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次の日になっても、鈴夜が目を開ける事はなかった。顔面蒼白で見るからに苦しげだ。歩は一晩中眠らずに、無傷な右手を握り締めていた。
傷を塞ぐ手術を受けた時には、多くの血液を失っていて、危篤状態にまで陥っていたという。それ程になるまでに深い傷をつけて、死を招こうとしていた事実に、歩は自分を責めていく。
ここに至るまで、結局何も出来なかった。もっと力があって淑瑠を守れていたら、鈴夜も守れていたのに。
どうすれば良いか分からない。鈴夜も樹野も、依仁も守る為には、何を選択すれば良いのか分からない。
「……ごめん……何も出来なくて……無力でごめん……けれどそれでも生きてほしいんだ……鈴夜くん……」
泣くべきではないと分かりながらも、我慢は困難を極めた。
◇
明灯は仕事が始まる前、欠勤していた歩に電話を掛けていた。だが繋がらない。職場からの連絡に寄れば、知人が体調を悪くしているから暫く休むかもしれないと話していたそうだ。
明灯は、知人が恐らく鈴夜であると予想していた。それかCHS事件に関わる誰かか。
考えながら発信を止めると、柚李からの発進履歴が表示された。丁度、同時刻に掛けて来ていたのだろう。明灯はすぐさま折り返す。
≪あっ、明灯さん、すみません≫
「大丈夫だよ、どうした?」
柚李から電話が来るといえば、新情報の報告か、それ以外だと何か相談事かに限る。
≪……あの、報道見ましたか?≫
「……見たよ」
≪…………あと一人になりました≫
「……そっか」
柚李の声は消え、静けさだけが空間に降る。
≪……あの、えっと、ただそれが言いたくて、頑張るって宣言したくて……迷惑ですよね……≫
本当は喜ぶべきである、柚李の声色が迷っている。心が揺れ動いていると一発で悟れた。
「何かあった?」
≪……えっと、関係ない方まで巻き込んでしまうのはやっぱり辛いなって……≫
「うん、そうだね」
憎み、自分達が怒りの対象にしていたのは、加害者である6人の少年だけだ。それは昔から変わらない。
≪……明灯さんは責めないんですね、関係ない飛翔君を死に導いたのは私なのに≫
柚李の口から漏れ出した出来事について、明灯は思い出す。柚李に相談されて、薬を手渡した光景を。
「責めないよ、あれは仕方がない事だったしね。それに私も協力したんだ、同罪だよ」
あの時だって迷っていて、けれど目的の為に選ばざるを得なかった。今だって、後悔しているから出来事が口頭に上るのだろう。
≪……いつも優しくして下さって有り難うございます、明灯さん大好きです……≫
「……こちらこそありがとう」
柚李の事をあまり知らず、¨同じ気持ちを抱く者¨との共通点を持つだけで、こんな未来へ導いてしまった。
明灯は今更、罪悪感を覚えた。
◇
ねいは泉の傍らで、パソコンを見詰めていた。サイトだ。
公表により、書き込み数自体は減っている。しかしその分、過激派が目立つようになった気がする。
警察も皆殺しだとか、この際町ごと燃やしてしまえだとか、面白半分な発言が際立っている。
「どうですか? ハッキング」
直接的に問われて、ねいは首を横に振る。無い時間を見出して何度かトライしてみたものの、完全にお手上げだった。
「無理ね、結構強固よ。泉さんにパスだわ」
「私も無理ですね、他の部署からの攻撃が凄くて。言い訳に必死ですよ」
「……そう、じゃあ落ち着いたらで良いわ」
他の部署からの非難は凄まじい物だった。
CHS事件との関わりがあると、隠していた事は知られてはいない。しかし、逆を突き、なぜ今の今まで気が付かなかったのかと、失敗と見做され責められてしまった。
元々、仲の良い署ではないが、署内での面倒ごとに時間を裂く事になろうとは想定外だ。
「他の事件も全然進展しないし、もう嫌になりますねー。犯人自首しないかなー」
凜事件と、勇之、緑事件については、未だに解決の兆しが見えなかった。捜査すれども証拠一つ残されておらず、足取りさえも掴めないのが実情だ。
かと言って、まだまだ放棄するには時間が経過しておらず、そちらに時間を充てる必要もある。
「……全部終わったら消えるのかしら」
主語のない呟きに、泉は瞳を瞬く。だが興味が無いのか、首を傾げたままどこかへと行ってしまった。
◇
歩は医師と入れ違いで部屋を出て、通信可能エリアにて携帯を開いていた。
少しでも進展を把握しておこうと思ったのだ。何かを知っていると知らないでは、行動のし易さが変わってくるだろう。
しかし、まず目に付いたのは明灯からの連絡だった。
歩は、繋がらない覚悟で明灯へと折り返した。数回コールを重ねて明灯の声が聞こえてくる。
≪もしもし≫
他の社員の声も微かに聞こえた為、仕事中だと分かった。
「もしもし。電話すまないな、どうかしたか?」
≪いいえ、お休みされていたので大丈夫かなと。もしかして水無さんですか?≫
「……あ、あぁ、よく分かったな」
図星で驚いたが、明灯が鈴夜を気掛かりのしていた事を思い出し、可笑しくは無いかと納得する。
≪……大丈夫ですか?≫
「大丈夫、だよ」
≪また体調崩してしまったんですか?≫
「……まぁそんなところだ」
歩は、急速に弱ってゆく鈴夜の横顔を思い出し、潜めていた思いを口走っていた。
「……何と声をかければ良いのか悩んでしまうな。鈴夜くんには笑って生きていて欲しいのに……」
≪……歩さんの思う通りで良いと思いますよ、きっと水無さんにも伝わります≫
「……でも、無理に笑えというのもな……」
弱気になっているのが自分でも分かる。上手くいかない事だらけで滅入っているのかもしれない。
≪じゃあ、生きていて欲しいと伝えて下さい≫
静かながらも、はっきりとしていて的確な助言に、歩は圧倒された。
「……あ、あぁ、そうだな、そうするよ」
だが、決意は促された。鈴夜の心を直す前に、まずは繋ぎ止めるところから考えてみよう。
「明灯さん、ありがとう」
≪いいえ。水無さんが早く良くなりますように。それでは失礼します≫
「あぁ、じゃあまた」
電話が切れて、歩は直ぐに携帯を下ろした。主電源ごと切って部屋へと早歩きする。
部屋に入ると、白髪交じりのベテラン医師が、鈴夜を見守り帰りを待っていてくれた。部屋を出る前、残していった歩の願いを聞いてくれたのだ。
「すみません、有り難うございました」
髪を撫でる仕草を見ていた医師は、柔らかく微笑む。
「お父さんみたいだね」
「え、そう見えますか。そうですね、ちょっと大きいけど子どもみたいな感じです」
様々な出来事を経る度に上司と部下の関係を通り越し、何時しか鈴夜は愛しい存在へと変わっていた。
淑瑠や大智の友人であった事もあり、自分が不幸にしてしまった一人でもある為、純粋な愛を注いでいるというのも少し嘘になるが。
「……守ってあげたいですね……」
「そうか、でも君も頑張り過ぎないようにね」
「はは、ありがとうございます」
医師から流れるように視線を移動し、鈴夜を見ると、少し顔色が良くなっているように感じた。呼吸も正常に戻りつつある。
だがその表情は、悪夢の中にいるかの如く歪んでいた。
◇
歩の見た通り、鈴夜は悪夢に苛まれていた。
美音が銃口を向けてきて、弾が何発も体にめり込んでくる。痛みが鮮明に襲ってくる。
淑瑠が遣って来る足音を聞きながらも、来ちゃいけないと声を発する事が叶わず、淑瑠が姿を現して美音に飛び掛る。
美音のもがく姿を見ながらも、また声が消えてしまい泣く事しか選べない。
未来の、全ての出来事を把握してから見た一連の出来事は、後悔と罪悪ばかりが詰め込まれていた。
だが、夢の最後に、記憶には無い淑瑠の微笑んだ顔と、謝罪と愛の言葉が聞こえて来た。
鈴夜ははっとなり目を覚ましていた。乱れた呼吸を必死に整える。目の前で悲しげに見ていた歩に、伝い落ちそうになる冷や汗が拭われた。
「大丈夫かな?」
「……お、折原さん」
どこまでが夢で、どこからが現実なのかが曖昧になっている。だが手首に鈍い痛みが残っている事から、恐らくあの一件は現実だったのだろうと推測した。
「……ご、ごめんなさい……」
後になって、酷い場面を見せた自覚をする。血の色も臭いも、歩を酷く傷つけただろう。
しかし、罪悪感はあっても死への欲は消えてはいなかった。叶うならば消えてしまいたいと、まだ思っている。
「……鈴夜くん、私は君に死んでほしくない。笑ってくれとは言わない、生きて前を見てほしいんだ」
歩の目には愁いが落ちていた。いつもの笑顔はそこにはなく、言葉が心髄からのものであると一目で分かった。
真直ぐな瞳は、瞳を捉えて離さずに、強く意志を伝えてくる。
「酷な事をいっている自覚はある。けれどお願いだ、私の為に生きてくれ」
倒れる前、歩が叫んだ台詞を思い出した。
真偽は定かではなく、もしかしたら虚勢かもしれない。けれど本心かもしれない。自分が命を捨てる事があれば、歩も命を絶ってしまうのかもしれない。
それは駄目だ。それは嫌だ。
鈴夜は葛藤に陥ってしまい、返答を作り上げられず嗚咽した。
死にたいのに、死ねない。もう希望のない未来へと行きたくはないのに。
「ごめん。けれど鈴夜くんが大好きだから、私は鈴夜くんに幸せになってほしいんだ、普通に暮らしてほしいんだ」
優しく髪が撫でられて、淑瑠をまた思い出した。
夢の最後、淑瑠が残した言葉が本物ならば、淑瑠も歩と同じで、自分が生きる道を望んでいるのだろうか。
いや、望んでいたのだろう。危険を顧みず、美音の前に飛び込んでいった行為そのものが語っているではないか。
「……がんばり、ます……僕……がんばります……」
変則的に呼吸しながら、懸命に声を作る。逃げ出したくなる心を、無理矢理縛り付ける為に。
歩は、思いが聞き入れてもらえた事で急に目尻が熱くなり、隠す為に一瞬笑み、鈴夜の肩に軽く目を当てた。
「…ありがとう」
その後歩は、鈴夜に帰社を強く促され、後ろ髪を引かれる思いで仕事へと向かった。
部屋に一人残った鈴夜は、その後も幾度となく襲い来る衝動に何とか耐えた。
傷を塞ぐ手術を受けた時には、多くの血液を失っていて、危篤状態にまで陥っていたという。それ程になるまでに深い傷をつけて、死を招こうとしていた事実に、歩は自分を責めていく。
ここに至るまで、結局何も出来なかった。もっと力があって淑瑠を守れていたら、鈴夜も守れていたのに。
どうすれば良いか分からない。鈴夜も樹野も、依仁も守る為には、何を選択すれば良いのか分からない。
「……ごめん……何も出来なくて……無力でごめん……けれどそれでも生きてほしいんだ……鈴夜くん……」
泣くべきではないと分かりながらも、我慢は困難を極めた。
◇
明灯は仕事が始まる前、欠勤していた歩に電話を掛けていた。だが繋がらない。職場からの連絡に寄れば、知人が体調を悪くしているから暫く休むかもしれないと話していたそうだ。
明灯は、知人が恐らく鈴夜であると予想していた。それかCHS事件に関わる誰かか。
考えながら発信を止めると、柚李からの発進履歴が表示された。丁度、同時刻に掛けて来ていたのだろう。明灯はすぐさま折り返す。
≪あっ、明灯さん、すみません≫
「大丈夫だよ、どうした?」
柚李から電話が来るといえば、新情報の報告か、それ以外だと何か相談事かに限る。
≪……あの、報道見ましたか?≫
「……見たよ」
≪…………あと一人になりました≫
「……そっか」
柚李の声は消え、静けさだけが空間に降る。
≪……あの、えっと、ただそれが言いたくて、頑張るって宣言したくて……迷惑ですよね……≫
本当は喜ぶべきである、柚李の声色が迷っている。心が揺れ動いていると一発で悟れた。
「何かあった?」
≪……えっと、関係ない方まで巻き込んでしまうのはやっぱり辛いなって……≫
「うん、そうだね」
憎み、自分達が怒りの対象にしていたのは、加害者である6人の少年だけだ。それは昔から変わらない。
≪……明灯さんは責めないんですね、関係ない飛翔君を死に導いたのは私なのに≫
柚李の口から漏れ出した出来事について、明灯は思い出す。柚李に相談されて、薬を手渡した光景を。
「責めないよ、あれは仕方がない事だったしね。それに私も協力したんだ、同罪だよ」
あの時だって迷っていて、けれど目的の為に選ばざるを得なかった。今だって、後悔しているから出来事が口頭に上るのだろう。
≪……いつも優しくして下さって有り難うございます、明灯さん大好きです……≫
「……こちらこそありがとう」
柚李の事をあまり知らず、¨同じ気持ちを抱く者¨との共通点を持つだけで、こんな未来へ導いてしまった。
明灯は今更、罪悪感を覚えた。
◇
ねいは泉の傍らで、パソコンを見詰めていた。サイトだ。
公表により、書き込み数自体は減っている。しかしその分、過激派が目立つようになった気がする。
警察も皆殺しだとか、この際町ごと燃やしてしまえだとか、面白半分な発言が際立っている。
「どうですか? ハッキング」
直接的に問われて、ねいは首を横に振る。無い時間を見出して何度かトライしてみたものの、完全にお手上げだった。
「無理ね、結構強固よ。泉さんにパスだわ」
「私も無理ですね、他の部署からの攻撃が凄くて。言い訳に必死ですよ」
「……そう、じゃあ落ち着いたらで良いわ」
他の部署からの非難は凄まじい物だった。
CHS事件との関わりがあると、隠していた事は知られてはいない。しかし、逆を突き、なぜ今の今まで気が付かなかったのかと、失敗と見做され責められてしまった。
元々、仲の良い署ではないが、署内での面倒ごとに時間を裂く事になろうとは想定外だ。
「他の事件も全然進展しないし、もう嫌になりますねー。犯人自首しないかなー」
凜事件と、勇之、緑事件については、未だに解決の兆しが見えなかった。捜査すれども証拠一つ残されておらず、足取りさえも掴めないのが実情だ。
かと言って、まだまだ放棄するには時間が経過しておらず、そちらに時間を充てる必要もある。
「……全部終わったら消えるのかしら」
主語のない呟きに、泉は瞳を瞬く。だが興味が無いのか、首を傾げたままどこかへと行ってしまった。
◇
歩は医師と入れ違いで部屋を出て、通信可能エリアにて携帯を開いていた。
少しでも進展を把握しておこうと思ったのだ。何かを知っていると知らないでは、行動のし易さが変わってくるだろう。
しかし、まず目に付いたのは明灯からの連絡だった。
歩は、繋がらない覚悟で明灯へと折り返した。数回コールを重ねて明灯の声が聞こえてくる。
≪もしもし≫
他の社員の声も微かに聞こえた為、仕事中だと分かった。
「もしもし。電話すまないな、どうかしたか?」
≪いいえ、お休みされていたので大丈夫かなと。もしかして水無さんですか?≫
「……あ、あぁ、よく分かったな」
図星で驚いたが、明灯が鈴夜を気掛かりのしていた事を思い出し、可笑しくは無いかと納得する。
≪……大丈夫ですか?≫
「大丈夫、だよ」
≪また体調崩してしまったんですか?≫
「……まぁそんなところだ」
歩は、急速に弱ってゆく鈴夜の横顔を思い出し、潜めていた思いを口走っていた。
「……何と声をかければ良いのか悩んでしまうな。鈴夜くんには笑って生きていて欲しいのに……」
≪……歩さんの思う通りで良いと思いますよ、きっと水無さんにも伝わります≫
「……でも、無理に笑えというのもな……」
弱気になっているのが自分でも分かる。上手くいかない事だらけで滅入っているのかもしれない。
≪じゃあ、生きていて欲しいと伝えて下さい≫
静かながらも、はっきりとしていて的確な助言に、歩は圧倒された。
「……あ、あぁ、そうだな、そうするよ」
だが、決意は促された。鈴夜の心を直す前に、まずは繋ぎ止めるところから考えてみよう。
「明灯さん、ありがとう」
≪いいえ。水無さんが早く良くなりますように。それでは失礼します≫
「あぁ、じゃあまた」
電話が切れて、歩は直ぐに携帯を下ろした。主電源ごと切って部屋へと早歩きする。
部屋に入ると、白髪交じりのベテラン医師が、鈴夜を見守り帰りを待っていてくれた。部屋を出る前、残していった歩の願いを聞いてくれたのだ。
「すみません、有り難うございました」
髪を撫でる仕草を見ていた医師は、柔らかく微笑む。
「お父さんみたいだね」
「え、そう見えますか。そうですね、ちょっと大きいけど子どもみたいな感じです」
様々な出来事を経る度に上司と部下の関係を通り越し、何時しか鈴夜は愛しい存在へと変わっていた。
淑瑠や大智の友人であった事もあり、自分が不幸にしてしまった一人でもある為、純粋な愛を注いでいるというのも少し嘘になるが。
「……守ってあげたいですね……」
「そうか、でも君も頑張り過ぎないようにね」
「はは、ありがとうございます」
医師から流れるように視線を移動し、鈴夜を見ると、少し顔色が良くなっているように感じた。呼吸も正常に戻りつつある。
だがその表情は、悪夢の中にいるかの如く歪んでいた。
◇
歩の見た通り、鈴夜は悪夢に苛まれていた。
美音が銃口を向けてきて、弾が何発も体にめり込んでくる。痛みが鮮明に襲ってくる。
淑瑠が遣って来る足音を聞きながらも、来ちゃいけないと声を発する事が叶わず、淑瑠が姿を現して美音に飛び掛る。
美音のもがく姿を見ながらも、また声が消えてしまい泣く事しか選べない。
未来の、全ての出来事を把握してから見た一連の出来事は、後悔と罪悪ばかりが詰め込まれていた。
だが、夢の最後に、記憶には無い淑瑠の微笑んだ顔と、謝罪と愛の言葉が聞こえて来た。
鈴夜ははっとなり目を覚ましていた。乱れた呼吸を必死に整える。目の前で悲しげに見ていた歩に、伝い落ちそうになる冷や汗が拭われた。
「大丈夫かな?」
「……お、折原さん」
どこまでが夢で、どこからが現実なのかが曖昧になっている。だが手首に鈍い痛みが残っている事から、恐らくあの一件は現実だったのだろうと推測した。
「……ご、ごめんなさい……」
後になって、酷い場面を見せた自覚をする。血の色も臭いも、歩を酷く傷つけただろう。
しかし、罪悪感はあっても死への欲は消えてはいなかった。叶うならば消えてしまいたいと、まだ思っている。
「……鈴夜くん、私は君に死んでほしくない。笑ってくれとは言わない、生きて前を見てほしいんだ」
歩の目には愁いが落ちていた。いつもの笑顔はそこにはなく、言葉が心髄からのものであると一目で分かった。
真直ぐな瞳は、瞳を捉えて離さずに、強く意志を伝えてくる。
「酷な事をいっている自覚はある。けれどお願いだ、私の為に生きてくれ」
倒れる前、歩が叫んだ台詞を思い出した。
真偽は定かではなく、もしかしたら虚勢かもしれない。けれど本心かもしれない。自分が命を捨てる事があれば、歩も命を絶ってしまうのかもしれない。
それは駄目だ。それは嫌だ。
鈴夜は葛藤に陥ってしまい、返答を作り上げられず嗚咽した。
死にたいのに、死ねない。もう希望のない未来へと行きたくはないのに。
「ごめん。けれど鈴夜くんが大好きだから、私は鈴夜くんに幸せになってほしいんだ、普通に暮らしてほしいんだ」
優しく髪が撫でられて、淑瑠をまた思い出した。
夢の最後、淑瑠が残した言葉が本物ならば、淑瑠も歩と同じで、自分が生きる道を望んでいるのだろうか。
いや、望んでいたのだろう。危険を顧みず、美音の前に飛び込んでいった行為そのものが語っているではないか。
「……がんばり、ます……僕……がんばります……」
変則的に呼吸しながら、懸命に声を作る。逃げ出したくなる心を、無理矢理縛り付ける為に。
歩は、思いが聞き入れてもらえた事で急に目尻が熱くなり、隠す為に一瞬笑み、鈴夜の肩に軽く目を当てた。
「…ありがとう」
その後歩は、鈴夜に帰社を強く促され、後ろ髪を引かれる思いで仕事へと向かった。
部屋に一人残った鈴夜は、その後も幾度となく襲い来る衝動に何とか耐えた。
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