桜幻記

矢野 零時

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第2話

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                時しじみ
 
 加茂かも村の名主に頼まれ、五穀豊穣ごこくほうじょう加持祈祷かじきとうを行うため村にやってきた山伏たちが一軒の家の前を通りかかり、足を止めた。
「不思議なことじゃ。この家には、時しじみが飛んできている」と、山伏のおさは顔をあげて、他の蝶たちにまじり飛んでいる小さな白い蝶をみつめた。
 時しじみと呼ばれた蝶は、羽がすきとおり時々光の点のようにも見え、茂吉の家の庭に咲く白い花の上を飛んでいた。白い花は茂吉の妻、音羽が育てたものだった。花好きの音羽は、いろいろな種を拾ってきては庭にうめ、その中に時の種が混じっていて他の花たちといっしょに咲いていたのだ。
「不思議なことじゃ」と、山伏の長は首を傾げながら同じ言葉をくりかえした。そして、ふたたび何事もなかったかのように他の山伏たちを引きつれて歩き出していった。
                ◆
 隣村の木幡きばた村に茂吉はうね作りの手伝いに行き、音羽の方が茂吉をみそめ、夫婦になった。木幡村の人たちは、源平の戦の後、池田秀盛の家臣とともに北に逃れた平家の末裔だった。
 音羽にも平家の血が流れているのだろう。音羽の横顔はどこか愁いを帯び、茂吉はいつもその顔に見とれてしまうのだった。そんな茂吉に音羽は気づくと照れたように笑い、「もし先に死んだら、蝶になりたい。蝶ならば、この庭にも、あなたのそばにも、いつでも飛んでこられますもの」と言っていた。
                ◆
 いつもなら、先に帰った音羽が夕げの支度をして、まな板を包丁でたたく心地良い音をたてている。だがその日、茂吉が畑から家に戻っても、聞こえてくるはずの音がなかった。
「音羽、音羽!」
 名を呼びながら、不審に思った茂吉は部屋にあがる。すると、部屋の中で音羽が倒れていたのだ。
 とこに寝かせて、音羽の額に茂吉が手を置くと火のように熱かった。茂吉は、すぐに土間に行き、そこにある水甕みずがめからおけで水を汲んできた。桶を音羽のそばに置くと、桶の水でしめらした手拭を音羽の額にのせる。手拭が温まるたびに、茂吉は手拭を水でぬらし直し音羽の額を冷やし続けた。そのうちに、昼間のつかれが出たのか、茂吉は、音羽を前にして眠り込んでしまった。夢の中で、何度も音羽の笑い声を聞いたような気がする。
 その声が雀のさえずりに変わり、外の明るい光に茂吉は眠りから覚め、朝になっているのに気がついた。手拭をとり音羽の額に手をあて茂吉は声をあげた。音羽が冷たくなっていたからだ。すぐに茂吉は音羽を抱き上げ激しくゆすったが、眼を開けようとはしない。
 だが、顔色は、いつもとまるで変わらない。もう少ししたら眼を覚まし、起き上がってくる。そうとしか思えない茂吉は、ふたたび音羽をとこに置きなおすと、じっとみつめ続けていた。
 そんな時に、茂吉の耳に、ブ~ンという羽音が聞こえた。茂吉が顔をあげると、一匹の銀蝿がゆっくりと音羽の上を飛び廻っている。茂吉は立ち上がり狂ったように両手を振り廻し、銀蠅を追い払った。
 このままでは、音羽が腐り、朽ちはててしまう。そう考えただけで、茂吉の体は震えた。
「それはだめじゃ」と叫び、茂吉は音羽を背負うと家を飛び出していった。
                ◆
 音羽を背負って歩く茂吉は赤岩山の山陰にある黒部谷をめざしていた。茂吉がそこにむかっている間に、田や畑に出ている村人たちにその姿を見られ、山道で茂吉と行きかい思わず声をかけてきた村人もいた。
 黒部谷の岩崖には多くの洞穴がある。その中で最も大きい洞穴、風穴洞に茂吉は音羽を運び込んだ。この中は、冬に降った雪が入り込んで夏になっても残り、氷室と化している。その雪の上に音羽を寝かせて、その前に茂吉はすわると、じっと音羽をみつめ続けていた。
 村人から茂吉が風穴洞にむかったと聞いた名主は、風穴洞に茂吉の様子を見にやってきた。名主の足音がしても、茂吉は気づきもしない。しかたなく、その背に名主は声をかけた。
「茂吉、音羽はどうなんじゃ?」
 その声で茂吉はやっと名主に気づき、名主の方に顔をあげた。
「名主さま!」
 名主は腰を落とし、音羽の額に触った。だが、その冷たさに、すぐに名主は手を引いた。
「死んでおるではないか!」
「いえ名主さま、音羽は死んではおりません。この顔色をごらんください。眠っているだけです」
 そう言って、茂吉は名主をにらみつけた。思わず、名主は眼をそらした。
「困ったことじゃ。わしには、何も言えんな」
 名主は頭をかきながら立ち上がり、風穴洞を出ていった。
                ◆
 次の日のこと。
 山伏の長が山伏たちを引きつれて現れた。
「名主さまより相談をされましたのでな。それゆえ、ここに参った。音羽さまがお亡くなりになったそうな」と、山伏の長が言った。
「たしかに音羽はまだ眼をさましませぬ。でも、本当に音羽は死んだのでしょうか?」
 そう言って、茂吉は今にも泣き出しそうな眼で山伏の長を見あげた。
 すぐに山伏の長は屈み込むと、音羽の右手をとり、その甲を見た。そこには、点のような黒いしみがついている。そばでのぞき込んだ茂吉の記憶にも、そこには何もなかった所だった。
「土蜘蛛にやられましたな。そこから精気を吸い出されておる。だが、音羽さまの中に時しじみが見える。時しじみが死を押し留めているようじゃ」と、山伏の長が言った。
「死んでは、いないのですね。それならば、音羽を元に戻すことが、できるのでは?」と、すがりつくように茂吉は尋ねた。
「常法では無理じゃな。だが、方法がないわけではない。魔の力を借りる。吹雪ヶ森へ行き、雪女の心を一つとってくることじゃ」
 その話を聞いた他の山伏たちは顔を青ざめ、お互いに見合っていた。山を修行の場とする山伏といえども、吹雪ヶ森だけは、けっして近づくことはなかったからだ。
「どうすれば、いいのでしょうか?」
 そこで、山伏の長は、その方法について話し出した。
「ここよりはの方にある、夏でも冬と化している吹雪ヶ森に行き、木の洞で眠る雪女の心をとってくることじゃ。それをくだいて音羽さまに飲ませる。さすれば、雪女の心は人の命の塊、音羽さまの命となって音羽さまは生き返ることができる。ただし、雪女の心をとる時、温まった手や体で、雪女の心に触れてはならん。持ち帰る時にも、触ることのないように、幾重にも布で包むことじゃ」
 茂吉は、顔をこわばらせながら、山伏の長の話を聞いていた。
「それに、音羽さまが生き返っても、見ることも、触れることもできませんぞ」
「なぜですか?」
「そちの熱い思いが、雪女の心を溶かしてしまうからだ」
 思わず、茂吉は顔をゆがめた。
「それで、よいのじゃな?」と、山伏の長は念を押し、ゆっくりと茂吉はうなずいていた。
「それでは、五日の間、ここにいて音羽さまをお守りし、そちが魔の力から逃れることができるように祈ることといたそう。しかし、それまでに戻ることができなければ、音羽さまの体を火で焼き清め、とむらわねばならん。さもなければ、うつつをさ迷うことになるのでな」
 すると、山伏の長の真後ろにいた若い山伏が前に出てきて、茂吉に三粒の丸薬を差し出した。
「これは?」
「これは、われらが業を行う際に飲む薬草を丸めたもの。これを飲めば、気力と体力が増し、寝たり、休まずとも良くなり申す。その効きめは、人によるが一粒で二日は大丈夫かと。われらもこれを飲んで祈祷を行う所存でござる」
 茂吉はそれを受けとると、口の中に唾をためて三粒の丸薬を一気に飲み込んだ。そして、山伏たちに頭を大きく何度もさげると、茂吉は風穴洞を飛び出していった。背後で、山伏たちの祈祷の声が聞こえ出していた。
                ◆
 茂吉は、あせる気持ちを押さえて、身支度をするために一度家に帰った。
 家の中に入ると、すぐに押入れから着物を出してきて部屋の中に並べた。吹雪ヶ森に入った時に寒さを防ぐには、少しでも多くの着物を着ていく必要があると思ったからだ。だが、そこに行きつくまでに着ていては、体をほてらせ、その上動きをにぶらせて早く歩くことはできない。そこで土間におり、きび粉の入った布袋を持ち上げると中に入っていた粉を鍋にあけて空にした。その布袋を手に部屋に戻り、並べていた着物をすべて布袋の中につめこんだ。
 今度は納屋に行った。中に入ると一番奥にあった葛籠つづらを出してきた。それを開け、中から猟師からもらった鹿革の布と袋をとり出した。革布や革袋には、厚みがある。この革布を使って雪女の心をとり出せば、茂吉の手の温もりは伝わらずにすむし、革袋の中に入れて持ち帰れば、茂吉の手や体に触れることもない。そう考えた茂吉は、それらも布袋に入れ、その布袋を紐でしっかりと縛って背負った。さらに、音羽が実家より持ってきた霊力のある小刀をとり出すと、それを腰に差した。
 旅立つ前に、茂吉は何か腹に入れようかと考えた。だが、山伏からもらって飲んだ丸薬の力なのだろう。まるで空腹を感じない。それに寝てもいないはずなのに眠くもならないのだ。ともかく時を無駄にはしたくない。そう思うと、すぐに茂吉は家を飛び出していった。
 家を出た茂吉は早足で歩く。家に帰る村人たちに茂吉は出会ったが、前だけを見て鬼のように歩く茂吉に声をかける者はいなかった。日が西に沈む前に、茂吉は急な山道に入ることができ、やがて赤い岩だけでできている壁の前に立っていた。その岩壁を登り赤岩山を越えて行かなければ、吹雪ヶ森へは行くことはできない。
 茂吉は、両手で顔をたたき、気合をいれると岩壁を登り出した。手をかける所、足を置く所、間違えるたびに落ちそうになる。それでも、なんとか岩壁の中ごろまで登ることができた。だが、夜が来てしまい、暗くて手元がまるで見えない。それに、雲が出てきているせいか、月も星も隠れて上の方も見えなかった。ここから落ちて助かるはずもない。そうなれば、音羽を生き返らせることはできないのだ。
「音羽!」と、茂吉は切なさのあまりに大声を出し、その声は木霊となり、辺りに鳴り響いた。
 すると、どこからか点のような光が現れた。光には羽がついていて、その羽は動いている。思わず、茂吉は眼をこらした。光は、庭に咲いた白い花や音羽の上に飛んで来ていた時しじみであったのだ。
「音羽が呼んだのか?」
 時しじみは茂吉の前にある岩の上に何度も止まったり飛び上がったりして、ここに手を置けと言っているようだった。少しためらった後、茂吉はうなずきながら、そこに右手を置いた。すると、時しじみは飛び上り少し上の岩の上に止まる。今度は左手を置けと言っているようだった。ふたたび、茂吉はうなずきながら、左手を置く。だが、腕の力だけでは岩壁を登ることはできない。体の重さをあずけて右足をのせる岩が必要だった。茂吉がそう思った途端、時しじみは茂吉の下に飛びおりて行き、茂吉の足元に突き出ている岩の上に止まった。時しじみの示したその岩に茂吉は右足を置いて力を入れてみた。すると、その岩は茂吉を支え、体を上に引き上げることができたのだ。 
 もう茂吉は疑いもしない。時しじみが次に示してくれた岩に右手をかけていた。その後は、時しじみに案内されるままに登り続け、ついに赤岩山の頂まで登ることができた。
 荒い息をつきながら茂吉は頂に立ち、辺りを見廻した。すでに、日が昇り出していた。連なる山並の上に輪のような雲が浮かんでいる所があった。その雲は朝日に赤く染まり血でできたように見える。その下は冬でもないのに白い大地のままだった。間違いはない。子の方角、そこが、吹雪ヶ森だった。
 登った赤岩山を今度は反対側におりなければならない。茂吉が岩壁をおり始めると、時しじみがふたたび現れ、足の置くべき所、手を置くべき所に目印となって止まり、灯し出してくれた。そのおかげで日が空の真中にくる前に赤岩山をおりることができた。
 今度は熊笹ばかりが生えている広い笹原を歩かなければならない。獣道さえない所だ。足を動かすだけでも、ままならない。笹の中で夜が来てしまい、月明りと星の位置だけを頼りに歩く茂吉の頬は、笹の葉で切られ幾筋もの傷ができていった。
 朝が来ると、いつのまにか茂吉の周りからかき消すように緑の物が無くなり、白い雪原に変わっていた。すぐに茂吉は立ち止まり、布袋から持ってきた着物を出し、すでに着ている物の上に重ねて着た。着ることができない着物は体にまきつけ、ふたたび雪原の中を歩き出していった。
                ◆
 やがて、葉のない枝だけの木々が集まって丘のように盛り上がった吹雪ヶ森に、茂吉は入っていた。そこは、雪女たちのねぐらと化した時から夏になっても雪が降る所だった。
 そこに生えている大木の多くは、幹の中が朽ちはて洞になっていた。夏の間、そこに雪女たちが抱かれるようにして寝ている。深い雪を足でかきわけながら、茂吉は大きな木の一つにゆっくりと近づいていった。眠っている雪女の白い顔から立ち昇る冷気に、思わず身震いをした。だが、恐れるわけにはいかない。茂吉は、手に小刀を握りなおすと、雪女の胸に一気に突きたてた。すると、雪女の青い眼が開いた。
「おまえは人か?」
「そうじゃ。わしは人じゃ」
「人が、われをあやめるというのか?」
 雪女から立ち昇る冷気が強まり、茂吉の気力は失せ出そうとした。その時、茂吉の耳に山伏たちの祈りの声が聞こえてきた。
「ゆるせ。何物でも、命など奪いたくはない!」
 ためらう気持ちを振り払い、茂吉は手に力を入れ小刀で大きく胸を切り開いた。そこには雪女の心、青い結晶が輝いていた。
「だが、これでいいのかもしれん。もう人の命をとることも無くなる。夏の暑さに震えることもない」
 雪女の眼の青い輝きは消え、白い色に変わっていた。
 茂吉は自分の手が触れないようにして、革布で青い結晶をつつみとり革袋の中へしまい込んだ。すると、雪女は白い粉雪となって崩れ落ち、吹く風にさらさらと飛んでいった。
 茂吉は、革袋をさらに別の革布に包み込み、それを布袋に入れると自分の背にしっかりとくくりつけた。
                ◆
 吹雪ヶ森にきた時よりも、さらに急いで茂吉は引き返し、笹原まで戻ることができた。だが、笹原の熊笹は、茂吉が帰ろうとするのを拒むように足にからみつき、刃と化して茂吉の顔を切りつけてくる。茂吉は体に巻きつけていた着物をといて、笹にむかって投げつけた。さらに寒さを防ぐために着ていた物を小刀で裂き足下に落としていった。茂吉は必死に歩いたのだが、やはり熊笹の中で朝を迎えてしまい、笹原を抜けて赤岩山のふもとに来た時には、また夜になっていた。
 それでも、茂吉は、岩壁を見あげて微笑んでいた。これから手足を置くべき岩に時しじみがつけた光が点々と明るく連なっていたからだ。おかげで赤岩山の頂まで茂吉は楽に登ることができた。
 頂に立って顔をあげると、明るい月やまたたく星を見ることができた。顔をさげると、黒部谷や灯りのついた村の家々が見える。村をもう一度見ることができた茂吉は、嬉しさに眼に涙をためながら、何度もうなずいていた。それは、茂吉がおりなければならない岩壁にも、時しじみが点々と光を灯してくれていたからだった。
 赤岩山をおりても休むことなく茂吉は歩き続け、ついに黒部谷に入ることができた。はやる気持ちを押さえきれなくなった茂吉は、岩の崖ぞいを走り出し、風穴洞を見つけると飛び込んでいった。中では、山伏たちが音羽を前にすわり祈祷を続けていた。気配を感じた山伏の長は、片手をあげて祈祷を止め、後ろを振り返った。
 茂吉は山伏の長の前に行き、「約束どおり、雪女の心をとってまいりました」と言って、布袋から雪女の心、青い結晶の入った革袋をとり出すと、長の手の上に置いた。
「それでは、お主の家に行き、音羽さまに雪女の心を飲ませることにいたそう」
 山伏の長は立ち上り、あとに続いて他の山伏たちも立ち上がっていた。手を貸そうとした山伏たちを振り払い、茂吉は音羽を背負った。
 風穴洞を出ても、山伏たちは歩きながら祈祷を続けていた。そんな山伏たちの後ろについて茂吉は歩き、黒部谷から、なつかしい家に帰ることができたのだった。
                ◆
 部屋の中に横たえられた音羽を前に、山伏の長は言う。
「これから、雪女の心をくだいて、音羽さまにお飲ませいたす。約束じゃ。違えるではないぞ。それでは、まず、茂吉さまは、この部屋から出ていただこう」
「わかりました」
 言われるままに、茂吉は隣の部屋に行き、障子を閉めた。障子に、雪女の心をくだき、音羽に飲ませる山伏の長の動く影が見えていた。
「あぁ」と、ため息をもらすような音がした。そして、障子になつかしい妻の影が映った。
「音羽!」と、茂吉が妻に呼びかける。
「あなた!」
 音羽のなつかしい声が、茂吉の耳に聞こえてきたのだった。
                ◆
 その日から、茂吉は音羽と、ふたたびともに暮らすことができた。だが、村人が音羽に会うことができても、茂吉は音羽に会うことはできない。茂吉は、村人たちから、音羽がどんなにやさしいか、どんなふうに笑ったのか、聞かされることになった。はじめは、それが楽しく誇らしく思えていたのだが、いつのまにか、それを聞くことが切なく苦しくなっていった。茂吉は、自分の眼で音羽を見たい、自分の腕で音羽を抱きしめたい、茂吉の思いはつのるばかりだった。
 その日も、障子に黒い影を映しながら、音羽は家を出ていく。顔を会わせないために、妻が出かける時は、茂吉は家にいる。そんな約束が二人の間にできあがっていた。
 しばらくの間、両手のこぶしを強く握りしめて、茂吉はすわっていた。今まで堪えてきたことは、これからも耐えていかなければならないはずであった。けれど、ついに耐えきれなくなった茂吉は音羽の後を追って家を飛び出していた。音羽の姿が遠くでゆらゆらと陽炎のように揺れている。茂吉は、離されないように急いで後を追った。
 山桜の花が咲き始めている林をぬけると、音羽は腰をかがめて、春の野草をつんでいた。あわてた茂吉は小枝をふみ、音を立ててしまった。物音に顔をあげた音羽は、不思議そうに茂吉をみつめていた。
「あなた、どうして?」
 そこまで言って、音羽はさびしそうに笑った。夢にまで見た音羽が目の前にいる。
「音羽、音羽!」
 名前を呼び、近づくと茂吉は妻を抱きしめていた。すると、音羽の姿はたちまち白くなり薄れ出し、たくさんの白い蝶たち、時しじみに変わっていった。
 時しじみは、一斉に空にむかって飛び立っていく。茂吉はもう何もつかむことができなくなって両手をだらりと下げた。そして、呆けたように遠ざかり空に広がっていく時しじみたちをみつめていた。







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