北畠の鬼神

小狐丸

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56 鬼が其処に居るという事

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 永禄三年(1560年)八月

 安濃津で仕事を片付けた俺は、再び三河へと戻って来ていた。

 現在は矢作川西側の安祥城と東側の岡崎城を改修している。

 それと同時に矢作川の治水工事と新田開発と街道整備を、三河の領民に賦役ではあるが、銭と食料を払い行なっている。

 市江島もそうなんだが、此処三河もそうしないと立ち行かない程に貧しい土地だった。

 矢作川の水を引くにも台地へは大掛かりな工事が必要で、現状では荒野となっている面積が大きい。

 ただ、膨大な銭と人は必要だが、避けては通れないだろう事は分かっている。

 つくづく面倒ごとを押し付けられた感が強い。


 まあ、この際だから綿花の栽培を含めてガッツリと手出ししようと決めた。



 矢作川西側の安祥城と東側の岡崎城を城下町込みで改修しながら、周辺豪族の調略と領民の慰撫を行なっている。

 灰燼と帰した本證寺と上宮寺の跡地とその寺領だが、予想外に静かだ。

 これは八部衆が流した噂と、実際に北畠軍と相対し、逃げ帰る事が出来た雑兵や足軽から聞かされる話が影響している。

「北畠の赤備えは地獄の獄卒」

「命を狩られれば、その行く先は極楽浄土ではなく地獄だ」

「北畠左少将は金剛夜叉明王の化身にて、敵と悪を喰らい尽くし善を護る」

 最後のは、鬼だった俺が金剛夜叉明王の化身なのは、当たらずとも遠からずなのか。

 どちらにせよ、死ねば極楽浄土へ行けるなどと、誑かされる領民が明らかに減ったのは事実だ。



 膨大な闘気が身体を覆い、手に持つ得物に纏い、振り下ろされると地面が爆発する。

 俺たちが何をしているかというと、黒鍬衆の先頭に立ち鶴嘴を振るって水路を掘っていた。

 俺と虎慶、六郎と慶次郎が競うように鶴嘴を振るうその光景は、三河の者に畏怖を与える。

 常識を超えた速度で街道や水路が形になってゆく。

「殿! 休憩の時間です!」
「おう! 分かった! 皆んな! 休憩するぞ!」
「「「おう!」」」

 汗を拭き水を飲む俺たちを遠目に見ているのは、賦役に来ている近隣の領民だ。

 俺たちの為す、人間離れした光景をその目で見た領民たちは、心の底から思うだろう。

 噂は本当だったと……


 それと同時に、大之丞や小次郎が赤備えを装備した兵を率いて西三河を巡回。
 小規模な一揆や野盗、反抗的な豪族を潰してまわっている。
 これも噂に更に真実味を与えていた。

 黒影の子供や孫を駆り、野盗を蹂躙する赤い軍団は、その視覚的にも圧倒的な威圧感を三河の者に与え、反抗心をへし折っていた。




 休憩していると知った気配が現れた。

「段蔵か」
「流石は殿、儂が気配を悟らせる前に気が付かれたか」

 現れたのは、その存在を武田信玄と上杉謙信という稀代の武将が怖れた男、加藤段蔵。またの名を飛び加藤と呼ばれる忍びだった。

「それで甲斐の武田か?」
「はい。信玄坊主が南に野心を見せているようですな」
「……健在とは言えぬが、義元が居るうちはそうそう簡単に駿河は落ちんだろう」
「はい。ですから信州街道を下り遠江方面から攻めるかもしれません」
「遠江は今川家に不満があるだろうからな」

 三国同盟を結ぶ今川氏、武田氏、北条氏だが、武田信玄にとって同盟など何の枷にもならないのは分かっている。

「ただ武田も順調とは言い難いから、直ぐに兵を動かす事は出来ないだろう」
「その通りかと思われる。ですが武田晴信、欲が皮を被った様な男で御座います。遠からず遠江か駿河へ攻め寄せて来るでしょう。殿、少し甲斐を揺さぶってみますか?」
「いや、甲斐は放置でいい。物の動きだけ気を付けておいてくれ」
「承知」

 段蔵が音も無く気配と姿を消して、その後道順が現れた。

「今川義元、どうだった?」
「今川義元、なかなかしぶとい様で、領内の動揺を抑える為、精力的に動いている様です。しかし、失った家臣と足軽や雑兵の数が多い為、元に戻るのは何時になるやら」
「遠江や駿河が武田信玄に荒らされるのも面白くないからな。もう少し義元には頑張って貰わないと」
「嫡男は、頼りない様ですから」
「氏真殿では駄目か?」
「おそらく」

 今川氏真殿は、歴史では殆どパッとしない。

 蹴鞠が得意だとか、歌も上手いのだろう。

 剣術は一応、俺と同門の筈なんだが、史実では遠江を徳川家康に奪われ、駿河へ武田信玄に侵攻されると、正妻の早川殿の実家である北条氏を頼って落ちのびた筈だ。

「遠江辺りまでなら楽に取れるかと」
「分かっているんだがな……遠江は武衛殿(斯波義統)の意向もあるからな」
「守護様も、今更遠江を治める事は出来ないと分かっておられるのでは?」

 史実とは違い、大和守家から救い出し、今は傀儡とはいえ織田家にとっての御輿の役割を務めている武衛殿は、今更足利幕府の要職など形骸化していると理解している。

 それだけに逆に配慮は必要だ。

「三郎殿は、美濃の後は近江から畿内へと考えているだろう」
「ですな。公家の殿が畿内にあまり興味を示さないのとはえらい違いですな」
「そう言うなよ。畿内に関わるのは今はまだ早いさ」

 北条は早川殿が居る状態で、駿河を攻める事はないだろう。武田信玄なら平気でしそうだが。

 三河から遠江、そして駿河まで侵攻した徳川家康はもう居ない。

 なら我が北畠家の国力増強の為に、遠江から駿河まで平らげるか……



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