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19)悪魔の契約
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「イザーク、あなた王に何かとんでもないことでもしたの?」
「なぜ?」
「その、風の噂でいろいろ聞いて…。」
イザークは考えるようにユーリアの顔を見た。ユーリアは笑ったが、目をキョロキョロしてしまった。相手がイザークといえど、さすがに皇女から聞いた話だとは正直に言わなかった。
「どんな噂か知らないけど、俺は王と直接話したことはない。副団長になった今ですら、話せるのは宰相や大臣だけだ。」
「そう…よね。」
ユーリアはそれ以上聞かなかった。イザークの瞳を見つめる。いつもの晴れ渡るような蒼い海のような色をしていた。
「ユーリアは第一皇子とは会えたか?」
「いえ、まだよ。このまま会わないかもしれない。そういえばイザークはあるの?」
「ああ、少しだけ。殿下は…頭のいいお方だ。だからこそ、難しい…。」
「難しい?」
今度はユーリアが聞く番だった。イザークは困った顔でその質問には答えずに言った。
「ユーリア、もし何か困ったことがあれば言ってくれ。」
ユーリアも質問したものの、彼女も第一皇子には会わない方がいい気がしていた。
「うん。ありがとう。昔みたいにあなたが近くにいるから心強いわ。」
ユーリアはニッと笑った。その顔を見てイザークも少しだけ頬が緩んだ。
「ねえイザーク、私が貸しているネックレスまだ持ってるかしら?」
「あ、ああ。すまない。久しぶりに会った時に返せばよかった。」
イザークは首からぶら下げていた小袋を胸から取り出して開けた。ユーリアが見た小さい十字のネックレスは、昔と同じように翠の小さい宝石が輝きを放っていた。
ユーリアは手に取りぎゅっと握ると再びイザークの手に戻した。
「イザーク、まだあなたが持っていてほしいの。前の戦いであなたが戻ってこれたのも、少なからずこのおかげだと思ってるの。だから本当に全てが終わるまで持っていて。」
イザークはユーリアの言葉を最後まで聞き、ためらいながらも頷いた。
—————-
ベアトリス皇女に王の瞳の話をされてからも、ユーリアには直接王の顔を見るチャンスはなかった。あるはずがなかった。
しかし皇女の話はいつまでも胸にもやもやを残した。今までは無茶することはなかったが、今回はどうしても気になってしょうがなかった。
そこで思い立ったのは自画像を見ることだった。
王の応接間には様々な絵が飾られていた。そこに自画像はあったはずだ。普段は宰相や大臣がひっきりなしに出入りするため、なかなか入る機会がない。
そのため、夜が更けてから忍び込むことにした。
月明かりが照らされた廊下を歩き、その部屋の前に立つ。城の見回りの時間帯も確認済みだった。いつも騒がしい廊下は物音ひとつしない。豪華な扉をゆっくり開くと、ギーっと小さな音が響いた。
部屋の真ん中には、ビロード地に花柄の刺繍が施された長いソファが2脚、テーブルを挟んで置いてあった。
その後ろにはたくさんの絵が飾られていたが、その中にひときわ豪華な金の額縁に入れられていたものがあった。
ユーリアはそうっとその絵に近づく。
月明かりだけを頼りに、目を凝らしてその絵を見る。
豊かなガウンの下には鎧が黒く光っていた。銀の髪は短く刈り込まれ、眉間にシワを寄せている。
そして、
瞳は深い海のような色をしていた。
自画像の王からも、無感情に無用なものは切り捨てる冷酷さが感じられた。しかし、冷たいはずのその瞳はなぜか少し親近感を覚えた。
その横には家族らしき写真があった。
ベアトリス皇女は今より小さかった。
隣にいるのは第一皇子だろうか?
無表情の彼の瞳は黄みがかった蒼だった。
昔はもっと王には皇子がいたと聞く。しかし不慮の事故で亡くなったり、病死したりで、その者達らしき姿は絵にいなかった。この絵にいる男性は王と皇子だけだった。2人とも絵の中では若かったが、絵は比較的新しいように見えた。まるで過去は塗りつぶしたかのように。
絵の反対側には暖炉が備え付けられており、そこにも小さい絵が飾られていた。
その絵だけ、王の家族写真よりわざと離れたところに飾られているように見えた。
ユーリアは気になってその絵近づくと、とても若い男の子がにこりともせずこちらを見ていた。
その男の子は漆黒色の髪に蒼い瞳を持っていた。
第二皇子だろうか…しかしユーリアには何か引っかかるものがあった。頭の奥深くの記憶がざわめく。
「こんな夜中に絵を見るなんて酔狂だな。」
はっとふりむくと、ドアに寄りかかってこちらを見ている男性がいた。月明かりを背にしているので、よく顔は見えないが、ベアトリス皇女と同じきれいな銀の髪が輝くのを見て、すぐ第一皇子だと分かった。
ユーリアは急いで膝を屈し、頭を垂れた。
「夜眠れず散歩をしていたところ、こちらに迷い込んでしまい…。」
下手な嘘だった。ユーリアは彼の気配に気づくことができなかった。昔だったら…もうそういった感覚は鈍ってしまったのか。ユーリアは黙って下を向き、唇を噛んだ。
皇子ははゆっくりと歩み寄り、ユーリアの顎を持って雑にグイッと持ち上げた。
その時初めて彼と瞳が合った。彼の黄がかった蒼い瞳はガラス玉のようだった。
「醜い言い訳だな。」
皇子は手を離すと、暖炉にかけられた小さな男の子の絵を見た。
「噂に興味を持つ女官なぞ不愉快極まりない。」
ユーリアはその言葉を聞いてゴクリと唾を呑んだ。実際ベアトリス皇女の女官は何度も代わっていた。理由はわからないが、皇子にとって気に入らないことがあったのは間違いなかった。
「ニセモノはニセモノらしく、余計なことをせず、俺の手の内で踊っていればいいものの。」
ユーリアはハッとして彼の顔を見た。
彼の瞳は無機質でなんの感情も見えなかった。皇子の瞳から真意を探ろうとするが全くわからない。ただ、彼は自分が何者かは知っているようだった。
皇子からは、兄のアルベルと同じものを感じた。冷徹で、残酷で、目的のためなら手段を選ばない。だが彼は、兄に比べて人間味が少しもなかった。
「まだ踊るつもりはあるか?それともここで終わりにするか?」
皇子は暖炉横の台座に置かれた花瓶からバラ一本を引き抜き、それを見つめた。
ユーリアは瞳をつぶった。瞼の裏にあの子が浮かび、消えた。
「…私はこのまま終わる訳にはいかないんです。」
出した声は自分で驚くほどよく響いた。
「私は一族の発展と幸せを願ってます。」
ユーリアは膝と手のひらを床につき、頭を下げた。
「それ以外は求めません。」
「なるほど。それで?君は一族のためにどうしたい?」
ユーリアは正座をしたまま、皇子の顔を見た。まるでこちらの心を見透かしているようだった。ユーリアは握り拳にしていた手をさらに強く握った。
「私を第一皇子付きの女官にしてください。」
「女官?つまり俺につきたいと言うのか。」
「殿下に仕えれば、それだけで周りの貴族の見る目も変わるでしょう。それに近くにいれば殿下も私を使いやすいのではありませんか?」
「しかし俺は周りに女をつけたことがない。そんなことしたら大騒ぎだろうな。」
皇子は片側の唇を上げて笑った。だが、瞳は相変わらず何の感情もなかった。
「それより面白い方法がある。おれの妾になればいい。」
ユーラアはじっと皇子の顔を見つめた。
「より俺のそばに仕えることができる。さらに良い条件だと思うが。」
女官より妾の方が政治的に関われる場合がある。そして、女官であろうと、妾であろうと、気に食わなければ切られる。
どちらも一緒だ。結局は全て殿下のお心次第だ。
しかし妾は女官よりももっと違う意味合いをもつ。より深く、皇子と関わっていく可能性があるということだ。
しかも、この申し出を受け入れた場合、皇子がどんなことを求めてくるかは分からなかった。
ガシャン!
考えを巡らせていると、皇子がおもむろに花瓶をトンッとテーブルから落とした。
花瓶は粉々に割れて、バラの花が床に散らばる。
「別に断ってもいい。」
そういうと、床に散らばったバラの花をダンッと踏み潰した。そして無表情で、散らばった花びらたちをグリグリと踏みにじった。
そして最後に手元に残っていた一本のバラを握りつぶした。手を開くと、パラパラと花びらが散って、花瓶から流れた水に落ちた。
「早くしてくれ。おれはせっかちなんだ。」
ユーリアはバラの花たちを見た。
今までの女官たちの行く末に見えた。そして自分の…。
彼は標的を消すだけでは気が済まない。周りからジワジワと攻める。執拗に。
「一族をお守りくださいますか?」
皇子は再び片方の唇を上げた。
「善処しよう。」
その言葉で、ユーリアは自分の気持ちが固まった。そして、唇をゆっくりと開いた。
「であれば、殿下のお心のままに。」
ハインリヒ・フランアイズナッハ第一皇子はにこりともせずユーリアに手を差し出した。
「では踊り続けよう。」
「なぜ?」
「その、風の噂でいろいろ聞いて…。」
イザークは考えるようにユーリアの顔を見た。ユーリアは笑ったが、目をキョロキョロしてしまった。相手がイザークといえど、さすがに皇女から聞いた話だとは正直に言わなかった。
「どんな噂か知らないけど、俺は王と直接話したことはない。副団長になった今ですら、話せるのは宰相や大臣だけだ。」
「そう…よね。」
ユーリアはそれ以上聞かなかった。イザークの瞳を見つめる。いつもの晴れ渡るような蒼い海のような色をしていた。
「ユーリアは第一皇子とは会えたか?」
「いえ、まだよ。このまま会わないかもしれない。そういえばイザークはあるの?」
「ああ、少しだけ。殿下は…頭のいいお方だ。だからこそ、難しい…。」
「難しい?」
今度はユーリアが聞く番だった。イザークは困った顔でその質問には答えずに言った。
「ユーリア、もし何か困ったことがあれば言ってくれ。」
ユーリアも質問したものの、彼女も第一皇子には会わない方がいい気がしていた。
「うん。ありがとう。昔みたいにあなたが近くにいるから心強いわ。」
ユーリアはニッと笑った。その顔を見てイザークも少しだけ頬が緩んだ。
「ねえイザーク、私が貸しているネックレスまだ持ってるかしら?」
「あ、ああ。すまない。久しぶりに会った時に返せばよかった。」
イザークは首からぶら下げていた小袋を胸から取り出して開けた。ユーリアが見た小さい十字のネックレスは、昔と同じように翠の小さい宝石が輝きを放っていた。
ユーリアは手に取りぎゅっと握ると再びイザークの手に戻した。
「イザーク、まだあなたが持っていてほしいの。前の戦いであなたが戻ってこれたのも、少なからずこのおかげだと思ってるの。だから本当に全てが終わるまで持っていて。」
イザークはユーリアの言葉を最後まで聞き、ためらいながらも頷いた。
—————-
ベアトリス皇女に王の瞳の話をされてからも、ユーリアには直接王の顔を見るチャンスはなかった。あるはずがなかった。
しかし皇女の話はいつまでも胸にもやもやを残した。今までは無茶することはなかったが、今回はどうしても気になってしょうがなかった。
そこで思い立ったのは自画像を見ることだった。
王の応接間には様々な絵が飾られていた。そこに自画像はあったはずだ。普段は宰相や大臣がひっきりなしに出入りするため、なかなか入る機会がない。
そのため、夜が更けてから忍び込むことにした。
月明かりが照らされた廊下を歩き、その部屋の前に立つ。城の見回りの時間帯も確認済みだった。いつも騒がしい廊下は物音ひとつしない。豪華な扉をゆっくり開くと、ギーっと小さな音が響いた。
部屋の真ん中には、ビロード地に花柄の刺繍が施された長いソファが2脚、テーブルを挟んで置いてあった。
その後ろにはたくさんの絵が飾られていたが、その中にひときわ豪華な金の額縁に入れられていたものがあった。
ユーリアはそうっとその絵に近づく。
月明かりだけを頼りに、目を凝らしてその絵を見る。
豊かなガウンの下には鎧が黒く光っていた。銀の髪は短く刈り込まれ、眉間にシワを寄せている。
そして、
瞳は深い海のような色をしていた。
自画像の王からも、無感情に無用なものは切り捨てる冷酷さが感じられた。しかし、冷たいはずのその瞳はなぜか少し親近感を覚えた。
その横には家族らしき写真があった。
ベアトリス皇女は今より小さかった。
隣にいるのは第一皇子だろうか?
無表情の彼の瞳は黄みがかった蒼だった。
昔はもっと王には皇子がいたと聞く。しかし不慮の事故で亡くなったり、病死したりで、その者達らしき姿は絵にいなかった。この絵にいる男性は王と皇子だけだった。2人とも絵の中では若かったが、絵は比較的新しいように見えた。まるで過去は塗りつぶしたかのように。
絵の反対側には暖炉が備え付けられており、そこにも小さい絵が飾られていた。
その絵だけ、王の家族写真よりわざと離れたところに飾られているように見えた。
ユーリアは気になってその絵近づくと、とても若い男の子がにこりともせずこちらを見ていた。
その男の子は漆黒色の髪に蒼い瞳を持っていた。
第二皇子だろうか…しかしユーリアには何か引っかかるものがあった。頭の奥深くの記憶がざわめく。
「こんな夜中に絵を見るなんて酔狂だな。」
はっとふりむくと、ドアに寄りかかってこちらを見ている男性がいた。月明かりを背にしているので、よく顔は見えないが、ベアトリス皇女と同じきれいな銀の髪が輝くのを見て、すぐ第一皇子だと分かった。
ユーリアは急いで膝を屈し、頭を垂れた。
「夜眠れず散歩をしていたところ、こちらに迷い込んでしまい…。」
下手な嘘だった。ユーリアは彼の気配に気づくことができなかった。昔だったら…もうそういった感覚は鈍ってしまったのか。ユーリアは黙って下を向き、唇を噛んだ。
皇子ははゆっくりと歩み寄り、ユーリアの顎を持って雑にグイッと持ち上げた。
その時初めて彼と瞳が合った。彼の黄がかった蒼い瞳はガラス玉のようだった。
「醜い言い訳だな。」
皇子は手を離すと、暖炉にかけられた小さな男の子の絵を見た。
「噂に興味を持つ女官なぞ不愉快極まりない。」
ユーリアはその言葉を聞いてゴクリと唾を呑んだ。実際ベアトリス皇女の女官は何度も代わっていた。理由はわからないが、皇子にとって気に入らないことがあったのは間違いなかった。
「ニセモノはニセモノらしく、余計なことをせず、俺の手の内で踊っていればいいものの。」
ユーリアはハッとして彼の顔を見た。
彼の瞳は無機質でなんの感情も見えなかった。皇子の瞳から真意を探ろうとするが全くわからない。ただ、彼は自分が何者かは知っているようだった。
皇子からは、兄のアルベルと同じものを感じた。冷徹で、残酷で、目的のためなら手段を選ばない。だが彼は、兄に比べて人間味が少しもなかった。
「まだ踊るつもりはあるか?それともここで終わりにするか?」
皇子は暖炉横の台座に置かれた花瓶からバラ一本を引き抜き、それを見つめた。
ユーリアは瞳をつぶった。瞼の裏にあの子が浮かび、消えた。
「…私はこのまま終わる訳にはいかないんです。」
出した声は自分で驚くほどよく響いた。
「私は一族の発展と幸せを願ってます。」
ユーリアは膝と手のひらを床につき、頭を下げた。
「それ以外は求めません。」
「なるほど。それで?君は一族のためにどうしたい?」
ユーリアは正座をしたまま、皇子の顔を見た。まるでこちらの心を見透かしているようだった。ユーリアは握り拳にしていた手をさらに強く握った。
「私を第一皇子付きの女官にしてください。」
「女官?つまり俺につきたいと言うのか。」
「殿下に仕えれば、それだけで周りの貴族の見る目も変わるでしょう。それに近くにいれば殿下も私を使いやすいのではありませんか?」
「しかし俺は周りに女をつけたことがない。そんなことしたら大騒ぎだろうな。」
皇子は片側の唇を上げて笑った。だが、瞳は相変わらず何の感情もなかった。
「それより面白い方法がある。おれの妾になればいい。」
ユーラアはじっと皇子の顔を見つめた。
「より俺のそばに仕えることができる。さらに良い条件だと思うが。」
女官より妾の方が政治的に関われる場合がある。そして、女官であろうと、妾であろうと、気に食わなければ切られる。
どちらも一緒だ。結局は全て殿下のお心次第だ。
しかし妾は女官よりももっと違う意味合いをもつ。より深く、皇子と関わっていく可能性があるということだ。
しかも、この申し出を受け入れた場合、皇子がどんなことを求めてくるかは分からなかった。
ガシャン!
考えを巡らせていると、皇子がおもむろに花瓶をトンッとテーブルから落とした。
花瓶は粉々に割れて、バラの花が床に散らばる。
「別に断ってもいい。」
そういうと、床に散らばったバラの花をダンッと踏み潰した。そして無表情で、散らばった花びらたちをグリグリと踏みにじった。
そして最後に手元に残っていた一本のバラを握りつぶした。手を開くと、パラパラと花びらが散って、花瓶から流れた水に落ちた。
「早くしてくれ。おれはせっかちなんだ。」
ユーリアはバラの花たちを見た。
今までの女官たちの行く末に見えた。そして自分の…。
彼は標的を消すだけでは気が済まない。周りからジワジワと攻める。執拗に。
「一族をお守りくださいますか?」
皇子は再び片方の唇を上げた。
「善処しよう。」
その言葉で、ユーリアは自分の気持ちが固まった。そして、唇をゆっくりと開いた。
「であれば、殿下のお心のままに。」
ハインリヒ・フランアイズナッハ第一皇子はにこりともせずユーリアに手を差し出した。
「では踊り続けよう。」
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