隠遁薬師は山に在り

あつき

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「アキはおりませんか」
 年かさの猟師の家へ飛び込んだ。土間へ荷物を放り投げて、ごめんください、と声を張り上げる。中から慌てた様子で、猟師の奥さんが出てきた。
「どうしたのケイ、こんなに朝早く」
「アキがおらんのです、何か知りませんか。それから、探す人手を貸してくれませんか」
 奥さんは困ったように首をかしげた。
「はあ、それがね。うちの人もこの周りの人も、朝から出てしまっていないのよ。アキが帰ってこないの?」
「昨夕、仕事へ行く途中で、何かあったようで」
「あら」
 彼女は本当に何もわからないようで、これ以上話していても時間が惜しかった。
 しかし、この一帯に人がいないのなら、探さなければならない。
 もし、もしも。
 自分が人を攫ってどうこうするなら、人目のつかぬ道を選ぶ。
 その先のことは考えずに、アキの名を呼びながら、路地を走った。何事かと顔を出した女性や子供に尋ねても、アキのことはわからなかった。
 そろそろ、タルとの約束の時間になる。
 何の手がかりもないまま、じりじりと藪の中まで探し回っていると、誰かが自分を呼んだ。
「――ケイ、どこ! ちょっといらっしゃい!」
 声のするほうへ路地を戻ると、探すのを手伝っていたらしい、アキの友人の少女がいた。
「そんなとこにいたのね、急いで!」
 ぐいと腕を掴まれて、引っ張られる。
「おい、アキがいたのか!」
 勢いのまま、共に走りながら、勝気そうな少女に尋ねる。
「黙ってて!」
 彼女の顔は険しい。頬は白く、少女らしい赤みがない。
 ――良くないことが、アキの身に起きた。
 体の奥から冷え込む気がした。
 それでも、必死に走った。アキがいるのならば、行かなければならない。


 連れて来られたのは、旅籠だった。
「……あの子ね、旅籠の洗濯場の陰にいたのよ。あんなところ、何度も何度も、探したっていうのに」
 裏口へ回る。そこに洗濯場もあった。たくさんの竿が並び、古びた盥が重ねて置かれている。
「こっち」
 アキの友人は、裏口から旅籠へと入った。調理場では、何人もの人間が忙しく立ち働いている。
 労働用の廊下は、ひっそりとしていた。昼時は、客間の掃除で出払っていると、アキに聞いたことがある。
「タルが見つけてくれたんだけど、あの子、麻の袋に入れられて、すごく怯えて、タルのことも怖がってた」
 少女は、二階に続くはしご階段を上った。
 アキはやはり、人攫いにあっていたのか。命まではとられていないようだが、怖かったはずだ。早く、連れて帰ってやりたい。
 階段を上りきると、少女は廊下の隅に寄った。そして、小さくため息をつく。
「……ね、ケイ。もしかしたら、あんたも怖がられるかもしれない。アキのお母さんには、言ってないことなの」
 気の強そうな彼女の瞳に、涙がじわりとせり上がってきた。目線を合わせてしゃがみ込み、言葉を待つ。
「アキはね、ひどいことをされたの。血が出てたわ。……男の子は、ぜったいに近づかせない。タルのことも、いやだって泣いてた。私たちにも、見られたくないって」
 少女の目から、涙がぼろぼろと落ちた。それでも彼女は目を開いて、言うべきことを伝えるために、口を開く。
「一番向こうが、湯女の部屋よ。そこで休んでいるの。湯女のお姉さんが、……運んでくれたの。こういうことは、……詳しいから、任せなさい、って……」
 泣いて、しゃくりあげ始めた少女の肩を、なんとか、叩く。
「……ありがとう。母には、俺がなんとか言っておく。……もう、友達と一緒に家へお帰り」
 彼女は、しくしく泣きながら、頷いた。そうして、涙を拭いて、顔を上げた。
「アキのとこに行ってあげて。私は下で友達を探せるから」
「ああ」
 少女が階段を下りるのを見届けると、廊下を進んだ。
 独特の香りがする。石鹸と香の混ざった、甘ったるい匂い。
 一番奥の、障子の嵌った襖戸を、静かに叩く。
「……御免。アキの兄です。妹を迎えに来ました」
 戸の向こうで、かすかに声がした。そして、音もなく開く。甘い匂いが強くなり、目の前に背の高い女が立っていた。髪の結い方と、服の崩しで、堅気ではないとわかる。なめらかな肩の向こうに布団が敷かれ、その中でアキが眠っていた。
「出な」
 女は短く言って、廊下を顎でしゃくった。
 部屋へ入れてくれないことを訝しく思ったが、アキの姿をひとまず確認したので、従う。
 襖戸が静かに閉まると、女は低い声を出した。
「あんた、水を浴びてこなきゃ、ここには入れられないよ」
「どうして」
 女は腕を組む。
「火薬の匂いがひどい。あんたの妹、火薬の匂いがするところに連れて行かれたって話していたんだ。あんたがそのまま入ったら、また錯乱する。やっと落ち着いたのに」
「……火薬?」
 そんなもの、限られた場所にしかないではないか。
「同じ生業だろう、目星はついてるんじゃないか。……下衆な男共だね、あれは一人二人の量じゃない」
 言葉の意味を理解すると、身体が震えた。
「……アキは、無事なのか」
「死ぬような怪我はしていないよ。ただ、しばらくは歩くのも辛いはずだ、かわいそうに」
 女は苛立ちの混ざった息をつく。
「体はきれいにしておいたよ。どこもかしこもね。目が覚めたら、連れて帰ってやりな。それまでにあんたは、その匂いを何とかするんだね」
「……わかった。ありがとう」
 目の前が、ぐらぐらとした。
 それでも足を踏みしめて、廊下を戻る。
 階段をぎしりぎしりと下りながら、今、自分の立っている場所が、わからなくなる。
 火薬を使う男たち。火薬を頼んできた男たち。昨日のアキの都合を知っている男たち。朝早くからいなくなった男たち。
 昔から知っている男たち。猟師ならば憧れる、火器が得意な男たち。
 しかし彼らは、山に棲む薬師が犯され人を殺したと知りながら、笑って酒を飲んだ男たちだ。


 そんなはずない、信じたくないと、木の手摺に頭をぶつけて、ずるずるとうずくまった。
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