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慶長二十一年
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山城国・京。
日ノ本八百年の都であるが、京はこの一年、存在感がほとんどなかったと言っていい。
もっとも、ここに至るまでの数年間は当事者たちにとっては屈辱的な形での存在感であったのであるから、どちらがいいとも言えないのであるが。
時代は少し遡り、正親町天皇の時代、朝廷は織田信長との付き合いに苦慮していた。有名な三職推任を始めとした問題などがあり、一説に明智光秀が謀反を起こした裏には朝廷の影があったとも言われるほどである。
そこから豊臣秀吉の時代になると、朝廷の立場はやや良くなった。秀吉は源氏とは縁もゆかりもなかったため、征夷大将軍位を得ることができず、朝廷からの関白位を得るための路線をとったからである。
その豊臣秀吉が亡くなり、徳川家康が事実上の天下人となると様相は変わってきた。徳川家康は真偽はともあれ源氏の一門であると主張しており、それを否定することは朝廷にはできなかったのである。従って、家康は秀吉とは違う形の天下人として朝廷と付き合うことになった。源氏の末裔という立場もあるので、朝廷に遠慮する必要はなかったのである。
結果として関ヶ原以降の十五年は、朝廷にとっては苦難の時となった。家康が何かと理由をつけては朝廷運営に口出しをしてきたのである。その中には、孫娘の和子の入内計画も含まれていた。当然、朝廷にとっては言語道断な話であったが、一方で力関係的に拒否などできるはずもない話でもあった。
こうした状況に嫌気がさした後陽成天皇は退位を希望した。数年の交渉の末に認められたが、それは次の後水尾天皇に不満が継がれただけである。更に悪いことに譲位した後陽成上皇が口出しをして朝廷が更に混乱する羽目となった。天皇はことあるごとに恨みを口にする日々を送っていたが、それで手を緩めるような家康ではない。
大坂の陣が勃発する直前の慶長19年(1614年)4月には公家法度を制定する意向を明らかにし、事実、徳川家は程なく五山の僧を動員し、宮中の記録などを収集し、書き写させている。それは生殺与奪の権限すら徳川家に渡したと言ってもよかった。
そうした中で大坂の陣が始まったが、この過程においても家康は宮中に圧力をかけ続けていた。冬の陣の和議中にも、和議の要請をそっちのけにして家康は朝廷に対してあれこれと要求を叩きつけていたのである。
仮に夏の陣が徳川家の勝利に終わっていた場合、家康からは程なく強力な法度が出されて、朝廷の権限は更に大幅な縮小を余儀なくさせられていたであろう。その点では、夏の陣の勝利で徳川家康が戦死したことは、朝廷を安堵させることになった。
しかし、夏の陣の結果は同時に朝廷を庇護してくれる徳川家を失うことも意味していた。事実、各勢力は朝廷を一旦捨て置いて勢力争いを始めていた。お互い早めにまとめたいという事情があったとはいえ、夏の陣の和議が真田幸村と伊達政宗の間でほんの一日で締結されてしまったのはその最たるものである。
朝廷には徳川家から保証された領地もあったが、その運営を全部賄うことはできないし、領地防衛も徳川家に託されていたものである。それがおろそかになったことで収入も半減し、ぎりぎりの運営を強いられていた。
もちろん朝廷としても手をこまねいていたわけではない。
多くの者が予想していた通り、征夷大将軍位を徳川家光に認めることは難色を示さざるを得なかったが、それ以外の官位については大筋認めるつもりでいた。
そうした朝廷の思惑をひっくり返したのが松平忠直であった。朝廷が徳川、豊臣の順位をつけて交渉する用意をしていたところ、忠直が秀頼といきなり連携する姿勢を示してしまったからである。一時的な和議と思われたものが、長期的な和議となってしまい、徳川・豊臣にとって朝廷は優先事項でなくなってしまった。
だからといって、前田家や毛利家、島津家に肩入れすることは後々禍根となりうる。朝廷は全く動けなくなり、途方に暮れているばかりであった。当初は難色を示していたはずの、徳川和子の入内を要請しようという動きが出たほどである。
「…というような状況のようです」
大坂についた真田幸村は、大野治房から説明を受けた。
「朝廷も武家と協調体制がなければ、やっていけませぬ。今、秀頼様が保護するのも時宜にかなったものと言えるでしょう」
「そうか…。てっきり、伊達殿が征夷大将軍位を得るために手を尽くしているのかと思いきや、越前様が秀頼様を連れ出したことで白紙になっていたのか」
「あとは…」
立花宗茂が話を継ぐ。
「恐らく大御所が亡くなったことにより、朝廷との連絡役であった崇伝和尚や天海和尚が一線を外れてしまったこともあるのでしょう」
家康の参謀となっていた南光坊天海と以心崇伝の二人は、寺院や朝廷との折衝も行っていたが、老中連らと共に夏の陣以降は影響力を大きく減じてしまっている。徳川家の難題は次から次へと出ている状態で、伊達政宗や井伊直孝らがどれだけ頑張っても限界がある。
「…ともあれ、朝廷は大変ご苦労をなされているということだ。早めに助けなければなるまい」
「はい。秀頼様の指示通り、金子200枚を用立てました」
「ほう。それほどの余力がまだあったのか…」
幸村が驚く。大坂城の金は相当な量が消費されていると思っていたからだ。
「余力といいますか、ほぼこれで最後でございますな。太閤様の遺産はほぼ潰えてしまった形となります」
「…ただ、ここが正念場である故、仕方ないか」
「はい」
「分かった。私と立花殿で朝廷への挨拶をしてこよう」
「はい。それと…」
「何か?」
「大助殿が戻ってきたらすぐに会わせろと息巻いております」
「……」
幸村は無言のまま、頭を抱えた。宗茂がけげんな顔をする。
「それがしの息子でござる。毛利殿に任せておいたのであるが…」
仕方がないので、大野治房に連れてきてもらう。
幸村の嫡男真田大助はこの年14歳。まだ元服も済ませていないが、長宗我部忠弥と同様に自分で勝手に幸昌という名乗りをしている。
「父上! 何故、私を置いて九州に向かったのでござるか?」
「何故と言われても、おまえのような小童を連れていっても越前様や秀頼様の足を引っ張るだけと思ったからだ」
父親の冷たい言葉を受け、大助が赤くなる。
「それならどうして腹を切るように言わなかったのですか!?」
「はあ? 何故、そんなことで腹を切るのじゃ。おぬし、血が頭に上りすぎではないか?」
幸村の物言いに、宗茂が横で苦笑している。
「考えてもみよ。今回、小助もわしの部下もほとんど大坂に残していたのだぞ。お主は小助よりも役に立つのか、ああ?」
「…そ、それは…」
「わしがいない間、真田の跡取りとして研鑽していたのか?」
「も、もちろん、毛利様から色々な手ほどきを受けております!」
「そうか。それなら、しっかりと大坂で働くがいい」
「それがしは父上について行きとうございます!」
「馬鹿を申すな。よいか、真田はな、常に血を残すべく努力してきたのだ。関ヶ原では、父とわしは西軍についたが、兄上は東軍についた。今も同じじゃ。わしは各地を動くが、それは最悪の場合でもおまえが大坂に残って血を残してくれると思っているからじゃ。一緒に行動してお互い鉄砲で撃たれでもしたら何とする? 一丁前にわしについてくるというのであれば、真田の跡取りを三、四人は残してから言うがよい」
「それならば相手を見つけてください!」
「わしは忙しいのだ。お主の相手など探しておれぬ。毛利殿にでも頼んで誰なりと連れてきてもらうがいい」
「…分かりました」
「わしは京に向かった後、しばらく東にいる。しばしの別れとなるが、元気でやれよ」
「はい!」
「よい返事だ」
幸村はようやく笑い、大助の肩を二度ほど叩いた。
「達者でやれよ」
と言って、宗茂に目配せをして、城の外へと向かう。
「あ、真田殿、金子の方を…」
「よいよい。わしの方でやる」
宗茂が治房を制止し、金蔵の方へと歩を進めた。
後日。
「毛利様! 私に妻を紹介してください!」
「えっ? 大助よ、それは一体…」
「この前、父に、私の妻は毛利様から紹介してもらえと言われました。私ももう14歳! 妻をもてる年齢でございます」
「えっ? えっ?」
勝永は何が何やら分からない。だが、話を聞いているうちに幸村が自分に息子の難題を押し付けていったらしいということは理解した。
「毛利様! お願いします!」
「ま、参ったのう…。紹介しろと言われても、紹介できるのはわしの娘くらいしかおらぬのじゃが」
数か月後、真田幸昌と毛利勝永の娘が婚約をすることになったが、それはまた別の話である。
日ノ本八百年の都であるが、京はこの一年、存在感がほとんどなかったと言っていい。
もっとも、ここに至るまでの数年間は当事者たちにとっては屈辱的な形での存在感であったのであるから、どちらがいいとも言えないのであるが。
時代は少し遡り、正親町天皇の時代、朝廷は織田信長との付き合いに苦慮していた。有名な三職推任を始めとした問題などがあり、一説に明智光秀が謀反を起こした裏には朝廷の影があったとも言われるほどである。
そこから豊臣秀吉の時代になると、朝廷の立場はやや良くなった。秀吉は源氏とは縁もゆかりもなかったため、征夷大将軍位を得ることができず、朝廷からの関白位を得るための路線をとったからである。
その豊臣秀吉が亡くなり、徳川家康が事実上の天下人となると様相は変わってきた。徳川家康は真偽はともあれ源氏の一門であると主張しており、それを否定することは朝廷にはできなかったのである。従って、家康は秀吉とは違う形の天下人として朝廷と付き合うことになった。源氏の末裔という立場もあるので、朝廷に遠慮する必要はなかったのである。
結果として関ヶ原以降の十五年は、朝廷にとっては苦難の時となった。家康が何かと理由をつけては朝廷運営に口出しをしてきたのである。その中には、孫娘の和子の入内計画も含まれていた。当然、朝廷にとっては言語道断な話であったが、一方で力関係的に拒否などできるはずもない話でもあった。
こうした状況に嫌気がさした後陽成天皇は退位を希望した。数年の交渉の末に認められたが、それは次の後水尾天皇に不満が継がれただけである。更に悪いことに譲位した後陽成上皇が口出しをして朝廷が更に混乱する羽目となった。天皇はことあるごとに恨みを口にする日々を送っていたが、それで手を緩めるような家康ではない。
大坂の陣が勃発する直前の慶長19年(1614年)4月には公家法度を制定する意向を明らかにし、事実、徳川家は程なく五山の僧を動員し、宮中の記録などを収集し、書き写させている。それは生殺与奪の権限すら徳川家に渡したと言ってもよかった。
そうした中で大坂の陣が始まったが、この過程においても家康は宮中に圧力をかけ続けていた。冬の陣の和議中にも、和議の要請をそっちのけにして家康は朝廷に対してあれこれと要求を叩きつけていたのである。
仮に夏の陣が徳川家の勝利に終わっていた場合、家康からは程なく強力な法度が出されて、朝廷の権限は更に大幅な縮小を余儀なくさせられていたであろう。その点では、夏の陣の勝利で徳川家康が戦死したことは、朝廷を安堵させることになった。
しかし、夏の陣の結果は同時に朝廷を庇護してくれる徳川家を失うことも意味していた。事実、各勢力は朝廷を一旦捨て置いて勢力争いを始めていた。お互い早めにまとめたいという事情があったとはいえ、夏の陣の和議が真田幸村と伊達政宗の間でほんの一日で締結されてしまったのはその最たるものである。
朝廷には徳川家から保証された領地もあったが、その運営を全部賄うことはできないし、領地防衛も徳川家に託されていたものである。それがおろそかになったことで収入も半減し、ぎりぎりの運営を強いられていた。
もちろん朝廷としても手をこまねいていたわけではない。
多くの者が予想していた通り、征夷大将軍位を徳川家光に認めることは難色を示さざるを得なかったが、それ以外の官位については大筋認めるつもりでいた。
そうした朝廷の思惑をひっくり返したのが松平忠直であった。朝廷が徳川、豊臣の順位をつけて交渉する用意をしていたところ、忠直が秀頼といきなり連携する姿勢を示してしまったからである。一時的な和議と思われたものが、長期的な和議となってしまい、徳川・豊臣にとって朝廷は優先事項でなくなってしまった。
だからといって、前田家や毛利家、島津家に肩入れすることは後々禍根となりうる。朝廷は全く動けなくなり、途方に暮れているばかりであった。当初は難色を示していたはずの、徳川和子の入内を要請しようという動きが出たほどである。
「…というような状況のようです」
大坂についた真田幸村は、大野治房から説明を受けた。
「朝廷も武家と協調体制がなければ、やっていけませぬ。今、秀頼様が保護するのも時宜にかなったものと言えるでしょう」
「そうか…。てっきり、伊達殿が征夷大将軍位を得るために手を尽くしているのかと思いきや、越前様が秀頼様を連れ出したことで白紙になっていたのか」
「あとは…」
立花宗茂が話を継ぐ。
「恐らく大御所が亡くなったことにより、朝廷との連絡役であった崇伝和尚や天海和尚が一線を外れてしまったこともあるのでしょう」
家康の参謀となっていた南光坊天海と以心崇伝の二人は、寺院や朝廷との折衝も行っていたが、老中連らと共に夏の陣以降は影響力を大きく減じてしまっている。徳川家の難題は次から次へと出ている状態で、伊達政宗や井伊直孝らがどれだけ頑張っても限界がある。
「…ともあれ、朝廷は大変ご苦労をなされているということだ。早めに助けなければなるまい」
「はい。秀頼様の指示通り、金子200枚を用立てました」
「ほう。それほどの余力がまだあったのか…」
幸村が驚く。大坂城の金は相当な量が消費されていると思っていたからだ。
「余力といいますか、ほぼこれで最後でございますな。太閤様の遺産はほぼ潰えてしまった形となります」
「…ただ、ここが正念場である故、仕方ないか」
「はい」
「分かった。私と立花殿で朝廷への挨拶をしてこよう」
「はい。それと…」
「何か?」
「大助殿が戻ってきたらすぐに会わせろと息巻いております」
「……」
幸村は無言のまま、頭を抱えた。宗茂がけげんな顔をする。
「それがしの息子でござる。毛利殿に任せておいたのであるが…」
仕方がないので、大野治房に連れてきてもらう。
幸村の嫡男真田大助はこの年14歳。まだ元服も済ませていないが、長宗我部忠弥と同様に自分で勝手に幸昌という名乗りをしている。
「父上! 何故、私を置いて九州に向かったのでござるか?」
「何故と言われても、おまえのような小童を連れていっても越前様や秀頼様の足を引っ張るだけと思ったからだ」
父親の冷たい言葉を受け、大助が赤くなる。
「それならどうして腹を切るように言わなかったのですか!?」
「はあ? 何故、そんなことで腹を切るのじゃ。おぬし、血が頭に上りすぎではないか?」
幸村の物言いに、宗茂が横で苦笑している。
「考えてもみよ。今回、小助もわしの部下もほとんど大坂に残していたのだぞ。お主は小助よりも役に立つのか、ああ?」
「…そ、それは…」
「わしがいない間、真田の跡取りとして研鑽していたのか?」
「も、もちろん、毛利様から色々な手ほどきを受けております!」
「そうか。それなら、しっかりと大坂で働くがいい」
「それがしは父上について行きとうございます!」
「馬鹿を申すな。よいか、真田はな、常に血を残すべく努力してきたのだ。関ヶ原では、父とわしは西軍についたが、兄上は東軍についた。今も同じじゃ。わしは各地を動くが、それは最悪の場合でもおまえが大坂に残って血を残してくれると思っているからじゃ。一緒に行動してお互い鉄砲で撃たれでもしたら何とする? 一丁前にわしについてくるというのであれば、真田の跡取りを三、四人は残してから言うがよい」
「それならば相手を見つけてください!」
「わしは忙しいのだ。お主の相手など探しておれぬ。毛利殿にでも頼んで誰なりと連れてきてもらうがいい」
「…分かりました」
「わしは京に向かった後、しばらく東にいる。しばしの別れとなるが、元気でやれよ」
「はい!」
「よい返事だ」
幸村はようやく笑い、大助の肩を二度ほど叩いた。
「達者でやれよ」
と言って、宗茂に目配せをして、城の外へと向かう。
「あ、真田殿、金子の方を…」
「よいよい。わしの方でやる」
宗茂が治房を制止し、金蔵の方へと歩を進めた。
後日。
「毛利様! 私に妻を紹介してください!」
「えっ? 大助よ、それは一体…」
「この前、父に、私の妻は毛利様から紹介してもらえと言われました。私ももう14歳! 妻をもてる年齢でございます」
「えっ? えっ?」
勝永は何が何やら分からない。だが、話を聞いているうちに幸村が自分に息子の難題を押し付けていったらしいということは理解した。
「毛利様! お願いします!」
「ま、参ったのう…。紹介しろと言われても、紹介できるのはわしの娘くらいしかおらぬのじゃが」
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