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《幕間13》染めたい(3)ひかり視点
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「僕の作品、見てくれる?」
文太郎はたもとに入れてあった箱を取り出した。手のひらに収まる、小さな箱。
上質な桐の箱に入っていたのは、一つの指輪だった。
「これ……」
「うん。僕の、最高傑作なんだ」
プラチナ素材の輪っかには溝があって、その溝に美しい組紐が嵌め込まれている。
手にとって光に当たった組紐は宝石のようなやわらかい緑みのある青色をしていた。
「これ、甕覗き、いろ……っ!」
「そう。僕の三十四年の職人人生で、一番美しい色だよ」
甕覗きとは、藍染めの中で最も薄い色で、神秘的な色をしている。
この道一筋の染め職人ですら、なかなか出すことの難しくて繊細な色だ。
「文ちゃん、甕覗き色を染められるようになったんだ。すごい……!」
「二年前に一度だけ成功して、そのあと何百回染めてもこの色を作り出すことができなかった。でもひぃちゃんにプロポーズしたくて、何度も何度も挑戦して……ようやく完成したんだ」
「えっ?」
聞き間違いかと思って、自分の耳を疑う。
文太郎の瞳を見つめると、どこか苦しそうに眉を寄せた。
「ひぃちゃん、他の人のものにならないで。僕と結婚してほしい。ひぃちゃんがいい……ひぃちゃんじゃないと、駄目なんだ……」
そう言って文太郎はひかりを強く抱きしめた。
(え。これ、夢なの? 私、都合のいい夢を見てるのかな……)
ぽろぽろと目から涙が溢れて頬を伝っていく。
文太郎の腕の力強さが、体温が、ひかりを現実に連れ戻してきてくれる。
「あ……私、全然生糸みたいな人じゃないよ……」
「そんなの関係ない。僕はひぃちゃんが好きなんだ」
文太郎の想いがじわじわと伝わってくる。嗚咽が出そうになるのを文太郎の肩に唇を押しつけて呑み込んだ。
ふと視界に入った作業机には、濃淡様々な藍色の絹糸が山のように積まれている。
藍染めは、何度も染液に浸けては絞るを繰り返して糸を染める。染液を作る作業ももちろんだが、重労働で、かつ緻密な技術が必要だ。
ひかりに渡す指輪を作るために、たった数本の甕覗き色の糸を染めるために、たくさんの時間と手間をかけて作ってくれたのだ。
ずっと文太郎のことを見てきたひかりは、この指輪を作ることがいかに大変で労力を費やすことになるのか、よく知っている。知っているからこそ、この作品がどれだけ価値のあるものなのかを理解していた。
「ばか、文ちゃんのばか……。私のことずっと好きじゃなかったくせに。私が告白してもかわしてきたくせに。いざ私が前に進もうとしたら引き止めるなんて……」
「わかってる。僕は馬鹿だって。今までずっと組紐にしか興味がなくて、朝から晩までひたすら組紐のことばっかり考えて……。そんな僕がひぃちゃんに好きだって言う資格はないのかもしれない。だけどどうしてもひぃちゃんにそばにいてほしい……!」
何年も夢にみた言葉。この言葉を聞きたくて、ひたすら勉強して努力して自分を磨いてきた。なのに実際に耳にすると、涙しか出てこない。
抱きしめてくれる文太郎の手が震えていて。本当に、自分を愛してくれているのだと実感が湧いてくる。
「組紐にしか眼中がない文ちゃんを好きなったのは私だから……私に見る目がないのかも」
ふっと表情を和らげて、文太郎に左手を差し出した。
「指輪、はめたらもう文ちゃんのこと離さないよ?」
「うん。僕もひぃちゃんを離さない」
左手の薬指に指輪がぴったりとはまる。
それは女の子の憧れる透明な宝石はついていないけれど、ひかりにとって史上最高に美しい色が煌っていた。
文太郎はたもとに入れてあった箱を取り出した。手のひらに収まる、小さな箱。
上質な桐の箱に入っていたのは、一つの指輪だった。
「これ……」
「うん。僕の、最高傑作なんだ」
プラチナ素材の輪っかには溝があって、その溝に美しい組紐が嵌め込まれている。
手にとって光に当たった組紐は宝石のようなやわらかい緑みのある青色をしていた。
「これ、甕覗き、いろ……っ!」
「そう。僕の三十四年の職人人生で、一番美しい色だよ」
甕覗きとは、藍染めの中で最も薄い色で、神秘的な色をしている。
この道一筋の染め職人ですら、なかなか出すことの難しくて繊細な色だ。
「文ちゃん、甕覗き色を染められるようになったんだ。すごい……!」
「二年前に一度だけ成功して、そのあと何百回染めてもこの色を作り出すことができなかった。でもひぃちゃんにプロポーズしたくて、何度も何度も挑戦して……ようやく完成したんだ」
「えっ?」
聞き間違いかと思って、自分の耳を疑う。
文太郎の瞳を見つめると、どこか苦しそうに眉を寄せた。
「ひぃちゃん、他の人のものにならないで。僕と結婚してほしい。ひぃちゃんがいい……ひぃちゃんじゃないと、駄目なんだ……」
そう言って文太郎はひかりを強く抱きしめた。
(え。これ、夢なの? 私、都合のいい夢を見てるのかな……)
ぽろぽろと目から涙が溢れて頬を伝っていく。
文太郎の腕の力強さが、体温が、ひかりを現実に連れ戻してきてくれる。
「あ……私、全然生糸みたいな人じゃないよ……」
「そんなの関係ない。僕はひぃちゃんが好きなんだ」
文太郎の想いがじわじわと伝わってくる。嗚咽が出そうになるのを文太郎の肩に唇を押しつけて呑み込んだ。
ふと視界に入った作業机には、濃淡様々な藍色の絹糸が山のように積まれている。
藍染めは、何度も染液に浸けては絞るを繰り返して糸を染める。染液を作る作業ももちろんだが、重労働で、かつ緻密な技術が必要だ。
ひかりに渡す指輪を作るために、たった数本の甕覗き色の糸を染めるために、たくさんの時間と手間をかけて作ってくれたのだ。
ずっと文太郎のことを見てきたひかりは、この指輪を作ることがいかに大変で労力を費やすことになるのか、よく知っている。知っているからこそ、この作品がどれだけ価値のあるものなのかを理解していた。
「ばか、文ちゃんのばか……。私のことずっと好きじゃなかったくせに。私が告白してもかわしてきたくせに。いざ私が前に進もうとしたら引き止めるなんて……」
「わかってる。僕は馬鹿だって。今までずっと組紐にしか興味がなくて、朝から晩までひたすら組紐のことばっかり考えて……。そんな僕がひぃちゃんに好きだって言う資格はないのかもしれない。だけどどうしてもひぃちゃんにそばにいてほしい……!」
何年も夢にみた言葉。この言葉を聞きたくて、ひたすら勉強して努力して自分を磨いてきた。なのに実際に耳にすると、涙しか出てこない。
抱きしめてくれる文太郎の手が震えていて。本当に、自分を愛してくれているのだと実感が湧いてくる。
「組紐にしか眼中がない文ちゃんを好きなったのは私だから……私に見る目がないのかも」
ふっと表情を和らげて、文太郎に左手を差し出した。
「指輪、はめたらもう文ちゃんのこと離さないよ?」
「うん。僕もひぃちゃんを離さない」
左手の薬指に指輪がぴったりとはまる。
それは女の子の憧れる透明な宝石はついていないけれど、ひかりにとって史上最高に美しい色が煌っていた。
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