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《35》もやもや、しくしく、ぬくぬく(2)
しおりを挟む蓄積していたものがストッパーを失ったダムのようにとめどなく溢れ出てくる。
「……っ、……っ」
「どうした?」
「ごめんなさい。なんでもないの……」
一度勢いを持ったそれは、塞き止めることができない。目からとめどなく涙が流れる。拭っても拭っても止まらない。
大和がハンカチを差し出してくれて、目頭を押さえる。
瑛美の心の奥にあったのは『悔しい』という気持ちだった。
自信が持てない情けない自分が悔しくて悔しくて。大和はこうして真っ直ぐ想いを伝えてくれるのに、瑛美は好きなのに好きと言えない。
ひかりが羨ましい。本当はひかりにも大和が恋人だって胸を張って伝えたい。
大和からかけられる恋情の言葉を素直に受け入れられるくらい、自分のことを好きになりたい。
もっと大和に見合う女性になりたい。
――でもどうしても自信がない。
学生のとき以来に勉強を始めても、髪型を変えたり化粧品を新調してみても、やっぱり自分なんて地味で冴えない、何も価値のないアラサー女で。
大和が悪いわけでもひかりが悪いわけでも何でもない。ただ、自分のちっぽけさに、不甲斐なさに涙が止まらなかった。
――自分に自信を持ちたいのに、自信のつけ方もわからない。
好きな人の前でいきなり理由もなく泣き始めるなんて、大和にとっては迷惑も甚だしいはず。しかし大和は泣きじゃくる瑛美の背を優しく撫ぜながら、何も言わないでいてくれた。
稽古中なのに。大和と二人きりの大切な時間なのに。
もう、自分が嫌いで惨めでどうしようもなくなる。
「ごめんなさい。いきなりっ、こんな……」
「気にするな。人間ならたまにはこういう日もある」
「……っ」
どうしたとも何があったのかも聞かないでいてくれるのがとてもありがたかった。
(もっと強くなりたい。凛と背筋を伸ばして前を向きたい。でも、でも今だけ……この温かい手に甘えたい)
どのくらいの時間だったのかはわからない。瑛美はひたすら声を押し殺すようにして泣き続けた。
心にたまった醜い腫瘍を全て水とともに流す。
大和の大きな体に包まれながら安心しきっていた瑛美は、いつの間にか眠ってしまっていた。
早朝、まだ夜が明けきらないうちに目を覚ました瑛美は、見慣れた大和のベッドの上にいた。
目が腫れぼったくて、いつもより視界が狭い。顔もパンパンにむくんでいる。けれど、どこか気分はスッキリとしていた。
(私、あのまま泣き疲れて眠ってしまったんだ……)
大和へ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
隣には穏やかに寝息を立てて眠っている大和がいた。
流石に浮腫んで醜く腫れた顔を、好きな人には見られたくなかった。
瑛美は畳んであった自分の洋服に着替え、荷物を持って大和の部屋から出る。
『昨夜はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。おかげですっかり元気になりましたが、顔が酷い有様なので今日は帰宅します』
エレベーターの中で大和へ連絡を済ませて外へ出た。
冷たい早朝の風を浴びて、皮膚が引き締まるのを感じる。真冬の朝の光は、澄んだ空気のなかでキラキラと反射して輝いていた。
「うん……頑張る」
ないものを嘆くのではなく、ただ前を向いて手を伸ばす。
何も持たない平凡で地味なアラサー女。だけれど、精一杯進むしかないのだ。
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