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第9話:これはペンです

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 お互いに無言になる。沈黙がこうも気まずいとは知らなかった。恋をしてからという物の、初めての体験が多すぎる。

「えあっはっはっ」
「えっ、何ウオコどうしたの」

 笑うしかない状況で素直に笑ってみたのだが、どうやら怖がらせてしまっただけのようだ。また経験値が上がった。

 ここにペンが居たら、土下座してでも仲裁を頼みたい。そのくらい切羽詰っている。
 いや、ペンじゃなくても良い。打開してくれるなら散歩中の犬だって――。

「ごめん!」
「えっ」

 告白時と大差ないくらいの大声が聞こえた。同時に、シンジローの照れ笑いが零れる。

「やっぱりウオコとは友だちのままが良い!」

 示す物は失恋だった。今度こそ、間違いでも誤解でも早とちりでも何でもない失恋だ。

 もちろん、対応の方法など知らないので頭は空っぽだ。
 だが、何かを言わなければ、この固い空気ともオサラバ出来ない。

「そうだよねー! 変な事言ってごめん! じゃっ! 荷造りもあるのに呼び止めてごめん! 忘れて!」

 結果的に私は、軽く流す選択をした。とにかく全てを必死に流し去り、その勢いで扉を開く。

 頭突く勢いで空いた隙間に飛び込んだが、思いのほか幅がなく盛大に頭をぶつけた。よろよろと屈み込む。
 その時、背後から声が聞こえた。

「でも嬉しかった! これからも良い親友で居ような。あと明日見送り来いよ」

 頭上に、優しく手が添えられる。そしてそれは離れてゆく。シチュエーションに飲まれ、何だか泣いてしまいそうだ。

「…………シンジロー」

 去りゆく格好良い背中を見送るため、涙を呑む。
 行ってしまう前にと勢いをつけて立ち上がると、またも何かと盛大にぶつかった。

「いってぇ……」
「私がだよ……」

 ……シンジロー、まだいたのかよ。

***

 なんやかんや有りつつ、無事別れを告げることが出来た。とは言え、明日も会うのだけれども。
 上手い事纏まったからか、不思議と心はスッキリしている。結果は残念だったが悔いはない。

 この結果を、告げなければならない者が居る。ペンだ。
 仮にも協力してくれたのだから、一応は伝えておかねばならない……気がする。何を言われるか、分かったものじゃないけれど。

 部屋に辿り着いて早々、奴を手に取った。黒いボディは当初と何も変わらないのに、長きに亘り時間を共有して来たように感じる。

「ペン起きろー……ってあれ?」

 目覚めの一杯――ならぬ目覚めの一本をノートに引こうとして、そこに残ったのは引っ掻き跡だけだった。
 所謂、インクが出ないのだ。

 リフィル部分を見てみたが、まだ十分にインクは残っている。
 先で詰まっているだけかもしれないと、グリグリ円を描いてみたが黒線は見えなかった。

 ふと、以前の会話が思い浮かぶ。インクが尽き、書けなくなった時の話だ。
 彼は言っていた。インクが途中で出なくなった時、それは永遠の眠りに着いた時だと――。

「お別れか……」

 絶妙なタイミングの所為か、感慨深くなる。声は聞けないが『ウオコの頑張り、見届けた』と言っている気がした。

***

 お別れラッシュでも来ているのかもしれない。別れを意識したからか、脳内にペンとの日々が再生され始めた。
 ペンの言葉に突っ込む、言葉に突っ込む、突っ込むくらいしか思い出せなかったが、なんやかんや言って楽しかった。特別な経験が出来て良かったとも思う。

 さて、インクが出なくなってしまったコイツを、どうするべきだろうか。
 考えた時、とある会話が思い出された。ペンとシンジローが会話した、あの奇跡の一場面だ。

「……火葬するか」

 そうと決まれば行き先は一つである。私はペンを一本手に、階段を駆け下りた。

「おかあさーん、このペン火葬してほしいんだけど」

 リビングに入室しながら呼びかけると、中には誰も居なかった。空しさが一瞬立ち込めたが、本当に一瞬だけだ。
 辺りを見回したが人の気配一つ無い。その代わり、一枚のメモを見つけた。

〝明日用事があるので 今から別れを惜しんできます 夕飯は冷蔵庫の中にある物で食べて下さい〟

 どうやら母親は、シンジロー宅に居るらしい。しかも夜まで居座る積もりのようだ。
 夕食の文字を目にして空腹に気付き、途端に食欲が溢れ出す。

 その為、置いとけポジションである電話横にペンを置き、自分はキッチンに直行した。

***

 夜が明けた。外は眩しいくらいの快晴だ。休日という事もあり、目覚めた時には明るくなっていた。

 スマホの電源を付ける――と同時に衝撃が走った。表示時刻が9時48分だったのだ。
 見送りまで、あと数分しかない。そもそも十時は予定であって、前後する可能性だってあるのだ。

「うわぁああ!」

 急いで飛び起き、寝巻きを着替え、最低限の支度だけして一心不乱に家を飛び出した。

***

「よっ、ウオコ! 相変わらず目が死んでるなー」

 辿り着いた時、シンジローは既に車に乗り込んでいた。窓を開けて、身を乗り出している。

「……自分的にも今めっちゃ死んでる感ある……」

 息も絶え絶えに、その姿を目に焼き付けてゆく。幼い頃から積み重ねてきた思い出を、数多く思い出した。

「……向こうでも元気で。元気だと思うけど」
「ウオコも。元気だと思うけど」
「うん、またメールする」
「俺も」

 ご両親からも挨拶を受け、出発が告げられた。一家を乗せた車はゆっくりと発進し、少しずつ距離を開けてゆく。

「シンジローまたねー! いつか遊びに来いよー!」
「おーう! ウオコも来れたら来いよー! あとアイツにも宜しくな!」
「分かったー! じゃあねー! ってアイツ?」

 車の消えていった先を見詰めながら、私はただ茫然とした。

***

 何だか締まりの悪い別れではあったが、心に蟠りはない。これはやはり、好意を伝えられたからとの理由がありそうだ。
 これからは携帯での遣り取りのみになるが、今まで以上に連絡してやろうと思う。もちろん、親友として。

「ただい……」
「きゃあぁああああ!」

 玄関に踏み込んで早々、聞こえてきた母親の悲鳴に驚愕した。何事かと焦り、靴を脱ぎ捨て廊下を走る。

「どうしたのお母さん!」 

 叩きつけるようにドアを放ると、母親は放心状態でゆっくり振り向いた。

「……あれ、何……?」

 一指し指が、何かを指している。
 行く先を見ると、紙に書かれた文字が見えた。確りと、黒いインクが刻まれている。

『やぁウオコ、シンジローに告白は出来たか?』

 ペンとの日々は、まだまだ続きそうだ。
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