靴職人と王女と野良ウサギ ~ご主人様が絶望しているからボクは最高に幸せだよ~

マルシラガ

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 星が瞬く冬の空を馬上で眺めながらパイラは口から白い呼気を吐いた。

「うー……、さっぶいねぇ……」

 鼻の頭を赤くして両手を擦った。もう少しで夜が明ける。この時間帯が一番寒い。
 パイラが乗る馬の後ろには四人の部下が歯の根を震わせながら槍を担いでついてきていた。

「こんなときに外周の見回りだなんてついてませんね」

 部下の一人が首を縮こまらせながらぼやいていたところに短弓を背負った別の隊員が馬を走らせてやって来た。

「隊長! パイラ隊長!」

 その声が焦りを含んでいるのを感じ取ったパイラは緩んでいた表情を硬くして馬首を反転させてた。

「どうしたアヘラズ」
「不審なアニオンを発見したのですが」
「また脱走?」

 城外の外周を見回る主な目的は外敵の侵入を防ぐことではなく、城内で使役されている奴隷たちの脱走を食い止めることなので今の報告はさして珍しいことではない。むしろ通常の事だ。

 それなのに分隊を任せている副隊長がわざわざ馬を飛ばしてやってきたのが不思議だった。

「いえ、それが、逆に城内へ侵入しようとしていました」
「へ? おかしなことをするわね。数はどれくらい!?」

 盗賊と聞いて部下たちの間に緊張が走った。
 しかし報告に来たアヘラズは予想もしなかった応えをした。

「ウサギタイプのアニオンの単独行動です」
「ウサギが……単独で?」

 パイラは信じがたい内容の報告に眉根を寄せた。

「私たちも信じられませんでした。種族的に攻撃性の低いウサギタイプ、しかもまだ子供なのに武器の持てない手にわざわざ棍棒をくくりつけていて私たちに襲い掛かってきたのです」

「ウサギの子供が襲ってきたぁ?」
「はい。やむなく隊員の一人が応戦し一刀で斬り伏せましたが、襲撃の目的がわからなくて」

 そんなのは前例のないケースなので分隊を率いていたアヘラズは後処理に困っているらしい。

「わかった。とにかく現場を検分するよ。アンタらはこのまま警邏を継続。何かあったら使いを出すように」

 パイラは部下たちを残して先行するアヘラズに続いた。

 パイラたちが現場の西門近くに到着すると隊員三名が小さな輪を作って周囲を警戒している。
 その中心にはパイラに見覚えのある小さなアニオンが横たわっていた。

「お、おチビちゃん!?」

 パイラは隊員の足の隙間から見えたラヴィの顔に驚いて馬から飛び降りて駆け寄った。

「隊長、このアニオンと知り合いなんですか!?」

 アヘラズの問いに返事もせずに隊員を突き飛ばしてラヴィを抱き起こした。

「おチビちゃん! どうしてアンタこんなことに!?」
「……あ、パイラ」

 斬られたラヴィは血まみれになっていたがまだ息も意識もあった。

 パイラを見てかすむような微笑みを浮かべたラヴィは細い息で話した。

「マスターがね……言ってたんだ。警備隊を襲ったらボクなんか一瞬で斬り殺されるって」
「それが分かってて、なんでこんなことしたの!?」

 パイラはラヴィの胸の傷の深さを見て愕然とした。

 パイラはラチアのように戦場に出た経験はないけれど仕事柄何度も死体を見てきている。
 ラヴィの傷は深く、間違いなく致命傷。

 これではもう――……助からない。

「ボク……誰かに殺して貰いたかったんだ。自分でこっそり死んだら、届けて貰えないから」
「何いってんの!? 届けるって何!? 先輩は!? ねぇ、先輩はどこ!?」

 ラヴィの顔色と傷を交互に見ていたパイラはラヴィの首から提げられている木板に気がついた。
 どこかで拾ってきたような小さな木片はべっとりと血が染み込んでいて、そこに歯型で彫られているたどたどしい文字が薄く浮かんで見えた。

「《Pleaseおねがいします》? ……って、なんなのよこれ!?」

 その木片にはこう彫られていた。



  ************    
   おねがいします


   ぼくがしんだら

   ぼくのしんぞうをらちあにとどけてください

   らちあは あるがむらのちかくで

   くつしょくにんをしてるにんげんです


   おねがいします

  ************



「何なのこのお願いって!? どうしておチビちゃんが死ななきゃならないの!?」

 ラヴィはそれに答えずに段々と細く短くなる息でパイラに頼んだ。

「パイラなら、安心だよ。ボクの、心臓を……マスターに、届けて欲しいんだ……」

 このとき、ふたりが最も『今ここに居て欲しい』と思っていた人物が走り込んで来た。

「ラヴィ!」

「先輩!」
「……あ、マスターだぁ」

「せ、先輩……これ……」

 自分でも事態が把握しきれなくて説明に戸惑っているパイラにラチアは「分かっている」と頷いてみせてパイラの腕からラヴィを譲り受けた。

 ラチアの腕の中に納まったラヴィはとても嬉しそうだった。

「良かったぁ……最期に、マスターに、抱っこ……して、貰えるなんて……」
「オマエ……なんて事を……」

 ラチアはラヴィの胸の傷の深さを見て歯軋りをした。

 ラヴィの首から提げられた木片に歯で彫った文字があるのを見て、ラチアは最悪の予想が無情にも的中してしまったのだと理解した。

「なんて事を……。なんて事をしてくれたんだ……」

 ラチアの胸に頬をすり寄せているラヴィは満ち足りた顔をしていた。

「いいんだよ。ボクが勝手にしたことだから……」

「いいものか! いつ俺がオマエの心臓をくれと言った!? 身勝手にも程があるぞ!」

「だって……そうしないと、マスター、大好きなお姫様、守れないんでしょ?」

「そんなのオマエになんの関係がある。これは俺の問題だ! 俺だけの問題だ!」

「関係あるよ……ボク、マスターに、幸せに……なって、もらいたいから……」

「俺の……幸せだと?」

「うん。マスターはね、ボクにいっぱい、幸せをくれたんだよ。だから、ボクもマスターに……」

「ふざけるな!」

 ラチアは悲鳴のような裏返った大声でラヴィを怒鳴りつけた。

「オマエを犠牲にして俺が幸せになれるとでも思ったのか。もしそうなら、オマエは……オマエは大バカ野郎だ!」

「幸せじゃ……ないの?」

「あたりまえだ! オマエを失って……」

 ラチアは声を震わせて硬く閉ざした目から滂沱と涙を溢れさせた。

「オマエを失って俺はどうして幸せでいられる? 残るのは絶望しかないだろうがっ!?」

 地獄の底へ叩き落とされたような絶望を与えられて嗚咽を漏らしがら苦しんでいるラチア。
 ラヴィはその様子をぽやっとした顔で見上げていて、そして……ゆっくりと微笑んだ。

「えへへ……緑眼兎の言い伝え、やっぱり、その通りだったよ」
「どういうことだ」

 ラヴィの意外過ぎる言葉を聞いて目を開いたラチアはラヴィが震える手を持ち上げてラチアの顔に触れようとしているので、その手を握って自分の頬に押し当てた。

 もふもふの手がラチアの頬を撫でた。
 ラヴィが胸の痛みを訴えたときに、いつもラチアが撫でてくれたように優しく撫でた。

「あのね……マスター。ボク、今、とても幸せを感じてるんだ」
「これのどこが幸せなんだ! こんな、こんな事になって……」
「だから幸せなんだよ、マスター」

 ラヴィは本当に幸せそうな笑顔をラチアに向けた。

「ボクが死ぬ事に、マスターは絶望してくれている。それがね、ボク、すごく嬉しい」
「お、おチビちゃん……」

 パイラが声を詰まらせて口元を覆っている。

「オマエは……オマエはなんてひどいことをしやがるんだ……俺に最悪の絶望を押しつけておいて、オマエだけが幸せだなんて……そんなの、そんなの、不公平すぎるじゃないか……」

「うん、ごめんね……」

 死を受け入れたラヴィの儚げな笑顔。
 遠くに消えゆこうとしている蜃気楼のような微笑みをラチアは受け入れられなかった。

 心臓の鼓動と同じリズムで胸から流れ出ている血を防ごうとしてラチアはラヴィの血まみれの胸に手をあてた。
 大きく開いた傷からは今も血が流れラチアの指の隙間から漏れている。

「待ってろ、今すぐ治療してやる。怪我が治ったら思いっきり叱ってやるから覚悟しておけ!」
「あ、あはは。マスターに叱られるのはヤだな……でも、ごめんね、ボク……とても眠いよ」

 大量の血を失ったラヴィの顔が雪のように白い。

「寝るな! 意識を保て!」
「無理だよ……もう、ボク……。ねぇ、マスター……」
「なんだ!」

「一つだけ、お願いがあるんだけど……聞いてくれる?」
「言え! 一つと言わずにいくらでも言え! 全部全力で叶えてやる!」

「頭、なでなでして……」
「こうか? これでいいのか?」

 血まみれの手をラヴィの頭に乗せて撫でた。

「うん……。ボク、マスターの家を追い出されてからね、ずっと胸がきゅんきゅんしてたから……、よかった、これでゆっくり眠ることできるよ」

「ふざけるな、絶対寝るなよ、おい! 目を閉ざすな! ラヴィ!」

「ボクね……マスターに出会えて、本当に良かった……ほんとだよ……」

 ラヴィが細い息で呟くように言うと、


 ゆっくりと、


 ゆっくりと、


 目を閉ざした。


 ずっとラチアの頬にあてていたラヴィの手から力が抜けて……離れる。

 積もっていた雪はラヴィが流した血で赤く染まっていて、その上にラヴィの手が落ちた。

「ラヴィ! おい、ラヴィ!? 目を開けろ! おい!?」

 ラチアがラヴィの頬を叩く。
 けれどラヴィは何の反応もしない。

「おい、やめろよ……」

 ラチアが声を震わせてふるふると首を左右に振った。

「これ以上俺に絶望させるな。なぁおい。イジワルすぎるだろう、いくらなんでも。なぁ? なぁ!?」

 腕の中で動きを止めたラヴィを揺するがもう何も反応してくれない。

「ラヴィ! ラヴィ! 目を開けろって言ってんだろうが! 怒るぞ!」

 ラヴィの長い耳は枯れた花のように萎れて力無く垂れている。

「ラ……ヴィ……。なぁ、頼むよ。目を……目を開けてくれ……」

 ラヴィの鼓動に合わせて胸から溢れ出ていた血液の流れは、もう完全に止まっていた。

「う……あ……」

 ラチアの顔が絶望で歪む。

 ガクガクと震える口で濃厚な血の臭いのする空気を喰らったラチアが唯一出来たことは――、

「うわああああああああああああぁぁぁぁぁ!」

 魂が裂けるほどの激しい慟哭どうこくを雪降る夜の闇に放つことだけだった。
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