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《62》得た勲章とは(4)
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「瑛美……? 幻覚……?」
「やま、と……」
血が沸騰するように熱くなる。
ひとときも忘れたことなんてない。
ずっと会いたかった。声が聞きたかった。その力強い瞳に映りたかった。
いつも頭の片隅にいて、その存在を思い返しては身を奮い立たせた。高い雲のような存在のこの人に少しでも近づきたくて、隣に並び立ちたいと願って――その人が今、目の前にいる。
「あ、あの……」
「誰かに言われて、ここに来たのか?」
「和歌、先生に……」
「チッ。謀られたか……。まぁ座って」
小さな船内は、一つ掘りごたつ机があるだけだった。周囲は和紙の襖で古風に飾られていて、そこに提燈の光がぼんやりと映し出されている。
席は一つしかない。おずおずと大和の対面へ向かう。裾が乱れないように一度綺麗に捌いてから、腰を下ろした。
すると音もなく、ゆっくりと屋形船は動き出した。
「お帰りなさい。ご無事で良かったです」
依然として心臓はバクバクと大きく音を立てていたが、まずは帰還したことを喜んだ。
「うん。今日の朝、空港に着いたんだ」
「そうでしたか」
「……」
「……」
沈黙が気まずい。大和ときちんと面と向かって会話するのは、あの別れの手紙を置いて、逃げたとき以来なのだ。
船の速度が上がる。ザザ……と川の水を掻き分けて進む音がやたらと耳についた。
あんなに会いたいと乞い願っていたのに、実際に目の前にすると何も言えなくなる。
言いたいことはたくさんあったはずだ。
一年経って、資格をたくさん取得したこと。
着付け教室で助手として勤めていること。
難易度の高い、花嫁着付けができるようになったこと。
企画部は大和がいなくなっても未だに定時厳守なこと。
少しだけ、責任のある仕事を任されるようになったこと。
しかし一度閉じた口からは何も出てこない。
大和はときおりお猪口に口をつけながら、外の景色を見ている。髪で目元が隠れていて、どんな表情をしているのかはわからない。
一年ぶりに会って、瑛美の見た目も少しは変わったはず。着姿も以前よりもうんと美しくなった。髪型も化粧もバリエーションが増えた。
顔が地味で、三十路の女ということは変わらないけれど、少しは可愛いと思ってくれただろうか。
……ううん。そんなことどうだっていい。
見た目とか肩書とか地位とか、女性としてどうかとか。
もうそんなことはどうでもよかった。
「好き……」
やっと喉から絞り出した言葉は、弱々しく震えていた。
大和のくしゃりと笑うと幼くなる笑顔。時間通りに仕事が終わらなかったときの鬼のような形相。流れるような気品のある所作。紐を結ぶ時の繊細な指使い。
大和を包む空気すら愛おしく思える。
履歴書や外見だけではわからない、大好きな人の魅力。
今までの努力や経験から放たれる輝き……言葉で言い表せないその光こそ、瑛美が自覚するべき“自信”だということにようやく気づくことができた。
どれだけ資格を取得しても、着付けの技術が上達しても、仕事の役割が増えても、決して満たされることがなかった。けれど、この経験を積んでわかったのだ。自信というものは他人に誇示できるようなものだけでは決してないということに。
努力した経験。
積み上げた時間。
鍛錬で擦り切れた傷。
今の瑛美を形成するまでに至った道すじのすべてが、しゃんと背筋を伸ばす勲章となる。
一年前に言えなかった言葉を、今なら胸を張って言える。
「大和を、愛しています。私と結婚してください」
「やま、と……」
血が沸騰するように熱くなる。
ひとときも忘れたことなんてない。
ずっと会いたかった。声が聞きたかった。その力強い瞳に映りたかった。
いつも頭の片隅にいて、その存在を思い返しては身を奮い立たせた。高い雲のような存在のこの人に少しでも近づきたくて、隣に並び立ちたいと願って――その人が今、目の前にいる。
「あ、あの……」
「誰かに言われて、ここに来たのか?」
「和歌、先生に……」
「チッ。謀られたか……。まぁ座って」
小さな船内は、一つ掘りごたつ机があるだけだった。周囲は和紙の襖で古風に飾られていて、そこに提燈の光がぼんやりと映し出されている。
席は一つしかない。おずおずと大和の対面へ向かう。裾が乱れないように一度綺麗に捌いてから、腰を下ろした。
すると音もなく、ゆっくりと屋形船は動き出した。
「お帰りなさい。ご無事で良かったです」
依然として心臓はバクバクと大きく音を立てていたが、まずは帰還したことを喜んだ。
「うん。今日の朝、空港に着いたんだ」
「そうでしたか」
「……」
「……」
沈黙が気まずい。大和ときちんと面と向かって会話するのは、あの別れの手紙を置いて、逃げたとき以来なのだ。
船の速度が上がる。ザザ……と川の水を掻き分けて進む音がやたらと耳についた。
あんなに会いたいと乞い願っていたのに、実際に目の前にすると何も言えなくなる。
言いたいことはたくさんあったはずだ。
一年経って、資格をたくさん取得したこと。
着付け教室で助手として勤めていること。
難易度の高い、花嫁着付けができるようになったこと。
企画部は大和がいなくなっても未だに定時厳守なこと。
少しだけ、責任のある仕事を任されるようになったこと。
しかし一度閉じた口からは何も出てこない。
大和はときおりお猪口に口をつけながら、外の景色を見ている。髪で目元が隠れていて、どんな表情をしているのかはわからない。
一年ぶりに会って、瑛美の見た目も少しは変わったはず。着姿も以前よりもうんと美しくなった。髪型も化粧もバリエーションが増えた。
顔が地味で、三十路の女ということは変わらないけれど、少しは可愛いと思ってくれただろうか。
……ううん。そんなことどうだっていい。
見た目とか肩書とか地位とか、女性としてどうかとか。
もうそんなことはどうでもよかった。
「好き……」
やっと喉から絞り出した言葉は、弱々しく震えていた。
大和のくしゃりと笑うと幼くなる笑顔。時間通りに仕事が終わらなかったときの鬼のような形相。流れるような気品のある所作。紐を結ぶ時の繊細な指使い。
大和を包む空気すら愛おしく思える。
履歴書や外見だけではわからない、大好きな人の魅力。
今までの努力や経験から放たれる輝き……言葉で言い表せないその光こそ、瑛美が自覚するべき“自信”だということにようやく気づくことができた。
どれだけ資格を取得しても、着付けの技術が上達しても、仕事の役割が増えても、決して満たされることがなかった。けれど、この経験を積んでわかったのだ。自信というものは他人に誇示できるようなものだけでは決してないということに。
努力した経験。
積み上げた時間。
鍛錬で擦り切れた傷。
今の瑛美を形成するまでに至った道すじのすべてが、しゃんと背筋を伸ばす勲章となる。
一年前に言えなかった言葉を、今なら胸を張って言える。
「大和を、愛しています。私と結婚してください」
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