Criminal marrygoraund

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 淑瑠は朝日と共に起床し、準備を終え、料理に取り掛かろうとしていた。丁度同じタイミングで聞こえて来たチャイムの音に、即座に対応する。

『おはよう淑兄、タッパー返しに来たよ』
「あっ、ありがとう、出るね」

 淑瑠は実行してくれたのが嬉しくて、自然と微笑んでいた。だが、

「お早う淑兄」

 鈴夜の笑顔に重なった蒼色に、一瞬絶句してしまう。

「……お早う、もしかして眠れなかった?」
「…うんちょっとだけ睡眠不足…」

 素直な答えを述べてくれた事に喜びつつ、目に見える現実に不安を抱く。

「そっか、無理しないでね。今から仕事?送ろうか?」
「ううん大丈夫、一人で行けるよ」
「そっか、また料理かけといていい?」
「嬉しい、ありがとう」
「行ってらっしゃい、頑張ってね。あ、迎えが欲しかったら連絡して」
「うん、ありがと、いってきまーす」

 コートを纏う脆く柔い背を見送り、淑瑠は笑顔を落とした。
 未だに無理をする鈴夜をどうしたら楽にして上げられるのか、必死で巡らせた。


 樹野と依仁は、同じ車内で同じ事を考えていた。
 昨夜見た鈴夜の様子についてだ。明らかな病の気配につい深刻な表情を浮かべてしまう。

 依仁に関しては、その前も一度重い足取りで病院に向かう鈴夜を見ていたため、深刻度は大きい。
 耐え切れずに思いを吐き出したのは樹野だった。昨日見た瞬間から、ずっと気掛かりだったのだ。

「……水無さん、大丈夫だったかな…」
「…さぁ…?」
「……病気、なのかな?」
「…さぁ…?」

 だが、医者でもなければ本人でもないため、樹野の心配を拭う事は出来ず首を傾げるだけに終わった。

「……病気だったら可哀想だよな」

 ぽつりと零れた台詞に、樹野は黙り込んでしまった。共感できてしまうから辛い。
 事件に巻き込まれた上で病に侵されてしまっては、あまりにも不幸すぎる。
 繋がりで依仁は、大智の事を思い出していた。


 店内は、ひな祭りのBGMばかりが流れていて、耳に染み付いてしまいそうだ。
 柚李は、変わらない音を不快感と共に耳に残しつつ、買い物をしていた。目的の商品を探していると、見覚えのある後ろ姿が留まる。

「あれっ、ねいさんじゃないですか、珍しいですね」

 ねいはゆっくりと振り向くと、冷静に反応した。

「…今日は休日なのよ。さっき電話したんだけど買い物だったのね」
「えっ、そうなんですか」

 柚李はポケットの携帯を取り出し、電源を入れる。言葉通りねいからの着信履歴が残されていた。
 連絡を入れてきたという事は、何か用事があるということだろう。

「このあと家来ます?」
「行くわ、いい情報が入ったの」
「本当ですか、楽しみです」

 ねいの微笑と、柚李のぱっと明るい笑顔が向かい合った。


 鈴夜は、自分の体の状態に対する、大きな不審感に陥っていた。極力考えないようにはしていたのだが、いざ異常が無いと言われてしまうと妙に気になってしまう。
 原因が特定できないとなると、心因性のものなのだろうか。今の自分に当て嵌まる原因となると、それくらいしか思いつかない。それか病の予備軍にあるか。
 だとしても、死の危機を感じるくらい辛くなる事など有り得るのだろうか。

 考えていると、また息が詰まりだした。あの症状だ。
 鈴夜は立ち上がり手洗い所に行こうと思ったのだが、その場で蹲ってしまった。

「鈴夜くん!?」

 丁度戻って来たのか、歩の慌てる声が聞こえた。同僚達の騒がしい声も聞こえてくる。
 眩暈がして、立ち上がれない。呼吸の仕方が分からなくなって、上手く息が繰り返せない。心臓が破れてしまいそうなくらい、早鐘を打っている。

 まただ。また歩や同僚の前で、不調を露にしてしまった。情けない、悲しくて涙が出てくる。
 でも、こんな状態でも死にたくないと思うなんて。


 美音は自宅に居た。緑の家から持ち出したなりの拳銃を見回していたのだ。
 リビングの扉が閉まる音がする。恐らく母親がどこかへと出かけていったのだろう。
 伺いながら一階に降りると、様々な電子機器の電源が抜かれている事に気付いた。この事から恐らく、遠出でもするのだろうと悟る。

 溜め息と同時に、徐にコードを差しテレビをつけると¨雛祭りに子どもと一緒に出かけたい場所¨の特集が組まれていた。
 日本人は行事になると、何にでも楽しい方へこじつけようとするから、見ていて嫌になる。そんな不快になる少数派の事なんて、範疇に置いてはいないんだろうな。

 美音は不快感を露にしつつも、昔からずっとずっと描き続けていた理想図を重ねてしまい、番組を切り替える事も消す事も出来なかった。


 数分後、鈴夜は点滴を受けた状態で、ベッドに力なく横たわっていた。少しの時間の出来事だったが、酷く疲れた。

「…また付き添わせてすみません…」

 放心気味に、天井を見詰め続ける。落ち着きは取り戻したが、逆に思考が回らない。

「大丈夫だよ…そんなの気にしなくていい、それより辛かったな」

 慰めに、乾ききらない頬が濡れる。
 助けを求めてしまいたい、この恐怖を打ち消して欲しい。
 歩と話をした日を思い出し、鈴夜は浅く息を吸っていた。

「…………折原さん、僕なんなんでしょうか…?」

 歩は、天井をじっと見詰める鈴夜の、空ろな瞳を凝視する。

「…先生に聞いたけれど今教えて欲しい?それとも先生から聞きたい?」

 事情を把握しているらしき歩の顔を見ると、深刻そうに、だが強い瞳を向けていた。正体不明の恐怖が落ちる。

「………今、聞きたいです…」

 緊張を浴び、素直に鼓動が早くなった。

「鈴夜くんはね、パニック障害っていう病気かもしれないんだって」
「…え?」

 落ち着いた声で告げられた病名は、聞き覚えがありながらも馴染みが薄く、鈴夜は瞠目していた。不明瞭な部分が多く、緊張感が抜けない。

「心の病気だよ、ちゃんと治るらしい」
「……そう、なんですか…」

 予想は的中していた。心因性のものならば、原因が特定できなくとも納得できる。
 だが、頭で分かっても、ショックは隠しきれなかった。

「………辛かったな、ずっと頑張ってたもんな…ごめんな気付かなくて」

 歩は、落ちる雫を絶えず拭いながら、困り笑顔を浮かべる。鈴夜は空いている左手で、優しく浚う指先を止めた。
 病まで引き起こした己の弱さに、失望感を感じてしまう。恐怖感も抜けない。全貌がよく分からなくて得体が知れなくて、未来に不安ばかりが降る。

「……僕、まだ悪くなるんですか…?」
「…大丈夫だよ鈴夜くん、一度ちゃんと話を聞こう?そうすれば落ち着くよ」
「…………はい…」

 薬の副作用によってはっきりとしない脳内で、近い内に訪れるであろう治療と言う名の暗い未来が浮かんできた。


 二人が話をしている丁度その頃、淑瑠は病院に辿り着いていた。部屋の前まで来て、二人の雰囲気ある話し声に入れなくなってしまったのだ。内容は聞き取れず読めない。けれど今は入室するべきではないと感じた。
 暫くして声が止んだのを見計らい、ノックする。歩の「淑瑠君かな?」という呟きが聞こえてから、入室を促す声が届いた。

「失礼します」

 鈴夜を見ると、良好とは言えないが落ち着いた様子を見せていた。
 電話では相当苦しんでいると聞いた。その所為で今の今まで気が休まらなかったが、漸く一旦胸を撫で下ろせた。

「……辛かったね」
「……ごめん」

 鈴夜の瞳は潤んだままだった。眠そうに瞼を重くしていて、意識がはっきりとしないのが分かる。

「ううん、体調悪かったの気付けなくてごめんね」

 鈴夜は自責を負わせてしまった事に、また悲観を背負った。
 不調も重なったが、実際は医師でも直ぐに分からない病だったのだ。淑瑠にだって分かるはずはないのに。

「……違う…んだ…僕は…」

 声を詰まらせながら発言する鈴夜に、淑瑠は戸惑ったが、歩の優しい目配せに冷静に戻った。
 淑瑠はベッドに寄り床に膝を付くと、鈴夜の顔の近くへと耳を寄せた。安心させる為、笑顔を作って。

 鈴夜は淑瑠の表情を目にし、震える心が緩和するのを感じた。親身に自分に近付こうとしてくれているのを汲み取り、その愛情を無碍にしてしまわないよう懸命に打ち明けてゆく。

「…………病気、なんだ…心の…だから…淑兄は…」
「ありがとう鈴夜」

 容易に想像できた鈴夜の優しい気持ちを受け取り、感謝しながら右手で軽く頭を撫でた。

「教えてくれてありがとう、嬉しいよ、ありがとう」

 重大事項の暴露なんて、簡単に出来る事ではないだろう。鈴夜の気持ちを考えると、心が痛くなる。
 現実は目を伏せたくなる物であるのに、打ち明けてくれた事実が嬉しくて、淑瑠は複雑な感情のまま泣いていた。
 絶対に鈴夜を助けよう。病から救い出そう。
 そう強く思った。

 その後暫くして医者がやってきて、幾つかの質問を受けた。その結果は、歩が言っていた通りの物だった。
 医師は時間を多く取り、診断結果であるパニック障害の事を詳しく教えてくれた。鈴夜と淑瑠、歩の3人で話を聞く。

 基本症状は突然の動悸や息苦しさ、震え、胸部の不快感、眩暈、寒気、火照りや冷や汗等があり、強い死の恐怖に襲われるらしい。
 鈴夜は実際味わった事もあり、素直に受け止めていた。寧ろ実態が分かって淡い安心感まで溢れてくる。

 時間としては、10分から1時間で症状が治まるという。その為気付かれない事も多いとの事だ。
 治療法としては薬物療法と心理療法があるのだが、思い当たる原因を尋ねられて一つに纏める事ができず、原因の特定が出来ないとして薬物療法で進める事になった。

 その後も、発作時の対処や呼吸法等、様々な話を聞いて、一日が終わった。
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