声なし王女と教育係

白藤結

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第一部

二章(7)

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 昼食を摂り終わり、休憩もして、クラリスはルークに連れられて店を出た。南中した太陽の光に目がくらみ、咄嗟に目を閉じる。おそるおそる瞼を押し上げれば、そこには店に入る前とは打って変わって人通りの少なくなった道が広がっていた。おそらく先ほどまでは皆が昼食を食べにあちらこちらの飲食店に繰り出していたが、休憩が終わり、それぞれの仕事に戻って行ったのだろう。けれど仕事が休みなのかはたまた休憩がこの時間なのか、そうではない人も多く、それなりの人通りがあった。皆楽しそうに談笑している。

 それを眺めながら、クラリスはルークの後ろについて歩く。正直王城の、しかも自室からほとんど動かない身のため、すでに疲れ果て、足が棒のようだった。それでもなんとかついて行かないと、という思いで一心に足を進める。
 ルークは特に疲れた様子がなかった。いつもと変わらない様子で歩いている。意外と体力はあるらしい。

 時折「あれは何?」と問いかけたりしながら道なりに進んでいると、ルークが「こちらです」と言ってようやっと立ち止まった。
 そこは何の変哲もない店だった。看板にパンの絵が描かれているから、おそらくパン屋なのだろう。
「クラリス様」とルーク。

「ここから先はもしかしたら不快な思いをさせてしまうかもしれません。それでもよろしいですか?」
 ――ええ。ルークがわたしに見てほしいんでしょう? それなら当然だわ。

 そう言えば、ルークはどこか眩しいものを見るような目でこちらを見つめてきた。その瞳には――どこか沈鬱な色。傷ついたようなものが見えた気がした。
 ぞくりと、よくわからない不安が胸を撫でる。はっきりとはわからない。それでも何か、嫌な予感がして――

「では、参りましょう」

 ルークの声。はっ、と我に返り、クラリスはそっと頷いて、彼のあとに続いて店の中に入っていった。
 カランカラン、と、軽やかな、だけどどこか鈍いベルの音が鼓膜を震わせる。やはりパン屋だったらしく、店内には何種類かのパンが置かれていた。昼時を過ぎたためかあまり数は残っていなかったが、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
 奥のほうにはカウンターがあり、一人の恰幅の良い女性がいた。

「いらっしゃい! ――って、ルークじゃないか!」
「ああ、久しぶりだな、マーサ。リリーはいるか? あと二階の部屋を借りたいんだが……」
「あいよ。部屋は自由に使いな……っと、次はリリーね。ちょっと待ってな」

「リリー! 客だよ!」と、マーサと呼ばれた女性が、店の奥に向かって叫ぶ。
 クラリスは目をぱちくりさせた。貴族のルークが平民の女性と親しくしているのが、ちょっと信じられなくて。自分が知らないだけで、貴族は平民と仲が良いのだろうか?
 その動揺が伝わったのだろうか、ルークがクスリと笑った。内緒話をするように耳元に口を寄せてくる。

「ここでは下級貴族の屋敷で仕事をしている平民、と通しているのです。ほかの貴族はこんなことしませんから、内緒ですよ」

 そう言って彼は微笑む。クラリスはただ頷くことしかできなかった。何が何だか、よくわからなくて。ルークはどうして、身分を偽るようなことを……
 そのとき、バタバタと奥のほうから慌ただしい音が聞こえてきた。

「もー! 誰よ、客って! 今やっと新作案が思い浮かんだってのに!」

 そう言いながら扉から飛び出してきたのは、くすんだ金髪を二つに結った、クラリスより少し年上の少女だった。声と態度から明らかに怒っているのが明らかだったが、ルークが「だよ」と言った途端、ぽっと頬を染め、「ルーク!」と嬉しそうに駆け寄る。
 その様子に、クラリスは少しだけもやっとした。どうしてだかはわからない。だけど何故か、その様子が好ましくなくて――

「ルーク、どうしたの?」
「ちょっと、リリーに手伝ってもらいたいことがあったんだよ。いいか?」
「もちろん!」

 リリーはにぱっと、可愛らしく笑う。そうしてクラリスのほうに目を向けると、あからさまに表情を曇らせた。睨みつけるように鋭利な視線を向けてくる。
 どうしてそんな表情をされるのかわからず、クラリスはとりあえずぺこりと頭を下げた。リリーは挨拶を返すことなく、ただ鋭い眼光を向けてくるだけ。

「リリー」

 ルークが彼女の名を呼んだ。すると彼女はすぐさま愛らしい笑みを浮かべ、「なぁに?」と甘い声でルークに尋ねる。それが、どうしてだかはわからないけれど不快で。

(――って、いけないわ)

 クラリスは目を伏せ、そっと首を横に振る。そんなことを思ってしまうなんて彼女に失礼だ。謝らないと、と思って顔を上げるが、リリーはルークのほうを見上げたままで、こちらに一瞥もしなかった。……嫌われたのかもしれない。そう思い、気持ちが沈む。どうしよう……と不安に思った、そのときだった。
 ルークがきゅ、と、繋いでいた手を握る力を強めてきた。どうしたのだろう? と思って彼のほうを見上げれば、彼は作り笑顔のまま口を開く。

「じゃあマーサ、しばらくリリーを借りるな。部屋もありがとう」
「ああ、いいさ。困ったときはお互い様だからね。……夕方までには戻しておくれよ。仕込みがあるんだから」
「わかってる」

 ぶっきらぼうにルークはそう言うと、クラリスの手を引いて歩き出した。建物から出ることなく、先ほどリリーの出てきた奥にある扉をくぐる。そこは階段になっており、どうやら二階に続いているよう。
 後ろから、リリーがついてくる気配がした。だけどその視線が鋭くて、まるで蛇の前に放り出されたうさぎのような気分で、居心地悪かった。

 ギシギシと階段を軋ませながら上がっていき、短い――王城と比べると本当に短い――廊下に出た。三人か四人ほどの大人が両手を広げて横に並べば、それだけで両側に手がついてしまうほどの。王城を見慣れているクラリスからすれば、これはもう廊下とは言えないものだった。
 ルークは慣れた様子で一つの扉を開ける。狭い部屋で、真ん中にテーブルといくつかの椅子が置かれているだけの、簡素な部屋だった。少しほこりっぽい。

 こういう部屋は見たことなくてきょろきょろとあたりを見回していると、ルークがエスコートして椅子のところまで連れて行ってくれた。座りやすいようちゃんと引いてくれたので、ありがたく腰掛ける。お礼の代わりににこりと微笑めば、彼も口元を緩めた。
 そのときガタリと乱暴な音がしてそちらを見ると、リリーが一人、にこにこと笑顔で椅子に座るところだった。だけどその目は笑ってないような気がして、クラリスは首を傾げる。

「それで、」とリリーが口を開いた。その目はルークだけを映していて、クラリスのほうなど見ようとしない。「あたしは何をすればいいの?」
 それはクラリスも気になっていたことだった。そっと彼の方を見上げる。
 ルークが口を開いた。

「リリーには、彼女――クラリス様に、普段の自分の生活のことを話してくれ」
「どうして?」
「…………どうしても、だ」
「……わかったわ。〝大好きな〟ルークの頼みだもの。ちゃんと話すわ」

 そう言って、リリーはクラリスのほうに目を向けてきた。その瞳は相変わらず鋭利な刃物のようだった。
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