの国は姫様を正妃じゃないと嫁がせないって条件で嫁入りの話を進めてて、向こうもそれを受けたんだけど、本当は姫様を正妃にするつもりなんてなかったんだよ。向こうは向こうで別の人を正妃にするつもりだったから」
「正妃?……あ、一番偉いお嫁さんのことだったね、確か」
「まぁそんな感じ。でね、ウチらの姫様がすごい美人だって噂は隣国の王様の耳にも入っていて、正妃にはしたくないけど美人の姫様は欲しくて……で、悪知恵を働かせた隣国の王様は自分の親衛隊に盗賊のフリをさせて、自分の国に嫁ぎに来た姫様の一行を襲わせたんだよ」
「……どういうこと?」
なんだかややこしくてラヴィは頭を抱えた。
「わかりやすく言うと隣国の王様は姫様を泥棒して、しらんぷりするつもりだったってこと」
「うわぁ、そんなのズルイよ!」
「でしょおー? ズルイよねぇ? でも皮肉なことにさぁ、姫様の護衛についてたのがあたしらの国で最強の騎士だったんだから笑っちゃうよね。こっちの王様のゲスな嫌がらせが、意図せず最強の防御態勢を敷く事になってたんだから」
「最強の騎士……って、ラチア?」
「他に誰がいるの?」
「え、でも。ラチアってそんなにスゴイの?」
「そりゃそうだよ。先輩が史上最年少の王族護衛騎士になれた一番の理由は姫様がゴネたからだけど、先輩自身が国内最強だったから他の反対意見を押さえ込めたんだよ」
「そうなんだ……」
目の前でだらしなく酔いつぶれているラチアが最強の騎士だとはちょっと信じられなかった。
「で、話は戻るけどさ。盗賊のフリをして姫様を襲った親衛隊は予想外に強い騎士が護衛の中にいたから驚いちゃったわけ。盗賊になりすましていた四人はあっという間に先輩に蹴散らされたんだけど、ここで任務を失敗させるわけにはいかない親衛隊は誘拐後の護送として森の中に控えていた全員で襲ってきたわけ。こんな事態になるって予想していなかったから盗賊の変装をしていない親衛隊の紋章の入った鎧を着けたままで襲っちゃったのよ」
「あー……。それで正体がバレちゃったんだ」
「うん。でね、襲ってきた親衛隊の人数は二十人。こっちの護衛は先輩を含めて六人しかいなかった。しかも姫様が乗った馬車を守りながらの戦闘だったから先輩はすぐに追い詰められてピンチになったわけ」
まるで自分が追い詰められたような気がしてラヴィは話を聞きながらゴクリと唾を呑んだ。
「味方がほとんど倒されて敵の攻撃を捌ききれなくなった先輩は姫様だけでも護ろうと考えて馬車から姫様を降ろして、自分の馬に乗せて敵の囲みを突破したんだ」
「突破したの!? 二十人もいるのに?」
「うん。でも囲みを突破する際に先輩たちが乗っていた馬は毒矢を受けてね、なんとか追撃を振り切った後で馬は倒れちゃったんだ。馬を失った先輩と姫様は近くの農村の道具小屋に隠れて追っ手をやり過ごすして夜が明けた後に村で農馬を借りてなんとか城に帰ってきたの」
「じゃあ、ちゃんと姫様を守りきったんだね。ラチアすごい! すごい活躍だよ!」
「ところがさぁ……先輩は罰を受けることになったんだ」
「へ? なんで!?」
「事情がどうであれ若い男と女が他に誰もいない小屋の中で一晩過ごしたんだよ? 何もないわけが無い。って普通考えちゃうよね」
「……?」
ラヴィは何があったんだろうと思ったけれど話を止めたくなかったのでそのまま聞いた。
「二人はお互いに想い合っている関係だってのが公然の秘密だったし……。だから翌朝になって姫様を連れて帰ってきた先輩はその場で捕縛されて、激怒りの王様に貴族の身分と騎士の職を剥奪されちゃったんだ」
「え? そんなの納得いかないよ! ラチア悪くないよね? いいことしたんだよね!?」
「うん、納得いってない。私もそうだし、他の騎士もみんなそうだった。だからおチビちゃんが怒りたい気持ちもわかる。でもね、一番納得できないでいるのは当の本人たちじゃないかな?」
「あ……」
「そういう事情があって先輩は今こうしてこんな田舎で靴職人をやってるんだよ」
「それで、昼間ラチアがお姫様と会ったとき、あんな変な感じになってたんだ……」
事情を聞いてラヴィはようやく納得した。
「先輩、やりきれないよねー。お酒飲まなきゃやってらんないって気持ちもわかるよ」
「……だね」
パチリ……。
話が終わって声が止むと、暖炉の中で燃えている薪の爆ぜる音がやけに大きく聞こえた。
パイラはゴブレットを傾けて、ウイスキーと一緒に胸中に溜まった苦みを飲み込んで呟いた。
「でもね、そーゆーのを今でもずるずる引き摺ってる先輩を側で見てるあたしだってさ……けっこうしんどいんだよ?」
手の中のゴブレットに視線を落としながら零したパイラの呟き。
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