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五章

助けられました⑥

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 過去に飛んでから、明日で1週間になる。毎日とも言える程、気を遣ってくれるシリウスに誘われるまま一緒に過ごして行く度に、飛鳥の罪悪感は募り続けていた。
 過去のシリウスを自分が愛したシリウスに置き換えて一緒にいると、幸せを感じる度に同じぐらいの罪悪を胸に秘める。それでも、離れたくないと思ってしまう程、シリウスが恋しかった。

「明日、遠乗りに行きませんか?」
「はい、楽しみにしています」

 珍しく明日の予定を伺うシリウスの問い掛け。少し緊張した面持ちの彼の表情に、何でか自分まで緊張してくる。一緒にいれる事を飛鳥が素直に喜ぶと、シリウスがホッと表情を弛めた。何に対して緊張しているのか分からないけれど、明日に何かあるのは確実だろう。それが、飛鳥に取って良いことなのか、悪いことなのかは当日になってみないと分からない。

「今日は天気も良いので庭園に行きませんか?」
「はい、今から準備するので待ってて下さい」

 不安に陥りそうになった時、シリウスの優しい声が聞こえる。誘われたのに気付くと、飛鳥は今の気持ちを知られたくなくて微笑んだ。
 ずっと互いに気を遣って過ごす今の状態が、正しいとは思えない。それでも、帰り方が分からないならシリウスと一緒にいたい。そんな誘惑に、飛鳥は縋り付いてしまっていた。
 用意して貰ったドレスに身を包んで、現代からずっと使用している蝶のバレッタでクセ毛の髪を後ろで留めて跳ねを隠す。廊下で待っているであろうシリウスに少しでも自分が心に残るように身支度を整える。
 最後にピンクの口紅を唇に軽く塗ると、待たせている彼の所に急いだ。

「お待たせしました」
「……とても、可愛いです」

 そう声を掛けると、飛鳥を見ていたシリウスが口許を隠しながら呟いた。彼の頬は僅かに紅潮していて、照れているのが伺える。そんな様子に自分も恥ずかしくなってしまい、カァァッと頬を赤く染めた。
 気を取り直したシリウスが「行きましょう」と手を差し出す。素直にその手を取ると、離れないと言わんばかりにギュッと力を込められた。先を進む彼の背中を眺めながら、飛鳥は火照った顔を片手で仰ぎながら熱を冷まそうとしてみる。
 階段を降りている途中、鋭い視線が飛鳥に突き刺さる。キョロキョロと辺りを見回してみるけど、誰もシリウスや自分を見ていない。気のせいだと思っていた飛鳥の背中に、また突き刺すような視線を感じて振り返った。
 階段上から見下ろしているディランが、不敵な笑みを浮かべて飛鳥を見つめている。それに気付いた瞬間、洞窟で植え付けられた恐怖を思い出してしまう。手から震えが伝わってしまったのか、シリウスが戸惑うような視線を向けながら振り返った。
 飛鳥の顔色に気付いた彼は、自分を横抱きで抱き上げて来た道を戻り始める。階段を上がる度に近付いて行くディランとの距離。ギュッと服を掴んだ飛鳥はシリウスの胸元に顔を埋めて、ディランを視界から遠ざけた。

「何か思い出したのですか?」
「……はい」

 飛鳥が寝泊りしている客室のベットに座らされた。心配そうな声色と表情でシリウスが本当に心配しているのだと伺える。媚薬を飲まされた経緯も、洞窟にいた経緯も、あの場に誰がいたのかも、彼女は誰にも言っていなかった。
 記憶が無い。普通なら疑うのが普通なのに、シリウスは信じてくれた。そして、この震えが何かの記憶を思い出した震えなのかと心配してくれている。このまま、隠し事をし続ける度胸も気持ちも無い飛鳥は、とうとう白旗を挙げてしまった。

「私は、二十歳ハタチのシリウスさんのところから異世界に戻る為に異次元転送したんですが、色々なトラブルが重なってしまって次元転送でここに飛ばされてしまったんです…。私を、家族の所に帰してくれませんか?」
「……アスカが…異世界…の住人?」

 未来が変わってしまうから媚薬やディランのことを話す事は出来ない。それに、ディランも自分の過ちを認めて反省するかもしれない。シリウスと兄弟なのだから仲良くして欲しい。そんな想いがあった為、アスカはディランの事を話すつもりは無かった。
 十九歳のシリウスと、二十歳のシリウスの間を行き来する気持ちにもピリオドを打ちたかった飛鳥は、自分の状況を偽る事無く伝える。しかし、彼は困惑した表情を浮かべたまま口に手を置いて固まってしまった。

「……ごめん」

 固まっていたシリウスが一言呟く。そして、何も言わずに客室から出て行ってしまった。残された飛鳥は、シリウスの謝罪の言葉が、自分を拒絶されたように思えて後悔が背中に重く圧し掛かってくる。そして、先程のディランの表情を思い出した飛鳥は、内なる恐怖に耐えるように布団をギュッと握り締めた。
 早く帰らなければ、こっちのシリウスにも迷惑を掛けてしまうかもしれない。なのに、自分が出来る事が何も無い。アスカは自分の不甲斐なさに悔しい気持ちになってしまった。

 ふと、靴に忍ばせておいた紙の存在を思い出す。紙を取り出すと広げてみるも、やっぱりと言うようにアスカには読めない文字。だけど、書く事は出来そうだと思えたアスカは、暇潰しで貰った紙と筆を持って机に置くと、書く準備をする。
 ランプの灯りだけを頼りに、計画が書かれているだろう三枚の紙を丁寧に書き写していった。出来る限り、真似して書き写した三枚の紙を小さく折り畳むと、机の引き出しの奥に入れておく。本物の三枚の紙は、自分のクシャクシャの髪に包んで隠してバレッタで留めておいた。計画の内容が分からない時点で、飛鳥が心配する内容ではないかもしれない。それでも、シリウスの危険が回避出来るのならどんな手間も惜しまなかった。

「お父さん、お母さん、和樹……会いたいよ…」

 自分が出来る事を終わらせた飛鳥の目の前に広がる満天の星空。客室から見える夜空に誘われるようにバルコニーに出ると、星空を見上げながら二度と会えないかもしれない家族を想い涙した。
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