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13. 青き国、赤き日
血海に沈む
しおりを挟む翌日、夜のことだった。
「ねぇ、怖いよ」
「大丈夫よ。」
今夜は風が強く、窓が がたがた と大きな音を立てていた。
「うぅ…」
「大丈夫、大丈夫……」
怖がるセドリックをリシャールは優しく抱きしめて、眠るように促した。
「…風、強いですね。」
そばにいたリアも窓を見た。
「今夜は松明もつけてられへんみたいです。」
「……この強風ですもの。仕方がないわ。」
今夜は、強風だけ。
海風が強く吹いてくるレステンクールには、よくある天候だった。
リシャールよりも長くレステンクールに居るリアにとっては、〝またか〟というくらいの感覚であった。
「…う……!」
「うん、大丈夫よ。ママがいるからね」
長時間経っても、強風は収まらなかった。
次第に風の音にも慣れてきて、セドリックも気付いた時には眠っていた。
「…リシャール様、良かったらお茶を飲みませんか?」
「…まぁ、ありがとう。」
リシャールは眠れなかった。セドリックの隣にいたが、落ち着かないまま時間が経っていく。それを見ていたリアは気を利かせて、お茶をいれた。
「…先ほど、強風のせいで窓が開いてしまった所があったらしいですよ。」
「まぁ、窓が開いたの?…鍵もしてあったでしょうに。一瞬、とても強い風が吹いた時があったけど、それかしら?」
「はい、きっと。」
「………」
リシャールは、何故か落ち着かなかった。
「リシャール様、大丈夫ですか?」
「…うん…」
「カミーユは今、休んでいるわよね」
「はい。呼んできましょうか?」
「いえ。起こさなくていいわ。ずっと働き詰めで疲れたでしょうから。」
「…そうですかね…?」
「リアも休んでいいのよ?」
「そんな!カミーユと交代しながら、休んでいるので。大丈夫ですよ。」
「なら、いいんだけど。」
リシャールの胸騒ぎは、風と共により強くなる。
「はぁ…」
「リシャール様、どちらへ?」
「陛下の元へ。」
「ぁ…えっと…!」
「大丈夫よ。セドリックを見てて。」
「ですが」
「大丈夫。」
リシャールは落ち着かずに、早歩きでフレデリックの元へ向かった。
「……」
今夜は松明がつけられないからか、廊下がいつもより暗く感じた。そして、衛兵の気配すらもしなかった。
フレデリックの部屋へ続く廊下には、冷たい隙間風が流れてきた。
「…もう、寝られたかしら」
今日は灯りが付いていなかった。
「そうよね、こんな夜中ですもの。」
夜が更けて暫く経ってしまった。
今起きているのなんて、リシャールと働き蜂しかいないだろう。
「……」
リシャールはそれでも、フレデリックの部屋へ足を運んだ。
部屋の前に立った瞬間、空気が淀んでいるのを感じた。重々しい扉の隙間から、海の匂いが漏れていた。
「…窓、開けているの?」
扉に手をかけたが、一瞬ためらった。
中からは何の物音もしない。
呼吸も、衣擦れも、フレデリックの声すら。
「寝室で、寝ているわよね」
リシャールは扉を開けるのをやめて、フレデリックが寝室で寝ていることを祈った。
隣の寝室の扉を開けた。
「…お願い……お願い……」
彼の姿は無かった。
「あぁ…、…お願い、お願いだから…」
リシャールはぶつぶつと呟きながら、開けるのをやめた部屋の前に立った。
風よりも、心臓の音がうるさかった。
呼吸がしにくい。苦しい。
「…お願い、……お願い、」
扉を開けた瞬間、甘ったるく腐ったような匂いが鼻を刺した。
海の匂い、そして鉄の匂い。
美しい大理石の床は赤黒い海に変わり、踏み込めば靴底がぐちゃりと吸い付くほどだった。
「……ぁ…ぁ……っ」
リシャールが目にしたのは、
血の海に崩れていた、フレデリック。
リシャールは腰を抜かして、血の海に座り込んでしまった。
声も、何も出なかった。
震える呼吸だけが部屋に響いた。
美しい部屋の装飾に飛び散った血液。
壁一面に、吹き付けられたような血痕が残っていた。そして、大きな窓は無理やりこじ開けたかのように開いていた。
「……ぁ…あぁ…っ………ぉぇ……っ」
血の匂いと凄惨な彼の姿に耐えられず、リシャールは嘔吐した。
「…っ……」
口元を袖で拭って、床に這い蹲るようにしてフレデリックの元へ寄った。
呼吸が止まった彼の瞳孔は大きく開いたまま、外の海を見つめていた。
「………いや、いやよ………」
リシャールの手は、彼の血に塗れた。
べたべたとした感触が気持ち悪い。
フレデリックは喉元を引き裂かれていた。鋭い針のようなもので。
傷口の肉は、真黒く変色していた。
「……」
また、あの異臭がした。
フレデリックの胸や腹、全身に目を向けた。
体のあちこちを突き刺されて、切り裂かれた痕。服を捲ると、同じように変色し、異臭を放っていた。
「……ぁ…ぁっ…」
痛々しくて、見てられない。
内臓も見えているかもしれない。暗くてよく見えないのは、不幸中の幸いだった。
「……ぅぅ……っ」
彼の頬は、冷たかった。
あんなに、暖かく笑ってくれたのに。
抱きしめくれたのに。
あんなに、温かい体温だったのに。
お願いだから、ただの悪夢だと言って。
目が覚めたら、元通りになってて。
「……っ」
誰かを呼びたい。
「……誰か…、誰か……来て……」
顔を上げると、散乱した机の上。
血に塗れていたが、机に剣で傷つけた痕跡があった。
「……」
フレデリックが必死に抵抗したんだ。
でもどうして、誰もいないのか。
「……衛兵は……」
リシャールが窓の外を覗くと、誰も居なかった。
「……どうして……」
あんなに衛兵たちもいたのに。どうして?
「……?」
窓の近くに刺さっていた一本の剣があった。
少なくとも、フレデリックの物ではなかった。細く長い針のような、大きな剣だった。白蜜蜂のリシャールには、大きすぎるほど。
「…これ……」
ぽたり、ぽたり、と血が滴っていた。
直ぐに、これが凶器なのは分かった。
「……」
振り返れば、愛するフレデリックの凄惨な姿。ぴくりとも、動かない。
微かな外の光が差し込んで来た。
彼の恐怖に怯えたままの表情が、辛かった。
悲しみと、恐怖と、怒りと、怨恨と。
「……うぅっ……っ…あぁ……っ……!」
リシャールは咽び泣きながら、ぼろぼろに崩れたフレデリックを抱きしめた。
すると
「……だ、誰か!!!!」
誰かがリシャールとフレデリックの姿を見て、叫んだ声がした。
「……た、助けて……」
リシャールは小さな声を上げた。
灯りを持って駆けつけたのは、エルビラであった。
「……陛下……?」
目を見開いて、立ち尽くしていた。
「………」
「……っ!!」
エルビラは呼吸を乱しながら近付いてきて、リシャールを強く突き飛ばした。
「……あんた…、あんたがやったんか…!!」
「……ぇ?」
リシャールは想定外のエルビラの一言に、愕然とした。
皆が大雀蜂の存在を知っていると思っていた。直ぐに、大雀蜂の仕業だと分かると思っていた。
甘かった。
「は、早く!早く!!…こいつを捕らえなさい!!!衛兵!!!」
「……っ」
衛兵たちも少し戸惑いを見せながらも、エルビラの命令通りに、リシャールの腕を強く掴んだ。
空は少しずつ明るくなっていた。
窓に反射した自分は、フレデリックの血に塗れていた。
リシャールは言葉も何も出なかった。
私じゃない。大雀蜂。彼を殺す訳ない。
「………」
ふと、衛兵らを見た。彼らも動揺していた。
フレデリックの凄惨な姿を見て。
そして、エルビラも動揺していた。
この日、強風の音に紛れてフレデリックは襲われた。
ついさっきまで、いつも通りに笑って話していた彼が、突然こんな姿になって見つかるだなんて、一体誰が想像しただろうか。
「えっ!?リシャール妃!?」
部屋から飛び出してきたリア。
血塗れになって、衛兵に捕らえられたリシャールを見て、愕然とした。
「な、なんでやねん!!何があったん!!!」
リアは衛兵に向かって叫んだ。
そして、衛兵が小声で叫ぶように言った。
「分かっとる!!!エルビラ王妃も、動揺されておった。」
「…な、なにが?」
「陛下が、崩御されたんだ。」
「…??」
「詳しい話は後や。お前の言い分も、俺らも十分理解しとるから。」
衛兵はリシャールを連れて去っていった。
「……な、なんで……」
すぐには受け入れられない現状に、リアは立ち尽くしていた。
そしてリシャールは、されるがままに牢に入れられた。
国王フレデリックの殺害容疑で。
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