Criminal marrygoraund

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 翌日、鈴夜は自宅に戻ってきていた。素直に医師の判断を仰ぎ、帰宅の許可を貰い、昨夜帰ってきたのだ。
 しかし、直ぐに淑瑠の元へと行く為、殆ど家にいる時間は無いに等しい。それでも、やはり病院にいるのは気も張るし、自宅は良い物だと思う。
 自由に行動できる分、制御は利かなくなるのだが。
 鈴夜は巻き直した包帯の上から、傷を見据えた。


 職場は相変わらずの忙しさだ。歩は鞄に丁寧に仕舞ったままの辞職届を、どのタイミングで提出しようか考えていた。
 さっぱりと辞職を認めてもらえるだろうか。理由を鮮明にしない状態では、それも難しいかもしれない。けれどそれでも、命を守る為には絶対に取得するしかないのだ。
 それでさえも、守れるか怪しいのに。

 歩は、意識の内側に浮かんできた最悪の想像に、必死で否定を並べた。
 依仁も、淑瑠も、樹野も、もう誰の最期も見たくない。

「折原さん」

 ノックと声に反応し、顔を上げると微笑んだ明灯が入ってきた。

「明灯さん、いつもすみません」

 必要書類を軽く纏めて駆け寄ると、明灯の頬や首に残る鋭い切り傷に目が留まった。明灯に傷があるのを見るのは初めてかもしれない。

「…その傷、どうかしたか?」
「少し不注意で、怪我をしてしまいました」

 歩は、傷の種類が鈴夜の物に似ていた事から、良からぬ心配をしてしまった。場所的に、違うとはっきり分かるのだが。

「…そうか、何かあれば言ってくれよ。話くらいなら聞くから」

 深刻そうな色を見せる歩に、明灯はきょとんと目を丸める。だが、直ぐに微笑んだ。

「ありがとうございます」

 数年前から変わらぬ笑みの形を見せ続ける明灯の、内心が澱んでいないか歩は不安になった。勇之の出来事があってから一ヶ月半経過するが、明灯は一向に弱さも、不安定さも見せない。
 仕事を辞めるにあたり、明灯の事が少し心配だ。

 皆が同じダメージを受ける訳ではないと理解しつつも、似た背中を持つ二人を切り離す事が出来なかった。


 樹野はノックの音が響く前に、気配で背後を見ていた。目の前で眠る依仁は、ずっと同じ顔をしている。
 ノックが響き、入ってきたのは柚李だった。

「……柚李ちゃん……」
「……どうしたの?」
「……ううん、何でもないよ」

 樹野はやつれている自覚を持ちながらも、性格上無駄な心配をかけたくないとの心情が働き、笑っていた。

「…疲れてるね、休んでる?」
「うん、休んでる。大丈夫だよ」

 柚李は足を踏み出し、丸椅子に腰掛ける樹野の横に並んだ。樹野の視線を追いかけるようにして、依仁の姿を見詰める。複雑な心情に駆られながら。

「……もしかして、キスの話って浅羽さんだったの?」
「…えっ」

 樹野は反応に困った。もっと深刻な話題から入ってくれたならば、それなりな顔色が出来たのに。入りがこれでは、返す言葉も見つけられない。

「…………好きなの?」
「……えっと」

 答えがはっきりしているのに関わらず、樹野は躊躇う。第一、はっきりと愛を表明できるほど、自分の性格は飄々としてはいないのだ。

「幼馴染み、みたいな?」
「あっ、うん、そんな感じ」

 樹野は話が反れた事に乗っかり、この状況でさえも赤面しそうになっていた顔色を鎮めた。

「…じゃあ樹野ちゃんも事件当事者なんだね…」

 柚李の零した呟きに、樹野の顔色は蒼くなった。


 美音は懐かしい夢を見ていた。小さい頃、まだ緑と一緒に住んでいた頃の話だ。
 あの頃はまだ、母親からたくさんの世話を受けて育っていた覚えがある。けれど、そんな時でさえ、両親は緑に対して風当たりが悪強かった気がする。

 そんな兄を庇っている内に、時間が経過する内に、何があったのか両親の性格は歪んで行き、どんどん家庭内は廃れていった。そうして現在の状態に至る。その時はまだ、小学校に上がっていなかった気がする。
 その後両親は離婚し、母親と二人で暮らし始めたのだが、愛を分けてもらえず、よく緑の元――住んでいた家に密かに遊びに行っていた。

 今思えば、両親が狂ったのは事件のせいだと分かる。きっと両親は、大量虐殺を齎した銃の出所が自宅であると気付いていたのだろう。
 それでも、知らない不利をしている内に狂ってしまったんだ。それで、緑を責めるようになってしまったんだ。

 16年前にタイムスリップして、緑を止めてあげたい。そうして、こんな未来を消しさってあげたい。
 そんなに距離のある過去へと帰れないというのなら、せめて緑が死ぬ前の日に戻りたい。その日に一緒に殺してほしかった、死にたかった。
 そしたら、緑に冤罪を突き付けられる事はなかったのに。

 美音は描いた少し先の未来から、目を逸らすようにして玩具の銃を乱射した。


 鈴夜は、入って早々目にした情景に驚きを隠せなかった。

「あっ、鈴夜、見てほら意外と立てる」

 そこには松葉杖で器用に立ち、ゆっくりと歩いている淑瑠がいたのだ。足先の感覚が弱いと言っていたのに、平然とこなしてしまう器用さに唖然としかできない。

「先生にも驚かれたよー、器用だねって…」

 よろりとバランスを失いそうになった淑瑠を、鞄を持ったままで反射的に支えた。

「はは、ありがとう、ごめん」

 鈴夜はつい、見えない表情を思い描いてしまった。自分ならば、もう歩けないかもしれないと言われたら、打ちひしがれるだろうから。

「がんばるよ」

 バランスを取り戻した淑瑠は、情けなさそうな微笑を浮かべていた。
 本当は泣きたいだろう。けれど、悲しみを内側に秘めて前向きさを映し出す、その顔はとても綺麗だ。
 淑瑠の前向きさには、何時だって驚かされる。見習わなくてはならない模範だ。

「……凄いね、淑兄すごいね……!」

 鈴夜は笑ってみせた。懸命に日々に帰ろうとする淑瑠を、どういった方法で支えられるのか必死に思案した。


 ねいは警察署にて、淑瑠の事故について調べていた。
 淑瑠の事故には、事故と呼ぶには明らかに不可解な点があった。交通安全課も疑問視するほどの点だ。

 事故原因は、トラックの故障にあった。ブレーキの故障に寄るもので、調整ミスといえば終わりなのだが、気付く余裕もないくらい突然に故障する物かとの疑問が浮かんだのだ。
 明らかに¨細工¨の臭いがするのだ。

「明日、容疑者の自宅へ訪問してくるわ」
「容疑者というと、最近やって来た新人さんですか? 事故の当日に辞めちゃったって言う…」
「そうよ。社長さんは怖くなって辞めたと聞いたって言っていたけれど、出現期間が可笑しすぎるのよね」

 ねいは淑瑠の働いていた職場に問い合わせて、疑問点を尋ねていた。そうして、その際出てきた新人の話に焦点を合わせていた。

「そうですかー、何か分かると良いですね」

 思いもよらぬ第3者の存在に、ねいは違和感しか浮かばなかった。


 柚李と樹野は、そのままの体勢で話し続けていた。

「……そっか、じゃあ事件には関わっていなかったんだね」
「……うん」

 樹野は、直接関わった訳ではないが、事件当時在籍していた事を告げた。当日は病気――仮病だが自宅にいた事も。

「……そっか、でもだったら凄く怖かったよね」

 柚李は悲しげに眉を垂らす。
 樹野は、今まで伏せていた事実を知られて大きな恐怖も覚えたが、慰めに安堵感も得ていた。

「……そっか……ごめんね変な事聞いて。少し気になったものだから。じゃあ行くね」
「……あっ、うん」

 去り行く柚李の背に¨行かないで¨と訴えつつも、声にする事は出来なかった。


 歩は仕事を終えると、直ぐに病院へ走った。今日も遅い時間になってしまった。
 脳内は、昼頃の対面でいっぱいだ。
 そう、歩は休憩時間を利用し、辞職届を提出していた。

 出したところまでは良かった。だが、容易に受理される訳も無く、考え直してくれとせがまれてしまった。理由を聞かれてもまともに答える事が出来ず、社長を困らせ続けてしまった。
 お人好しな部分がある歩は、意志を貫こうと努力したものの負けてしまい、話し合いはまた後日に行われる事となった。

 樹野の部屋に辿り着き、ノックをすると控え目な返事が返って来た。

「失礼するよ」
「……こんばんは、お疲れ様です……」

 部屋は、樹野と依仁の二人きりだった。変わらない様子の依仁に視線を合わせて、愁う。

「中々、だな」
「……そう、ですね……」

 樹野の顔に、暗がりが落ちているのに歩は気付いた。明らかに昨日よりも濃くなっている。

「……樹野ちゃん、無理しすぎるなよ」
「……え?あぁ大丈夫ですよ、頑張ってるのは依仁くんですから。私なんか何も出来ないし……」

 上手く慰めが描けなくて、歩は無理矢理な台詞を落とすしかなかった。

「……きっとその内目が覚めるよ……」
「……はい……」

 樹野は樹野で、昼間の出来事を考えていた。
 今まで一切柚李から聴いたことのなかった単語が、口の前に出されて怖くなった。
 一番に気付いたのが柚李で良かったが、柚李が気付いたように他の誰かに気付かれて、事件に巻き込まれたらと思うと気が気でない。

「……折原先生は怖くないですか……?」
「えっ?」
「……事件には全く関わっていない鈴夜さんも、被害者の方も巻き込まれていますよね……だったら私や折原先生は尚更……」

 歩は樹野の心を理解した。今はCHS事件に関わった全員が危ないと言える状況まで来ている。かと言い、成す術も、自己防衛する術もないのが現実だ。

「……樹野ちゃんは大丈夫だよ、何も言わなければきっと大丈夫だ。今までだって大丈夫だったじゃないか」

 樹野は歩の発言について、心の奥では十分に理解していた。
 本当のCHS事件は――一般には語られていない事件の深層は、心の中だけにある真実は――誰の口からも話されず隠蔽されてきた。
 今まではそのお陰で身の安全を守れてきたが、加害者達を強く憎む被害者に知られれば、絶対に危険な目に合わされるだろう。
 かと言って隠し続ければ、危ないのは大切な人だなんて。

「…………逃げたい……でも依仁くんを置いていけない……」
「……ごめん、何も出来なくて……」

 樹野と歩は、互いに互いを困らせている自覚を持ちながらも、訂正を入れる事無く黙り続けた。
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