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元カノ襲来

「さあ、保健室に行きましょう」

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「お? 痴話ケンカか、夏川」

 夏川先輩のクラスメイト(男子)が口を挟んで来た。
 大声出しすぎた?!
 どこまで聞かれてしまった?!
 せめて、当たり障りのないところ以外は聞こえていませんように!
 そうじゃなかったら、・・・・駄目だ。立ち直れない。
 でも、落ち込んでいる暇はない。
 ここで否定しておかないと、付き合っているって噂以上の噂になる。そう。私と夏川先輩が既にヤっている仲だっていう噂が三年に広まるのも時間の問題だ。
 付き合いたくもない相手とヤってるなんて誰にも知られたくない!

「ちが――(むぐっ)!」

 否定しようとする私の口はタコのある大きな手で塞がれ、夏川先輩がクラスメイトに答える。
 何を?! と、夏川先輩に批難の目を向ける。

「今、付き合ってる子が初代に殴られたんだよ」
「んー! んー(付き合ってなーい)!」

 嘘言うな! 付き合ってないでしょっ!!

「初代、とうとうそこまでやったのか?」

 初代で通じるんだ?!
 あの暴力女、有名なんだ(感心。見習いたくないけど)。
 夏川先輩のクラスメイトには有名って、どんなことをしでかしたんだろ? って、浮気したんだよね。
 だけど、どうしてそれをみんな知ってんの? この人だけ?

「その子、大丈夫なの? 保健室行ったほうがいいんじゃない?」

 夏川先輩のクラスメイト(女子)が私を心配してくれる。
 嬉しい。
 ついでに、口を塞いでいる夏川先輩の手をどかせて欲しい。

「ああ、頬が赤くなってる」

 返事は夏川先輩だ。
 あ。頬、赤くなってんだ。
 頭に来ていたせいで痛みを忘れていたらしい。腫れているのを指摘されたら、ズキズキと痛くなってきた。

「あいつも焦ってきてんのね」

 別の夏川先輩のクラスメイト(女子)が楽しげに言う。暴力女の不幸を喜ぶなんて、嫌いなんだろうか?
 でも、浮気して夏川先輩を捨てたってだけでしょ?
 どうして、この人に嫌われてるんだろう?
 暴力振るわれたら誰だって嫌いになるけどさ。
 クラスメイトや同学年の女子全員に暴力振るったってわけじゃないよね?
 そこまでやっていたら、それはそれで怖い。
 夏川先輩。あんたの初代浮気した彼女怖すぎなんですけど・・・。

「と言うことで、保健室に連れて行くから」

 どう言うわけだ、どう言う?!

「いってらっしゃ~い」
「先生には愛の逃避行に出たって言っておくよ」
「むぐぐ(そんなんじゃない)!」

 なんか祝福されてるけど、これって私、拉致されているよね?
 誰か助けてよ!

「ありがとう」
「むぐう(ありがとうじゃない)!!」

 異議を唱えたい私の口を封じたまま、夏川先輩は教室を出て行く。
 そのまま引き摺られるように歩いて行ったけど、これのどこが愛の逃避行に見えるってわけ?!
 保健室まで拉致られてるとしか思えない。
 予鈴が鳴って、慌ただしく教室に戻っていく学生のいる廊下を引きずられながら私はドナドナの気分だ。

「こら。予鈴、鳴っただろ。何、イチャついてんだ」

 三年の教室に向かう数学の宮田に見つかれば、

「保健室まで怪我した彼女を付き添っているんです」

 と良き彼氏ぶりを披露する夏川先輩。

「付き添っているようには見えんし、怪我も見当たらないが?」
「彼女の左の頬、赤くなっているでしょ? 叩いた相手を罵るのをやめないから、こうして運ぶしかないんです」

 不審がる宮田を丸め込む夏川先輩。
 叩いた相手を罵るって、今、罵りたい相手は初代浮気女じゃなくて夏川先輩なんですが・・・。

「その子、一年の秋山実花だろ?」

 宮田は私の顔を覗き込んできて、頬の赤味に気付いたらしい。今度は私の身元に言及してきた。

「だから、俺の彼女なんですよ」

 照れくさそうに笑う夏川先輩。
 妄想も凝り固まると自然に見える。ここまでできたら、役者目指したほうがいいんじゃない?
 宮田もその説明に納得したようだ。

「保健室に送り届けたら、さっさと戻れよ」

 と、無罪放免してさっさと三年の教室に向かって行った。
 ちょっと、待て。
 私の口を塞いでいる手はこのまま?

「でも、これで三年と教師の間では付き合っているってことになったよね」

 いやいやいやいや。ちょっと、待て!
 なんで付き合っていることになる?!
 付き合ってないよね?
 あんたが勝手に言っただけだよね?

 三年のクラスがある3階と二年のクラスがある2階の間にある踊り場まで来たら、口を押えている手は外された。
 私はまず、さっきの発言を訂正する。廊下に響いて授業中の教室に届かないように小さめの声で。

「私と夏川先輩は付き合っていないじゃないですか?! それを何、付き合っているって言うんですか?!」
「既成事実だよ」
「はあ? 何、言ってんですか?!」

 飄々とした夏川先輩が信じられないことを言った。
 ちょっと私の頭が追い付かない。
 そのせいで声が少し大きくなってしまった。
 いけない、いけない。今は授業中だ。静かに話さないと。

「周りに付き合ってるって公表したら、もう付き合うしかないよね」

 周りって、夏川先輩の周りだけじゃないですか。
 先生の間は・・・冗談だったってことにしよう。担任のまきのんに言っておこう。

「じゃあ、別れたって言います。それでいいじゃないですか」
「付き合って、一日もたたないのに?」

 不満そうに言わないでよ。
 あんたが引き起こした騒動の後始末をするんだから、感謝して欲しいくらい。

「それはあんたが勝手に言ったからでしょ?!」
「付き合い始めた日に振られるなんて、勘弁して欲しいよ」

 それはあんたの都合だ。
 付き合いたくないって言う、私の気持ちを考えてくれなかったじゃない。

「私はあんたと付き合いたくないわよ!」
「そんなこと言っても、付き合ってるしねえ?」
「付き合ってない!」

 どこが付き合ってるって言うの?!
 本当、夏川先輩と話していると疲れてくる。
 この人、どうしてこう話がかみ合わないの?

「ところで、痛くないの? 保健室、行かなくていい?」

 夏川先輩が自分の左の頬を指差して言う。
 ?
 頬? 左の頬が何か・・・?
 って、叩かれたところだ!

「!」

 夏川先輩が勝手に付き合っていることにしていたのを訂正しなきゃいけないと思っていて、また頬の痛みを忘れてた。
 正気に返ると地味に痛い。

「痛いです」

 それに保健室に行かないと授業を遅刻した正当な理由もできない。夏川先輩の教室に行って予鈴が鳴るまでいたなんて正直に言ったら、昼休みに夏川先輩が教室に来ていることから付き合っていると誤解されるかもしれない。

「さあ、保健室に行きましょう」

 張り切って保健室に向かおうとしたら、夏川先輩が身体をくの字に曲げて肩を震わせている。

「くふっ。ははっ・・・」

 声を押し殺していられなかった夏川先輩が噴き出して笑い声をあげた。
 失礼な!

「なんで笑うんですか?」

 不機嫌なのが声に出ているからか、夏川先輩は笑い声を止めてくれた。

「元気よく保健室に向かう怪我人なんて実花ちゃんぐらいだろうね」

 怪我した場所は叩かれた頬だけだから、予鈴に間に合ったら、今頃、授業を受けていたかも。

「頬は痛いですけど、それ以外は元気ですからね」
「そうだったね。保健室に連れて行くのは、肩を貸さないといけない奴ばかりだったから、つい」

 王子様スマイルじゃないけど、首を横に振った夏川先輩は笑みらしきものを浮かべている。
 イケメンだからって、何でも許されるわけじゃないんですよ! とばかりに私は睨む。
 夏川先輩は公園で遊んでいる幼児を見ているように優しい笑顔だった。
 そんな表情されたら、気が削がれる。
 何か別の話で気を逸らそうと、考えて思いついたはさっきの夏川先輩のクラスメイト達の反応。
 彼らはどうして、初代で初代浮気女だってわかったんだろう?
 そして、どうしてあそこまで夏川先輩の初代浮気女に冷たかったんだろう?
 初代浮気女はどうして、あそこまで嫌われていたのか?

「・・・そうだ。ところで、どうして初代浮気女のことをみんなが知ってるんですか?」
「彼女、有名だからね」

 有名?
 そんな言葉じゃ、さっぱりわからない。

「有名? 夏川先輩の彼女だったんだから有名でしょうけど・・・夏川先輩の浮気した彼女第一号で有名って言うのはちょっと・・・」
「彼女以外が浮気して別れたことはみんな知らないよ」
「え? 他の浮気した彼女が誰かって言うのは秘密なんですか?」

 他の彼女が浮気した事実は伏せられているのに、初代浮気女だけどうして浮気したことを公表しているのか?
 初代浮気女が暴力をふるうような性格だから?
 その暴力の予防策がとれるように?

「それは当事者だけが知っていればいいことだからね」
「じゃあ、どうして初代浮気女のことだけみんなが知ってるんですか? と言うか、みんな、彼女に冷たかったですよね? 何があったんですか?」

 一瞬、夏川先輩は視線を左に動かして静かに言う。水面に波紋だって立たないみたいに静かに。

「彼女は初めてできた彼女で、付き合い始めたのは僕がまだ実花ちゃんと同じくらいで、一年でレギュラーに選ばれて張り切っていた頃なんだ。ちょうど今頃だったかな、彼女が浮気し出したのは」

 夏川先輩は視線をあわせたくないのか、私とは逆側の前方を見て言った。
 逆を向いているせいか、声が小さい。

 もうしかして、言いたくないことを聞いちゃった?

 普通、浮気した彼女のことなんか思い出したくないよね。
 夏川先輩に悪いことしちゃった。
 謝ろうと思ったけど、夏川先輩はまだ話し続けていた。

「彼女が浮気した相手と堂々と一緒にいるから、みんなにわかっちゃったんだよ。当時、浮気相手が付き合っていた彼女にまで」

 ?!
 今、なんて?!
 彼女って二人いたってことだよね?
 一人は初代浮気女。もう一人の彼女は浮気相手の彼女。
 それって――

「ダブル浮気ですか?!」
「・・・。そういうことになるかな。で、浮気相手は当時のテニス部の部長だった」

 夏川先輩は歯切れ悪そうに言った。
 当時のテニス部の部長って・・・。
 夏川先輩もあいつもそうだけど、テニス部は本当に変態(NTR属性)の集まりだった。
 先輩が後輩の彼女をNTRのも、私が知っているだけでもこれで2回目じゃない。後輩が先輩の彼女をNTRのもあったし。
 3回のうち、2回のNTRはみんな今回、起きたことだけど。

「私たちと似てるんですけど」
「そうだね。それだけでも女子の反感を買ったけど、他にも友達の彼氏を盗ったりしたから、それを知っている女子からは嫌われているんだよ」

 友達の彼氏を盗った?
 彼氏の先輩(彼女持ち)と浮気した挙句、友達の彼氏とまで?!
 どういうこと?
 夏川先輩の浮気した元カノも浮気しても特に気にしていない倫理観の持ち主だったけど、初代浮気女は気に入った男なら彼女持ちだろうが何だろうが誰にでも手を出していたってこと?
 彼女持ちの男を盗りまくってたら、盗られたほうはいい気しないし、友達の彼氏まで盗ったってことは、彼氏が盗られたくないから誰も友達にならないよね・・・。

「他人の彼氏、盗るなんてしたらそりゃあ、嫌われますよね・・・」
「そうだろう? 男子も僕みたいに浮気されて捨てられるのも嫌だし、女子に恨まれたくないから相手にしない。だから、他校の生徒やそんな悪行を知らない今の一年や二年ぐらいしか、まともに相手をしないんだよ。女子も男子もね」
「・・・」

 浮気されて捨てられる被害者は夏川先輩の他にもいたんだから、男子も憐れみの目で見られたくないって思うよね・・・。
 でも、彼女以外の女 (初代浮気女)に誘われていい気になって浮気して、捨てられるんだよね?
 ・・・同情の余地なし。
 馬鹿な奴だって笑われるだけじゃない。
 それに女子に睨まれた相手をかばうのは、攻撃の矛先に立つほどの義理が相手にない限り、面倒臭くなるからしないから、初代浮気女が孤立するのも当たり前・・・。

「彼女が浮気を隠さなかった分、浮気された僕に同情が集まったよ」

 夏川先輩は完全に被害者だからね。
 そう言えば夏川先輩が以前言っていた踏み台って自分自身のことだったの?!
 部長に近付くための踏み台。それが部員。それも部長の目に止まるように特別な部員。
 レギュラーだったり、部長の劣等感をくすぐるような脅威のある存在。例えば、テニス部の王子様。
 その二つを持っていた夏川先輩・・・。
 だけど、これ以上聞けない。
 クラスのみんなが私があいつと別れたことを口にしないように、私も夏川先輩にこのことは訊けない。
 そんなデリカシーのないことはできない。
 いくら振られることや浮気されることに慣れている夏川先輩だからと言って、それを訊くのはデリカシーがなさすぎる。訊きたいのは昔に浮気されたことでも、つい最近、浮気されたばかりだし。

「・・・。そう、だったんですか」

 悪いことを聞いてしまった私は、それから保健室に着くまで口を閉じていた。
 夏川先輩も何も話さなかった。

「・・・」
「・・・」

 二人とも無言で保健室に着いた。
 夏川先輩が扉をノックする。

「どうぞ」

 許可を与える養護教諭の吉村先生の言葉に夏川先輩が保健室の扉を開ける。

「失礼します。3年2組の夏川です」
「いらっしゃい、テニス部の夏川くん」

 二人はにこやかに挨拶している。
 養護教諭の吉村先生とは顔見知りのようだ。

「授業始まってるけど、どうしたの? この子の付き添い?」

 吉村先生の視線が夏川先輩から私に向いた。

「ええ。昔の彼女に顔を叩かれちゃって」

 吉村先生は叩かれた部分を触らないように、私の頬に手をあてる。

「頬、しっかり腫れてるじゃない。冷却ジェルシートは・・・年頃の女の子の顔に貼るのは可哀想だし、氷嚢作るからちょっと待ってて」

 吉村先生は後ろにある薬品の入っている戸棚が開け、その中から氷嚢を見つけると、部屋の奥へと行ってしまう。どうやら、奥にも部屋があって、そこに冷蔵庫やら水道があるらしい。

「顔馴染みなんですね」
「運動部に所属してたら、怪我や肉離れなんかしょっちゅうだからね」
「そうなんだ」
「テニスに怪我は付き物だから、プロだってそれでランキングを落とすことが多いんだよ」
「え? なんで怪我でランキングが落ちるんですか?」
「試合に出ないとランキングは落ちる一方なんだよ。ランキング上位を狙うなら、まずは試合に参加できるだけの強い身体とメンタル、身体能力に技術が必要だね。特定の大会の優勝だけ狙うなら、コンディションをそれに合わせて身体を休ませる時は別の大会を諦めてでも休まないと」
「た、大変ですね」

 テニス馬鹿のスイッチが入った夏川先輩の話が長くなりそうだったから、とりあえず相槌を打っておいた。
 私が夏川先輩からテニスの話を聞いている間に、氷嚢を手にした吉村先生が戻ってきた。

「あとは任せていいから、夏川くんは教室に戻って」
「彼女が、実花が心配なんです」
「大丈夫よ。顔の腫れが引くまで私が面倒見ておくから。秋山さんも先生とガールズトークするほうがいいでしょ?」
「はい」

 やっと夏川先輩と別れられると思った私は驚くほどの速さで吉村先生の提案に飛びつく。
 これ以上、夏川先輩と話しているのは私のメンタルがもたない。
 今日のメンタルは0に限りになく近い。初代浮気女の襲来とその後の夏川先輩との会話や夏川先輩とクラスメイトとの会話や夏川先輩と宮田の会話やら、その後の初代浮気女がしでかしたことを聞いたら、もう家に帰って眠りたいくらい。
 今は夏川先輩がテニス馬鹿スイッチが入ってよかったけど、また付き合わないとか言い出されたら大変なことになるくらい危なかった。
 言いくるめられて付き合ってしまったら、恋愛とはまったく縁がない、甘くもないセフレ関係になってしまう。
 そんな関係も嫌なら、それで他の子の嫉妬なんか買いたくない。
 テニス部の王子様である夏川先輩は彼女が途切れないほどこの学校ではモテる。モテ男TOP10に入る人気のある人物だ。
 ただ、変態(NTR属性)の巣の主でもあるだけで、それに目をつぶればお茶目な○○馬鹿と言う変人属性ぐらいしかマイナスはない。

「即答って、つれないなあ」

 傷付いた表情をして見せる夏川先輩。
 嘘ばっかり。付き合うように説得できなくて残念なだけでしょ。

「じゃあ、振られた夏川くんは秋山さんのクラスに彼女が保健室にいることを伝えて来てね」

 吉村先生は怪我人でも病人でもない夏川先輩をさっさと教室に送り返そうとする。

「いってらっしゃ~い♪」

 それに便乗して、上機嫌で見送る私に夏川先輩は苦笑する。

「実花をお願いします、吉村先生」
「まっかせなさ~い♪」
「任せられてま~す♪」

 二つの笑顔に異口同音で告げられる言葉に夏川先輩は笑顔のまま保健室を出て行った。

 夏川先輩が私が保健室に行ったのをクラスに告げに行くことが何を意味するのか知っていたら、私は絶対に教室に戻っただろう。
 後で悔やむばかりだ。
 保健室から私が戻ったら、夏川先輩が昼食を一緒にとるくらいしか彼女にしてあげないのを知らない私のクラスでも私が夏川先輩と付き合っていると認識されていた・・・。

 どうしてこうなった!!
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