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12話 副騎士長現る
しおりを挟む「これはこれは、なんともいい匂いじゃないか!」
リリシア達が庭園にあるガゼボでそのあともおしゃべりを楽しんでいると、不意に力強い声が背後から割って入ってきた。
「美しい貴婦人がた、お邪魔してもよろしいかな?」
女性たちははっとしたように振り向くと、皆嬉しげに声を上げた。
「まぁ、ダリウス様……っ」
男も女も立ち上がり姿勢を正して並ぶ。そして恭しく頭を下げた。
「みんな、今日はやけに楽しそうじゃないか」
館の離れにある大きな建物の方からやってきた紳士は大きな声で笑う。
(どなたかしら……初めてお会いする方だわ)
リリシアたちの前に現れたのは、四、五十代の男性だった。袖のない胴衣にかっちりとした丈長の上着を羽織り、腰には剣を提げている。貴族階級に間違いないが、館の中で見かけたことはない。どこか野生的であけすけな話し方をする男だ。
波打つ豊かな茶髪、緑の瞳が印象的な紳士にリリシアも立ち上がりドレスの裾を摘んで会釈すると、アンドルが一歩進み出た。
「ようこそ。ダリウス様。よくいらっしゃいました。こちらはセヴィリス様の奥方、リリシア様でございます」
「はじめまして、リリシアでございます」
「おお、貴女がセヴィリスの……。お会いしたいと思っていたのですよ、可愛らしい奥方」
紳士はずいっと前に出てリリシアの手の甲に恭しく口づけた。
「リリシア様。この方はセヴィリス様の叔父上にあたられます。ダリウス・デインハルト様でございます」
「ダリウスです。奥方。婚礼式に立ち会えず、ほんとうに残念でした。昨日、やっと帰ってきましたのでね」
彼は若々しい声で挨拶する。
「ま、あ……。セヴィリス様の、叔父様……でしたのね」
リリシアは驚いて彼を見上げる。確かに目元が二人はよく似ていた。彫りも深く、美しい顔立ちだ。だがダリウスは、そこら辺の若者よりよっぽど逞しくみえた。
「ダリウス様はグリンデルの聖騎士団で、副騎士長を務めておられます。百戦錬磨の戦士でございますよ」
アンドルは尊敬を込めて彼を紹介した。
「はは、やめてくれアンドル。老体に鞭打っているだけさ。今は若手の育成が趣味なだけの中年だよ」
彼はにこやかに手を振ってテーブルから焼き菓子を一つつまみ、口に放り込むと、そばの長椅子にどっかりと腰を下ろした。
「それで?今日はどういうわけで君たちはこんなに賑やかなのかな?見たところ客人は誰もいないようじゃないか」
「ダリウス様。これは、セヴィリス様が奥方のお望みを叶えるために催してくださったお茶会でございますよ」
「ほお? 詳しく聞きたいね。リリシア殿、どうか私の横に来て説明してくれないか?」
彼は鷹揚に笑い、リリシアを手招きした。セヴィリスの叔父だというが、彼のあっけらかんとした態度は歳の離れた兄のようにも見える。使用人たちも笑顔で彼を囲んでいた。
「は、はいっ……」
リリシアは彼に言われるまま、長椅子に腰を下ろす。そして、今回の趣旨を説明した。
ダリウスはニコニコとリリシアの話を聞いては頷く。その様子は話し手を安心させ、緊張をほぐすものでリリシアも初対面ながら、この逞しい紳士に好感を持った。
(セヴィリス様のおじさまということは、お年はお父様と同じくらいなのかしら、とっても話しやすい方だわ)
「そう、では貴女は、ご自分の感謝を伝えるために、この茶会を計画したんだね」
「は、はい……。皆様に、楽しんでもらいたくて」
「その点は大成功のようだ。彼らの楽しそうな顔、良いじゃないか」
苦労している者も多いからね、と呟きダリウスは目を細めて館の庭園を見渡した。彼の視線の遥か先には、大きな石の堅牢な建物が見えている。
「あ、あの……ダリウス様は、聖騎士様なのですね」
「そうだね。陛下に十五の時に剣を頂いて、もう三十年以上になる」
ダリウスは明るく頷いた。
「セヴィリス様のお父様の、ご兄弟でいらっしゃると……」
「そうだよ。私はデインハルト伯爵の不肖の弟だ。兄はさっさと引退して他国へ行ってしまったが、私はまだ頑固にあの建物にしがみついているんだ」
彼は苦笑いした。
(セヴィリス様のお父様……外国にいらっしゃるのね。私、何もあの方のこと、知らないんだわ)
セヴィリスはとても優しいが、自分のことをべらべらと話す男ではない。さらに、リリシアは人にものを尋ねるのが苦手だ。名ばかりの夫婦ということもあって、二人はなかなか互いのことを深く知ることができなかった。
ダリウスはリリシアをじっと見る。
「……何か尋ねたいことがあるなら聞きなさい。遠慮しなくていい」
彼はとても話しやすい気がして、リリシアも思わず口を開く。
「あの、あちらの建物は……」
リリシアは彼が来た方角を示す。あの大きな建物がなんなのか、セヴィリスにずっと聞きそびれていたのだ。
「ああ。まだご存じなかったか。あれは聖騎士団の本部だ。聖騎士はあそこで暮らし、様々な訓練を行っているんだ」
「本部……そうなのですね」
「あそこは独立した機関だから出入り門も全て別だ。このデインハルトの館とは切り離されている。まぁ、セヴィリスはこことあちらと、どちらの主でもあるんだが」
では、セヴィリスがいつも姿を消すのはあそこに行っていたのだろうか。
「セヴィリス様は、あちらでよくお過ごしになるのでしょうか?」
「なんだ? 夫のことを知らないのかね」
「あ、いえ……」
どこか面白がるような目つきに、リリシアは俯いてしまう。
「はは、すまないね。詮索好きと思われてしまうな。可愛い甥っ子のことが心配な叔父だと笑ってくれていい」ダリウスは苦笑して続けた。
「セヴィリスは討伐がない時はあそこで仕事をしているよ。だが、四六時中いるわけではない。彼にはちょっと変わった趣味があってね……」
ダリウスはそこで片目を瞑った。
「ま、それはおいおいあいつに教えてもらうといい」
「は、はい、いろいろ教えていただきありがとうございます」
「いや、私としても甥の奥方と話ができてとても良い時間だった。これこそ束の間の癒しだ。……ああそうだ。ところで、私からも尋ねていいかな?」
ダリウスはふと思いついたようにリリシアを見た。
「なんなりと、ダリウス卿」
「貴女の魔印のことなんだが……。かなり進行が遅いと聞いた。これはとても珍しいことでね。魔印は日々濃く、強くなるのが普通だ」
そういえば、セヴィリスも魔印がおとなしいのは珍しいと言っていた。
「……そ、そうなのですか。セヴィリス様が手当てをとても良くしていただいているので……」
「ふむ。それもあるだろうが。ましてや、あの憎き魔獣、ラギドなのだろう? あれは相当魔障も強い。だからこそ、聖騎士団も貴女をこうして保護したのだが……」
ダリウスはずいっと身を乗り出した。
「私も聖騎士の端くれだ。よろしければ、かの魔物のつけた痕を見せては頂けないだろうか?奥方殿」
「それは……ええ、もちろん」
副聖騎士長の提案にリリシアは素直に頷く。だが、ここは外だし、彼女の魔印は肩にある。少し恥ずかしくなって「あの、でも、ここでは……」と口ごもる。
ダリウスは「なに大丈夫、少し見せてもらうだけだから」とそっと手を伸ばしてきた。
「叔父上。その辺でいいでしょう。妻が困っております」
背後から鋭い声が飛んできた。
リリシアははっと振り返る。
「セヴィリス様?」
二人の後ろに、セヴィリスが険しい顔をして立っていた。
「よお、これは聖騎士長どの。ごきげん麗しゅう。久しぶりだなぁ」
ダリウスは呑気に挨拶をする。セヴィリスは眉根を寄せたまま、丁寧に頭を下げた。
「叔父上も、遠征でお疲れでしょう。騎士館でゆっくりお休みください」
夫はすました口調で騎士館のある方を示した。
「おいおい! なんだよ。つれないなぁ。せっかくお前の奥方にご挨拶ができたんだからもう少しおしゃべりを楽しませてくれよ、なぁ甥っ子よ」
「叔父上。そのような呼び方はおやめくださいといつも言っているでしょう」
「二人の時だけだろう。セヴィリス。お前は私の上官だ。いつでも貴方の命令には従っているぞ」
彼は悪戯っぽい目つきでセヴィリスを見ている。反対に、夫は明らかに不満げな表情だ。リリシアはどう振る舞っていいのかわからなくなってしまった。
(お、お二人の関係って……どういうものなのかしら)
「ともかく、もう十分妻とはお話しになったようですので失礼致します。さあ、リリシア殿、こちらへ」
セヴィリスはリリシアを促した。彼女は慌ててドレスの裾を摘み立ち上がる。
「で、では、ダリウス卿、お会い出来てとても光栄でしたわ」
「うん、私も楽しかった。またいずれ、ゆっくりお会いしましょう」
ダリウスはリリシアに片目を瞑ってみせる。その魅力的な笑顔に彼女は少し頬を赤らめて礼をした。セヴィリスはさらに美しい顔に皺を寄せた。
「全く……、叔父上の女人好きには父も呆れておりますよ。では。さあ、リリシア殿」
セヴィリスは吐き捨てるようにそう言うとスタスタと歩き始めてしまった。リリシアは慌てて後を追う。
「セヴィリス、あとでまた杯を酌み交わそう」
ダリウスはセヴィリスのそんな態度にもただニコニコとしながら二人を見送っていた。するといつのまにか隣に家令のアンドルが控えている。彼も微笑んでいた。
「やっとリリシア奥様にご挨拶ができて、よろしゅうございました」
「ああ。魔獣に立ち向かったと言うからどんな屈強な女戦士かと思えば、可愛らしいご令嬢じゃないか」
「もうご令嬢ではございませんよ。ダリウス様。デインハルト家の奥方にございます」
「ああ、そうだったな。ついついセヴィリスのことは、幼い少年だと勘違いしてしまうな。あれはそれがよっぽど気に食わないのだろう」
ダリウスは目を細めて二人を見守る。
「とはいえ、あの二人は夫婦だろう。もしかして、まだあんな調子なのかね」
「ええ、ぼっちゃ……セヴィリス様は真面目でらっしゃるので」
「ふふん、やっぱりこどもだねえ」
ダリウスは楽しそうに笑った。
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