212 / 245
【2】
しおりを挟む
◇
消灯時間間近である事を告げる、放送が鳴り響く。
一日中痛みと戦う淑瑠を見ながらも、鈴夜は悲しい声を漏らしてしまわないように堪え続けた。
今一番泣きたいであろう淑瑠の前では、絶対に弱い顔を見せないと決めたのだ。淑瑠の心を守る事しか、今の自分には出来ないから。
「……淑兄……僕そろそろ帰るね……」
一日淑瑠を見ていて、聴力や視力も落ちている様子が見受けられた。一時的か後遺症かは分からない。
その為軽く肩に触れて、別れの挨拶を告げた。
玄関に行くと、樹野の後ろ姿が見えた。瞬間隅に追い遣られていた事件の存在が浮かぶ。
淑瑠が巻き込まれたと誤解した事件の事だが、淑瑠は該当者ではなかった。だとすると他に被害者がいる事になる。
それは樹野と近しい人間であり、襲われる可能性の高い依仁なのではないだろうか。
声掛けを躊躇った鈴夜は、樹野の横を通り過ぎてしまおうと試みた。だが、
「……みっ、水無さん……」
顔を上げた樹野の顔色は真っ赤だった。見るに堪えない愁いが、その表情に乗っかっている。ひしひし伝わってくる感情に、誘われたが堪えた。
「………大丈夫…ですか?」
樹野の無理矢理な笑顔が、鈴夜に向かって放たれた。鈴夜は樹野と最後に会った、車内での事を思い出す。
「……だ、大丈夫です……なんでもないですから……」
今にも溢れてしまいそうな悲しさを抱えながらでは、単調なトーンでしか話せなくて、しかも詰まってしまう。
「……そう、ですか……」
「……浅羽さんのお見舞い、ですか……?」
確信前に尋ねてしまう事に抵抗はあったが、鈴夜は穴を残したまま帰るのも嫌で、けれど出来るだけ早く帰りたくて、尋ねてしまった。
何も言わない樹野の表情から、依仁の状態が伺える。
「……どうしたら良いんですかね……どうしたら……」
樹野は両手で顔面を覆い隠した。余程追い詰められているのか、何度も同じ単語を繰り返す。
「……私怖いです……でもどうしようもなくて…ごめんなさい、水無さんも怖いのに…ごめんなさい……」
「……八坂さん」
鈴夜は咄嗟に幾種の単語を浮かべ、選択して行く。だが最後には何一つ残る事無く、仕方なく浮かびあがった適当な言葉を口にしていた。
「………頑張りましょう」
直後、間違えた、と後悔した。
――帰宅時、鈴夜は闇に震えていた。足が竦み諤々と震える。
依仁が襲われたと言う事実を受けて、鈴夜は更にトラウマを深めていた。
緑が居なくなったからと安心出来る筈が無かった。また狙われる可能性が高まった事で更に進みが遅くなる、と言う悪循環に襲われる。
緊張が極限に達し、座り込みそうになった時、車の音と声が聞こえた。
「水無さん? 大丈夫ですか?」
近くに一旦停止し、窓を開いて声をかけてきたのは明灯だった。
「……大丈夫……です……」
「乗ってください、送りますよ」
「……でも…」
「辛そうですし、早く家に帰った方がいいですよ」
鈴夜は断った末の未来を思い描き、不安は残るが甘える事にした。
明灯の車の中は暖かく、甘い香りがした。リラックス効果があるのか、壁に囲われたからか妙に心が落ち着く。
「家どこですか?」
「…常葉アパートです…」
走り出した車内で、隣からポツリと声が落とされる。
「…どうして暗い中で歩いていたんですか? 危ないですよ」
「……ちょっと…」
「…お見舞いですか?」
言い当てられて鈴夜は絶句した。いや、病院付近に居れば誰にだって分かる事だろうけど。
「……知人が事故をしまして…辛そうで辛そうでどうしたらいいか分からないんです…」
鈴夜はとうに我慢の限界を迎えており、明灯に訴えていた。何も知らない人物に打ち明けるなんて、自分は何を考えているんだろう。いや、何の事情も知らなさそうな明灯だから、話せたのかもしれない。
「…そうですか、大変そうですね。力になれたら良いのですが…」
病院とアパートは近く、直ぐに辿り着いた。鈴夜は丁寧に礼を残し、助手席を降りる。
明灯は降りた鈴夜に声をかけるために、態々助手席の窓を開けて伝言する。
「水無さん自身も辛くなってしまわないように、無理はしないで下さいね。ご友人の事も大事ですが、まずは自分を大事にしないとご友人に更に心配をかけてしまいますよ」
尤もな意見を受け、鈴夜は飲み込みつつ否定した。だがそれは明灯には見せず、苦笑いだけ返した。
◇
閉じた車内で、言えなかった呟きが一人事になって落ちる。
「……そんなに人の事ばかり考えては駄目だよ……、もう少し距離を取らないと痛くなるのは自分だから、なんて言えないな……」
明灯は、少し見ただけで分かるほどのその優しさが、徒になってしまいませんようにと願う。
大好きな人を気付かない内に追い詰め、殺してしまった自分のように、彼が苦しむ事がないように。
◇
鈴夜は夜通し思案していた。明灯の言いたい事もよく分かる。けれどそれが出来ているなら、今苦しんではいないのだと皮肉さえも浮かび上がる。
鈴夜は醜い思考回路に、涙し続けた。
淑瑠を不幸にした事から、また様々な人達への謝罪の気持ちが溢れ出す。言っても言っても伝わらない¨ごめんなさい¨を呟き続ける。
涙は手元の傷に落ち、ゆっくりと溢れては流れ続けていく血の上に落ちた。既に体が悲鳴を上げていて、心も限界を訴えている。
けれど、やはり今は自分を大切にしている場合ではない。今までずっと変わらない優しさを与え続けていた淑瑠に、今は自分が優しさを与えて、そうしてくれたように救わなくてはならない。
今度は岳のようにしない為に、何事からも目を背けたりしない。
◇
ねいは樹野から聞いた話を忘れない内に、パソコンで進行状況のメモ欄に書き起こしていた。たった数行に纏まる証言の中に、不審点は無いように思える。
「どうでしたか? 状況聞けました?」
「ええ、聞く?」
「はい」
尋ねておきながら、また放棄されるかと思ったねいは、素直な相槌に驚きつつ、証言を思い出し羅列した。
「女性は浅羽さんに送り迎えをして貰っていたらしくて、その日は丁度雨が降っていたでしょ、傘が無かったから濡れないように傘をさしてくれて、その時車外に出たらしいわ。女性はその時アパートの壁に隠れていて、恐らく犯人から見えない位置にいたんでしょう、撃たれた浅羽さんが倒れるのをその目で確り見ていたらしいわ」
「なるほどー、付き合ってるんですかね?」
他に幾つも存在する着目点を差し置いて、着眼したポイントに、ねいは飽きれを通り越し絶句した。
「送り迎えですからね~、付き合ってるんでしょうね~」
「……そうみたいね…ただの友達、って感じではなかったわ…」
執拗な泉を掻い潜る為に、ねいは適当な答えを落とす。
実際、樹野と依仁の関係性については、ねいも焦点を合わせたが、それはもちろん泉とは違う感情の元でだった。
消灯時間間近である事を告げる、放送が鳴り響く。
一日中痛みと戦う淑瑠を見ながらも、鈴夜は悲しい声を漏らしてしまわないように堪え続けた。
今一番泣きたいであろう淑瑠の前では、絶対に弱い顔を見せないと決めたのだ。淑瑠の心を守る事しか、今の自分には出来ないから。
「……淑兄……僕そろそろ帰るね……」
一日淑瑠を見ていて、聴力や視力も落ちている様子が見受けられた。一時的か後遺症かは分からない。
その為軽く肩に触れて、別れの挨拶を告げた。
玄関に行くと、樹野の後ろ姿が見えた。瞬間隅に追い遣られていた事件の存在が浮かぶ。
淑瑠が巻き込まれたと誤解した事件の事だが、淑瑠は該当者ではなかった。だとすると他に被害者がいる事になる。
それは樹野と近しい人間であり、襲われる可能性の高い依仁なのではないだろうか。
声掛けを躊躇った鈴夜は、樹野の横を通り過ぎてしまおうと試みた。だが、
「……みっ、水無さん……」
顔を上げた樹野の顔色は真っ赤だった。見るに堪えない愁いが、その表情に乗っかっている。ひしひし伝わってくる感情に、誘われたが堪えた。
「………大丈夫…ですか?」
樹野の無理矢理な笑顔が、鈴夜に向かって放たれた。鈴夜は樹野と最後に会った、車内での事を思い出す。
「……だ、大丈夫です……なんでもないですから……」
今にも溢れてしまいそうな悲しさを抱えながらでは、単調なトーンでしか話せなくて、しかも詰まってしまう。
「……そう、ですか……」
「……浅羽さんのお見舞い、ですか……?」
確信前に尋ねてしまう事に抵抗はあったが、鈴夜は穴を残したまま帰るのも嫌で、けれど出来るだけ早く帰りたくて、尋ねてしまった。
何も言わない樹野の表情から、依仁の状態が伺える。
「……どうしたら良いんですかね……どうしたら……」
樹野は両手で顔面を覆い隠した。余程追い詰められているのか、何度も同じ単語を繰り返す。
「……私怖いです……でもどうしようもなくて…ごめんなさい、水無さんも怖いのに…ごめんなさい……」
「……八坂さん」
鈴夜は咄嗟に幾種の単語を浮かべ、選択して行く。だが最後には何一つ残る事無く、仕方なく浮かびあがった適当な言葉を口にしていた。
「………頑張りましょう」
直後、間違えた、と後悔した。
――帰宅時、鈴夜は闇に震えていた。足が竦み諤々と震える。
依仁が襲われたと言う事実を受けて、鈴夜は更にトラウマを深めていた。
緑が居なくなったからと安心出来る筈が無かった。また狙われる可能性が高まった事で更に進みが遅くなる、と言う悪循環に襲われる。
緊張が極限に達し、座り込みそうになった時、車の音と声が聞こえた。
「水無さん? 大丈夫ですか?」
近くに一旦停止し、窓を開いて声をかけてきたのは明灯だった。
「……大丈夫……です……」
「乗ってください、送りますよ」
「……でも…」
「辛そうですし、早く家に帰った方がいいですよ」
鈴夜は断った末の未来を思い描き、不安は残るが甘える事にした。
明灯の車の中は暖かく、甘い香りがした。リラックス効果があるのか、壁に囲われたからか妙に心が落ち着く。
「家どこですか?」
「…常葉アパートです…」
走り出した車内で、隣からポツリと声が落とされる。
「…どうして暗い中で歩いていたんですか? 危ないですよ」
「……ちょっと…」
「…お見舞いですか?」
言い当てられて鈴夜は絶句した。いや、病院付近に居れば誰にだって分かる事だろうけど。
「……知人が事故をしまして…辛そうで辛そうでどうしたらいいか分からないんです…」
鈴夜はとうに我慢の限界を迎えており、明灯に訴えていた。何も知らない人物に打ち明けるなんて、自分は何を考えているんだろう。いや、何の事情も知らなさそうな明灯だから、話せたのかもしれない。
「…そうですか、大変そうですね。力になれたら良いのですが…」
病院とアパートは近く、直ぐに辿り着いた。鈴夜は丁寧に礼を残し、助手席を降りる。
明灯は降りた鈴夜に声をかけるために、態々助手席の窓を開けて伝言する。
「水無さん自身も辛くなってしまわないように、無理はしないで下さいね。ご友人の事も大事ですが、まずは自分を大事にしないとご友人に更に心配をかけてしまいますよ」
尤もな意見を受け、鈴夜は飲み込みつつ否定した。だがそれは明灯には見せず、苦笑いだけ返した。
◇
閉じた車内で、言えなかった呟きが一人事になって落ちる。
「……そんなに人の事ばかり考えては駄目だよ……、もう少し距離を取らないと痛くなるのは自分だから、なんて言えないな……」
明灯は、少し見ただけで分かるほどのその優しさが、徒になってしまいませんようにと願う。
大好きな人を気付かない内に追い詰め、殺してしまった自分のように、彼が苦しむ事がないように。
◇
鈴夜は夜通し思案していた。明灯の言いたい事もよく分かる。けれどそれが出来ているなら、今苦しんではいないのだと皮肉さえも浮かび上がる。
鈴夜は醜い思考回路に、涙し続けた。
淑瑠を不幸にした事から、また様々な人達への謝罪の気持ちが溢れ出す。言っても言っても伝わらない¨ごめんなさい¨を呟き続ける。
涙は手元の傷に落ち、ゆっくりと溢れては流れ続けていく血の上に落ちた。既に体が悲鳴を上げていて、心も限界を訴えている。
けれど、やはり今は自分を大切にしている場合ではない。今までずっと変わらない優しさを与え続けていた淑瑠に、今は自分が優しさを与えて、そうしてくれたように救わなくてはならない。
今度は岳のようにしない為に、何事からも目を背けたりしない。
◇
ねいは樹野から聞いた話を忘れない内に、パソコンで進行状況のメモ欄に書き起こしていた。たった数行に纏まる証言の中に、不審点は無いように思える。
「どうでしたか? 状況聞けました?」
「ええ、聞く?」
「はい」
尋ねておきながら、また放棄されるかと思ったねいは、素直な相槌に驚きつつ、証言を思い出し羅列した。
「女性は浅羽さんに送り迎えをして貰っていたらしくて、その日は丁度雨が降っていたでしょ、傘が無かったから濡れないように傘をさしてくれて、その時車外に出たらしいわ。女性はその時アパートの壁に隠れていて、恐らく犯人から見えない位置にいたんでしょう、撃たれた浅羽さんが倒れるのをその目で確り見ていたらしいわ」
「なるほどー、付き合ってるんですかね?」
他に幾つも存在する着目点を差し置いて、着眼したポイントに、ねいは飽きれを通り越し絶句した。
「送り迎えですからね~、付き合ってるんでしょうね~」
「……そうみたいね…ただの友達、って感じではなかったわ…」
執拗な泉を掻い潜る為に、ねいは適当な答えを落とす。
実際、樹野と依仁の関係性については、ねいも焦点を合わせたが、それはもちろん泉とは違う感情の元でだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる