存在抹消ボタン

有箱

文字の大きさ
21 / 22

第二十一話

しおりを挟む
〈――――します。――止します〉

 単調な音声に驚き、急いで目を開け飛び起きる。

「えっ? ええっ?」

 混乱したまま辺りを見回すと、博士の姿が目に入った。続いて付近を見回して、存在抹消用椅子に座っているのだと理解した。どうやら現実に戻ってきたらしい。

「……えっと?」

 しかし、今の今まで非現実な体験をしていたからか、不思議な事に夢感覚のままだ。現実だと理解しながら夢を味わう浮遊感は、精神の落ち着きを許さない。

「君は抹消を望まなかった。だから途中で止めたのだが駄目だったかね?」

 はっきりとした言葉で聞かされて、やっと心身全てで状況を把捉した。瞬間、涙が零れ落ちる。自分で意図しない涙とはこういう事かと、ここに来て知ると思わなかった。

「いやいや、済まなかった。生きる意思の残っている人間を消してしまうと殺人罪と同じと言われてね。一応意思の確認も兼ねてシュミレーションシステムを導入してみたんだが」
「……そうですか……」

 目まぐるしさに体が疲弊しつつも、最後にした後悔が心に強く燃え盛っている。

「……帰ります……」

 外に出ると、馴染みの無い風景が広がっていた。来る時一度見たきりの景色だ。
 風が吹き、雲が流される。行き交う人々の些細なお喋りや、野鳥の囀り、家庭から漏れ出す音が聞こえる。それらは不思議と耳に心地良く、透明な水のように体に浸透した。

 まるで、生まれ変わったかのように清々しい気分だった。体の重みを差し置けば、空も飛べそうなくらいに。
 説明の付かない不思議な感情を受け入れて、思いっきり空気を吸い込んだ。

 意識的に携帯を取り出し、電車の時刻を確認する。次の発車まで後3分、それを逃せば15分後――どちらにするか考える前に、僕は駆け出していた。全力疾走して風を切り、愛しき笑顔への距離を詰めてゆく。

 帰ろう、君の待つ家へ。そうして会えたなら伝えよう。気付いた気持ちを素直に伝えよう。

「葉月ただいま!」
「司佐くんおかえりー! 相当楽しかったみたいだね!」

 お土産話を期待し、ぱっと花を咲かせた葉月の手には、あの日僕らを繋げた本があった。

「言おうとしてた事さ、思い出したよ」
「本当!? 何々? ――――えっ?」

 ぎゅっと、葉月の体を抱きしめる。葉月は戸惑っており硬直している様子だ。

「好きです、葉月が好きです」

 救われていたのは僕の方だったよ。知らない内に、君は掛け替えの無い存在になっていた。最後の最後に気付くなんて、馬鹿だと笑ってくれて構わない。

 ファンと作者、そう一線を引いて気付かない振りをしていた。けれど僕は、ずっと君が好きだったんだ。きっと、きっとそうだったんだよ。僕らはきっと、互いの為に出会う運命だったんだよ。

「だから、結婚して下さい」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...