Boundary Balance ー世界を量る少女は教室ではよくしゃべるー

おぼろ藍

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咲夜 湊

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ヤモリの尾が、ぴたりと止まる。
研究棟の廊下に、微かな空気の揺れが走った。
聖光の冠が、わずかに視線を横に流す。
鉄律の法典も、同時に周囲の気配を測る。
咲夜は、それに気づかない。
ただ、湊を見ている。
「……鍵って、どういう意味?」
咲夜が聞く。
まっすぐな声だった。
湊は、その問いを受け止めて。
そして。
一度、目を閉じた。
ほんの一瞬。
開いたとき、表情が変わっていた。
柔らかさが、消える。
「意味なんてないよ」
声が、わずかに冷える。
咲夜が瞬きをする。
「え?」
「ただの比喩」
湊は肩をすくめる。
「君、深読みしすぎ」
聖光の冠の眉が、ほんの少しだけ動く。
鉄律の法典は、沈黙したまま湊を見ている。
咲夜は、小さく笑う。
「……そう?」
「そう」
湊は続ける。
「そもそもさ」
視線が、わずかに鋭くなる。
「咲夜って、こういう場所に来るタイプじゃないでしょ」
空気が、きしむ。
咲夜の笑みが、止まる。
「……どういう意味?」
「そのまま」
湊は、淡々と言う。
「境界とか、組織とか」
「危ない話とか」
「君、向いてないよ」
その言葉は、刃物みたいに静かだった。
咲夜の指先が、わずかに強張る。
「……決めつけないで」
小さく返す。
湊は、ほんの少しだけ視線を逸らして。
すぐ戻す。
「決めつけじゃない」
「観察結果」
聖光の冠が、息を呑む。
鉄律の法典の指が、かすかに動く。
「君はさ」
湊は続ける。
「騒がしい教室で笑ってる方が似合う」
「文化祭で友達と屋台回ってる方が、ずっと自然」
「こういう場所に立ってる君は」
ほんの一瞬、声が揺れる。
「……違和感しかない」
沈黙。
咲夜は、何も言えない。
胸の奥で、何かが静かに沈む。
ヤモリが、咲夜の足元から離れない。
湊は、その様子を見て。
わずかに、拳を握る。
けれど、表情には出さない。
「だから」
彼は、ゆっくり言う。
「もう関わらない方がいい」
その言葉が落ちた瞬間。
――カツ。
廊下の奥から、足音が響く。
軽く。
規則的に。
わざと聞かせるような歩き方。
聖光の冠が、即座に振り向く。
鉄律の法典が、一歩前に出る。
影が、二つ。
いや。
三つ。
渡り廊下の影から、制服姿の生徒たちが現れる。
文化祭用の名札をつけている。
笑っている。
普通の来場者にしか見えない。
けれど。
「……遅い」
そのうちの一人が、言った。
声が、平坦すぎる。
湊は、振り返らない。
「時間通りだよ」
「観測は終了?」
「ほぼね」
聖光の冠の瞳が細くなる。
鉄律の法典の周囲に、見えない文字列が組み上がり始める。
咲夜は、状況を飲み込めずにいる。
「月代くん……?」
その呼び方に。
湊の肩が、ほんの一瞬だけ揺れる。
「湊」
構成員の一人が、淡々と言う。
「対象は?」
沈黙。
咲夜が、湊を見る。
湊は。
ゆっくりと、ため息を吐いた。
そして。
「関係ない」
そう言い切る。
咲夜の胸が、ぎゅっと締まる。
「ただのクラスメイト」
聖光の冠が、湊を鋭く見る。
鉄律の法典は、完全に臨戦態勢に入っている。
構成員たちは、咲夜を一瞥する。
興味を失ったように、すぐ視線を外す。
「了解」
短い返答。
その瞬間。
空気が、わずかに歪む。
窓の外の光が、にじむ。
境界装置が、静かに起動している。
鉄律の法典が低く言う。
「干渉を確認。
即時停止を要求します」
構成員の一人が、肩をすくめる。
「文化祭の余興だよ」
「違反です」
「線引きは、君たちの仕事だろ?」
聖光の冠が、一歩前に出る。
「撤収しなさい」
声は静かだった。
けれど、揺れない。
構成員たちは、互いに視線を交わす。
そして。
「……湊」
一人が言う。
「撤収する」
湊は、頷いた。
「了解」
彼は、最後に。
一度だけ。
咲夜を見る。
ほんの一瞬。
昔と同じ、柔らかい目をして。
すぐに、消える。
「じゃあね」
軽い声。
「文化祭、楽しんで」
その言葉は。
あまりにも、普通で。
あまりにも、遠かった。
湊は、背を向ける。
ノクスの構成員たちと共に、廊下の奥へ消えていく。
歪んでいた光が、ゆっくり戻る。
静寂が落ちる。
咲夜は、その場に立ったまま。
動けない。
「……ただのクラスメイト」
小さく、呟く。
ヤモリが、咲夜の足元に額を押しつける。
慰めるように。
聖光の冠は、何も言わない。
鉄律の法典も、沈黙している。
文化祭の歓声が、遠くから流れてくる。
笑い声。
音楽。
拍手。
世界は、何も変わっていない。
――咲夜の中だけが、静かにひび割れていた。
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