名もなき春に解ける雪

天継 理恵

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春の章 遠くに咲く花3

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 ——きらきらと輝く、黒い髪を思い出してた。


 『……み』


 ——強くて凛とした瞳。
 落ち着いたメゾソプラノくらいの高さの声は、透き通るように響いて。


 『は………ってば……』


 ——そんな素敵な声で、白雪さんが、私の名前を……。


「ちょっと!羽澄ってば!!」
「ひゃいっ!?」
 
 いきなり名前を呼ばれて、心臓が大きく飛び跳ねた。
 完全に上の空だった私を、美樹のジト目が睨んでる。ううん、美樹だけじゃない。優里も凛も真由香も、みんな同じ顔してる。

「いったいどうしちゃったのさ。最近ぼーっとしっぱなしじゃん」
「元々ボヤッとしてるけどね~」

 呆れる美樹に、真由香が茶々を入れる。優里と凛が、「たしかに~」なんて笑ってる。
 私は笑って誤魔化そうとしたけど……美樹だけは、探るのをやめてくれない。

「委員の仕事しに行った日から、ずっとおかしくない?あれからもう一週間近く経つのにさ」

 ……うっ、鋭い。なんでそんな細かく覚えてるかな。先生の話は秒で忘れるくせに。

「うーん……たぶん、高校生活に疲れてきたのかも?ほら、満員電車って辛いでしょ?委員の仕事も面倒だし、授業も本格的に始まって、宿題もいっぱいだし」

 それっぽい理由を挙げてみたら、みんなは「あー、わかる」みたいな顔で頷いてくれた。よかった、話が逸れたみたい。

「マジ電車サイアクだよねー。キモいおっさんがジロッジロ見てくるし」
「こんなに若くて可愛いウチらだから、ヤバいヤツが寄ってくんのも仕方ないけど」
「あはは!それすっごい自信!」

 盛り上がる会話に、笑顔で相槌を打つ。正直その悩みは、私も最近感じてる。
 ……身体も背も小さいくせに、胸だけがやたらと目立ってるから。街の中とか電車の中とか、男の人の目が気になって……気持ち悪いなって思うことがある。

「女子高生ってだけで、男にとっちゃ魅力なんでしょ?ロリコンのおっさんとかマジ死滅しろって感じだけど」
「ウチの学校、今時珍しいセーラーだしね。余計そういう目で見られてる気がするよね」
「あーあ。あたしらでもこれだけ嫌気さすんだから、あの美人の子とかもっと大変なんだろうね~」

 話題が思わぬ方向に触れて、思い当たった私はビクッとする。
 ……それ、白雪さんのことだ。絶対。

「あー、六組の?この前実物見たけど、マジすごいね。ありゃ異次元だわ」
「同じ人類とは思えないよねー。顔綺麗だし、手足なっがいし、超スレンダーだし。私の贅肉もらってくんないかなぁ~」

 きゃはは!と甲高い笑い声が響く。……私はなんとなく乗り切れなくて、小さな笑い声だけを混ぜる。

「つか羽澄、今日も図書委員の当番なんでしょ?マジでメンドイね、図書委員って」
「放課後って昼休みより時間長いんでしょ?大変だね~」

 そう。実は今日もまた、当番の日なんだ。あれだけ面倒だと思ってた役目だけど……でも今は少し、気が軽くなってる。

 ——だって、また白雪さんに会えるかもしれないし。

「うん。でも意外とね、図書室って広くて綺麗だし、静かで落ち着くんだよ?日当たりいいし、景色もいいし。今度来てみてよ」
「え~、図書室って静かすぎて無理。あの喋ったら殺されそうな雰囲気、マジで苦手」
「本に興味ないしねー。マンガ置いてあるんなら行くけど」

 何気なく誘ってみたけど、誰ひとりとして興味はないみたい。

 ——それもそうだよね。今の時代、読書好きな若い子なんてそんなにいないし。読むにしたって、スマホでいくらでも読めちゃうし。

 「そっかぁ、残念」なんて、そこまで思ってもない返事で濁した。別に絶対来て欲しかったわけじゃないし、気にしてなんかない。
 ……でも、図書室が良かったってのはホントだったから。ちょっと、言ってみたかっただけ。


 休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴って、私たちはそれぞれの席に着く。
 残りはあと一時限。眠たい数学を乗り越えたら、きっとまた、白雪さんに会えるはず。


 窓の外は、今日も快晴。
 明るい春の日差しに包まれながら、また私は、白雪さんと出会った日のことを思い出していた。


***

 放課後。やる気のない日直の号令を合図に教室を抜け出した私は、そわそわしながら図書室へと直行した。
 辿り着いてみても、まだ図書室に人の気配はない。私はカウンター裏にカバンを置くと、窓から差し込む光に染まる、静かな室内をぼんやり見回した。

 ——この時間の光の色、綺麗だな。

 ——白雪さん、今日も来るかな。

 そんなことを考えていたら、図書室の扉がガラリと開いた。

「あ、桜井さん。早いね」

 もうひとりの当番の、二組の小暮こぐれさん。体育も合同だから、もうある程度顔見知りだ。

「小暮さん。今日はよろしくね」
「こちらこそ」

 にこやかに挨拶しあいながら、役割分担をする。
 受付係か、片付け係か。その話を持ちかけられて、私はちょっと前のめりになりながら、「片付け係やるね」と先に言った。
 本棚を早く覚えたくて、なんてもっともらしいこと付け加えたけど、ホントはただ白雪さんを探したいだけ。でも片付けの方が重労働だから、小暮さんはむしろありがたそうに受け入れてくれた。

 図書室の扉が開いて、ぞろぞろと生徒が現れ始める。私は棚に戻す本を手にしながらも、視線をつい入口の方へと向けてしまう。


 ——そうして、二十分くらい経っても、白雪さんは現れなかった。


 ……もしかして、今日は来ないのかな。
 そう思って落ち込んでたら、うっかり手に積んでた本のバランスを崩してしまった。

「あっ……!」

 バサッと音がして、本が床に落ちる。
 拾わなくちゃって慌てたその瞬間、私よりも先に、サッと膝をついた人影が現れた。

「はい、これ。貴重な本が多いから、扱いには十分気をつけて」

 涼やかな声。光を受けてきらめく、絹糸シルクみたいな黒髪。

 本を拾って差し出してくれたのは——待ちに待ってた、白雪さんだった。

「白雪さん!」

 本当に来てくれたんだ!今日はもう会えないかもって思ってたのに……!

 懲りずにまた大きな声で呼んじゃった私に、白雪さんが「しーっ」と人差し指を口元に立てる。
 そのしぐさと指の綺麗さに、ドキッと胸が跳ねる。

「図書室では静かにね、桜井さん」

 柔らかく咎められて、思わずきゅっと唇を結んだ。
 ダメなとこ見られちゃって、顔が熱い。でも……この熱さは、恥ずかしいからだけじゃないのかも。

 ……だって、優しく響く声も、茶目っ気のあるしぐさも、何もかもが綺麗で。
 なんだか、ずるいなって……そう思っちゃったから。

「すっ、すみません。気をつけますっ」

 小声で謝れば、ふっと白雪さんの頬が緩む。 
 あぁ……ホント、なんでそんな上品なんだろ。

「今日も仕事お疲れ様。また本の片付けをしてるのかな」
「はいっ!……あっ……はい……っ」

 声のボリュームを気にして、すぐに潜めて言い直す。何回同じことしてんの、私。こんなんじゃ呆れられちゃうよ!

 ……そう焦ったけど、白雪さんは気にもせず、くすっと小さな笑い声をこぼした。そして私の代わりに、本を棚に戻してくれる。

「本は意外と重たいからね。一度に持つ数は、もう少し控えた方がいいと思うよ」

 やっ……優しい……!
 いや、別に私のために言ってるんじゃなくて、本のために言ってるんだろうけど!

 ひとりでバタバタ考えては、ぎゅんと縮こまった心臓に息が詰まる。
 ……やだな、私、何でこんなにドキドキしてるんだろ。

「次は気をつけてね。それじゃあまた」
「えっ!?」

 しまった、また声が大きく……じゃなくて!今、「それじゃあ」って言った!?まだ全然話せてないのに!?

「白雪さんっ、もう帰っちゃうんですか……?」
「うん。今日は本を返却しに来ただけなんだ。この後、用事があってね」
「そ、そうなんですか……」

 せっかく会えたのに、もうお別れなの?
 ……そう思ったら、すごくガッカリしてきちゃった。
 しょんぼりする私に、白雪さんが不思議そうに首を傾げる。だけど私は名残惜しすぎて、「またね」すら返すことをためらってしまう。

 ——結局、白雪さんはそのまま帰って行った。

 別れ際、前みたいに「またね」って言ってくれたけど、「またね、桜井さん」とは言ってくれなかった。
 それにもなんだかガッカリしちゃって……名前が付いてるか付いてないかの違いだけなのに、なんでこんなに気になるんだろ。
 
 白雪さんのいなくなった図書室で、のろのろと本を片付ける。……でも、全然やる気が起きない。時間もすごく長く感じる。

 ——次の当番まで会えないのかな。六組ってクラス遠いから教室も離れてるし、同じ一年でも見かけることすらほとんどないんだよなぁ。
 ……でも、図書室で会っても私は当番で、白雪さんは本を読みに来るわけだし。邪魔しちゃうのもなぁ……。


 そこまで考えて、突然、パッと閃いた。


 そっか!白雪さんと、お友達になればいいんだ!
 そうすれば当番の日関係なく会えるし、一緒にご飯食べたりも出来るし、放課後や休みの日に遊んだりもできるかも!

 名案だ!と高らかに声を上げそうになった。
 さっきまでのやる気のなさがふっ飛んで、俄然やる気が湧いてくる。とはいえ、それは委員の仕事へのやる気ではないんだけど。
 
 お友達になるにはどうすればいいんだろう。
 「お友達になってください!」って言うのはさすがにおかしいよね?引かれるよね?
 だったら、少しずつお話しする時間を増やして……。

 頭をフル回転させながら、綿密な計画を練る。


 題して、『白雪さんとお友達になろう計画』だ!


 ……うーん、ちょっとそのまんますぎるかな。


 私は、完全におかしな方向に浮かれてた。
 でも、こんなふうに浮かれちゃうくらいにはもう——頭の中は、白雪さんのことでいっぱいだった。


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