黒猫は戻らない

有箱

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 心がざわめく。彼を一人ぼっちにしてはいけない。勘が僕に呼び掛けてくる。いや、違う。僕がゾンネを見失いたくなかった。

 なりふり構わず、がむしゃらに体を動かす。壁に衝突したり、浅い窪みに躓いたが怯まなかった。目隠しによる恐怖を蹴散らし、解放を求め続けた――結果、不意に袋が外れた。
 眩しすぎるくらいの日光が目を眩ませる。周りを見回したが、ゾンネはもちろん人一人いなかった。

 横顔を探し、宛もなく走る。随分走ったところで、人の行き交う場所に出た。まずは恐怖が、それから懐かしい幸福が記憶の中から顔を出す。僕を捉えた目は、白かった頃と同じだった。

「猫ちゃんだ!」

 嬉しそうな声、楽しげな顔。恐らく、鳴けば美味しいものが出てくるだろう。
 ――そうか、僕は戻ったんだ。昔の僕に。黒いからと苛められることもないんだ。

 小さな手が伸びてきて、僕の背中に触れる。瞬間、ゾンネの温かみが蘇った。手と地に挟まれていた体が抜ける。
 
 ねぇゾンネ。どうやら僕は、ゾンネのことが大好きになってしまったようだよ。



 走る。走る。探して走る。もう一度撫でられたいと走る。ふと、数分前の出来事が新たな不安を連れてきた。

 なんでゾンネは僕をこっちに連れてきたのかな。なんで帰れないようにしたのかな。彼はもしかして、白猫が嫌いだったのかな。それだったら、寂しい声をしていたのはなんでだろう。

 考えながら角を曲がる。すると、いつかに見た筒が立ちはだかっていた。間一髪のところで交わす。一安心したのも束の間、ゾンネとの日々が再び蘇った――。

 気持ちは分からないけど、やっぱりゾンネと離れるのは嫌だ。

 助走をつけ、思いっきりアタックする。筒は簡単に倒れ、黒い海を描いた。中へと飛び込み、コロコロと転げ回る。白に戻った毛は簡単に黒くなった。
 ここからの道なら、よく知っている。避難の声を浴びながら、まっすぐに家を目指した。迷いない足は、すぐに目的地への距離を縮めた。

 組まれた資材の隙間から、ゾンネの姿を捉える。人形より生気のない顔と、手首に添えられた錆色のナイフが見えた。

「待って! 切ったら痛いよ!」

 叫びながら家へと飛び込む。勢いで壁に衝突したが、すぐ体勢を立て直した。
 会いたかったと伝えながら、そっと太ももにすり寄る。ゾンネの瞳は丸くなり、仄かに表情も戻った。

「なんで……」

 それからしばらく固まっていたが、不意に笑声が溢される。ナイフを地面に置き、僕の体を何度か撫でてもくれた。
 その後、自らの手を眺めた時には、すっかり以前の笑みを取り戻していた。

「こんなに黒くして、仕方のない奴だなぁ……洗ってやるよ」

 空気が緩む。安堵で僕の頬も緩む。皿を取りに立つゾンネの背に、にゃんと鳴いた。
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