存在抹消ボタン

有箱

文字の大きさ
上 下
20 / 22

第二十話

しおりを挟む
「……葉月……?」

 そこにいたのは紛れもなく葉月だった。しかし、手首から多量の血を流して倒れている。付近には、鋭利なナイフが落ちていた。
 反射的に駆け寄り起こそうとするが、体に触れる事すら出来なかった。

 幾ら想像だとしても、あまりにも残酷すぎる。
 葉月が自殺するなんて、惨すぎる。

¨私は、司佐くんの本に救われたんだよ¨

 ふわりと、幾度と無く掛けてくれた温かな言葉が心に落ちてきた。この言葉を僕は何度思い出しただろう。目の前で起こっている惨状と、言葉とが自然に嵌り合った。

 これはシュミレーションだ。
 けれど、そうだ、有り得ない事じゃない。

 その瞬間、湧き上がった。本能が感情を取り巻いて滾る。
 やっぱり消えたくない。生きていたい。記憶から、世界から消えてしまうのは怖い。今までの人生を、大切な一場面を、あの言葉の数々を、やっぱり捨てられない。捨てたくない。

「お願いだ! とめてくれ! やっぱり消えたくないんだ! 生きたいんだよ!」

 やっと今気が付いた。彼女が救われる事によって、救われていたのは自分自身だった。

「……お願いだよ……お願いだ……嫌だよ……」

 けれど、気が付くのが遅すぎた。せめて、心からの感謝を葉月に捧げたかった。もう一度やり直せるなら、前を向いて歩いてゆける気がするのに。
 それなのに、全部消えるなんて。

 目の前が真っ暗になり、感じていた何もかもが消え去った。相変わらず博士の声は聞こえず、その他誰の相槌もない。その内頭がぼんやりとしてきて、思考が働かなくなってゆくのを感じた。
 それでも尚、僕は叫ぶ。消えたくない、消えたくないと。
 君にこの思いを伝えたい、と。

 ――――悲しい笑顔の葉月がいて、今朝方見たようにヒラヒラと手を振っている。

『また、生まれ変わったらその時は』

 そう言っているような気がした。
しおりを挟む

処理中です...