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「おかえりなさいませ、ヴィルヘルム殿下」
季節が変わる前とはいえ、長い留守だった。
高鳴る胸の鼓動や火照る頬の熱が、私の心を改めて教えてくれる。
愛している人。
掛け替えのない人。
夫のヴィルヘルム殿下一行の帰還は、私の心に降り注ぐ太陽となり、乾いた大地への恵みの雨となった。
トーシュ公爵家は華やぎを取り戻し、当主の力強い御姿はそれそのものが輝かしい光である。
悠然と地上に降り立った夫ヴィルは一直線に私のもとへ歩み寄り、私の名を囁きながら指先で肩に触れた。
「フレデリカ」
もう我慢できなかった。
妃として跪き頭を垂れて出迎えた私は、礼節をかなぐり捨て、半ば飛び上がるように立ち上がりヴィルの首に腕を回した。
体が浮く。
抱き上げられ、抱きしめられながら待ち侘びた口づけを交わす。
「……!」
生きている。
私はもしかして暫く仮死状態にあったのではないかと錯覚するほど、幸福感と切なさに呑み込まれる。意味もなく涙が込み上げる。
「ただいま」
唇を微かに離して囁かれた甘い声に私は言葉を忘れてしまう。
けれど、私とは多少違った気持ちで当主の帰還を喜ぶトーシュ公爵家の人々から拍手が起こった。当主夫妻の再会を祝ってくれる優しい人々に、私は気恥ずかしさを覚えながらも感謝と愛情を抱かずにはいられない。
拍手を先導したらしいファルクが真顔で手を止め、大股で歩いて来て一瞬で目の前に立った。巨体ながら俊敏に跪き私への挨拶を済ませ、背後に立つアマンダの眼前に立ちはだかる。
「んだぁ?」
アマンダの腕の中でご機嫌だったガブリエラが、父親より先に笑顔で手を伸ばした相手こそ、彼女の永遠の守護神となるジョアン・ファルクその人だった。
それを見て夫が笑う。
私もつられて笑ってしまう。
そっと地上に下ろされた私は、自然と彼の体に腕を回し胸元に顔を擦りつけていた。娘のガブリエラより私の方がヴィルの帰還を喜んでいるのだから、大目に見て欲しい。
ヴィルは私を抱き寄せながら、大きな手で頭を撫でてくれる。
寂しかった私を、認めてくれる。満たしてくれる。
「元気かい?」
「ええ、もう無敵よ。あなたがいてくれたら、何でもできる」
「長く留守にしてしまって申し訳なかった。全て綺麗に片付けてきたよ」
「……」
「……フレデリカ?」
「あ」
ヴィルの帰還で感無量の真っ只中にあった私は、不覚にもそもそもの原因を一瞬、失念していた。
そうだ。
私の父が、私の弟の未来を奪おうと凶行に及んだのだ。
能天気に浮かれている場合ではない。
「ごめんなさい。本当に御迷惑をおかけして……」
「君の熱烈な歓迎に幸せを噛み締めている私の顔をよく見てほしい」
「……」
「二度と謝れなくなっただろう?」
「ええ」
私は夫の腕の中で力一杯の背伸びをして、顎の辺りに軽くキスして応えた。
そう。言われてみればそう。私の為に頑張ることを生き甲斐にしてくれる、寛大で優しく、誠実な夫。私は本当の応え方を理解している。
「アベルを助けてくださり、感謝します。カールフェルト伯爵にも、御迷惑をおかけしました。許してくれるかしら」
「うん。二人の義兄である私から報告すると、君に感謝と愛と忠誠を誓っていたよ」
「そう。私も、二人に生涯の愛と忠誠を誓うわ」
「家族とはいいものだね」
「父は……」
ヴィルは少しだけ身を屈め、私の耳元で声を落とし簡潔に伝えた。
「父上からの勅令により、王立図書館の西塔で『千代史記』の索引を編纂する特命を得て、クルーム侯爵当主の座を退いた。事実上の幽閉だが、尊厳を損なわれることはないから安心してほしい」
「……」
喉が詰まる。
歯痒さと安堵を同時に消化できずにいる私に、ヴィルが口角を上げて囁いた。
「というわけで、君がクルーム侯爵だよ。仰々しく正式に通達しようか?」
途端に晴れやかな気分になり、体の内側から力が漲る。
「はじめから、そう決まっていたことよ」
「それでこそ私のマダム・トーシュ」
笑みを深め、眩しそうに目を細めたヴィルが私の額に短いキスを落とした。
「ただ、アベルがやる気を取り戻したよ」
「え?」
私の心に生まれたのは、勿論、喜びだった。
「カールフェルト伯爵の姿を見て新たな理想像を得たのかな。あと、君の兵法の先生が、幼き主の為に身を呈して謀反を起こしてね。随分感動していた」
「……そうなの」
まるで千代史記の中に登場する王朝の変遷を目の当たりにしているようで、感動してしまう。
「母に、会いに行かなくては……」
「そうだね。君の体調が整い次第、行こう。君が取り戻したクルーム城に」
「……!」
胸が高鳴り、体が震えた。
私は、人生を取り戻した。ヴィルが、全てを与えてくれた。
誇り高く生きていこう。
アライアンス王国第三王子ヴィルヘルム殿下に相応しい妃として、その歴史に、刻まれるように。
そんなことを考えていた私は後日、懐かしいクルーム侯領の地を踏んだ瞬間、思いがけず熱烈な歓迎を受けて改めて知る事になった。
クルーム侯爵として生きる日々の、その意味を。尊さを。
アベルに引き継ぐその日まで、私は決して、それを忘れはしなかった。
季節が変わる前とはいえ、長い留守だった。
高鳴る胸の鼓動や火照る頬の熱が、私の心を改めて教えてくれる。
愛している人。
掛け替えのない人。
夫のヴィルヘルム殿下一行の帰還は、私の心に降り注ぐ太陽となり、乾いた大地への恵みの雨となった。
トーシュ公爵家は華やぎを取り戻し、当主の力強い御姿はそれそのものが輝かしい光である。
悠然と地上に降り立った夫ヴィルは一直線に私のもとへ歩み寄り、私の名を囁きながら指先で肩に触れた。
「フレデリカ」
もう我慢できなかった。
妃として跪き頭を垂れて出迎えた私は、礼節をかなぐり捨て、半ば飛び上がるように立ち上がりヴィルの首に腕を回した。
体が浮く。
抱き上げられ、抱きしめられながら待ち侘びた口づけを交わす。
「……!」
生きている。
私はもしかして暫く仮死状態にあったのではないかと錯覚するほど、幸福感と切なさに呑み込まれる。意味もなく涙が込み上げる。
「ただいま」
唇を微かに離して囁かれた甘い声に私は言葉を忘れてしまう。
けれど、私とは多少違った気持ちで当主の帰還を喜ぶトーシュ公爵家の人々から拍手が起こった。当主夫妻の再会を祝ってくれる優しい人々に、私は気恥ずかしさを覚えながらも感謝と愛情を抱かずにはいられない。
拍手を先導したらしいファルクが真顔で手を止め、大股で歩いて来て一瞬で目の前に立った。巨体ながら俊敏に跪き私への挨拶を済ませ、背後に立つアマンダの眼前に立ちはだかる。
「んだぁ?」
アマンダの腕の中でご機嫌だったガブリエラが、父親より先に笑顔で手を伸ばした相手こそ、彼女の永遠の守護神となるジョアン・ファルクその人だった。
それを見て夫が笑う。
私もつられて笑ってしまう。
そっと地上に下ろされた私は、自然と彼の体に腕を回し胸元に顔を擦りつけていた。娘のガブリエラより私の方がヴィルの帰還を喜んでいるのだから、大目に見て欲しい。
ヴィルは私を抱き寄せながら、大きな手で頭を撫でてくれる。
寂しかった私を、認めてくれる。満たしてくれる。
「元気かい?」
「ええ、もう無敵よ。あなたがいてくれたら、何でもできる」
「長く留守にしてしまって申し訳なかった。全て綺麗に片付けてきたよ」
「……」
「……フレデリカ?」
「あ」
ヴィルの帰還で感無量の真っ只中にあった私は、不覚にもそもそもの原因を一瞬、失念していた。
そうだ。
私の父が、私の弟の未来を奪おうと凶行に及んだのだ。
能天気に浮かれている場合ではない。
「ごめんなさい。本当に御迷惑をおかけして……」
「君の熱烈な歓迎に幸せを噛み締めている私の顔をよく見てほしい」
「……」
「二度と謝れなくなっただろう?」
「ええ」
私は夫の腕の中で力一杯の背伸びをして、顎の辺りに軽くキスして応えた。
そう。言われてみればそう。私の為に頑張ることを生き甲斐にしてくれる、寛大で優しく、誠実な夫。私は本当の応え方を理解している。
「アベルを助けてくださり、感謝します。カールフェルト伯爵にも、御迷惑をおかけしました。許してくれるかしら」
「うん。二人の義兄である私から報告すると、君に感謝と愛と忠誠を誓っていたよ」
「そう。私も、二人に生涯の愛と忠誠を誓うわ」
「家族とはいいものだね」
「父は……」
ヴィルは少しだけ身を屈め、私の耳元で声を落とし簡潔に伝えた。
「父上からの勅令により、王立図書館の西塔で『千代史記』の索引を編纂する特命を得て、クルーム侯爵当主の座を退いた。事実上の幽閉だが、尊厳を損なわれることはないから安心してほしい」
「……」
喉が詰まる。
歯痒さと安堵を同時に消化できずにいる私に、ヴィルが口角を上げて囁いた。
「というわけで、君がクルーム侯爵だよ。仰々しく正式に通達しようか?」
途端に晴れやかな気分になり、体の内側から力が漲る。
「はじめから、そう決まっていたことよ」
「それでこそ私のマダム・トーシュ」
笑みを深め、眩しそうに目を細めたヴィルが私の額に短いキスを落とした。
「ただ、アベルがやる気を取り戻したよ」
「え?」
私の心に生まれたのは、勿論、喜びだった。
「カールフェルト伯爵の姿を見て新たな理想像を得たのかな。あと、君の兵法の先生が、幼き主の為に身を呈して謀反を起こしてね。随分感動していた」
「……そうなの」
まるで千代史記の中に登場する王朝の変遷を目の当たりにしているようで、感動してしまう。
「母に、会いに行かなくては……」
「そうだね。君の体調が整い次第、行こう。君が取り戻したクルーム城に」
「……!」
胸が高鳴り、体が震えた。
私は、人生を取り戻した。ヴィルが、全てを与えてくれた。
誇り高く生きていこう。
アライアンス王国第三王子ヴィルヘルム殿下に相応しい妃として、その歴史に、刻まれるように。
そんなことを考えていた私は後日、懐かしいクルーム侯領の地を踏んだ瞬間、思いがけず熱烈な歓迎を受けて改めて知る事になった。
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アベルに引き継ぐその日まで、私は決して、それを忘れはしなかった。
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