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《48》がむしゃらに(1)
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ドタバタと忙しない日常が過ぎ、気がつけば年が明けていた。
こんなに時間に追われていた年の瀬は、初めてかもしれない。
無事に仕事納めを終えた瑛美は、電車で三時間ほどかかる実家へ帰省していた。
静かな住宅街にある、小さな一軒家。もうすぐ還暦を迎える両親が住む、いたって普通の家だ。
ブランケットにくるまりながら、新春番組を横目に教本を開く。
「瑛美勉強しているの? あら、これはお着物?」
「うん。着付けを習い始めたの。始めたら楽しくって、せっかくだし資格でも取ってみようかと思って」
「へぇ。素敵じゃない」
瑛美にそっくりな和顔の母が、後ろから本の内容を覗き込む。
「お着物ね、そういえば……」と呟いた母は、何か探し物をしに二階へと上がっていった。
しばらくして畳紙に包まれた着物を持ってきた母は、紐を解き着物を瑛美に見せてくれた。
「これ、黒留袖じゃない。しかもちゃんと家紋も入ってる……」
「これね、瑛美のお婆ちゃんが持っていたものなの。他にもいくつかあったんだけど、処分してしまって。これだけは残しておいたのよ」
「わざわざ黒留袖を?」
黒留袖は既婚女性の第一礼装と言われる着物で、黒地に豪奢な絵付けがされている着物だ。
一般的には既婚女性の最も格式の高い衣装なのだが、実際は結婚式を主催する夫婦の母親が着る着物という認識が定着している。
つまり母は瑛美の結婚式を待ち望んでいるということなのか。
「ふふ。急かしているわけでもないし、別に私が一生着る機会がなくても良いのだけど。もし、瑛美の結婚式があったらお婆ちゃんのこの着物を着たいと思って。なかなか捨てられなくてとっておいたの」
「うん……。そのときがいつになるかはわからないけど。もし私が結婚することになったら、お母さんにその黒留袖着てほしいな」
「もちろんよ。だけど、瑛美が幸せなら結婚の有無なんて関係ないって思ってるから。瑛美は瑛美のままでいいのよ」
「ありがとう、お母さん」
ぐっと胸が締めつけられて、涙がせり上がりそうになるのを必死に堪える。
「あらっ、お着物広げたら畳み方わからなくなっちゃった。瑛美、畳んで~」
「もう、お母さんったら」
一度綺麗に広げて、折り目に沿って丁寧に畳み、畳紙に戻す。
普通の会社員の父にパート勤めの母。ごくごく平凡な家庭で、豪華さは一切ないが細々と平和に暮らしてきた。
この穏やかでのんびりとした実家の空気感は落ち着く。けれど、瑛美は今必死に目標に向かって手を伸ばしている。
誰かのために、今までの自分の価値観を変えたいと思うことは初めてだった。
(大和、今頃何してるかなぁ……)
着付け師の年末年始は非常に忙しい。
正月と成人式がある一月は、着付けの予約はもちろん、着付けの稽古の予約も満員状態なのだ。
「せっかくの長期休み、瑛美と旅行でもいきたかったのに予定空けられなかった……ごめんな」
そう言って申し訳なさそうに眉を下げていた大和が脳裏に浮かぶ。
(私が上手に着付けができるようになったら、お手伝いできるかな)
そんな未来を想像しながら、着物検定の資格取得に向けて勉学に励む瑛美だった。
こんなに時間に追われていた年の瀬は、初めてかもしれない。
無事に仕事納めを終えた瑛美は、電車で三時間ほどかかる実家へ帰省していた。
静かな住宅街にある、小さな一軒家。もうすぐ還暦を迎える両親が住む、いたって普通の家だ。
ブランケットにくるまりながら、新春番組を横目に教本を開く。
「瑛美勉強しているの? あら、これはお着物?」
「うん。着付けを習い始めたの。始めたら楽しくって、せっかくだし資格でも取ってみようかと思って」
「へぇ。素敵じゃない」
瑛美にそっくりな和顔の母が、後ろから本の内容を覗き込む。
「お着物ね、そういえば……」と呟いた母は、何か探し物をしに二階へと上がっていった。
しばらくして畳紙に包まれた着物を持ってきた母は、紐を解き着物を瑛美に見せてくれた。
「これ、黒留袖じゃない。しかもちゃんと家紋も入ってる……」
「これね、瑛美のお婆ちゃんが持っていたものなの。他にもいくつかあったんだけど、処分してしまって。これだけは残しておいたのよ」
「わざわざ黒留袖を?」
黒留袖は既婚女性の第一礼装と言われる着物で、黒地に豪奢な絵付けがされている着物だ。
一般的には既婚女性の最も格式の高い衣装なのだが、実際は結婚式を主催する夫婦の母親が着る着物という認識が定着している。
つまり母は瑛美の結婚式を待ち望んでいるということなのか。
「ふふ。急かしているわけでもないし、別に私が一生着る機会がなくても良いのだけど。もし、瑛美の結婚式があったらお婆ちゃんのこの着物を着たいと思って。なかなか捨てられなくてとっておいたの」
「うん……。そのときがいつになるかはわからないけど。もし私が結婚することになったら、お母さんにその黒留袖着てほしいな」
「もちろんよ。だけど、瑛美が幸せなら結婚の有無なんて関係ないって思ってるから。瑛美は瑛美のままでいいのよ」
「ありがとう、お母さん」
ぐっと胸が締めつけられて、涙がせり上がりそうになるのを必死に堪える。
「あらっ、お着物広げたら畳み方わからなくなっちゃった。瑛美、畳んで~」
「もう、お母さんったら」
一度綺麗に広げて、折り目に沿って丁寧に畳み、畳紙に戻す。
普通の会社員の父にパート勤めの母。ごくごく平凡な家庭で、豪華さは一切ないが細々と平和に暮らしてきた。
この穏やかでのんびりとした実家の空気感は落ち着く。けれど、瑛美は今必死に目標に向かって手を伸ばしている。
誰かのために、今までの自分の価値観を変えたいと思うことは初めてだった。
(大和、今頃何してるかなぁ……)
着付け師の年末年始は非常に忙しい。
正月と成人式がある一月は、着付けの予約はもちろん、着付けの稽古の予約も満員状態なのだ。
「せっかくの長期休み、瑛美と旅行でもいきたかったのに予定空けられなかった……ごめんな」
そう言って申し訳なさそうに眉を下げていた大和が脳裏に浮かぶ。
(私が上手に着付けができるようになったら、お手伝いできるかな)
そんな未来を想像しながら、着物検定の資格取得に向けて勉学に励む瑛美だった。
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