愛するお義兄様のために、『悪役令嬢』にはなりません!

白藤結

文字の大きさ
6 / 36
第一部

一章(4)

しおりを挟む
 シェーラの日々は目に見えて忙しくなった。
 王宮から派遣されてきた教師たちが、様々なことをシェーラに教える。例えばダンス。シェーラのダンスの腕前は普通であるが、それでは王妃は務まらない。もっと優雅に踊れるように指導され、さらには普通の貴族の夫人ならば国から出ることなど滅多にないが、王太子妃や王妃となると外交もしなければならないため、他国独自の踊りも覚えなければならなかった。
 そのため、ユリアナとのお茶会の時間がなかなかできず、やっと二回目のお茶会を開くことができたのは、一週間後のことだった。



 ユリアナの持つティーカップがそろそろと、怯えたように置かれる。カチャ、と微かな音が響いた。その様子を見つめ、「ユリアナ」とシェーラが厳しい声で呼びかける。

「音は鳴らさないように置くの。こんな感じに、そっと、優しくね」

 そう言いながら、シェーラも手に持った紅茶を置いてみせた。音は鳴らず、さらに流れるようなその動作に、ユリアナは「へぇー」と声を漏らし、首を傾げた。

「どうして鳴らないの?」

 その質問に、シェーラはうーん、と唸る。どうしてと訊かれても、感覚的なことだからよく分からないのが正直なところだ。いつもどんなふうに動かしていたのか確かめるために、何度かその動作を空中でやってみたけれど、……分からない。結局「慣れ、かな?」としか言えなかった。ユリアナは「すごいわねぇ」と言うと、両肘をテーブルについて手のひらの上に顎を乗せた。

「そうかな……。私はユリアナと比べれば長く躾られてきたから……別に、すごくないと思うよ。いずれできるようになるわ。あと、肘をつくなんて行儀が悪いわよ」
「はーい、せんせー」

 ユリアナはそう言いながら体を起こし、手を腿の上へ置いた。そのやる気のないふざけた返事に、「もう」とシェーラは声を発する。

「あなたが頼んだんでしょ? 作法とか教えて欲しいって」

 そう言うと、ユリアナはあからさまに視線を逸らした。

「まぁ、そうだけど……えへ?」
「ユリアナ……」

 シェーラは呆れた目でユリアナを見つめる。「だってぇ……」とユリアナはむっとした表情を浮かべた。どうやらもうめんどくさくなってしまったようで、はぁ、とシェーラはため息をつく。

「もうちょっと貴族だっていう自覚をね……。ユリアナはお義兄様の婚約者になりたいんでしょう? そんなんじゃダメよ」
「――はーい」

 にへら、と笑うユリアナに、シェーラは大げさなため息をついた。もちろんわざとだ。それを分かってか、ユリアナも焦ることはせず、クスクスと笑う。
 明るい笑い声が庭に満ちた。
 コロコロと、可愛らしい鳥の鳴き声も降ってくる。その鳴き声を聞いて、ユリアナが「あ、そうだわ」と呟いた。手を動かし、ポケットの中をまさぐる。
 取り出したのは、羽ばたく鳥が蓋の上部に乗った香水瓶だった。

「可愛いでしょ?」

 そう言いながら、ユリアナはシェーラに香水瓶を渡す。シェーラは落とさないよう丁寧に触れながらそれを見つめ、首を捻った。

「可愛いというか……」

 ――芸術的。精緻な鳥は、可愛いというよりは美しいという言葉の方が似合っていた。
 そんな感想を抱きながら、視線を下へと滑らす。香水瓶自体にもまた繊細な紋様が施されており、金属製の葉っぱがついた蔓が棒に絡みついていて、そのような棒がいくつもあった。そしてそれらは蓋と触れ合う部分まで伸びていて、その様はさながら、――鳥かご。

「芸術的……ええ、確かにそうかもしれないわね。だけどこの手に乗る感じが可愛いと思わない?」
「それって、小さいものなら全部可愛いってこと……?」
「そうかも」

 クスクスとユリアナは笑った。その気持ちはあんまり分からないわ、と思いながら、シェーラは苦笑した。彼女といると本当に気が安らいで、なんてことないことでも楽しくなってくる。この忙しく、周囲がピリピリとしている中、彼女と会えるのは本当に良かった。
 そんなことを思っていると、何を思ったのか、ユリアナが突然香水瓶の蓋を開けた。ふんわりと甘い香りが漂ってくる。

「どうしたの?」
「ふふ、この香りいいでしょっていう自慢よ」

 ユリアナはそう言って、得意げに笑う。その香りは確かに、よく彼女から漂ってくるものだった。

「うん、確かに……」

 甘く、優しく、とろけるような、たぶん何らかの花の香り。さすがのシェーラも、花の名前までは分からなかったけれど、珍しいものだとは察せられた。

「いったい、何の花なの? 多分貴重なものだよね?」

 シェーラがそう尋ねると、ユリアナはへにゃ、と表情を崩した。

「よく知らないわ。これはね、大切な方からもらったの」
「大切な方?」
「ええ、そうよ。大切な方」

 肯定の言葉を受け取って、シェーラは首を傾げた。大切な方……どんな方だろう? ユリアナからそんな人の話など、今まで聞いたことがなかった。
 ――そもそも、ユリアナが私以外と関わっている様子なんてなかったのに。そう思って、ちょっとだけもやもやする。何でだろう?
 そう思っていると、ユリアナが話し始めた。

「私の大切な方はね、私を父様――イシュタール子爵に紹介してくれた方なの」

 シェーラは首を捻った。どういうこと? 最近引き取られたとのことだから、イシュタール子爵が何かしたのだと思っていたのだけど……。
 そんな疑問を見透かしてか、ふふ、とユリアナは笑う。

「あの方は母――子爵夫人じゃなくて実母が亡くなった直後に現れて、私をイシュタール子爵邸に連れて行ってくれたの。イシュタール子爵の子供だから引き取ってやってくれって言ってくださって……。あの方がいなければ、今の私はなかったわ」

 ユリアナは嬉しそうに笑った。その方に恩を感じていることがありありと分かる。
 だけど――。

「ねぇ、ユリアナ、その方は――」
「あれ? シェーラ?」

 話の途中で声をかけられて、シェーラの心臓が跳ねる。恐る恐る視線を逸らすと、そこには王宮から帰ってきたと思われる義兄がいて。「お義兄様……」微かな声が零れ落ちた。
 ふと、先日のお茶会のときの会話が蘇る。

 ――だったら、私たちはお茶会をしていればいいの?
 ――そうよ。そしたら、いつかイアン様がこの場にやって来るわ。

 現在の状況と照らし合わせて、今がまさにその『イベント』なのだろう。だけど……。

(ええっと、どうすればいいの……?)

 シェーラは心の中で呟いた。『イベント』がユリアナとイアンが結ばれるのに重要なことは分かる。だけど、そういえば、『イベント』が発生したとき、具体的にどうすればいいのか聞いてなかった。
 ……どうしよう。
 シェーラが迷っていると、ユリアナに「シェーラ」と呼びかけられた。彼女の方を見ると、にっこりとした笑顔で告げられる。

「そろそろお開きの時間じゃなかったかしら?」

 その言葉に、違和感を覚えた。そもそもお茶会の主催はシェーラで、作法に則れば、終わりを決めるのはシェーラだ。それがイアンの前で、ユリアナの方から言われるなんて。作法をあまり気にしないのは、彼の前では良くないと伝えたし、以前お茶会をしたときにそのことを教えたから、知らないことはないはず……。
 ふと、閃くものがあった。ユリアナが敢えてそうしたのなら、もしかして。
 シェーラは口を開いた。

「ええ、そうね。――少し、用事があるのを忘れていたの。門まで送れないから……お義兄様にでもエスコートしてもらって」
「え?」

 イアンの驚いたような声が耳を打つけれど、聞いてない振りをした。シェーラの言葉に、ユリアナは安堵したように胸をなでおろす。ということは、シェーラの選択は正しかったようだった。
 きっとユリアナがお茶会の終わりを頼んだのは、イアンと二人きりにしてもらうためだろう。そのために、多少彼に顔を顰められようとも、作法を無視するような行いをしたのだ。……少し、胸がもやもやする。
 そんなシェーラの心情などつゆ知らず、ユリアナは笑って言った。

「分かったわ。じゃあね」
「ええ。また手紙を送るわ」

 シェーラは椅子から立ち上がり、戸惑うイアンと侍女をその場に残して去った。
 ……少し離れて、振り返る。仲良さげに並ぶユリアナとイアンの姿が目に入り、胸がつきりと痛んだ。だけどそれを無視するようにして、視線を逸らし、屋敷の中へ向かって歩き始める。



 ――その数週間後。イアンとユリアナが婚約した。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい

咲桜りおな
恋愛
 オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。 見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!  殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。 ※糖度甘め。イチャコラしております。  第一章は完結しております。只今第二章を更新中。 本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。 本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。 「小説家になろう」でも公開しています。

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が

和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」 エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。 けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。 「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」 「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」 ──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。

処理中です...