月が出ない空の下で ~異世界移住準備施設・寮暮らし~

於田縫紀

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第13章 社会見学実習

77 工場見学

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 工場の建物に入った瞬間、前から後ろへと何かが通り抜けた気がした。
 風ではないけれど、確かに何かがあったと感じる。
 さらに、空気そのものが違う気がする。
 気温だけでなく、肌に触れる感覚までも。

 全員が中へ入ったところで、エノフ指導員の解説が始まった。

『この入口には、埃を取り除き、殺菌する魔術がかけてある。さらに外部から不要なものが入り込まないよう、内部の気圧を外より高く保ってもいる。やはり魔術で、気温や湿度も常に一定に保たれてもいる。
 魔術と魔法の違いは、起動に術者の魔力を要するか否か。魔術は通常、魔法陣や魔法式を用いて物に付与する。付与された物さえあれば、その術は誰でも使用可能だ。しかし魔術付与は魔法の発動よりはるかに難度が高い。施設での学習でも、魔法Ⅷか独自魔法作成Ⅵまで進まなければ出てこない内容となる』

 どうやら今のは、日本でいうエアシャワーに相当するものらしい。
 ただし機能はそれ以上。さらに気温や湿度まで一定にしている。
 おそらくは均質な製品を作るためだろう。

 それにしても、魔術付与が魔法Ⅷや独自魔法作成Ⅵで学ぶ内容とは。
 私達の施設では長期課程(Ⅰ)でしか扱わない高度な分野だ。
 逆に言えば、そこまで進めば私も魔術を使える可能性が高いということ。
 それはそれで、楽しみかもしれない。

 さて、工場の造り自体は施設とほとんど同じだった。
 広大な空間に煉瓦色の壁、ところどころに丸太の柱、板張りの天井。施設の運動場を思わせる。
 ただし床だけは焼土や木材ではなく、焼土色ながら艶のある石のような材質だ。
 その床には黄色・白・空色・オレンジなどの線が引かれている。

『ここから先は、この線に近づかないよう注意してくれ。この線は台車が通るルートを示している。線に寄らなければ、作業の邪魔になる可能性は低い』

 確かに、畳一枚ほどの大きさの台車があちこちに置かれている。
 台車の上には金属製の箱がいくつか積まれ、中には何かが入っているようだ。
 箱の大きさは、日本のスーパーでパンを運ぶ際の『ばんじゅう』と同じくらい。

 指導員は左手の壁沿いに進み、最初の角で立ち止まった。
 私達が集まったところで、再び説明が始まる。

『ここでは材料や中間製品を台車に積み、加工しながら台車を進める方式で菓子を製造している。今日は3種類の菓子を作っているようだ。これから黄色い線に注目しつつ各工程を見ていく。注目すべき点はこちらから随時指示するが、勤務員がどう働いているか、どんな魔法を使っているか、しっかり観察してくれ。魔法で視認できる者は使用して構わない。
 まずは右手前に停められている台車を見てほしい』

 そこには金属製の箱を4つ積んだ台車があり、後ろには押し担当の男性作業員1名。
 横に付けられた細長いテーブルには、別の男性作業員が立っている。
 彼が台車の上へ向かって魔法をかけているようだ。

『テーブルの作業員は材料担当だ。この工場独自の魔法を使い、倉庫から指定された材料を取り出して、台車上の四角いコンテナに入れている。この魔法はこのテーブル専用で、出せる材料の種類と量は固定されている。よって担当は箱の数だけ魔法を起動すればよく、他に考えることはない。
 同様の材料担当は他にもある。違うのは材料の種類と量だけで、魔法や手順はほぼ同じだ。
 一方、台車担当は見ての通り、台車を押して所定の場所へ運ぶ役割だ。彼らは別室の指示役から命令を受けており、自分で判断する必要はない。指示通り動かすことが仕事だ』

 つまり、どちらの担当も考える必要はなく、決められた手順をそのまま実行しているだけということだ。
 気になったので、材料を確認してみる。

小麦クネタン粉、エルアラフの精製脂肪フーエタ、砂糖、テッテレルの乾燥砂糖漬け、刻みテッテレル、乳化脂肪液です』

 乳化脂肪液は、おそらく牛乳の代用品だろう。
 この材料なら、作っているのはテッテレルケーキかナーラクフントあたりか。
 そう思ったところで、指導員の解説が再開。

「隣のテーブルでは材料に水を加えて捏ねる。これも魔法は1種類だけで、どの程度捏ねるかを考える必要はない。さらに隣のテーブルでは捏ねた生地に気泡を入れる。これも魔法をかけるだけで、勤務員が判断するのは箱の数だけだ。
 それでは移動する」

 ◇◇◇

 焼成は全体焼きと表面焼きの2段階。
 その後はカット工程。

 焼き上がった物をみて、私は確信する。
 間違いなくナーラクフント、それも私がパナケラフで食べたものと同一のものだろうと。
 あの濃厚に甘いカスタードクリームだけは、別添らしいけれど。

 さて、ケーキの種類はさておき、これで作業工程を一通り見学できたようだ。
 そろそろ見学は終了で、まとめの時間だろうか。

 ここまでの見学内容は、概ね事前学習にあった通りだ。
 作業員1人あたりの仕事は、ごく単純化、定型化されている。
 自分の意思で考えることなく、ただ決められた通り、あるいは指示通り動けばいい。
 魔法も機能が単純だし効果が厳密に定義されているから、誰でもすぐ覚えられる。

『以上で一通りの工程は終了だ。他にも工程管理の部署、資材の管理、原材料の買い付けや商品の販売を担う部署があるが、そこは見学範囲外だ。だがこれで、オーフにおける工業生産や工場労働の概要は理解できただろう。それでは見学を終了し、公設市場へ戻る』

 そう魔法で連絡した後、エノフ指導員はそのまま工場の外、出口方向へと歩き始める。
 日本の小学校の工場見学によくあったような、『工場の偉い人のお話』などは一切無い模様。
 それでも一応、工場側とは魔法か何かで連絡がとれているようだ。
 入口の警備員がこちらにあわせて門を開けてくれたし。
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