存在抹消ボタン

有箱

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第二十一話

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〈――――します。――止します〉

 単調な音声に驚き、急いで目を開け飛び起きる。

「えっ? ええっ?」

 混乱したまま辺りを見回すと、博士の姿が目に入った。続いて付近を見回して、存在抹消用椅子に座っているのだと理解した。どうやら現実に戻ってきたらしい。

「……えっと?」

 しかし、今の今まで非現実な体験をしていたからか、不思議な事に夢感覚のままだ。現実だと理解しながら夢を味わう浮遊感は、精神の落ち着きを許さない。

「君は抹消を望まなかった。だから途中で止めたのだが駄目だったかね?」

 はっきりとした言葉で聞かされて、やっと心身全てで状況を把捉した。瞬間、涙が零れ落ちる。自分で意図しない涙とはこういう事かと、ここに来て知ると思わなかった。

「いやいや、済まなかった。生きる意思の残っている人間を消してしまうと殺人罪と同じと言われてね。一応意思の確認も兼ねてシュミレーションシステムを導入してみたんだが」
「……そうですか……」

 目まぐるしさに体が疲弊しつつも、最後にした後悔が心に強く燃え盛っている。

「……帰ります……」

 外に出ると、馴染みの無い風景が広がっていた。来る時一度見たきりの景色だ。
 風が吹き、雲が流される。行き交う人々の些細なお喋りや、野鳥の囀り、家庭から漏れ出す音が聞こえる。それらは不思議と耳に心地良く、透明な水のように体に浸透した。

 まるで、生まれ変わったかのように清々しい気分だった。体の重みを差し置けば、空も飛べそうなくらいに。
 説明の付かない不思議な感情を受け入れて、思いっきり空気を吸い込んだ。

 意識的に携帯を取り出し、電車の時刻を確認する。次の発車まで後3分、それを逃せば15分後――どちらにするか考える前に、僕は駆け出していた。全力疾走して風を切り、愛しき笑顔への距離を詰めてゆく。

 帰ろう、君の待つ家へ。そうして会えたなら伝えよう。気付いた気持ちを素直に伝えよう。

「葉月ただいま!」
「司佐くんおかえりー! 相当楽しかったみたいだね!」

 お土産話を期待し、ぱっと花を咲かせた葉月の手には、あの日僕らを繋げた本があった。

「言おうとしてた事さ、思い出したよ」
「本当!? 何々? ――――えっ?」

 ぎゅっと、葉月の体を抱きしめる。葉月は戸惑っており硬直している様子だ。

「好きです、葉月が好きです」

 救われていたのは僕の方だったよ。知らない内に、君は掛け替えの無い存在になっていた。最後の最後に気付くなんて、馬鹿だと笑ってくれて構わない。

 ファンと作者、そう一線を引いて気付かない振りをしていた。けれど僕は、ずっと君が好きだったんだ。きっと、きっとそうだったんだよ。僕らはきっと、互いの為に出会う運命だったんだよ。

「だから、結婚して下さい」
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