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弟の彼女
2.弟の彼女⑤
しおりを挟む「正樹くん、これ品出しお願いね」
そう店長に渡されたレコードの束は中々の数で、結構時間がかかりそうだなと思った。
その束を両手で運びながら、ちょっとした古書店のようにずらりと並んだ陳列棚の方へ向かう。
大学の近くにあるからという理由で選んだ、高田馬場のレコードショップ。
そこで俺は週3程度、大学の授業終わりにバイトしていた。
やはり音楽が好きだから、音楽に触れる仕事が良いだろうというのと、レコードショップに来る客はかなり多種多様だ。
人間観察したり、レジ打ちしながら客と世間話をすることで、自分の作曲作詞にも活かせるだろうと踏んだのだ。
レコードの束を床に置き、ジャンル別ごとに一枚一枚棚へと仕舞っていく。
これは前に聴いて結構よかったな、これは名盤って言われてるけど聴いたことない。
そんなことをぼんやりと考えながら、仕事を進めていると、一枚の著名なアーティストのレコードに目を留める。
(クイーンか…)
音楽を嗜まない人でも、名前を出せば皆「ああ」と頷くほどの有名ミュージシャン。
弟が特に気に入っていたアーティストで、ロック調の曲が良い、と過去に彼が興奮しながら語っていたことを思い出す。
そこから芋づる式に、先週、廊下で鉢合わせて目を丸くした弟と、その横の素朴なショートヘアの少女の姿を思い返す。
自分が想定しているよりも醜く酷い感情が内に広がって、奥歯を噛みしめる。
(…俺のことが好きなくせに。俺に抱かれてあんな姿を見せるくせに)
弟を半ば強引に抱いたあの日。
自分でも少しやり過ぎたと思い、弟に謝ったが「別に、大丈夫」と感情の篭らない声で返された。床に落ちた服を拾い上げる弟の、首筋にクッキリと残ったキスマークを眺めた。
「正樹って、大人っぽいのに割と子供だよね」と以前そう自分を評した彼女の言葉が脳裏によみがえる。そんな彼女の的を得た発言も、今はただ言い当てられた腹立たしさしか感じない。
UKロックの陳列棚に、少し力を入れてクイーンの盤をねじ込んだ。
床に置かれた円盤の塔から、新たなレコードを引っ掴み、仕舞うべき棚を探す。
――弟は昔から、自分が何をやりたいという意見をあまり主張しない奴だった。
自分の意志がないわけじゃないが、人の意見や行動に流されやすく、本人もそれを嫌がってない。
幼少期は、そんな弟を誘って、親から行っちゃいけないと言われた地域まで足を向けたり、悪ふざけを共謀したりした。
弟も弟で、本当に嫌がるときは拒否を示してきたので、そうでない時は了承しているのだと思ってた。
「にいちゃん、何してんの?」
中学生の時。お小遣いを貯めて買ったレコードを、親父に借りたレコードプレイヤーで聴いてると、背後から声を投げかけられた。
耳元の、鮮やかな音色の合間を縫って聞こえてきた幼い声に、少しため息をついてヘッドフォンを外した。
「勝手に部屋覗くなって」
「だって暇なんだもん」
振り返ると、自室のドアの隙間から伺うように覗く弟の姿があった。
学校から帰ってきてエネルギーが有り余ってるのか、俺の相手をしろと言わんばかりに、じっと見つめてくる。
「友達と遊べよ」と突き放すと、誰々は今日留守番しなきゃいけないって、誰々はそろばんあるから、と返される。
こいつの遊び相手は、今俺しかいないってことね。
大袈裟に溜息を再度吐いて、立ち上がって弟を招き入れた。
弟は顔を少し上気させながら、俺の部屋に足を踏み入れ、レコードプレイヤーの乗った座卓の前に座った。
「何これ」
「レコード、音楽聴けんだよ」
「へえ…」
興味を示したようで、黒い円盤をじっと見つめている。そんな弟の横顔を眺めた。
こいつの面倒を見ないと、あとでこいつ自身が母親に告げ口をする。
「あんた遊んであげなさいよ」と、結果的に責められるのは俺になるので、そうなるよりは今面倒ごとを引き受けた方がマシだった。
聴くか?とあどけない横顔に声を掛けると、控えめに頷く。
黙ってヘッドフォンの端子を抜いて、そのまま再生した。
滑らかな音の繋がりが、円盤から針を通して俺の部屋に広がっていく。
仕組みはわかっていてもここから音楽が流れてくるのは、何度見ても不思議な光景だった。
弟の方をふと見ると、曲に合わせて身体を揺らしていた。こいつなりに中々気に入ったらしい。
「これは、イエスタデイっつー曲。ビートルズって知ってるだろ」
「んー、名前だけ」
その後もA面、B面とたっぷり音楽を聴かせてやったら、満足したのか弟は部屋を出ていった。
少ししてから、弟が父親にレコードプレイヤーを借りてる様子を見た。「あ、こいつもレコード買うようになったんだ」と少し驚いた。
気に入っている様子は見せていたが、まさか自分でも買うようになる程に熱中しているとは思わなかったのだ。
その後、高校生になって親に強請ってギターを買ってもらったら、暫く経って弟もギターを買ってもらっていた。
度々、自分の部屋でアンプのボリュームを馬鹿でかくして大声で歌ってる弟に、苦情を入れたこともあった。
それ程までに、音楽というものを気に入って、傾倒している弟に内心衝撃だった。
けれど、少なからず俺からの影響を受けているあいつを側で見ていて、正直気分が良かった。
いつもフラフラしていて掴みどころのない弟が、明確に俺の後をついてきている。
普段意志を見せない奴だからこそ、はっきりとした主張で『音楽』という道を選んできているのが、痛快だった。
今思い返すと、あれは、弟なりに俺の事を慕っていたのかもしれない。
弟の面倒を渋々引き受けたあの日。
レコードから流れる音楽に身体を揺らしながら、俺をちらりと見やる弟の瞳を思い出す。
幼少期の頃の目と、今のあいつの目。
同じようで何かが決定的に違う。
それは恋愛感情だけじゃなく、もっと別の何かが―――
「すいませーん」
そう思考を巡らせてると、背後から声を掛けられる。
後ろを振り返ると、サブカルが好きそうな風貌の女性客が立っていた。
「レジ、良いですか?」
「あ、すいません」
どうやら店長は店の奥に引っ込んだようだ。この時間帯は俺しかシフトが入ってないのだから、多少表の仕事をしてくれたっていいのに。
(まあバイトがとやかく言っても仕方ないか)
そうぼやきながら、腰を上げてレジの方へ向かった。
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