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《36》もやもや、しくしく、ぬくぬく(3)
しおりを挟むあれから大和から何回かメールでやり取りをしたが、当たり障りのない内容の返事しかしていない。
これは瑛美自身の問題だから、自分で頑張るしかないのだ。ただひたすら手を動かして、脳みそを働かせて、自分に足りない知識を詰め込んでいく。
本とノートを開いて勉強するなんて大学生以来だから実に七年ぶりだ。実際にペンを持ち書き進めることが久々すぎて、漢字はとっさに浮かばないし、すぐに手も疲れてしまう。
そんな体に鞭打ちながら、瑛美は空いた時間は全て勉学に費やした。
もちろん仕事に手を抜くようなこともしない。きちんと体調管理しつつ、仕事に影響のないように気をつけていた。
仕事に支障が出てしまっては大和に合わす顔がない。
瑛美は社会人になって初めてテレビも見ず、娯楽を捨ててがむしゃらになった。
仕事中、頼まれた資料をもらいに商品開発部のある八階へと向かう。
エレベーターを降りると、思いもよらない人物とばったり遭遇して瑛美は思わず声をあげた。
「文太郎さん?!」
「あっ、瑛美ちゃんだ~。大和と同じ会社に勤めているんだね」
そういってふにゃりと笑う笑顔は相変わらず愛くるしくて可愛らしい。無造作な髪も文太郎のほんわかとした雰囲気によく合っている。
「今日は髪編みこんでいるだね。うん。やっぱり可愛い~」
「ありがとうございます。こないだ文太郎さんに結ってもらったのが嬉しくて。自分で編めるように練習しました」
「うんうん。やっぱり糸は編みたくなるよね」
髪と糸は全くの別物なのだが、職人の文太郎にとって細長いひも状であればどれも同じことなのかもしれない。深く考えるのはやめた。
金茶色の着物姿の文太郎が、なぜこの会社にいるのか不思議に思って問いかける。
「春の新作のバッグの持ち手に、僕の組紐を使ってもらうことになったんだ。今日はその打ち合わせ」
「そうだったのですね。それは楽しみです!」
「僕は糸から染めるから、あまり数は量産できないんだけどね。洋装に似合う組紐を考えるなんてすごくワクワクするよ」
そう話す文太郎の表情が着物展示会での大和とそっくりで、やはり何かに夢中になって邁進している人はみんな輝いているなぁなんて思った。
「開発部の人にはアイボリーやベージュ、あとはネイビーやブラックなどのベーシックカラーを依頼されたんだけど、藍染めといってもいろんな藍色があるし、染め方も色々あるからどうしようかなぁと考えていたんだ。でも持ち手だし、擦れることを考えて……とかね」
「植物性染料だと、藍染めって確か二種類ありますよね。生葉染めと蒅染め……だった気が」
「その通り! すごい、よく知ってるね」
「最近少しだけ勉強しているんです」
「職人でもないのにそんな知識があるなんてすごいよ」と文太郎は過剰なほどに瑛美を褒めてくれた。
勉強したことが身になっていたことを実感して、嬉しくなる。
「文太郎さんが作る組紐ですから、きっと和装にも洋装にも合うバッグになりますね。私も買おうかなぁ」
「そうそう。着物でも洋服でも持ちたくなるバッグを目指しているんだ」
「頑張ってください。応援しています。出来上がりが今から待ち遠しいです」
文太郎の編む組紐はどの図案も繊細で美しく、けれどきちんと強度もある。きっと素晴らしい商品になることだろう。完成が楽しみだ。
本来の仕事を思い出して、帰路につく文太郎と別れた。
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