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ノクスⅡ
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渡り廊下の奥は、音が落ちる。
文化祭のざわめきが、ガラス越しの遠い海鳴りみたいにぼやけていた。
研究棟の扉の前で、湊は立ち止まる。
「この先」
彼は、軽く扉に触れた。
開けるわけでもなく、ただ触れるだけ。
「鍵がある」
聖光の冠が、眉を寄せる。
「……物理鍵?」
「違う」
即答だった。
鉄律の法典が静かに言う。
「認証権限型の制御因子……つまり、生体か概念鍵」
「さすが」
湊は、小さく笑った。
「話が早い」
聖光の冠は、扉を見つめる。
ただの研究室の入口にしか見えない。
「それで?」
「この学園の境界装置は」
湊は、指先で空気に円を描く。
「完全自動じゃない」
「……」
鉄律の法典が、わずかに目を細める。
「最終判断を、人間に委ねている」
「そう」
湊の視線が、二人を順番に辿る。
「“境界を開くか閉じるか”を決める存在がいる」
聖光の冠が言う。
「それが鍵?」
「正確には」
湊は少しだけ首を傾ける。
「鍵であり、錠でもある」
沈黙が落ちる。
鉄律の法典が、低く呟いた。
「……二重抑制型」
「よく分かったね」
「理論上は存在しますが、実装例は確認されていません」
「だから、確認に来た」
聖光の冠が、湊を見る。
「その鍵が、ここにいると?」
「いる」
迷いのない声だった。
「でも、まだ本人は気づいてない」
その言葉に、空気がわずかに張る。
「……誰」
聖光の冠が問う。
湊は、すぐには答えない。
代わりに、扉の向こうを見た。
「もし、その鍵が」
「境界を閉じることを選び続けたら」
「この学園は守られる」
「でも」
彼は振り返る。
「開くことを選んだら」
遠くで、風鈴みたいに笑い声が響いた。
文化祭の来場者だろう。
「世界の接続点になる」
鉄律の法典が言う。
「危険度、極大」
「そうだね」
湊はあっさり頷く。
聖光の冠は、目を細める。
「その人物を、どうするつもり?」
「どうもしない」
「信用できない」
「だろうね」
湊は肩をすくめる。
「ただ、確認したいだけ」
「何を」
「その人が」
彼の声が、ほんの少しだけ静かになる。
「どちらを選ぶ人間か」
その瞬間。
カサ、と。
天井の梁の影が揺れた。
鉄律の法典が、即座に視線を上げる。
「……反応」
聖光の冠も気づく。
小さな影が、梁から壁へ移動する。
ヤモリだった。
ただのヤモリに見える。
けれど、その動きはあまりにも意図的だった。
湊が、わずかに目を細める。
「……式か」
ヤモリは、壁を伝って降りる。
床に着くと、ぴたりと止まり。
そのまま、廊下の奥を見る。
――誰かを待つみたいに。
足音がした。
軽い。
少しだけ急いでいる。
角を曲がって現れたのは。
「……っ、はぁ……」
咲夜だった。
制服のまま。
文化祭用の腕章を、片腕にぶら下げたまま。
「ヤモリ……勝手にどっか行くんじゃ……」
そこまで言って、止まる。
三人が、そこにいる。
まず目に入るのは、仮面のベール。
次に、無機質な立ち姿。
そして。
湊。
「……月代、くん?」
声が、少しだけ裏返る。
湊は、いつもの穏やかな顔で立っていた。
「やあ、咲夜」
その呼び方が、あまりにも日常で。
咲夜の胸の奥で、何かがずれる。
「え、なんで……ここ……?」
聖光の冠が、ほんのわずかに視線を逸らす。
鉄律の法典は、沈黙したまま状況を観察している。
湊は答えない。
代わりに、咲夜をまっすぐ見た。
「文化祭、楽しい?」
「……え、うん。まあ」
咲夜は戸惑ったまま笑う。
「えっと……?」
視線が、二人へ向く。
正体は分からない。
ただ、空気が違う。
ヤモリが、咲夜の足元まで来る。
そして、くるりと回る。
まるで。
「……ここに来い」
と示すみたいに。
咲夜は、無意識に一歩進む。
その瞬間。
湊の表情が、ほんの一瞬だけ曇った。
聖光の冠が、低く呟く。
「……あなた」
咲夜は首を傾げる。
「はい?」
鉄律の法典が、わずかに息を呑む。
「境界反応……一致」
「え?」
咲夜は、意味が分からないまま立っている。
湊が、静かに言う。
「ねえ、咲夜」
その声は、図書室で話しかけてくる時と同じだった。
「もし」
「もしさ」
彼は、扉を指差す。
「この先に進むか、戻るか」
「どっちかしか選べないって言われたら」
咲夜は、きょとんとする。
「……なにそれ、脱出ゲーム?」
軽く笑う。
けれど。
誰も笑わない。
空気が、静かに固まる。
聖光の冠の胸の奥で、あの鈴が鳴る。
鉄律の法典の視線が、咲夜から離れない。
咲夜は、三人を見回す。
そして。
ほんの少しだけ、顔が曇る。
「……なんか」
小さな声。
「変だよね」
ヤモリが、咲夜の靴の先に触れる。
その体温が、妙に現実的で。
咲夜は、ゆっくりと湊を見る。
制服姿。
穏やかな笑顔。
見慣れたクラスメイト。
なのに。
胸の奥が、ざわつく。
「……やっぱり」
咲夜は、ほとんど聞こえない声で言う。
「私の知ってる月代くん……なんだよね」
湊は、答えない。
ただ、静かに微笑む。
それが。
肯定にも、否定にも見えなかった。
咲夜は、その場に立ったまま。
初めて。
――同じ教室で笑っていた相手と、
同じ場所に立っていないことを。
はっきりと、理解した。
文化祭のざわめきが、ガラス越しの遠い海鳴りみたいにぼやけていた。
研究棟の扉の前で、湊は立ち止まる。
「この先」
彼は、軽く扉に触れた。
開けるわけでもなく、ただ触れるだけ。
「鍵がある」
聖光の冠が、眉を寄せる。
「……物理鍵?」
「違う」
即答だった。
鉄律の法典が静かに言う。
「認証権限型の制御因子……つまり、生体か概念鍵」
「さすが」
湊は、小さく笑った。
「話が早い」
聖光の冠は、扉を見つめる。
ただの研究室の入口にしか見えない。
「それで?」
「この学園の境界装置は」
湊は、指先で空気に円を描く。
「完全自動じゃない」
「……」
鉄律の法典が、わずかに目を細める。
「最終判断を、人間に委ねている」
「そう」
湊の視線が、二人を順番に辿る。
「“境界を開くか閉じるか”を決める存在がいる」
聖光の冠が言う。
「それが鍵?」
「正確には」
湊は少しだけ首を傾ける。
「鍵であり、錠でもある」
沈黙が落ちる。
鉄律の法典が、低く呟いた。
「……二重抑制型」
「よく分かったね」
「理論上は存在しますが、実装例は確認されていません」
「だから、確認に来た」
聖光の冠が、湊を見る。
「その鍵が、ここにいると?」
「いる」
迷いのない声だった。
「でも、まだ本人は気づいてない」
その言葉に、空気がわずかに張る。
「……誰」
聖光の冠が問う。
湊は、すぐには答えない。
代わりに、扉の向こうを見た。
「もし、その鍵が」
「境界を閉じることを選び続けたら」
「この学園は守られる」
「でも」
彼は振り返る。
「開くことを選んだら」
遠くで、風鈴みたいに笑い声が響いた。
文化祭の来場者だろう。
「世界の接続点になる」
鉄律の法典が言う。
「危険度、極大」
「そうだね」
湊はあっさり頷く。
聖光の冠は、目を細める。
「その人物を、どうするつもり?」
「どうもしない」
「信用できない」
「だろうね」
湊は肩をすくめる。
「ただ、確認したいだけ」
「何を」
「その人が」
彼の声が、ほんの少しだけ静かになる。
「どちらを選ぶ人間か」
その瞬間。
カサ、と。
天井の梁の影が揺れた。
鉄律の法典が、即座に視線を上げる。
「……反応」
聖光の冠も気づく。
小さな影が、梁から壁へ移動する。
ヤモリだった。
ただのヤモリに見える。
けれど、その動きはあまりにも意図的だった。
湊が、わずかに目を細める。
「……式か」
ヤモリは、壁を伝って降りる。
床に着くと、ぴたりと止まり。
そのまま、廊下の奥を見る。
――誰かを待つみたいに。
足音がした。
軽い。
少しだけ急いでいる。
角を曲がって現れたのは。
「……っ、はぁ……」
咲夜だった。
制服のまま。
文化祭用の腕章を、片腕にぶら下げたまま。
「ヤモリ……勝手にどっか行くんじゃ……」
そこまで言って、止まる。
三人が、そこにいる。
まず目に入るのは、仮面のベール。
次に、無機質な立ち姿。
そして。
湊。
「……月代、くん?」
声が、少しだけ裏返る。
湊は、いつもの穏やかな顔で立っていた。
「やあ、咲夜」
その呼び方が、あまりにも日常で。
咲夜の胸の奥で、何かがずれる。
「え、なんで……ここ……?」
聖光の冠が、ほんのわずかに視線を逸らす。
鉄律の法典は、沈黙したまま状況を観察している。
湊は答えない。
代わりに、咲夜をまっすぐ見た。
「文化祭、楽しい?」
「……え、うん。まあ」
咲夜は戸惑ったまま笑う。
「えっと……?」
視線が、二人へ向く。
正体は分からない。
ただ、空気が違う。
ヤモリが、咲夜の足元まで来る。
そして、くるりと回る。
まるで。
「……ここに来い」
と示すみたいに。
咲夜は、無意識に一歩進む。
その瞬間。
湊の表情が、ほんの一瞬だけ曇った。
聖光の冠が、低く呟く。
「……あなた」
咲夜は首を傾げる。
「はい?」
鉄律の法典が、わずかに息を呑む。
「境界反応……一致」
「え?」
咲夜は、意味が分からないまま立っている。
湊が、静かに言う。
「ねえ、咲夜」
その声は、図書室で話しかけてくる時と同じだった。
「もし」
「もしさ」
彼は、扉を指差す。
「この先に進むか、戻るか」
「どっちかしか選べないって言われたら」
咲夜は、きょとんとする。
「……なにそれ、脱出ゲーム?」
軽く笑う。
けれど。
誰も笑わない。
空気が、静かに固まる。
聖光の冠の胸の奥で、あの鈴が鳴る。
鉄律の法典の視線が、咲夜から離れない。
咲夜は、三人を見回す。
そして。
ほんの少しだけ、顔が曇る。
「……なんか」
小さな声。
「変だよね」
ヤモリが、咲夜の靴の先に触れる。
その体温が、妙に現実的で。
咲夜は、ゆっくりと湊を見る。
制服姿。
穏やかな笑顔。
見慣れたクラスメイト。
なのに。
胸の奥が、ざわつく。
「……やっぱり」
咲夜は、ほとんど聞こえない声で言う。
「私の知ってる月代くん……なんだよね」
湊は、答えない。
ただ、静かに微笑む。
それが。
肯定にも、否定にも見えなかった。
咲夜は、その場に立ったまま。
初めて。
――同じ教室で笑っていた相手と、
同じ場所に立っていないことを。
はっきりと、理解した。
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